雨の中に馬がたつてゐる
一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 雨の中にたつてゐる
雨は蕭々と降つてゐる
馬は草をたべてゐる
尻尾も背中も鬣(たてがみ)も ぐつしよりと濡れそぼつて
彼らは草をたべてゐる
草をたべてゐる
あるものはまた草もたべずに きよとんとしてうなじを垂れてたつてゐる
雨は降つてゐる
瀟々と降つてゐる 山は煙をあげてゐる
中嶽の頂きから うすら黄ろい 重つ苦しい噴煙が濠々とあがつてゐる
空いちめんの雨雲と
やがてそれはけぢめもなしにつづいてゐる
馬は草をたべてゐる
艸千里浜のとある丘の
雨に洗はれた青草を 彼らはいつしんにたべてゐる
たべてゐる
彼らはそこにみんな静かにたつてゐる
ぐつしよりと雨に濡れて いつまでもひとつところに彼らは静かに集つてゐ る
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう
雨が降つてゐる 雨が降つてゐる
雨は瀟々と降つてゐる
*
●永田満徳「三好達治ー阿蘇詩ニ篇」
<「大阿蘇」は世界最大のカルデラを形成している阿蘇中岳を背景に、豊かに繁る牧草の高原《草千里》で蕭々と降りしきる雨の中、ひたすら草を食べたり、ただつっ立りたりしている馬の群れを描いた風景そのものの作品である。
(中略)この作品は、眼の前の風景を単に写生したものとみるならば、まるで〈無声映画〉や〈一幅の絵画〉を眺めるような思いがする。そういう印象を与えるのは作者が徹頭徹尾〈見る〉立場で描いているからである。三つの素材「馬」「雨」「山」が平易な口語で巧みに場面の中にうたい込まれている。しかし、これは単なる〈静物〉としての風景ではない。それぞれの情景は、固定したカメラの広角レンズ越しのような視界の中で、「食べ(立ち)続ける馬」「降り続ける雨」「吐き続ける山」といった具合に持続的な動きとして捉えられている。特に文末の補助動詞「ゐる」のリフレーンはそのすべてが現在進行〈……してゐる〉の形をとっており、時制の〈継続性・現在性〉を強く押し出している。そして、このような時意識は、末尾近くの一行「もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう」に収束し表現されている。この一行こそが、多くの叙景描写のうちから離れて、作者の心情を仮定形にひめて表明した唯一の部分である。そこには、大阿蘇を根源的に発見した感動が凝縮されていることはまちがいなく、人事全般を忘却せしめる大自然の息遣いが幾百年たったとしてもそのままの姿で〈いつまでも現在〉として存在し続けるだろうという一種異様な悠久感が打ち出されている。
「瀟々と」降りしきる雨にしても、「重つ苦しい」噴煙にしても、ひっきりなしに降る雨をもの寂しく思い、濠々とあがる噴煙を重っ苦しく感じるのも、客観世界から受けた印象表現であるとともに、三好のこの時の心象風景――ある種の晴れやらぬ壮年の憂悶や暗雲ただよう社会情況の投影でもあっただろう。そのような作者の心情に比べれば、「尻尾も背中も鬣も ぐつしよりと濡れそぼつ」たまま、大自然にすっかり随順してしまっている馬の群れの姿には時や空間を超越するような悠久感がひしひしと感じられたに違いない。従って、詩作の契機は放牧中の〈馬〉の群れを眼にしたことに始まるといってよい。「ぐつしよりと」という擬態語も、後出の「きよとんと」「いつしんに」などと同じく馬の集団の姿態をできるだけ如実に描くことにあったと思われる。よく見れば、第二行で群れ集う馬の構成、第五行で雨に濡れた馬の様子を細かく表現しつつも、第六行目で〈馬〉から〈彼ら〉に変更されていく過程に、馬の群れに対する三好の気持ちの変化が現われており、〈彼ら〉という人称代名詞に人間に対するような親しみと一まとまりの自然物として突き放し、悠久なる時空の一点景とする見方が読み取れる。>
□三好達治「大阿蘇」(『霾』(合本詩集『春の岬』(創元社、1939)所収)
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【参考】
「【詩歌】三好達治「湖水」」
「【詩歌】三好達治「雪」」
「【詩歌】三好達治「春の岬」」
「【詩歌】何をうしじま千とせ藤 ~牛島古藤歌~」
「【読書余滴】ミラボー橋の下をセーヌが流れ ~母音~」
一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 雨の中にたつてゐる
雨は蕭々と降つてゐる
馬は草をたべてゐる
尻尾も背中も鬣(たてがみ)も ぐつしよりと濡れそぼつて
彼らは草をたべてゐる
草をたべてゐる
あるものはまた草もたべずに きよとんとしてうなじを垂れてたつてゐる
雨は降つてゐる
瀟々と降つてゐる 山は煙をあげてゐる
中嶽の頂きから うすら黄ろい 重つ苦しい噴煙が濠々とあがつてゐる
空いちめんの雨雲と
やがてそれはけぢめもなしにつづいてゐる
馬は草をたべてゐる
艸千里浜のとある丘の
雨に洗はれた青草を 彼らはいつしんにたべてゐる
たべてゐる
彼らはそこにみんな静かにたつてゐる
ぐつしよりと雨に濡れて いつまでもひとつところに彼らは静かに集つてゐ る
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう
雨が降つてゐる 雨が降つてゐる
雨は瀟々と降つてゐる
*
●永田満徳「三好達治ー阿蘇詩ニ篇」
<「大阿蘇」は世界最大のカルデラを形成している阿蘇中岳を背景に、豊かに繁る牧草の高原《草千里》で蕭々と降りしきる雨の中、ひたすら草を食べたり、ただつっ立りたりしている馬の群れを描いた風景そのものの作品である。
(中略)この作品は、眼の前の風景を単に写生したものとみるならば、まるで〈無声映画〉や〈一幅の絵画〉を眺めるような思いがする。そういう印象を与えるのは作者が徹頭徹尾〈見る〉立場で描いているからである。三つの素材「馬」「雨」「山」が平易な口語で巧みに場面の中にうたい込まれている。しかし、これは単なる〈静物〉としての風景ではない。それぞれの情景は、固定したカメラの広角レンズ越しのような視界の中で、「食べ(立ち)続ける馬」「降り続ける雨」「吐き続ける山」といった具合に持続的な動きとして捉えられている。特に文末の補助動詞「ゐる」のリフレーンはそのすべてが現在進行〈……してゐる〉の形をとっており、時制の〈継続性・現在性〉を強く押し出している。そして、このような時意識は、末尾近くの一行「もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう」に収束し表現されている。この一行こそが、多くの叙景描写のうちから離れて、作者の心情を仮定形にひめて表明した唯一の部分である。そこには、大阿蘇を根源的に発見した感動が凝縮されていることはまちがいなく、人事全般を忘却せしめる大自然の息遣いが幾百年たったとしてもそのままの姿で〈いつまでも現在〉として存在し続けるだろうという一種異様な悠久感が打ち出されている。
「瀟々と」降りしきる雨にしても、「重つ苦しい」噴煙にしても、ひっきりなしに降る雨をもの寂しく思い、濠々とあがる噴煙を重っ苦しく感じるのも、客観世界から受けた印象表現であるとともに、三好のこの時の心象風景――ある種の晴れやらぬ壮年の憂悶や暗雲ただよう社会情況の投影でもあっただろう。そのような作者の心情に比べれば、「尻尾も背中も鬣も ぐつしよりと濡れそぼつ」たまま、大自然にすっかり随順してしまっている馬の群れの姿には時や空間を超越するような悠久感がひしひしと感じられたに違いない。従って、詩作の契機は放牧中の〈馬〉の群れを眼にしたことに始まるといってよい。「ぐつしよりと」という擬態語も、後出の「きよとんと」「いつしんに」などと同じく馬の集団の姿態をできるだけ如実に描くことにあったと思われる。よく見れば、第二行で群れ集う馬の構成、第五行で雨に濡れた馬の様子を細かく表現しつつも、第六行目で〈馬〉から〈彼ら〉に変更されていく過程に、馬の群れに対する三好の気持ちの変化が現われており、〈彼ら〉という人称代名詞に人間に対するような親しみと一まとまりの自然物として突き放し、悠久なる時空の一点景とする見方が読み取れる。>
□三好達治「大阿蘇」(『霾』(合本詩集『春の岬』(創元社、1939)所収)
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【参考】
「【詩歌】三好達治「湖水」」
「【詩歌】三好達治「雪」」
「【詩歌】三好達治「春の岬」」
「【詩歌】何をうしじま千とせ藤 ~牛島古藤歌~」
「【読書余滴】ミラボー橋の下をセーヌが流れ ~母音~」