(1)今年の米国経済学会の大会でもピケティの理論が大きく取り上げられた。
リベラル派の多くはブームを歓迎したものの、大方の主流派経済学者のみならず左派からも手厳しいピケティ評が聞かれた。
(2)議論の第一の焦点は、経済格差自体の評価について。
(a)グレゴリー・マンキュー・ハーバード大学経済学部教授(主流派の代表)は、一昨年すでにセンセーショナルな「1%を擁護する」というタイトルの論文で、ピケティらの主張に反論。経済格差は能力主義の結果であり、「すでに高額所得者は多額の税金を支払い、政府は大規模な再分配政策を行っているではないか」と主張した。さらに彼は、「身長が高い人は低い人に比べて所得が高い。だからといって身長に税金を課すことは妥当か?」と述べ、リベラル派の富裕者増税論をかわそうとした(ちなみに、マンキキューは背が高い)。
(b)(a)を批判したのが斯界の重鎮、ロバート・ソロー。いわく、「1%の富裕層の大半は金融分野だ。それらは規制を利用したレント・シーキング【注1】にすぎない」とマンキューの議論を一蹴。大手金融機関の高額の重役報酬は、その重役の能力や成果とは無縁だ、と断じたのだ。さらにソローは、「不平等は権力の集中を生むことによって政治的影響力の格差と政治的腐敗を招く」と、経済格差の多面的な問題を鋭く衝いた。
【注1】レント・シーキング・・・・規制の網を利用して儲ける手法のこと。
(c)今日の最上位集中型の経済格差は能力主義の結果だけでは説明しきれない(ピケティが縷々と説明済み)。そのことをマンキューは理解しようとしない。
(d)マンキューはソローの警告にひるまず、今年の米国経済学会にさらに挑発的なタイトル「r>g【注2】だけど、だから何だ(Yes, r>g. So What?)」という論文を提出した。いわく、「ピケティは不平等が悪だと決めつけているが、不平等でも民主的価値が損なわれることはない。平等な経済の方がむしろ繁栄の度合いが小さい」と述べ、さらに些か的はずれの議論を展開した(「ジョージ・ワシントンら建国の父たちは大金持ちだったが、その彼らが米国の民主主義をつくった」)。概して、主流派経済学には格差や貧困という経済問題を把握する認識装置が欠如していて、それらに向き合う心の準備ができていない人が多い。マンキューの2論文はその典型だ。
【注2】r>g・・・・資本収益率 r が経済成長率 g を上回る・・・・というピケティが重視する経済構造の特徴。
(3)議論の第二の焦点は、ピケティの「r>g」の見通しについて。
(a)マサチューセッツ工科大学のアセモグル&ロビンソンは、同じ大会のセッションで、「ピケティは賃金と経済成長率を引き上げる技術と制度の内生的進化の可能性を否定している」と批判。rが4~5%、gが1%程度にとどまるというピケティの今後の見通しには議論が集中していて、別の見方もあり得る。少なくともピケティは一つの仮説を提示し、そうした議論お出発点を築いた、といえる。
(b)しかし、yとgのギャップが現在以上に大きくなると、経済格差が激化し、資本主義経済の先行きが暗くなるのは確かだ。
(c)だが、マンキューは(2)の論文で極端な楽観論を開陳した。「r>gは経済にとって正常な状態にすぎない。分割相続による資産の縮小、相続税、資本所得税などを合わせると、実際のギャップはごく僅かだ。r>7%にならないとピケティのいう問題は起こらない」
(d)(c)に対してピケティは反論した。「r>gは確かに労働所得には強い影響を及ぼさないかもしれないが、資産格差には大きな影響を与えることができる。「逆パレート係数」を用いた推計によると、「最上位1%の保有資産はrとgとの差が2%→3%に上昇しただけで、20~30%から50~60%に跳ね上がる」
rが4%というのは、あくまで現在の平均。大規模な資産はそれを大きく上回る。「パレート分布」の研究に、ピケティは『21世紀の資本』を書いた後に取り組んだ。最上位層の資産状況の実証的な推計に基づいたマンキューへの反論はその成果だ。
(3)左派、マルクス主義陣営からのピケティ批判は主流派経済学以上に厳しい。
デビッド・ハーヴェイ(英)やヤニス・ヴァルファキス(ギリシャの左翼政権の財務大臣)らマルクス主義者を自認する人びとは、こぞって批判を浴びせかけている。いわく、
「ピケティの資本概念はマルクスと異なる」
「階級的、権力的関係を無視している」
「rとgとのメカニズムの説明がない」
(4)いま、欧米、日本を問わず、経済政策の二層化(大企業や富裕層には超緩和政策、庶民には緊縮政策)がますます強まっている。この編成を覆すことなくして、経済をまともな軌道に乗せることはできない。この主張は、左派にも異論はあるまい。
ピケティの理論は、所得資産分配と税制の面から挑もうとする試みだ。まず、その点を評価すべきだ。
リベラル派や左派は、自らやマルクスとの距離で他者を推し量り、紋切り型の理屈で切り捨てるのではなく、政策転換に資する有益な物を汲み取り、その上で独自の優位性を示すべきだ。
(5)今年1月に来日した際、ピケティは日本経済やアベノミクスについても発言した。
消費税は逆進的であり、かつ、経済成長を妨げる、というのがピケティの持論だ。「消費税は相続した富と自ら築き上げた富とを区別せず課税する。また、高額所得者は政治的影響力や威信を買うために支出するが、消費税ではそうした消費に課税できない」という捉え方もピケティならっではの消費税論だ。
景気対策として、むしろ賃上げの必要性をピケティは説いた。
(6)ピケティは、日本での対談で、「民主主義が再び資本主義をコントロールするため」の地域的な国家間連合と、それによるグローバルな資産課税の必要性について語った。
残念ながら、日本の対談者の側から、そうした大きな問題についてピケティのアイデアと戦わせるだけの主張が示されることはなかったようだ。
しかし、日本こそ最大の公的債務を抱え、タックス・ヘブン(租税回避地)対策など国境を越えた対策が急務な国だ。経済規制のヴィジョンが必要なはずだ。
表に現れた議論より、この欠落した部分にこそ、日本の知的貧弱さが現れている。
□本田浩邦(獨協大学経済学部教授)「経済政策のラディカルな転換にピケティは有効だ」(「週刊金曜日」2015年7月3日号)
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【参考】
「【ピケティ】現象を生んだ思想の空白 ~「格差」と経済学のゆくえ~」
「【ピケティ】の格差理論は日本でも当てはまるか(2) ~法人企業統計~」
「【ピケティ】の格差理論は日本でも当てはまるか ~GDP統計~」
「【佐藤優】【ピケティ】『21世紀の資本』が避けている論点」
「【ピケティ】本には手薄な問題(旧植民地ほか) ~佐藤優によるインタビュー~」
「【ピケティ】なぜ米国で大きな反響を呼んだか ~世襲財産制批判~」
「【ピケティ】富裕層の地位は揺らぐことがない」
「【ピケティ】理論の本ではなく、歴史的事実の本」
「【ピケティ】の“capital”は「資本」ではなく「資産」 ~誤読の危険性~」
「【ピケティ】討論会「格差・税制・経済成長 『21世紀の資本』の射程を問う」」
「【ピケティ】をめぐる経済学論争 ~米英で沸騰中~」
「【ピケティ】格差を決める持ち家、社会は6対4で分断 ~日本~」
「【ピケティ】池上彰の3ポイントで解説 ~ そうだったのか!『21世紀の資本』~」
「【ピケティ】アベノミクス批判 ~金融緩和・消費税~」
「【ピケティ】シンプルで明快な主張 ~『21世紀の資本』~」
「【ピケティ】格差は止めなければ止まらない ~政治的無為への警告~」
「【ピケティ】総特集号(「現代思想」2015年1月増刊号)の目次」
「【ピケティ】『21世紀の資本』詳細目次」
「【ピケティ】に対するインタビュー ~失われた平等を求めて~」
「【ピケティ】勲章拒否の警告 ~再構築される「世襲的資本主義」~」
「【佐藤優】【ピケティ】はマルクスとは異質な発想 ~『21世紀の資本』~」
「【ピケティ】『21世紀の資本』に係る書評の幾つか」
「【ピケティ】は21世紀のマルクスか ~ピケティ現象を読み解く~」
「【ピケティ】資本主義の今後の見通し ~トマ・ピケティ(3)~」
「【ピケティ】現代経済学を刷新する巨大なインパクト ~トマ・ピケティ(2)~」
「【ピケティ】分析の特徴と主な考え ~トマ・ピケティ『21世紀の資本』~」
「【経済】累進資産課税が格差を解決する ~アベノミクス批判~」
「【経済】格差が広がると経済が成長しない ~株主資本主義の危険~」
「【経済】なぜ格差は拡大するか ~富の分配の歴史~」
トマ・ピケティ『トマ・ピケティの新・資本論』
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リベラル派の多くはブームを歓迎したものの、大方の主流派経済学者のみならず左派からも手厳しいピケティ評が聞かれた。
(2)議論の第一の焦点は、経済格差自体の評価について。
(a)グレゴリー・マンキュー・ハーバード大学経済学部教授(主流派の代表)は、一昨年すでにセンセーショナルな「1%を擁護する」というタイトルの論文で、ピケティらの主張に反論。経済格差は能力主義の結果であり、「すでに高額所得者は多額の税金を支払い、政府は大規模な再分配政策を行っているではないか」と主張した。さらに彼は、「身長が高い人は低い人に比べて所得が高い。だからといって身長に税金を課すことは妥当か?」と述べ、リベラル派の富裕者増税論をかわそうとした(ちなみに、マンキキューは背が高い)。
(b)(a)を批判したのが斯界の重鎮、ロバート・ソロー。いわく、「1%の富裕層の大半は金融分野だ。それらは規制を利用したレント・シーキング【注1】にすぎない」とマンキューの議論を一蹴。大手金融機関の高額の重役報酬は、その重役の能力や成果とは無縁だ、と断じたのだ。さらにソローは、「不平等は権力の集中を生むことによって政治的影響力の格差と政治的腐敗を招く」と、経済格差の多面的な問題を鋭く衝いた。
【注1】レント・シーキング・・・・規制の網を利用して儲ける手法のこと。
(c)今日の最上位集中型の経済格差は能力主義の結果だけでは説明しきれない(ピケティが縷々と説明済み)。そのことをマンキューは理解しようとしない。
(d)マンキューはソローの警告にひるまず、今年の米国経済学会にさらに挑発的なタイトル「r>g【注2】だけど、だから何だ(Yes, r>g. So What?)」という論文を提出した。いわく、「ピケティは不平等が悪だと決めつけているが、不平等でも民主的価値が損なわれることはない。平等な経済の方がむしろ繁栄の度合いが小さい」と述べ、さらに些か的はずれの議論を展開した(「ジョージ・ワシントンら建国の父たちは大金持ちだったが、その彼らが米国の民主主義をつくった」)。概して、主流派経済学には格差や貧困という経済問題を把握する認識装置が欠如していて、それらに向き合う心の準備ができていない人が多い。マンキューの2論文はその典型だ。
【注2】r>g・・・・資本収益率 r が経済成長率 g を上回る・・・・というピケティが重視する経済構造の特徴。
(3)議論の第二の焦点は、ピケティの「r>g」の見通しについて。
(a)マサチューセッツ工科大学のアセモグル&ロビンソンは、同じ大会のセッションで、「ピケティは賃金と経済成長率を引き上げる技術と制度の内生的進化の可能性を否定している」と批判。rが4~5%、gが1%程度にとどまるというピケティの今後の見通しには議論が集中していて、別の見方もあり得る。少なくともピケティは一つの仮説を提示し、そうした議論お出発点を築いた、といえる。
(b)しかし、yとgのギャップが現在以上に大きくなると、経済格差が激化し、資本主義経済の先行きが暗くなるのは確かだ。
(c)だが、マンキューは(2)の論文で極端な楽観論を開陳した。「r>gは経済にとって正常な状態にすぎない。分割相続による資産の縮小、相続税、資本所得税などを合わせると、実際のギャップはごく僅かだ。r>7%にならないとピケティのいう問題は起こらない」
(d)(c)に対してピケティは反論した。「r>gは確かに労働所得には強い影響を及ぼさないかもしれないが、資産格差には大きな影響を与えることができる。「逆パレート係数」を用いた推計によると、「最上位1%の保有資産はrとgとの差が2%→3%に上昇しただけで、20~30%から50~60%に跳ね上がる」
rが4%というのは、あくまで現在の平均。大規模な資産はそれを大きく上回る。「パレート分布」の研究に、ピケティは『21世紀の資本』を書いた後に取り組んだ。最上位層の資産状況の実証的な推計に基づいたマンキューへの反論はその成果だ。
(3)左派、マルクス主義陣営からのピケティ批判は主流派経済学以上に厳しい。
デビッド・ハーヴェイ(英)やヤニス・ヴァルファキス(ギリシャの左翼政権の財務大臣)らマルクス主義者を自認する人びとは、こぞって批判を浴びせかけている。いわく、
「ピケティの資本概念はマルクスと異なる」
「階級的、権力的関係を無視している」
「rとgとのメカニズムの説明がない」
(4)いま、欧米、日本を問わず、経済政策の二層化(大企業や富裕層には超緩和政策、庶民には緊縮政策)がますます強まっている。この編成を覆すことなくして、経済をまともな軌道に乗せることはできない。この主張は、左派にも異論はあるまい。
ピケティの理論は、所得資産分配と税制の面から挑もうとする試みだ。まず、その点を評価すべきだ。
リベラル派や左派は、自らやマルクスとの距離で他者を推し量り、紋切り型の理屈で切り捨てるのではなく、政策転換に資する有益な物を汲み取り、その上で独自の優位性を示すべきだ。
(5)今年1月に来日した際、ピケティは日本経済やアベノミクスについても発言した。
消費税は逆進的であり、かつ、経済成長を妨げる、というのがピケティの持論だ。「消費税は相続した富と自ら築き上げた富とを区別せず課税する。また、高額所得者は政治的影響力や威信を買うために支出するが、消費税ではそうした消費に課税できない」という捉え方もピケティならっではの消費税論だ。
景気対策として、むしろ賃上げの必要性をピケティは説いた。
(6)ピケティは、日本での対談で、「民主主義が再び資本主義をコントロールするため」の地域的な国家間連合と、それによるグローバルな資産課税の必要性について語った。
残念ながら、日本の対談者の側から、そうした大きな問題についてピケティのアイデアと戦わせるだけの主張が示されることはなかったようだ。
しかし、日本こそ最大の公的債務を抱え、タックス・ヘブン(租税回避地)対策など国境を越えた対策が急務な国だ。経済規制のヴィジョンが必要なはずだ。
表に現れた議論より、この欠落した部分にこそ、日本の知的貧弱さが現れている。
□本田浩邦(獨協大学経済学部教授)「経済政策のラディカルな転換にピケティは有効だ」(「週刊金曜日」2015年7月3日号)
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【参考】
「【ピケティ】現象を生んだ思想の空白 ~「格差」と経済学のゆくえ~」
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「【ピケティ】本には手薄な問題(旧植民地ほか) ~佐藤優によるインタビュー~」
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「【ピケティ】理論の本ではなく、歴史的事実の本」
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「【ピケティ】総特集号(「現代思想」2015年1月増刊号)の目次」
「【ピケティ】『21世紀の資本』詳細目次」
「【ピケティ】に対するインタビュー ~失われた平等を求めて~」
「【ピケティ】勲章拒否の警告 ~再構築される「世襲的資本主義」~」
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「【ピケティ】は21世紀のマルクスか ~ピケティ現象を読み解く~」
「【ピケティ】資本主義の今後の見通し ~トマ・ピケティ(3)~」
「【ピケティ】現代経済学を刷新する巨大なインパクト ~トマ・ピケティ(2)~」
「【ピケティ】分析の特徴と主な考え ~トマ・ピケティ『21世紀の資本』~」
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「【経済】なぜ格差は拡大するか ~富の分配の歴史~」
トマ・ピケティ『トマ・ピケティの新・資本論』
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