語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】雇用崩壊・社会保障危機への処方箋 ~社会福祉の再構築~ 

2010年08月20日 | 医療・保健・福祉・介護
 著者は、『雇用崩壊と社会保障』終章で、雇用崩壊・社会保障危機への処方箋を交付する。
 ここでは、社会福祉の再構築に係る提言を抜き書きする。

(1)高齢者・障害者総合福祉法の構想
 介護保険法は、医療費(とくに高齢者医療費)の抑制もねらいとしている。医療制度改革により必要な医療やリハビリテーションが受けられなくなった高齢者の受け皿となっている。ために、十分な訓練を受けていない介護福祉士が医療行為の一部を受けもつことができる、といった規制緩和がおこなわれた。
 また、介護保険は、事務量が膨大になり、職員は事務作業に追われて本来のケアに支障をきたしている。事務経費もかかる(介護保険の要介護認定だけで年間600億円の公費負担)。以下、提言。
 (ア)介護保険から、訪問看護や老人保健施設などは医療の給付に戻し、福祉サービスの給付に特化する。そうすれば、高齢者と障害者の福祉サービスに差異を設ける必要はない。
 (イ)そこで、高齢障害者も対象とする総合福祉法、高齢者・障害者総合福祉法を定める。介護保険も障害者自立支援法も廃止する。
 (イ-1)高齢者・障害者総合福祉法は、シンプルにして、利用者にわかりやすく、職員がケアに専念できる制度にする。
 (イ-2)同法では、市町村が福祉を実施する(現物給付)。対象者は、市町村が福祉的支援が必要であると認定した人すべてとする。認定は、法の定める基準にもとづく。市町村の福祉専門員と協議・調整のうえ「支援計画」を作成し、それに基づいて具体的な福祉サービスを給付する。福祉専門員は、いまの介護支援専門員や市町村のケースワーカーなどを独立の専門職として養成し、増員して市町村に必置とする。
 (イ-3)同法では、福祉サービスの給付にあたり、一定の設備・人員配置基準を満たして都道府県知事の認可を受けた事業者・施設に委託することもできるものとする。人員配置基準は、いまの介護保険法・障害者自立支援法の指定基準より手厚くする(常勤換算方式を廃止し、常勤職員の配置を基本とする)。
 (イ-4)同法では、認可事業者は非営利法人を基本とする。委託を受けて福祉サービスを給付し、市町村は認可事業者に実施費を支給する。実施費は、国2分の1、都道府県4分の1、市町村4分の1の負担割合とする。人件費・管理費などに区分して使途を限定し、月単位で支給する。これにより認可事業者の安定的な運営が可能になり、福祉労働者の大幅な待遇改善が期待できる。さらに、福祉サービスについては、全額公費で負担し、無料を原則とする。

(2)高齢者福祉施設と認可保育所の増設
 (ア)施設を中心にサービス整備計画を作成する。これにもとづき、不足している特別養護老人ホームなどの高齢者施設の増設を進める。国が整備に必要な財政支援をおこなう。
 施設の増設は地域のインフラ整備になる。これは、道路工事などの公共事業が削減されている地域に、新たな公共事業による雇用を生みだす。同時に、福祉労働者の待遇改善とあいまって、雇用創出につながる。
 (イ)待機児童解消のため、早急に保育所整備計画を策定し、必要な財政支援を行い、認可保育所を増設する。5か年計画で進めれば、待機児童を解消する展望がひらける。いま国がやるべきことは、新保育制度の導入などではなく、現在の公的保育所の充実である。
 60人定員、約110坪の保育所をつくるのに建築坪単価を80万円とすると、一園あたり8,800万円。国の補助率は2分のだから、1,000か所整備しても、年間440億円。仮に国が全額補助しても、子ども手当の満額支給に要する財源の60分の1程度で可能だ。
 認可外保育施設の約4割が認可施設への移行を希望している。国と自治体が補助金をだし、これらの施設を認可保育所に移行させ、早急に待機児童の増大に対応する。認可保育所の増設は、地域子育て支援の拠点を増やすことにもなる。
 公務員削減が叫ばれているが、先進諸国にくらべて日本の公務員はまだ少ない。福祉事務所のケースワーカーや児童相談所の児童福祉司をはじめ、労働基準監督官など、必要な人員が不足しているところには、国が財政支援しつつ、公務員を増やしていくべきである。
 企業頼みではなく、国・自治体が労働・医療・福祉行政に携わる公務労働者を増やすことで、新たな雇用を創出できる。それが現時点で、日本がとりうるもっと有効な成長戦略であり、雇用創出策である。

【参考】伊藤周平『雇用崩壊と社会保障』(平凡社新書、2010)
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【読書余滴】雇用崩壊・社会保障危機への処方箋 ~医療保障制度の再構築~ 

2010年08月19日 | 医療・保健・福祉・介護
 著者は、『雇用崩壊と社会保障』終章で、雇用崩壊・社会保障危機への処方箋を交付する。
 ここでは、社会保険、ことに医療保障制度の再構築に係る提言を抜き書きする。

(1)医療費増大策への方向転換
 診療報酬の大幅な引き上げなど医療費増大策へ転換する。
 日本の医療費水準は、対GDP比では国際的にみて低水準である。先進諸国G7では最低である。
 高齢化進行のなかで、医療費の伸びを抑制する方針には限界がある。先進諸国にくらべて低水準の公費負担や事業主負担を増やすことで、医療保険財政の建て直しを図るべきだ。
 医師は、少なくとも10万人不足している。民主党政権も医師数増大を掲げている。それを実現する財源の確保が今後の課題だ。

(2)医療保険の制度設計
 後期高齢者医療制度は廃止し、老人保健制度に戻す。「民主党政権は後期高齢者医療制度の廃止を先送りしたが、後期高齢者医療制度の目的は、高齢者医療費の抑制にあるため、高齢者医療の崩壊をますます加速させ、さらには後期高齢者支援金の増大などで、健康保険の財政悪化を加速させるだけである」
 老人保険制度に問題がなかったわけでないが、「医療キャップ制」(←高齢者医療費抑制のシステム)は組みこんでなかったし、高齢者は国民健康保険などに加入するため拠出金の根拠も明確だった。
 当面は、現行の国民健康保険、被用者保険の並列状態を維持しつつ、老人保健制度や国民健康保険への公費投入を増やしていく。まずは、減らしつづけてきた国民健康保険の医療費国庫負担を元の水準、少なくとも1984年改正前の45%に戻す。
 70歳以上の高齢者、乳幼児に係る医療費の自己負担を廃止する(無料化)。
 将来的には、政府を保険者とし、すべての国民を対象とする医療保険制度を構築する。保険料は応能負担とし、低所得者(生活保護基準以下)は保険料を免除する。そして、(ア)被用者については事業主が、(イ)自営業者など今の国民健康保険加入者については公費で、保険料の半分を負担する。そのうえで、10割給付の医療保障を実現する。

(3)介護保険法の改正
 介護療養型医療施設の廃止を凍結する。
 医療施設増設計画を作成し、計画的に病床数を増大させていく。

【参考】伊藤周平『雇用崩壊と社会保障』(平凡社新書、2010)
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書評:『激増する過労自殺』

2010年08月18日 | 社会
 日本の自殺者は、1998年に初めて3万人を越えた。うち、業務上の過労やストレスが原因となった労働者の自殺は、年間に数千件にのぼるものと推定されている。
 本書の8割強を占める第一部で、この数千件の中から九つの事例がとりあげられる。いずれも、使用主に対して損害賠償を求める民事訴訟、あるいは労災認定をめぐる行政訴訟である。
 各事例を読む者はだれしも「無惨な」、という思いにかられるだろう。人を人とも思わぬ企業に肉体を押しつぶされ、精神を歪められた働き手たち。しかも、一家の柱の自死は汚名となり、家族を経済的困窮のみならず精神的動揺に追いこむ。したがって、提訴の底には故人の名誉回復と家族の精神的救済への希求がある。
 だが、復権は容易ではなく、長年にわたる地道な運動が必要であった。運動の成果は、たとえば「電通・大嶋うつ病自殺事件」に見られる。一審判決は、長時間労働を遠因とする自殺について、使用者に損害賠償を初めて認めた(1996年)。さらに、最高裁は被災者側の事情を理由として損害の過失相殺をすることを限定し、歯止めをかけた(2000年)。
 労災認定にも変化が起きた。それまでは長時間労働や業務上のストレスを原因とする自殺について補償したのは二、三件にすぎなかったが、1999年、労働省は新しい判断指針を通達し、過労自殺に対する労災認定の許容範囲を拡げたのである。
 かろうじて救いの余地が生まれた、ともいえるが、死へ追いやる条件がなくならない限り、産業戦士の苦難はつづく。
 この苦難を第二部の論文3編が考察する。
 「精神障害・自殺の成因とその診断・治療」で提案されている予防法は、孜々としてはたらく者にとって自らを守る術となるはずだ。経営者は、ここから適正な労務管理を学ぶことができる。
 別の論文では、労災補償・損害賠償の法理が考察されている。経営者は、ここから、労働者を不当に酷使してもペイしないことを学ぶことができるだろう。
 だが、依然として「悩みは知られていない 愛は学ばれていない」(リルケ)

□ストレス疾患労災研究会・過労死弁護団全国連絡会議『激増する過労自殺』(皓星社、2000)
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書評:『モサド -暗躍と抗争の六十年史-』 ~インテリジェンスと国家~

2010年08月17日 | 小説・戯曲
 「はじめに」によれば、本書は「組織としてのモサドを描き出そうとした」。
 モサドは、官僚組織の一部である。したがって、第一に、政治家との綱引きがある。第二に、同じ官僚組織の他の組織、ことに他の情報組織との抗争がある。第三に、組織内部の権力闘争がある。第四に、組織のたるみからくる失敗がある。第五に、国家を維持し、発展させるため他の組織との一致協力がある。要するに、古今東西の官僚組織に通じる動きを「組織としてのモサド」に見てとることができる。

 第一点の政治家との関係をいえば、モサドは歴代のマパイ(労働党)政権との親和性が高かった。ために、右派のリクルード党が初めて政権をとると、モサドとの関係はギクシャクしたものになった。メナヘム・ベギン首相(1977-83)は、1950年代には第2代モサド長官イセル・ハルエルから監視の対象とされていたのである。
 おなじくリクルード党のアリエル・シャロンは、後に首相(2001-06)になるのだが、ベギン政権下の1981年に国防相に就任した。当時イラクは原子炉を建設していた。原爆の開発をおそれるベギン首相は、空爆を決定した。アマン長官イェホシュア・サグイも「情報がない」と反対し、ことに第5代モサド長官イツハク・ホフィとシャロンは激しく対立する。
 結果として「オペラ」作戦は成功し、A・J・クィネル『スナップ・ショット』のような小説やダン・マッキンノン『あの原子炉を叩け!』のようなルポタージュを生むのだが、選挙で大勝利をおさめたベギンはうかれてモサドの情報収集が作戦の成功に寄与したことを漏らしてしまった。ホフィ長官は、それまでの禁を破り、「暗闇」から顔をだして新聞社のインタビューに応じ、政治家がインテリジェンスについて軽々しくしゃべるものではない、と釘をさした。この行為は、ホフィ長官とベギンらとの確執に発展していく。

 第二点・・・・イスラエルのインテリジェンス機関のなかで今日最大の人員を擁するアマンは、モサド創成期に類似の活動をおこなっていた。当然、両組織の間でせめぎあいが生じたのだ。しかし、アマン長官アミットが第3代モサド長官に就任後、アマンとモサドとの間には一線が画されることとなった。モサドがヒュミントに特化した情報収集であるのに対し、アマンは通信傍受などの技術的な情報収集活動に特化された。さらに、アマンは国家レベルの情報分析から政府への提言を受けもつ総合的な情報機関である、とされた。
 ナティーフは、(旧)ソ連・東欧圏でイスラエルに移住を希望するユダヤ人を支援する組織で、その活動はしばしばモサドと競合する。
 また、1957年に設置された国防省のラカム(科学連絡事務局)は、科学・技術の情報に特化した秘密組織である。指揮系統が明らかでなく、活動地域も活動内容もモサドと重なる。これだけでも火種の要素は十分にあったのだが、政治が介入することで、モサドにとっては厄介な存在となった。四半世紀の長きにわたって局長をつとめたベンヤミン・ブルンベルグは労働党とのパイプが太かった。ベギン政権下、シャロン国防相が裏でうごいて更迭された。後任のラフィ・エイタンは、アイヒマン捕獲ほかイスラエル諜報史にのこる活躍をした管理官だが、モサドで野心を満たすことができなかった。モサド退官後、シャロンに起用され、リクルード党寄りの度を深めるとともに、モサドとの対抗意識を露わにした。
 ちなみに、シャバクの活動する地域は主として国内である。米国の連邦捜査局(FBI)、英国の情報局秘密情報部(SIS、旧称MI6)に相当する。モサドは米国の中央情報局(CIA)、英国の情報局保安部(SS、MI5)に相当する。

 三、四は省いて、第五点に簡単にふれておこう。
 イスラエルにおいてインテリジェンスが重視されるのは、国家建設以来周囲の国々、しかも圧倒的に人口の多い国々と常に緊張関係にあったからだ。インテリジェンスにおいて優位に立つことで、国家の安全を保ち、安全をゆるがす要因を排除していく。この方針は、イスラエルのどの情報機関にも共通していたから、基本的なところで一致協力することができた。各情報機関の結束の成果は、第三次中東戦争に端的にみられる。

 今日、イスラエルの「情報コミュニティ」は、次のような組織構成となっている。
 首相府のなかに情報担当長官会議(ヴァラシュ委員会)があり、モサド長官がその長をつとめる。委員会の長たるモサド長官は、首相に対して報告する義務があり、首相の指令に従ってうごく。
 委員会を構成する情報担当長官は、次の組織の長である。すなわち、モサド、シャバク(旧称シン・ベト)、アマン、ナティーフ、警察公安部、外務省政治分析センター(CPR)である。

 そして、モサドの組織は、(1)管理担当副長官の下に総務、防諜、分析、訓練、技術支援、工作調整をそれぞれ担当する課が置かれている。また、(2)工作担当副長官の下に、対外情報収集、偵察・尾行・盗聴、他国情報機関との情報交換、国外ユダヤ人の保護と移住援助、実行部隊、プロパガンダ、技術工作をそれぞれ担当する部門が置かれている。

 かくのごとくイスラエルのインテリジェンス組織は洗練されたものとなっているのだが、問題は戦略である。
 イスラエルは建国以来、遠交近攻、つまりシリアやヨルダンなど周辺アラブ諸国に対抗するため、トルコやイランなどとの関係を樹立するという戦略を採用した。
 しかし、建国から半世紀をへた今、中東の地政学はおおきく変化した。イスラエルとその周辺のエジプトとヨルダンの関係は安定し、イラクのフセイン政権は崩壊した。逆に、外周のイランは核兵器開発に手をのばし、イスラエルの潜在敵国に変貌した。スーダンやエチオピアは、ソ連勢力圏への移行をへて、ソ連解体後は「混乱状態」にある。
 こうした地政学的変化にもとづいて中長期的戦略を改めねばならないのだが、イスラエルは「冷戦終結後は外周戦略に代わる長期的な戦略が見い出せていないようにも見える」。
 そして、「中長期的戦略のない所でインテリジェンスは有効に機能しない」と本書は評する。この評語を疑う者は、わが日本の北方領土をめぐる政官の迷走を顧みるとよい。

□小谷賢『モサド -暗躍と抗争の六十年史-』(新潮社、2009)
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【読書余滴】イスラエルのインテリジェンス・コミュニティ

2010年08月16日 | 小説・戯曲
 『モサド -暗躍と抗争の六十年史-』によれば、イスラエルの「情報コミュニティ」は、次のような組織構成となっている。
 首相府のなかに情報担当長官会議(ヴァラシュ委員会)があり、モサド長官がその長をつとめる。委員会の長たるモサド長官は、首相に対して報告する義務があり、首相の指令に従ってうごく。
 委員会を構成する情報担当長官は、次の組織の長である。すなわち、モサド、シャバク(旧称シン・ベト)、アマン、ナティーフ、警察公安部、外務省政治分析センター(CPR)である。

 モサドには、(1)管理担当副長官の下に総務、防諜、分析、訓練、技術支援、工作調整をそれぞれ担当する課が置かれている。また、(2)工作担当副長官の下に、対外情報収集、偵察・尾行・盗聴、他国情報機関との情報交換、国外ユダヤ人の保護と移住援助、実行部隊、プロパガンダ、技術工作をそれぞれ担当する部門が置かれている。
 モサドの具体的任務は、情報収集・特務工作のほか、国外のイスラエル人をターゲットにしたテロリズムの防止、外務省連絡事務所が公式に活動できない地域におけるユダヤ人帰国の支援、非公式の外交関係の維持、などがある。「現在、モサドの活動を規定する法律がないため、法的には存在しない組織であり、そのため任務のためには非合法活動も行えるとされている」
 ちなみに、モサドの人員は1,500~2,000人と本書は推定する。CIAの10分の1であり、MI6と比べても少なめである。「従って、モサドは少ない人員の割には、高いパフォーマンスを誇る組織であるということができるだろう」
 ちなみに、モサドという名称は1963年に与えられた略称で、「情報・特務工作機関」を意味するヘブライ語「ハ-モサッド・レ-モディイン・ウ-レ-タフキディ-ム・メユハディーム」の冒頭のモサッド(機関)を指す。「この組織の公式名称は、英国流にイスラエル秘密情報部(ISIS)というそうである」

 シャバクは、その業務からして米国の連邦捜査局(FBI)、英国の情報局秘密情報部(SIS、旧称MI6)に相当する。ちなみに、モサドは米国の中央情報局(CIA)、英国の情報局保安部(SS、MI5)に相当する。
 アマンは軍事情報部で、その業務はモサドと重なっていたが、アマン長官アミットが第3代モサド長官に就任後、モサドと一線を画することとなった。モサドがヒュミントに特化した情報収集であるのに対し、アマンは通信傍受などの技術的な情報収集活動に特化している。さらに、国家レベルの情報分析から政府への提言を受けもつ総合的な情報機関である、とされた。イスラエルのインテリジェンス機関のなかで最大の人員を誇る。
 ナティーフは、(旧)ソ連・東欧圏でイスラエルに移住を希望するユダヤ人を支援する組織で、その活動はしばしばモサドと競合する。2000年、人員は徐々に減少することと方向づけられた。ナティーフの人員は500人程度である。
 警察公安部、CPRについては、本書にほとんど言及がない。

 このほか、本書は1957年に設置された国防省のラカム(科学連絡事務局)、科学・技術の情報に特化した秘密組織にふれるが、本書巻末の「情報コミュニティ」組織図にはその名は見えない。

 なお、ウィキペディアによれば、モサドとシャバクは総理府に、アマンは国防省に、警察公安部は国内治安省に、CPRは外務省に属する、とされる。ナティーフの所属はよくわからない。
 
【参考】小谷賢『モサド -暗躍と抗争の六十年史-』(新潮社、2009)
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【旅】比叡山

2010年08月15日 | □旅
  オン アビラウンケン

 延暦寺大講堂に鎮座する本尊、大日如来を拝む際にとなえなければならない真言である。意味不明だが、ともかく老母の快癒を祈り、併せてお守りも入手する。
 大きな大きな大日如来像よりも、脇仏の弥勒像のほうに心惹かれる。モナ・リザよりももっと謎めいたほほえみが口元に浮かんでいる。
 ちなみに、弥勒には「オン マイタリヤ ソワカ」と真言を唱えるよし。



 ところで、延暦寺にいささか違和感を覚えるのは、山寺でありながら、舗装した道が縦横にのびている点だ。
 大講堂から、その南西西に位置する法華総持院東塔へいたる道も舗装されている。
 勾配のある道をのぼっていくと、右手に戒壇院がみえてくる。阿弥陀堂はさらにその先にある。

 法要があるらしく、阿弥陀堂の前に高級車が数台駐車し、付近のベンチに運転手たちが紫煙をくゆらせていた。
 法要中であっても、屋外で拝観者が拝観するのはさしつかえないらしい。賽銭を投じた母子がともども、敬虔に手をすりあわせては頭をさげるのであった。



 阿弥陀堂にむかって左手に東塔がある。
 比叡山振興会議のリーフレットによれば、「伝教大師は、日本全国6カ所の聖地に宝塔を建立しました。法華総持院東塔はそれらを総括する宝塔で、根本中堂と共に重要な振興道場です。信長の焼討ちから400年ぶりに再建され、塔の朱と自然の緑が溶け合って優美ですばらしいコントラストを見せています。内部の壁画も印象的です」
 たしかに朱と緑の対照は美しい。
 しかし、私には秋雲との対照がいっそう美しい。
 佐佐木信綱に「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲」の名歌がある。
 「ゆく秋」は季語では晩秋である。では、「一ひらの雲」は、どのような雲なのか。



 歳時記でいう秋の雲とは、「代表的な秋の雲とされる鰮雲や鯖雲などの巻積雲を含めて、秋の雲一般と解してもいいが、俳句作品にあらわれる場合は、高空に刻々変貌する片雲、その爽やかないろと姿を示すことが多いようである。生絹(すずし)のような流雲によって、碧空は一層高く、そして深く仰がれ、思わず深呼吸をしたくなるような気分になる。月明の夜の雲は、また一段と爽涼」(飯田龍太)【注1】

 『俳句の中の気象学』によれば、秋の代表的な雲は巻雲や巻積雲である。
 巻雲は絹雲とも書き、すじ雲ともいう。5千メートルから1万5千メートルの高さにあらわれる上層雲で、雲粒はすべて氷晶からできている。氷晶は、上昇気流にはこばれた空気塊が一定の高度に達すると、その中にふくまれていた水蒸気が昇華してできる。ひとたび氷晶となると、ゆっくりと下に落ちていく。水滴より蒸発しにくいから、長く尾をひく尾流雲になる。上下の風速が同一なら、雲はまっすぐ下に尾をひく形になる。しかし、夏の間シベリアのはるか北に去っていたジェット気流が、秋にはふたたび南下して日本に近づく。ために、風速に上下差が生まれる。雲はカール状の巻雲になる。これに風向のちがいがくわわると、もっと複雑なカール状をみせる。横にながく伸びた巻雲の筋は、ジェット気流が日本に帰ってきた証である。大空に秋がきたことを示す。
 鰯雲や鯖雲、鱗雲は巻積雲である。巻雲とおなじく上層雲で、雲粒はほとんどが氷晶からできている【注2】。

 東塔の雲は、巻雲でも巻積雲ではなさそうだ。いわゆる羊雲のようにみえる。羊雲は高積雲。高さ3千メートルから6千メートルの中層雲で、雨を予兆する雲である。上層雲が現れた時点より低気圧や前線がさらに近づいていることを示す。じじつ、この翌日、古都は雨にみまわれた。
 さきの佐佐木信綱の歌の「一ひらの雲」も高積雲ではあるまいか。

 延暦寺バスセンターから比叡山頂までシャトルバスが運行している。
 ただし、山頂バス停は山頂にあるわけではない。バス停のすぐ先から遊歩道が伸びていて、てくてく歩いていくと、木々に囲まれた山頂に着く。霊山の頂上に何があるかというと、朝日放送、関西テレビ、読売テレビの中継基地がある。
 悄然と引き返すしかない。



 山頂バス停は、「ガーデンミュージアム比叡」の出入口に直面している。
 このミュージアムは、庭園である。薔薇、藤、睡蓮、その他の庭のほか、展望塔あり、押し花や香りの体験工房ありで、カフェもグッズ・ショップも設置されている。庭園全体の規模は神戸の布引ハーブ園に匹敵するだろう。ギャラリーでは、ちょうどこの時、**画伯の蓮の絵を展示していた。
 山頂バス停に近い出入口(プロヴァンスゲート)から園内の起伏のある道を歩いていけば、もう一つの出入口(ローズゲート)に達っする。そこから叡山ロープウェイの比叡山頂駅までほんのひとまたぎである。
 庭園のなかばほどに位置する「見晴らしの丘」からは琵琶湖を眺望できる。

 この庭園が独特なのは、磁器に模写された印象画派の作品が園内の随所に配置されている点だ。「ガーデンミュージアム」と称するゆえんである。
 たとえば、ラヴェンダーやローズマリーの咲く「香りの庭」にはモネの『草上の昼食』や『庭の女たち』が飾られている。
 あるいは、ベンチで休憩できる「プラタナス広場」にはルノワール『田舎のダンス』ほかが展示されている。



 おもしろいのは、絵の場面にあわせて造られた庭もあることだ。自然は芸術を模倣する。・・・・いや、模倣したのは、庭師だが。



 蓮は見ていて飽きない。見ていると、蓮がぐらりと揺れ、鯉が顔をだした。



 【注1】水原秋櫻子・加藤楸邨・山本健吉監修『カラー図説 日本大歳時記 秋』(講談社、1989、p.47)
 【注2】安井春雄『俳句の中の気象学』(講談社ブルーバックス、1987、pp.183-187)
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【言葉】手のなかの空/奈良原一高 1954-2004

2010年08月14日 | エッセイ
 第1章人間の土地 「無国籍地」
 あまりにも古い話にさかのぼるが、僕がもの心ついたのは、第二次世界大戦の敗戦を境としてであった。満州事変の年に生まれ、戦時下の空気しか知らず、その中で育ち、まだほんの子どもにすぎなかった僕にとって、戦争は「日常」の代名詞であった。爆撃が激しくなっても、それは生活の冒険とスリルの増加を感じさせたにすぎず、日本が勝つか、負けるかについて一度も考えたことがなかった。勝つとさえも思ってみたことがなかった。敗戦が報道されて一番驚いたのは、そのような自分に対してであった。気がついた時、生と死の「日常」を壮麗にモールしたB29の飛行機雲は空になく、ただ青い、真空の空だけがあった。何もない空という生まれてはじめての経験が、そこに平和を見るよりは真空と不毛を味わわせた。それは視線を受け止めるべき手ごたえのない無目的な空であった。戦争に無意識に参加しなかった僕はいわゆる日本人ですらなかった。不毛の空を仰いでそのように目覚めて以来、日本は僕にとってただ自分を生かしておく、場としての土地感しかわかない。
 砲兵工廠や軍需工場跡の廃墟を被写体とした最初のカメラ・メッセージを、僕は何の不思議もなく「無国籍地」(ロッコール誌1957年2、4月号)と名づけた。<不毛>それ自体が生きてゆく手がかりとなりはじめた。

 ※初出:奈良原一高「若い写真家の発言・2 ある道への発端」(「アサヒ・カメラ」1960年11月号)
 
【出典】奈良原一高『手のなかの空 -奈良原一高 1954-2004-』(島根県立美術館、2010)

<島根県立美術館>
 ■特別展
   奈良原一高 1954-2004

 ■会期
  2010年7月30日(金)-9月13日(月)

 ■サイト
  企画展「手のなかの空/奈良原一高 1954-2004」

 ■観覧料
  当日:一般 1,000円

 ■展覧会の構成
  SECTION Ⅰ. 人間の土地 1956
   このシリーズは、長崎沖の軍艦島と熔岩に埋もれた桜島・黒神村が素材である。
   「外界から隔絶された極限状況の中で人間が生きることの実存的な意味を問いかけた」
  SECTION Ⅱ 王国 1958
   「心理的な極限状況といえる修道僧と女囚の世界へと分け入り」云々。
  SECTION Ⅲ ヨーロッパ・静止した時間 1967
  SECTION Ⅳ. スペイン・偉大なる午後 1969
  SECTION Ⅴ ジャパネスク 1970
  SECTION Ⅵ 消滅した時間 1975
  SECTION Ⅶ ヴェネツィア 1980’S
  SECTION Ⅷ 空/天/円
   「人間の生命力を、巨視的な視野で捉え、極めて独創的で詩情豊かな映像を生み出し」云々。

 ■奈良原一高 プロフィール
 1931年、福岡県大牟田市に生まれる。本姓は楢原。
 1950年、松江高校卒業。
 1954年、中央大学法学部を卒業。同年、早稲田大学大学院芸術専攻(美術史)修士課程に入学。
 1955年、池田満寿夫、靉嘔らが結成したグループ「実在者」に参加。
 1956年、初個展「人間の土地」。
 1958年、個展「王国」で日本写真批評家協会新人賞受賞。
 1962年、東松照明・細江英公・川田喜久治・佐藤明・丹野章らとセルフ・エージェンシー「VIVO」を結成。
 その後4年間、ヨーロッパ滞在。
 写真集『ヨーロッパ・静止した時間』(1967)で日本写真批評家協会作家賞、芸術選奨文部大臣賞、毎日芸術賞受賞。
 写真集『ヴェネツィアの夜』(1986)で日本写真協会年度賞受賞。
 1996年、紫綬褒章受章。

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【読書余滴】スウェーデン、「保育料2万円」は高いか安いか

2010年08月13日 | □スウェーデン
 「週刊現代」はフス恵美子に取材し(2010年8月21・28日号)、「【読書余滴】スウェーデンは本当に幸せな国なのか
」に引いたように、「例4、小学校入学前の保育に月2万円程度の費用がかかる(フス夫妻の収入からすると「かなり高額」)」と述べている。

 スウェーデンでは2002年に保育料上限措置が導入され、第一子は所得の3%(最高1,140クローナ)、第二子、第三子はそれぞれ追加費用2%(最高760クローナ)、1%(最高380クローナ)となった。
 「週刊現代」は、スウェーデン人の平均年所得は男性580万円、女性440万円と数値をあげている。
 2002年の保育料上限措置が2010年も適用されると仮定した場合、かつ、1クローナ=10円で換算した場合、フス夫妻の所得は併せてスウェーデン人の平均年所得に近いらしい。

 これ以上は余計なお世話だから突っこまないが、日本の場合、東京都のある区では、3歳未満29,200円、3歳児19,500円、4歳以上18,000円といったところだ。千葉県のある市では、もっと、ぐんと高くなる。

 ところで、スウェーデンには児童手当がある。16歳未満の子どもをもつ親に対して、社会保険事務所から全額国庫負担で給付される。所得制限はない。
 一律に第一子から子ども一人につき月額950クローナが支給される(2001年)。二人なら1,900クローナで、2002年の保育料上限額(二人)と同額である。ちなみに、2005年には子ども一人につき月額1,050クローナに引き上げられた。
 
 育児支援策には、(1)両親保険制度(妊婦手当、両親手当)、(2)児童手当、(3)保育所サービスのほかに住宅手当がある。
 住宅手当(全額国庫負担)は、子どもの数が増えるにしたがって増額した家賃補助をおこなう制度である。
 たとえば、子どもが3人で家賃が6,600クローナの場合、基本額が1,200クローナ、(ア)子ども3人以上で家賃3,600までの支給率は3,600×75%=2,700クローナ、(イ)子ども3人以上で家賃3,600クローナ超の場合は(6,600-3,600)×50%=1,500クローナ、月額最高額5,400クローナ・・・・といったものである。
 子どもを伸びのびとした住宅環境のもとで育てることができるような政策的な配慮である。

 日本の児童手当は、3歳未満が一律に月額10,000円、3歳以上12歳(到達後の最初の年度末)まで第一子と第二子が月額5,000円、第三子以降は一人につき月額10,000円支給された。額は保育料よりもはるかに低いし、所得制限があった。2010年度は、児童手当に代わって子ども手当が15歳(の4月1日の前日)まで一人につき月額13,000円支給されるが、これまた保育料に満たない(所得制限はない)。
 そして、日本には子どもに特化した住宅手当は、ない。
 こうした事情を勘案すると、少なくとも育児に関するかぎり、スウェーデンより日本のほうがよい、とする理由は見あたらない。

【参考】藤井威『スウェーデン・スペシャルⅠ』(新評論、2002)
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書評:『日本の論点2010』 ~川上村の行政、村民の平均年収2,500万円~

2010年08月12日 | 批評・思想
 本書には、「変わる価値観」から「スポーツ」までの26のテーマのもとに、全85編の論考が収録されている。
 たとえば、「論点40」は地方活性化を主題に、長野県川上村の農業および行政について村長が報告する。すなわち・・・・
 川上村のレタス生産量は日本一であり、野菜売り上げ額は年間約150億円。これを村内農家約600戸でならすと、一戸あたり2,500万円になる。
 川上村は、役場の標高が1,185メートル(日本一の高所)、年平均気温8度の高冷地である。農家の年齢構成は若く、耕作放棄地はほとんどない。かつては村民は年に8か月も出稼ぎに出ていたが、朝鮮戦争(1950年)のとき選ばれて米軍向けのレタスを生産開始。以後、農家、農協、行政が一丸となって取り組んだ。高度成長期には国民の食生活が洋風化し、国内需要も伸びた。2006年からはブランド確立(プロ野球のスポンサーになる、など)と輸出(台湾や香港)にちからを入れ、農業経営の安定化を図っている。

 「行政は、主権が存する住民の意識レベル以上のことはできない。ならば、住民の意識レベルを上げていくまでである」
 かくて、村営CATVを導入し、廃止された民間の路線バスを村営に移管した(黒字になった)。「やって見せて理解を得る。そうすると住民の意識レベルが上がる」・・・・成功が意識レベル向上に寄与したのである。そして、そのくり返しであった。
 意向調査によれば云々などと言うが、住民の平均的な考え方どおり行政をおこなうなら、それ以上のことはできない。「つねに刺激や感動を生み出し、住民に提供することが、住民の活力につながる」
 「行政は、税金をモノやサービスに変える仕事である」

 住民に密着する基幹自治体の心意気をみせて、快い。
 こうした首長のもとにあって、住民もまた意識が高い。
 2009年10月25日付け朝日新聞「耕論」に川上村の一農家の談話がのっている。いわく・・・・
 年間販売額4-5,000万円。手取り年収はその半分弱。「仕事はきつい。7月から9月にかけては、夜中の午前1時、2時ごろに起きて収穫作業をする。終わるのは夜の7時すぎ。睡眠時間3~4時間という日がずっと続く」
 3世代でやっている農家が多い。こういう農家は強い。
 繁忙期にアルバイトを募集したら、2人の枠に100人以上の応募があった。30~40代で派遣切りされた人が多かった。中国人研修生を雇う農家が増えているが、失業者を雇う農家に助成金をだせばもっと日本人を雇うだろう。 
 国は野菜価格安定対策事業を維持してほしい。価格下落時の損失補填に国が拠出する額は年に100億円台で、所得保障より安くてすむ。 

   *

 本書を一読すれば、(文藝春秋社が考えるところの)日本人が直面する今日的な問題を鳥瞰できる。
 しかし、すべての論点に目をとおす必要は、必ずしもないと思う。関心のある主題に絞って読んでさしつかえない。さいわい、各論考には、「データファイル」名づけられた基礎的情報が添付されている。議論を突っこんで理解するのに便利だ。
 そして、巻末に1991年から2009年までの、その時々の論争のタイトルおよび時事を録した年表が付してあるから、これまた関心のある主題を拾いだしていけば、現代史を理解しやすいし、自分の精神史を再構成するよすがともなるだろう。
 主張があれば、異論もあるものだ。本書に異論は載っていない。場合によっては、異論を読者自ら組み立ててもよい。ディベートの訓練になる。

□文藝春秋編『日本の論点2010』(文藝春秋、2010)
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【読書余滴】高福祉高負担政策への批判・・・・再考

2010年08月11日 | □スウェーデン
(1)高福祉高負担は、企業の対外強速力を構造的に蚕食し、長期的には維持できない。
 →スウェーデン経済は、高付加価値、高生産性、高技術、省労働力産業に特化している。国際経済に対してきわめて開放的である。比較優位理論が非常によくあてはまる。さらに、国際環境の時々刻々の変化に対応して、産業構造を適確に変えていく弾力性を有している。

(2)高負担は、製造業におけるコスト増を通じて工場などの海外とスウェーデン経済の空洞化をもたらし、経済成長力の低下、失業率の高位固定を惹起する。
 →(1)の産業構造の弾力的変化のほか、公共部門による高福祉政策に対応する産業構造、雇用構造が形成されており、経済成長力の低下、失業問題の深刻化などの現象は、サイクリカルには認められても、構造的には確認できない。

(3)労働者側からみて、手厚い労働者保護政策や福祉政策のもとで、アブセンティズムといわれる病気休暇の濫用など労働意欲の減退がみられ、生産性の低下は避けられない。
 →かかる現象が一部にみられることは否定できない。しかし、他方では、教育、訓練、積極的失業対策などの充実した施策のもとで、経済環境の変化に対応した労働力の向上もより明瞭に観察できる。一部にみられる労働意欲の減退が経済成長率や国際競争力に影響するというがごときシリアスな状況は確認できない。

(4)あまりの高負担を嫌って、富裕層の海外転出や有為の若年層の海外での就職などの逃避現象が生じている。
 →典型的なやぶにらみ批判である。富裕層の海外転出は、有名スポーツ選手や有名俳優などにかぎられる。20歳台や30歳台に著しく高水準の所得があるものの、花のいのちは短くて、急速に所得水準が低下していく。このような稼得パターンのもとでの税負担は、高負担社会、とくに厳しい累進課税制の社会では非常に重くなるものだ。花の盛りの時期における低負担国への逃避は、ある意味で合理性がある。実際、これらの人々も盛りをすぎると故国に帰ってくる例も多い。普通に学業を終え、経済界で次第に地歩を築いた人々が、海外逃避する例はほとんどない。
 EU内での労働移動は、原則として自由のはずだ。そのなかで、若年層は、自分たちの希望、能力、適正に合った職場を選択しているにすぎない。
 1999年に行われた国際比較調査(各国の若者の自国の社会に対する満足度意識調査)によれば、満足している若者の比率がもっとも高かったのはスウェーデンで、69%に達した。他方、低い部類にはロシア、韓国とともに日本が含まれ、満足している若者は35%にとどまった。

【参考】藤井威『スウェーデン・スペシャルⅠ -高福祉高負担政策の背景と現状-』(新評論、2002)
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【読書余滴】スウェーデンは本当に幸せな国なのか ~価値観、そして政治への信頼感~

2010年08月10日 | □スウェーデン
 「日本もこうなる? 高福祉高負担 スウェーデンは本当に幸せな国なのか」というタイトルの記事が「週刊現代」2010年8月21・28日号に掲載されている。
 「週刊現代」の取材に答えて、ステファン・ノレーン駐日スウェーデン大使いわく、「もちろんスウェーデンは理想郷ではありませんし、世界中のどこにも理想郷などありませんが、スウェーデンはいくつかの問題について長い年月をかけて解決策を見つけてきた、というのが正しいと思います」。
 小学校から大学院まで教育費はすべて国が負担する。医療費もほぼ無料(初診料約2,500円のみ)である。年金制度は盤石で、貯金がなくても老後の心配はない。自殺率は日本の半分でしかない・・・・。

 「朝日新聞」2010年7月21日付け「声」欄の投書「スウェーデンは理想郷ではない」によれば、フス恵美子は「高福祉」に少なからぬ疑問を抱き、日本よりはるかに優れた社会という見方に賛同しない。
 例1、就学前の「幼児教育」は存在しない。公共保育園は、預かった子供の安全を保証するのが仕事で、職員の多数は無資格者だ。小学校入学前に6歳児教育が1年間あるが、イスに座る、鉛筆を持つ、アルファベットを書く、というレベル。
 例2、「将来への安心から貯蓄が不要」は誤解。国民の多くは不安を抱えている。年金は、物価や税金の高さからすれば十分な額ではない。銀行は積立預金を呼びかけている。しかし、収入の3分の1は税金として納め、消費税は最高税率25%、加えて住居・光熱・医療・保育に要する費用も高く、普通の家庭ではお金が残らない。国民の多くは「可処分所得が少ないから貯金できない」のが現実だ。
 その他、若者の犯罪増加、就職難、麻薬や性病の蔓延、フルタイム労働で疲れ切った母親、冷凍物ばかりの夕食。
 スウェーデンは理想郷ではない。

 「週刊現代」は、フス恵美子に取材し、投書に書かれていないことを引きだした。
 例3、教育費は無料だが、教師の質に大きな問題がある。日本のような教員採用試験がないので、教師の当たり外れの差が大きい。中学校でも、課題をこなす理由について延々と議論する。
 例4、小学校入学前の保育に月2万円程度の費用がかかる(フス夫妻の収入からすると「かなり高額」)。
 例5、年金は、給料の6割程度で、そこからさらに税金が引かれる。また、高齢化の進行により年金制度は危機に瀬し、フス夫妻が受給者になる頃には額面は大幅に下がる、と予想される。将来の受給額は2~3万円である、という通知があった(注:付加年金込みか否かは不明)。
 例6、病院は常に長蛇の列で、風邪で高熱を発しても「3日間待て」と言われることがある。
 例7、リーマン・ショック以降、失業率が9%近くに上がった。
 例8、東欧、中東などからの移民の増加によって、都市部近郊の犯罪が増加している(注:2010年1月1日現在、総人口の21%が外国生まれである。最多はフィンランドの11.3%。以下、イラク8.8%、イラン5.7%、ポーランド5.3%、トルコ4%、ソマリア3.5%、チリ3.1%、ユーゴスラビア2.6%、ドイツ2.6%、エチオピア2.3%・・・・である)。

 例1、例3、例4は、保育・教育(1998年、学校教育と保育の一元化=エデュケア)に係る不満で、例5は例2の補足だ。
 要するに、新聞の投書および「週刊現代」の記事には、保育・教育、年金、医療、労働、犯罪の5テーマについて具体例があげられている。

 「週刊現代」の記事はいう。「スウェーデン人の平均年所得は男性580万円、女性440万円。年金、健保などの社会保障費の徴収はない代わり、すべてを税金で賄っており、所得税は平均31%(最高税率は地方税と合わせて55%)。日本は15~50%だが20~30%の層がもっとも多い。一番の違いは消費税で、日本の5%に対しスウェーデンの税率は25%である。/ただし日本のように一律ではなく、書籍など芸術関係は6%、食料品は12%である。GDPに占める税収の割合は47%にも達っする。所得税、消費税を通じて集めた税収で、国民皆保険、年金、福祉、教育のすべてを賄っている。貯蓄額も低く、平均130万円という。/ちなみに法人税は26.3%と、日本の40%よりずっと低率に抑えられ、(中略)有力企業の海外流出を防いでいる(ほかに人件費に対して雇用主税がかかる)」
 なお、相続税、贈与税、財産税は廃止された。

 「週刊現代」は、『スウェーデン 高い税金と豊かな生活』の著者、星野泉・明治大学教授も取材している。星野教授いわく・・・・
 例2については、「税金が高いので貯蓄はできませんが、彼らはそれを悲しいとは思っていない。贅沢はできないけれど、政府に貯金して困ったときには助けてもらえると考えているので将来への不安は少ない。それがスウェーデン人の特徴です」
 例3については、学校のレベルは日本から見ればいい加減かもしれないが、あくまで先生による。「税金はなんのためにあるのか」といった議論を小学校高学年からやっている。
 例6については、スウェーデンの医師は一人を長く診察する。
 例7については、若い人の就職難は、この十年くらい社会問題化しているが、職業教育のサポートをしている。
 スウェーデンには、大きな繁華街はないし、娯楽施設もない。著名なブランドもない。モノにあふれた日本と比べると、総じて選択肢は少ない。不便さやイライラのタネはあちこちにある。「しかし、スウェーデンにはそれを補ってあまりあるものがあると私は思います」

 スウェーデンの大学に留学し、3年半住んだことのある女性いわく、多くのスウェーデン人はルーテル派で、質素な暮らしを好み、「良い物を作れば売れるはずだ」という信念のようなものがある。すごくのんびりしていて、病院では長時間待たされるが、文句を言っている人を見たことはない、云々。

 「週刊現代」のくだんの記事の末尾に、ノレーン大使がふたたび登場する。いわく・・・・
 スウェーデンの年金は、経済環境に連動していて、経済がよくなれば受給額もよくなり、悪化すると受給額も減る。それでも65歳で退職する人は十分な年金を受け取っていると思っている。30年前(注:国民付加年金(ATP)制度は1960年から)に比べると今の人はずっと健康だから、退職の年齢も70歳くらいに伸びるのではないか。
 所得税率は、この15~20年、少しずつ下げてきた。反面、ガソリン等に対する税率を上げている。
 日本の医療制度は、非常にすぐれている。とてもよく機能している。日本人は誇りに思ってよいのではないか。
 スウェーデンは、美食や高級車にはあまりお金を遣わない。家にお金をかける。ローンを組んで家を買い、少しずつ手を入れていく。家の資産価値が上がるから、それが一種の貯蓄であり、投資なのだ。
 スウェーデン人は、質素な食事で我慢することは平気だ。それは主としてルーテル派の価値観による。重要なポイントだ。

 「どんな社会を理想とするかは、その国の国民性による。ちなみにスウェーデンでは、国政選挙の投票率はいまも80%以上に及ぶ。すくなくともこの点は、大いに見習ったほうが良さそうである」というのが、記事の結論である。

<付録>「朝日新聞」2010年8月1日付け社説「スウェーデン 立ちすくまないヒントに」(抄)
 「スウェーデンの経済、財政面での実績は確かにめざましい。2年前のリーマン・ショックによる不況から早々と抜け出し、今年は3%台の成長を達成しそうだ。欧州の主要国は財政の赤字減らしに苦しんでいるのに、この国の財政は黒字だ」
 「スウェーデンは、ギリシャ発の危機も乗り切りつつある。医療、育児から雇用まで手厚い社会保障制度が防波堤になっている」
 「社会福祉や教育などへ公的支出を増やしても、経済成長には結びつきにくいと考えられがちだ。しかし、そう考えた日米で貧富の格差が広がり、高福祉高負担のスウェーデンなど北欧諸国が底力を発揮している」
 「情報公開によって役所内のやり取りばかりか、国民はお互いの所得まで知ることができる。不信の芽を摘むために政府も、国民も、自らの姿をさらけ出す」
 「スウェーデンから学ぶべきは、高福祉高負担の仕組みそのもの以上に、難しい政策選択を可能にする政治のあり方ではないだろうか」
 「この国の財政や社会保障の基本政策は、たとえ政権交代があってもぶれが少ない。政党間に熟議の伝統があるからだ。年金改革は政党間の約10年に及ぶ討論で合意された。地方分権も徹底して進めた。政治家や官僚の汚職も少ない。だから政治への信頼が育まれ、国民に痛みを求めることもできた」
 「日本がどんな方向に進むにしろ、(中略)最も必要なのは国民の政治への信頼だ」
 「政治への信頼確保のいくつかのヒントなら、スウェーデンにある」

【参考】「週刊現代」2010年8月21・28日号「日本もこうなる? 高福祉高負担 スウェーデンは本当に幸せな国なのか」
    「朝日新聞」2010年7月21日付け「声」欄「スウェーデンは理想郷ではない」
    「朝日新聞」2010年8月1日付け社説「スウェーデン 立ちすくまないヒントに」
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【読書余滴】スウェーデン、「高負担」でありながら経済に活力がある理由

2010年08月09日 | □スウェーデン
 税・社会保険料負担が重くなると、国民の勤労意欲や企業の活力が損なわれ、経済成長を阻害する・・・・という説は誤りである。

 1990年代をつうじて、スウェーデンの租税・社会保障負担の対GDP比は世界最高水準で推移している。日本は先進諸国のうちでは比較的低い水準で推移している。ところが、1990年代初めは日本がスウェーデンより成長率が高いが、1990年代なかば以降は1996年を除きスウェーデンのほうが日本より成長率が高い。
 租税・社会保障負担が経済成長率の水準に決定的な影響を与えているとは考えにくい。
 「高負担」の国にかなり経済活力が確保されているのはなぜか。さまざまの要因が複合的に関係しているのでいちがいにいえないが、次のような傾向が理由として考えられる。

(1)負担の大部分は国民に還元されている。
 負担の6割以上が現金給付、保健医療サービス、社会サービスなどの形で国民に還元される。これが国民に安心感を与える。その安心感が就労生活や消費生活を支えている。いわば貯金のようなもの、という理解だ。

(2)社会保障制度が現役世代にとってもメリットが感じられるものとなっている。
 社会保障給付費の内訳において、家族現金給付(児童手当・育児休業時の所得補償等)、家族サービス(保育サービス等)、積極的労働市場施策(職業訓練等)といった現役世代が受益者となる給付の比重が、他の先進諸国(特に日本)と比較して大きい。これが労働者に安心感をもたらしている。
 また、現役世代も高齢世代も区別なく付加価値税(日本の消費税に相当する)の税率が25%と非常に高い。現役世代に極端に偏った負担とはなっていない。

(3)社会保障制度が高額所得者にとってもメリットが感じられる制度となっている。
 普遍主義の原則により、ほとんどの現金給付やサービスは所得審査を行わずに提供される。
 また、所得水準が高くなる所得比例の現金給付も多い(傷病手当・両親手当等)。所得比例年金もそうだが、上限額がある。

(4)公的な負担によって指摘な負担が軽減されている。
 公的制度がカバーする範囲を縮小しても、その給付が個々の人に必要なものであれば、その分は民間サービスの購入や家族の無償労働等により対応せざるをえない。結局、何らかの形で国民が負担することには変わりがない。
 個々の人がバラバラに自らのリスクに備えるよりも、公的制度をつうじて専門家が全体的に対応したほうが効率的になる。

(5)企業にとっての立地条件は総合的にみて良好である。
 社会保険料は高いが、賃金をふくめた労働費用を他の先進諸国と比較した場合、それほど際だって高いわけではない。しかも、法人税率28%は先進諸国のなかで低い水準である。
 労働者の教育水準の高さ、電気代・通信費等の安さ、整備の進んだインフラストラクチャーなどもふくめて総合的に評価すれば、企業にとって立地条件のよい国である。

(6)社会保障への公的資金の投入は経済成長を促進する波及効果を持ち得る。
 保健医療サービスや福祉サービスは、単に消費されるだけのものではない。新たな需要が生みだされ、それがさまざまな産業部門に波及して生産額の増加をもたらす。こうした過程をつうじて生じた雇用の増加や賃金の増加が消費支出の増加をもたらし、これがまた生産額の増加につながる。
 育児休業時の所得補償制度や保育サービスの充実は、優秀な女性労働者の雇用確保につうじる。また、職業訓練などの労働者再教育に係る制度の充実は、企業の合理化に対する労働者の反発をやわらげるし、新しい技術・知識を修得した人材の確保が容易になるので、産業構造転換を促進する。

(7)公的制度において効率化に向けたインセンティブが働いている。
 スウェーデンでは、1990年代に入ってから、財政に関わる諸制度や社会保障制度等の分野で急速に効率化が図られた。これが経済回復と安定に寄与し、ひいては高福祉国家の堅持にも貢献した。

【参考】井上誠一『高福祉・高負担国家 スウェーデンの分析 -21世紀型社会保障のヒント-』(中央法規、2003)
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【読書余滴】スウェーデン人はいま幸せか

2010年08月08日 | □スウェーデン
 訓覇法子の論文『スウェーデン共生社会「国民の家」を支える「国家-地方-市民社会」の連携』は、反省からはじまる(「はじめに」)。
 『スウェーデン人は幸せか』で、スウェーデン人の国民性は厳しい気候や地理条件によって形成されたのではないか、と書いたが、川口弘中央大学教授(当時)から批判があったのだ。「スウェーデンという国は国民の政治的努力によって作られたのではないでしょうか?」
 二度目に受け取った手紙には、「日本人がもち続けている封建的な非合理性を、スウェーデン人はなぜいち早く脱却して、それこそ西欧民主主義国家のどこよりも進んだ民主主義的合理性を身につけることができたのか?」という問いが今後の研究者に遺された課題だ、と書かれてあった。
 この問いに答える一つの試みとして上記の論文を発表する・・・・。

 こうした若書きの勇み足があるものの、『スウェーデン人は幸せか』はスウェーデンのよさを日本に伝えんとする熱意にあふれていて、今読んでも啓発されるところが多い。
 たとえば、選挙権。
 スウェーデンで一定期間暮らせば、国籍がなくとも最初は地方公共団体の議員、ついで国会議員の選挙権を得ることができる。これは、議員は自分の生活を左右する施策を決める以上、その議員を選挙する権利(自分の生活に係る政策決定に与る権利)を保障する、という考え方に基づく。

 あるいは、男女平等。
 労働市場へ進出している女性の割合は9割弱で、男性のそれの9割強に比肩する。これは、労働力確保という国や社会の要請があるからだ。また、労働を通じて自己実現を図りたいのは男女とも同じだからだ。
 そして、労働における男女平等を現実に支えるのは、第一に制度である(保育の充実、男女の双方が取得できる育児休暇)。第二に平等意識の高い国民性である(男性の家事分担割合が高い)。
 ただし、育児の負担は男性より相対的に女性に高く、よって女性はパートタイムの仕事を選択しがちな現実がある。反面、女性もフルタイムの仕事をもつ場合、男性の家事分担割合が高くなる・・・・。

 1991年に刊行された本だから、細部においては変化がある。子育て支援にしても、選挙にしても、最新の状況はこのブログでも断片的にふれた。
 しかし、著者の議論の骨格は、いまなお通用すると思う。
 ことに、随所にしめされるスウェーデン人の「合理性」は刮目に値する。

 たとえば、統計的データにのっとり、徹底的に議論を尽くすが、討議で決まったことには、それまで反対していた人も潔く一致協力する。
 だから、離婚にあたっては議論をつくし、離婚後はきれいにさっぱりと、友だち付き合いができる。
 職場の人間関係でも、それは明らかだ。自分がお茶を飲みたいときに隣の人のコップにもお茶を入れるの日本的「気くばり」だが、スウェーデン人にとっては求めないのに入れるのは奇矯な行為とされる。逆に、求めれば(可能なかぎり)気さくに、自然な態度で手助けする。
 ホンネとタテマエというダブル・スタンダードはないから、大学教授の選考はあくまで業績によって決定され、コネはきかない(透明性)。
 合理性は、個人や個々の人間関係にかぎらず、スウェーデン社会に貫徹する。自分たちに労働条件の向上を求める権利がある以上、他にもそれがあると考えるから、公共交通機関のストが起きても苦情を申し立てることはない。通勤は、自家用車に乗り合ったり、自転車を活用してプラグマティカルに対応するのだ。

【参考】訓覇法子『スウェーデン人はいま幸せか』(日本放送出版協会、1991)
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【読書余滴】『つぶやき進化論』評がbk1の「今週のオススメ書評」に ~「つぶやき」の光と影~

2010年08月07日 | 批評・思想
 『つぶやき進化論  「140字」がGoogleを超える!』評が bk1の「 今週のオススメ書評」に採用された。
 献本していただいたうえに、さらに3,000ポイントも頂戴しては申し訳ない・・・・とは思わない。
 二度あることは三度ある、と期待したい。そのほうが楽しい。セ・ラ・ヴィ。

 この機会に、拙稿でふれなかった本書6章(「自分以外のもの」になれない時代)について考えてみたい。
 「ジェネレーションX以上の世代なら、ほとんどの人がさまざまな顔をみせながら世の中を生き抜いてきただろう。どんな場にいるか、誰といっしょにいるかによって、いろんな役割や性格を演じてきた。多くの人は最低でも2つの顔があった。仕事用の自分とプライベートの自分。さらに、地域社会の一員、家族、コーチ、ボランティアなど、さまざまな役割を演じている人も多かった」
 たとえば、職場の同僚には「几帳面な会計士のアル」しか見えないが、ボウリング仲間からみれば「酔っぱらいのアル」でしかない。
 パソコン通信やインターネットで、「架空の人間」になる人がいた。
 しかし、本書によれば、今や「たくさんの顔を使い分ける必要のない新しい時代」である。いや、むしろ、たくさんの顔を使い分けることができない時代である、というほうが正確なのだ。
 他人になりすまして「サイバーいじめ」「オンラインハラスメント」を繰り返した結果うつ病患者を自殺に追いこんだローリ某は、禁固3年かつ罰金30万ドルの実刑を受けた。
 情報が筒抜けだから、不穏な発言はたちまち世間の知るところとなるのだ。壁に耳あり障子に目あり。
 かくて、個人も企業もありのままの「自分」でいなければならないし、ありのままの「自分」以外を偽装することはできない。そのほうがよい、と本書は肯定的に語る。評者も風通しのよさには基本的には同意するが、他方、どうも古きよき開拓時代の清教徒的窮屈さを感じて仕方ないのも事実である。
 本書は、Facebook のプロフィールページに人種差別的な発言を公開した結果、テキサス大学アメリカンフットボールチームを除名されたオフェンシヴラインマンチームの例をあげる。人種差別的発言そのものは妥当ではないが、一個の発言をもとに実生活上の組織的排除をおこなうことが妥当であるかどうかは別に検討されなくてはなるまい。
 米国にはマッカーシー旋風の歴史もある。ソーシャルメディアの技術と、人々が、地域が、国民が技術をどう活用するかは独立して考える必要があるだろう。
 
※詳しくは、
書評:『つぶやき進化論  「140字」がGoogleを超える!』
【読書余滴】『つぶやき進化論  「140字」がGoogleを超える!』 のさわり

【参考】□エリック クォルマン(竹村詠美/原田卓・訳)『つぶやき進化論  「140字」がGoogleを超える!』 (イースト・プレス、2010)
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【読書余滴】共生社会スウェーデンを支えるしくみ(1)

2010年08月06日 | □スウェーデン
●はじめに
 スウェーデンという国は国民の政治的努力によって作られたのではないか?
 日本人がもち続けている封建的な非合理性を、スウェーデン人はなぜいち早く脱却して、それこそ西欧民主主義国家のどこよりも進んだ民主主義的合理性を身につけることができたのか?
 この問いに答える一つの試みが、論文、訓覇法子『スウェーデン共生社会「国民の家」を支える「国家-地方-市民社会」の連携』である。
 訓覇さん、スウェーデン語で考え、スウェーデン語で読み書きする暮らしが長かったせいか、論文はいささか読みづらい。要約がてら、読みやすい文章に置き換えてみる。それだけの価値がある論文だ。

●論文の考察視点
 近代工業社会においては、福祉の生産・供給責任は社会の3つのサブシステムが分担してきた。すわなち、①国家、②市場、③市民社会(家族・地域社会)・・・・である。

 ③の市民社会のひとつ、家族システムは、産業構造の変化や都市化などによって弱体化した。その家族システムを支えるため、所得分配政策や混合経済体制によって国家が国民生活の安全に最大の責任を負うこととした。この「大きな政府」の代表が福祉国家である。
 福祉国家の対極に位置するのが新自由主義国家で、「小さな政府」と大きな市場を理想とする。
 「大きな政府」、福祉国家は、産業化が進む先進諸国共通のコンセプトだった。
 しかし、脱工業社会化が進行するにつれ、ケインズ的福祉国家は見直しと修正を余儀なくされた。さらに、国際化による経済システムの変容、官僚機構の肥大化、生活社会の植民地化(ハーバーマス)、人口の高齢化と少子化、女性就業率の増加、地域共同地や家族機能の弱体化など、現代社会が直面する危機は3つのサブシステム全体に及ぶ。
 (1)終身雇用の形骸化、非正規雇用や勤労貧困層の増大など経済システムの不能、(2)企業内福祉の崩壊、市場拡大による地域共同体の弱体化によって生みだされた大量の国民の貧困化・・・・これが現在、日本のもっとも深刻な社会問題である。

 生活が消費によって営まれる以上、市民社会は自らの力によるだけでは生活の安全を確保することはできない。経済システムおよび政治システムに大きく依存する。
 しかるに、金融危機などの市場に失敗によって、多くの国民の生活の安全が脅かされている。最後の砦たる政治システムは、生活困窮者の救済をまっとうしていない。

 社会のサブシステム間の相補関係に視点をおきたい。
 特に重要なのは、政治システムにおける国家と地方自治の関係、そして政治システムと市民社会との関係である。
 政治システムと市民社会との関係において、地方自治体は国家と個人の間のフィルター的役割をはたす。同時に、アソシエーションも国家と市民を連結する存在である。アソシエーションとは、任意に形成された市民社会の多様な組織、諸個人がその自由な選択意思により互いに契約して形成する連合体のことである。
 国家を動かすのは国民の意思である。国民による統治を実現するための媒介的存在が地方自治であるならば、「国家-地方自治体-市民社会」の相互関係を考察しなければならない。

 スウェーデンを考察の基軸にすえるのは、生活安全保障において、スウェーデンが日本ときわめて対照的な「大きな政府」だからだ。
 スウェーデンは、福祉国家の条件の一つとして、「国民の生活条件の均等化・平等」、すなわち「反・格差社会」、「共生社会」の実現を重要な民主主義的政治課題として追求してきた。スウェーデンの貧困率は5.3%で、15.3%の日本の3分の1にすぎない。
 生活保護制度などの選別的福祉の力だけでは、今日の国民生活の安全を守りきることはできない。

 さらに考察していく視点は、資本主義体制の安全弁ではあるが、国民生活の根幹に大きくかかわる社会政策的視点である。
 新自由主義者の「大きな政府」批判につきまとうのは、社会権が拡大することで、市場への自由権を侵害する点だ。
 共生社会を構築するにあたり、自由権と社会権とは、どのように融合していけばよいのか。

 スウェーデン型福祉国家「国民の家」という共生社会の構築において、国家、地方自治体、市民社会はそれぞれどのような努力を払い、互いに連携してきたのだろうか。
 このような複眼的視点にたつことで、はじめてスウェーデンという福祉国家とその市民との関係(ダイナミックス)を理解できる。

【参考】訓覇法子『スウェーデン共生社会「国民の家」を支える「国家-地方-市民社会」の連携』(「社会福祉研究」第104号、財団法人鉄道弘済会、2009年4月号)
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