伊藤まつをは、明治27年生、平成5年没。享年98歳。
岩手師範学校を卒業後教職に就き、17年後に辞して農業に専念した。七男二女がある。
媼(おばば)が76歳のとき刊行した自伝『石ころのはるかな道』(講談社、1970)に感激した石川純子は、媼を訪れ、23年間にわたる付き合いがはじまった。
多年の聞き書きをまとめたのが本書である。
二部構成で、前半は東北の寒村に生きた女性の一代記である。後半は、回想もまじるが、話題は表現力豊かな高齢者が伝える老いの諸相が主になる。
読者は、まず、ペスタロッチに学んだ理想主義的な生涯に驚かされるだろう。
粘り強い実践力に裏打ちされているのが特徴だ。生活改善に率先して取り組み(台所に井戸を掘り、膳を飯台に替えた)、農村の女性の地位向上に尽力した(婦人会を率い、文化無尽で女性の自由になる資金をつくった)。教員時代の教え子が多数地域にいたから、影響力は大きかったらしい。
老いては、亡夫の日記抄の刊行ほか、次々に仕事を見つけて、充実した日々を過ごしている。
長寿の秘訣は「希望が絶えないことだ」とは媼は喝破する。
他方、五感ことに聴覚、視覚、触覚の衰えを正確に自覚し、ボケの可能性に思いをいたす(亡くなる直前まで明晰であった)。
ボケは、今日では認知症と言い換えられているが、まつを媼はボケでいっこうに気にしなかったらしい。それだけの土性骨がある。
ところで、夫君は何をしていたか。
政治をしていた。
20代で就いた村会議員をふりだしに、戦前は村長、戦後は町制移行に伴う初代町長を勤めた。
家庭では亭主関白、暴君に近かったらしい。頑固も頑固、媼の生活改善に対する最大の壁は夫だった。
しかし、彼の80年間の日記には糟糠の妻に対する深い愛情に満ちている。明治人は日常における愛情の表現が不得手だったらしい。
聞き書きだから方言が混じって、かえって媼の人となりをよく伝える。
「宇宙」と一体化したかのような純な魂、柔軟かつ老いてなお滾々と湧く活力、そしてたくまざるユーモア。
本書は、女性の女性による女性のための本だが、男性にも魅力はつきない。
□石川純子『まつを媼(おばば)百歳を生きる力』(草思社、2001)
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岩手師範学校を卒業後教職に就き、17年後に辞して農業に専念した。七男二女がある。
媼(おばば)が76歳のとき刊行した自伝『石ころのはるかな道』(講談社、1970)に感激した石川純子は、媼を訪れ、23年間にわたる付き合いがはじまった。
多年の聞き書きをまとめたのが本書である。
二部構成で、前半は東北の寒村に生きた女性の一代記である。後半は、回想もまじるが、話題は表現力豊かな高齢者が伝える老いの諸相が主になる。
読者は、まず、ペスタロッチに学んだ理想主義的な生涯に驚かされるだろう。
粘り強い実践力に裏打ちされているのが特徴だ。生活改善に率先して取り組み(台所に井戸を掘り、膳を飯台に替えた)、農村の女性の地位向上に尽力した(婦人会を率い、文化無尽で女性の自由になる資金をつくった)。教員時代の教え子が多数地域にいたから、影響力は大きかったらしい。
老いては、亡夫の日記抄の刊行ほか、次々に仕事を見つけて、充実した日々を過ごしている。
長寿の秘訣は「希望が絶えないことだ」とは媼は喝破する。
他方、五感ことに聴覚、視覚、触覚の衰えを正確に自覚し、ボケの可能性に思いをいたす(亡くなる直前まで明晰であった)。
ボケは、今日では認知症と言い換えられているが、まつを媼はボケでいっこうに気にしなかったらしい。それだけの土性骨がある。
ところで、夫君は何をしていたか。
政治をしていた。
20代で就いた村会議員をふりだしに、戦前は村長、戦後は町制移行に伴う初代町長を勤めた。
家庭では亭主関白、暴君に近かったらしい。頑固も頑固、媼の生活改善に対する最大の壁は夫だった。
しかし、彼の80年間の日記には糟糠の妻に対する深い愛情に満ちている。明治人は日常における愛情の表現が不得手だったらしい。
聞き書きだから方言が混じって、かえって媼の人となりをよく伝える。
「宇宙」と一体化したかのような純な魂、柔軟かつ老いてなお滾々と湧く活力、そしてたくまざるユーモア。
本書は、女性の女性による女性のための本だが、男性にも魅力はつきない。
□石川純子『まつを媼(おばば)百歳を生きる力』(草思社、2001)
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