語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『まつを媼百歳を生きる力』

2014年12月20日 | ノンフィクション
 伊藤まつをは、明治27年生、平成5年没。享年98歳。
 岩手師範学校を卒業後教職に就き、17年後に辞して農業に専念した。七男二女がある。

 媼(おばば)が76歳のとき刊行した自伝『石ころのはるかな道』(講談社、1970)に感激した石川純子は、媼を訪れ、23年間にわたる付き合いがはじまった。
 多年の聞き書きをまとめたのが本書である。
 二部構成で、前半は東北の寒村に生きた女性の一代記である。後半は、回想もまじるが、話題は表現力豊かな高齢者が伝える老いの諸相が主になる。

 読者は、まず、ペスタロッチに学んだ理想主義的な生涯に驚かされるだろう。
 粘り強い実践力に裏打ちされているのが特徴だ。生活改善に率先して取り組み(台所に井戸を掘り、膳を飯台に替えた)、農村の女性の地位向上に尽力した(婦人会を率い、文化無尽で女性の自由になる資金をつくった)。教員時代の教え子が多数地域にいたから、影響力は大きかったらしい。
 老いては、亡夫の日記抄の刊行ほか、次々に仕事を見つけて、充実した日々を過ごしている。

 長寿の秘訣は「希望が絶えないことだ」とは媼は喝破する。
 他方、五感ことに聴覚、視覚、触覚の衰えを正確に自覚し、ボケの可能性に思いをいたす(亡くなる直前まで明晰であった)。
 ボケは、今日では認知症と言い換えられているが、まつを媼はボケでいっこうに気にしなかったらしい。それだけの土性骨がある。

 ところで、夫君は何をしていたか。
 政治をしていた。
 20代で就いた村会議員をふりだしに、戦前は村長、戦後は町制移行に伴う初代町長を勤めた。
 家庭では亭主関白、暴君に近かったらしい。頑固も頑固、媼の生活改善に対する最大の壁は夫だった。
 しかし、彼の80年間の日記には糟糠の妻に対する深い愛情に満ちている。明治人は日常における愛情の表現が不得手だったらしい。

 聞き書きだから方言が混じって、かえって媼の人となりをよく伝える。
 「宇宙」と一体化したかのような純な魂、柔軟かつ老いてなお滾々と湧く活力、そしてたくまざるユーモア。
 本書は、女性の女性による女性のための本だが、男性にも魅力はつきない。

□石川純子『まつを媼(おばば)百歳を生きる力』(草思社、2001)
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