語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】共生社会スウェーデンを支えるしくみ(2)

2010年08月05日 | □スウェーデン
●Ⅰ スウェーデン・モデル
1.コーポラティズム的政治文化と「国民の家」
 スウェーデン・モデルとは、社会建設のビジョンや手段の総称である。「スウェーデン型福祉国家=国民の家」「サルッショーバーデンの精神(労使和解)」「合意と妥協の政治」といった意味あいのものだ。
 コーポラティズム(corporatism)の高度に発達した国は、改良主義的労働運動の強かった北欧諸国やオーストリアである。
 1928年、国会第二院において、社会民主党の初代首相ハンソンは、階級闘争ではなく、協調の精神による「国民の家」建設構想を打ちだした。この構想は、1930年代の早期のケインズ主義的経済政策に支えられて、着実に実現されていった。
 1938年、「サルッショ-バーデン協定」が締結された。労使関係の安定化、集権化を目的とする協定である。この協定によって、経済政策、社会政策が再編成された。コーポラティズムが着実に根をおろしていった。

 スウェーデン社会民主主義の強さは、早い時期に農民などの旧中間層を巻きこみ、「労働者階級の党」から「国民の党」へと広範な連帯を取りつけた点にある。
 1960年、スウェーデンで所得比例給付による付加年金【注】が導入されたときも、当時拡大しはじめた新中間層を動員することで労働者階級の分裂を回避した。
 スウェーデンの社会民主主義は、政治民主主義だけではない。共同決定法(1976年)により、労働者の経営参加が可能になった。労働者基金(1982年)の挫折によってスウェーデン経営者連盟(SAF)がコーポラティズムから脱けたが、社会問題解決における合意と妥協というコーポラティズム的文化は現在もなお受け継がれている。

 【注】わが国の年金は、1階部分の基礎年金(公的年金)、2階部分の老齢厚生年金等(公的年金)があり、さらに3階部分の企業年金や確定拠出年金が加わる(私的年金)。この2階部分に相当するのが、付加年金。

2.共生社会『国民の家』を支える税方式
 1971年以降(オイルショックは1973年)、スウェーデンはなんども経済危機に直面してきた。
 1990年代の前代未聞の不況は、社会保険給付の切り下げなど一連の縮小・削減政策によって福祉国家を後退させた。
 1992年、エーデル改革。1993年、障害者福祉改革。1995年、精神保健福祉改革。
 1990年代後半、社会民主党は財政のたてなおしに成功した。
 しかし、2008年秋の世界的な金融危機の余波で、ふたたび失業者が増大した。(ここで注記すると、2010年8月1日付け朝日新聞によれば、スウェーデンは早々と不況をぬけだし、2010年は3%台の成長率を達成する見こみである。欧州主要国は財政の赤字減らしに苦しんでいるが、スウェーデンの財政は黒字だ。)
 政策の修正はあったが、福祉国家というビジョンは堅持されてきた。2007年に政権交代した保守系政権も、従前の社会民主党の労働政策を新たな形で継承するものである(すべての国民の経済的自立を図る雇用政策)。

 スウェーデン福祉国家の独自性は、コストの大きさにあるのではなく、その構造にある。
 スウェーデン・モデルの強さは、(1)普遍主義的社会政策、(2)高水準の社会権保障(基礎所得保障ではなくてスタンダード保障あるいは妥当な生活水準)、(3)平等と経済効率の融合を図ってきた点にある。
 生活水準の高い国では、これらの原則を保持するには高負担を避けて通ることはできない。
 スウェーデン・モデルがいまだに国民の支持を受けているのは、世代間連帯による生活安全保障制度(税方式)にあることは確かだ。所得再分配の恩恵を受けないグループをつくらず、なんぴともシステムから排除されない共生社会の基礎をなすからである。
 高負担であっても高福祉として還元されるから、スウェーデン国民は「国民の家」を支持する。
 2008年の調査によれば、9割以上の人が、税金を下げるよりも高齢者ケア・学校・医療サービスの質を上げてほしい、と考えている。8割以上の人が、医療や高齢者ケアの質を向上させるためにさらに高い税金を負担してよい、と考えている。
 スウェーデンでは、税方式による医療の対GNP比は9%で、日本と変わりない。しかし、効率性において、上位を占める国の一つである。

 「大きな政府」が支持されない理由はいくつかあるが、その一つは所得再分配によって税金還元を受ける集団と、そうでない集団が選別的福祉レジームにおいては生じるからである。大々的な所得再分配制度を必要としないのは富裕層である。
 社会構造が幾重にも分断されると、国民の連帯が困難になり、共生社会が構築できない。

【参考】訓覇法子『スウェーデン共生社会「国民の家」を支える「国家-地方-市民社会」の連携』(「社会福祉研究」第104号、財団法人鉄道弘済会、2009年4月号)
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【読書余滴】共生社会スウェーデンを支えるしくみ(3)

2010年08月04日 | □スウェーデン
●Ⅱ 地方自治を支える国家
1.分権化がもたらした地方自治の課題
 スウェーデン統治組織法は、国民統治の重要な手段のひとつが地方自治である、としている。地方自治体に独立した課税権が付与されているほど、スウェーデンの地方自治は強い。
 1862年、自治体法によって地方自治の原則が確立された。教区事業からの分離、貧民救済義務、独自の課税権などを獲得することで、コミューン(日本の市町村に相当する)の自由は拡大された。
 1950年代から1970年代にかけて、行政基盤強化を目的として、コミューンの合併が相次いだ。いま、コミューン数は290【注1】、コミューンの平均的人口は3万人である。(本論文によれば、ランスティング(日本の都道府県に相当する)数は23である。【注2】。ちなみに、スウェーデン人口は2008年現在930万人である。)
 「民主主義的観点から理想的な人口の大きさがしばしば問題にされるが、住民の政治参加と人口の大きさの一義的な因果関係は実証されていない。スウェーデン型福祉国家は、『少数人口』であったがゆえに実現可能であったという主張には根拠がないと言えよう」

 【注1】井上によれば、1999年1月現在、289である。
     井上誠一『高福祉・高負担国家 スウェーデンの分析 -21世紀型社会保障のヒント-』
                                               (中央法規、2003)
 【注2】穴見によれば、20である。井上によれば、1999年1月現在、18のランスティングと2のレジオンがある。
     穴見明『スウェーデンの構造改革 -ポスト・フォード主義の地域政策-』(未來社、2010)
     井上、前掲書。

 北欧諸国は、中央集権型国家である一方、地方自治体は強い自治権をもつ。ノルウェーなどと比べて、スウェーデンでは国家と地方自治体の間の相互信頼、相互理解が強い。

 1980年代以降、どの先進諸国においても、福祉国家の危機打開戦略として分権化と市場化・民営化が追求された。スウェーデンでも、効率の低さと細部にわたる国家規制が問題視され、「自由コミューン」などの試験事業が実施された。
 1991年、新地方自治体法制定。1993年、地方交付金制度改正。これらによって、国家規制が緩和され、地方自治体独自の裁量権が拡大された。
 しかし、3つの課題が生じた。

 (1)公共性の弱体化・形骸化の防止。
 (2)国民に対する公平な対応・処遇(個人の法的安全を守る)
 (3)民主主義

 (3)について敷衍すると、「今まで、何が地方民主主義であるかという定義をしてきたのは国家であった。地方自治体が地域の自律性に応えなければならないということは、地方自治体自らが統治形態を検証し、発展させなければならないことを意味する。住民自治の欠陥や問題の分析が各地方自治体に要求され、多様な解決がとられることによって地方自治そのものが多様化するであろう。地方分権化は、民主主義の実践における社会科学の実験であると言える」。

2.現物給付を担う地方自治体
 充実した社会保険制度と高い生活保護給付水準がスウェーデンの貧困率を低くしている(5.3%。日本は15.3%)。
 スウェーデンの生活保護給付額は、日本のような最低生活の保障ではなく、消費庁が算定する「妥当な消費水準」を保障するものである。
 社会サービスは、すべての国民を経済的に自立させることをめざすものだ。個別のニーズをふまえた援助によって、国民の生活条件の均等化を図るものだ。
 すべての国民は、16歳になると「国民保険」に加入する(義務)。被用者保険料は、雇用主税として支払う。こうしたスウェーデンの社会保険制度においては、制度から排除される国民が発生することはない。

 1970年代のなかばから、すべてのケア分野および学校教育などの分権化が進められてきた。
 家族政策を例にとると、国は現金給付をおこなう(有子・無子世帯間の所得の均等化=水平的所得分配)。地方自治体は、保健医療サービス、学校教育(高等学校まで)の現物給付をおこなう。
 地方自治体・・・・コミューンとランスティングは対等な関係にたつ。ランスティングの最大の事業は保健医療サービスである(予算の9割)。コミューンの最大の事業は、学校教育と高齢者などへの社会サービス供給である(予算の8割)。
 自己負担額は少ない。保健医療サービスの自己負担上限額は年間900クローネ(1クローネ=約10円)、薬代のそれは年間1,800クローネにすぎない。
 2000年、スウェーデンは脱施設化を完遂した。医療・福祉における24時間在宅サービスの構築が、これを可能にした。

3.財源力の弱い地方自治を支援する国家の役割
 財政力は地方自治体ごとに異なる。財政力が違っても、全国で同質、同水準のサービス内容や質を保つべく、国家が調整する。調整の手段が地方自治体間の財政の均等化である。
 1966年、均等化制度が導入された。
 1993年の交付金改革、1996年の新しい均等化制度によって、すべての地方自治体が均等化の対象となった。財政運営は、地方自治体間の拠出・交付という連帯的財政運営に置き換えられた。この制度は、その後も修正され、補足され、2008年の改正では均等化は5分野に及ぶ。
 かくて、スウェーデンのどこで暮らそうとも、平均的な水準の医療やケアを全国民が享受できることとなった。

 地方自治体間の格差縮小のため国家が介入する手段は、ほかにもある。
 例1、社会サービス法における生活保護給付。生計扶助とその他の扶助に二分し、生計扶助に一律の国家基準を設定している。
 従来の児童福祉法や生活保護法を統合した社会サービス法(1980年制定、1982年施行、2002年改正施行)は、枠法の性格を有する。理念と原則は定めるが、実施内容の詳細は定めていない。柔軟かつ大きな裁量権を地方自治体に付与している。自治体によっては、法の趣旨に沿わない運用が生じることもある。経済不況により生活保護受給率が増加した1990年代には、地域間格差が深刻化した。これを踏まえて、生計扶助に国家基準が設定されたのだ。
 例2、社会サービス法を補完する特別法、機能障害者援助・サービス法(1993年)。
 本法は、知的障害者ほか高い日常生活支援ニーズをもつ障害者グループが自己決定による生活を築くことができるよう支援するものだ。社会サービス法の「妥当な」水準ではなく、「良い」水準のサービスを保障する。百年来の改革と謳われるが、わけても画期的なサービスがパーソナル・アシスタンスである。週20時間以上の生活支援が必要な場合は、国家が負担する。国家が手を差しのべることで、地方自治体の財政負担は軽減される。結果として、地域格差が縮小される。 

【参考】訓覇法子『スウェーデン共生社会「国民の家」を支える「国家-地方-市民社会」の連携』(「社会福祉研究」第104号、財団法人鉄道弘済会、2009年4月号)

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【読書余滴】共生社会スウェーデンを支えるしくみ(4)

2010年08月03日 | □スウェーデン
●Ⅲ 地方民主主義を深める市民社会と国家
1.組織の国スウェーデン -「国民運動」民主主義
 「大きな国家」、福祉国家は、市場のみならず市民社会の自律性を弱める、という批判は誤りである。
 (1)大きな公共部門と、(2)国民の大半が組織化された強い市民社会・・・・他の北欧諸国と同様に、スウェーデンでは(1)と(2)とが両立している。
 市民組織は、福祉分野などの公的サービスを補完する存在として、長い伝統がある。行政と密な連携をとるが、行政の肩代わり的存在になることはなく、自律性を維持している。公共部門とのよき相互依存関係がうまくできている。市民組織への助成額は大きい(財源の70%)。1990年代以降、地方自治体は市民組織との連携にいっそう関心を高め、2003年の助成額は210億クローネ(約2,100億円)にのぼる。
 スウェーデンの「国家-市民社会」のよき相互依存関係の源流は、1800年代なかばに台頭した国民運動にある。

 スウェーデン社会運動発展史は4期に分かたれる。
 第1期(1800年代なかば)・・・・「自由と特権に対する闘い」。禁酒運動と自由教会運動である。
 第2期(1800年代後半~1930年)・・・・労働組合、経営者連盟、農業・生活協同組合が結成され、社会問題を合意で解決する国民運動民主主義の基礎ができあがった。この時期、すでに多くの国民運動組織が国から助成金を得ている。
 第3期(1930年~1950年)・・・・「国民の自己改良と市民の権力と影響力拡大」。余暇や学習サークル組織に加え、住宅協同組合や俸給者労働組合など新種の国民運動が台頭した。
 第4期(1950年以降)・・・・「人格の尊重や差別との闘い」。階級ではなく、障害者・高齢者・移民などのアイデンティティを基盤にする組織ができた。さらに、女性運動、環境運動、平和運動、宗教的な運動組織が後に続く。

 社会変革は底辺の大衆組織によって下から実施されなければならない、というのが国民運動の思想だ。
 国民運動は、労働組合、社会民主党、協同組合、労働者学習組織、年金者協会など多様な組織を巻きこんで、社会変革のためのネットワーク/統一戦線として発展してきた。
 スウェーデンの社会資本を形成してきたのは、国民運動であった。幅広い国民運動による合意という社会変革手法は、国民運動民主主義と呼ばれる。スウェーデンの合意の政治文化の基礎をなす。

 国民運動のなかで人気が高く、社会資本形成に寄与するのは、学習サークル組織である。コース科目だけではなく、交流・社会参加にも関心が向けられている。成人の4割が何らかのサークルに参加している。
 国家は、組織の財源のほぼ半分を助成し、社会資本形成を促進している。
 組織は、国民の声を政治的な力として結集する。積極的な組織活動は、政治民主主義を批判し、深める。国民の多数が組織に結集することで、民主主義は深化する。

 市民が自発的におこなう組織活動は、三つの点で重要である。
 (1)世帯に多様な分野の福祉を生みだし、供給する。市民の創造性を高め、会員の政治資源を強化する。
 (2)社会資本を形成し、市民相互の信頼感を醸成し、民主主義の発展に寄与する。
 (3)参加者は、共同決定に必要な能力を養うことができる。代表制民主主義を学ぶとともに実践する機会を得る。

2.選別的福祉レジームは社会資本形成を荒廃させる
 自発的なネットワークや組織に加わる市民が多ければ多いほど、民主主義の機能は高まる。しかも、市民が組織に参加することで形成される社会資本は、市民相互の信頼感を深める。1980年代以降のスウェーデンにおいては、市民相互の信頼感は深まっている。ある国際プロジェクトによれば、スウェーデン人の66%は他人を信頼できる、と答えている。他方、米国では48%、ドイツでは38%、ポルトガルでは23%、トルコでは10%であった。

 公共事業の原則はすべての人に対する「公平な対応・処遇」である。不公平な対応は、公共に対する信頼感、ひいては市民相互の信頼感を損なう。
 一国の政治システムが不正や汚職に侵されていればいるほど、国民の信頼感は低下する。

 選別給付は、日本の生活保護がそうだが、資力調査を前提とする。普遍的給付に比べて、選別給付は受給資格要件があるために、担当職員にもクライエントにも疑心が生じる。ごまかしているのではないか、根拠を欠く対応ではないか、差別的対応ではないか・・・・。
 普遍主義的福祉レジームを特徴とするスウェーデン国民に信頼感・連帯感が強いのは、選別主義的給付の経験者がわりと少ないからである。
 他人に左右されずに独自の考えをつくりあげ、生活保護申請や税金納付にあたってごまかさない・・・・これが、国民がまずもつ理想的な市民道徳である。
 「福祉が発達すると、制度を乱用し、労働意欲を失うのではないかという質問がよく聞かれるが、選別的福祉レジームは、人びとの間の信頼感(連帯)を荒廃させるのに対して、普遍主義的福祉レジームは信頼感を強化する」
 ヨーロッパ諸国における選別的福祉レジームへの転換は、将来どのような結果と影響をもたらすだろうか。

 なお、すべての組織形成が社会資本の発展に寄与するわけではない。北アイルランドやイスラエル・パレスチナにみられるように、憎悪や不信感を生みだす「非」社会的資本も形成される。
 開発途上国への援助も、その国の公共機関で種族組織や縁者の優先、汚職などがあると、国民の不信感を増大させる「非」社会資本の形成にもなりかねない。

●まとめにかえて
 地方自治体や市民社会の努力だけで共生社会を構築できない。そのことをスウェーデンの実践が示唆する。
 福祉レジームが選別的だと、社会は構造的に幾重にも分断される。国民の信頼感や連帯が荒廃する。市民組織の自律性にとって脅威となる。その結果、政治システムを変革する力が結集されにくくなる。
 そんな社会では、すべての組織が民主主義と経済発展を推進する社会資本を形成するとはかぎらない。逆に、国民に憎悪と不信感をもたらす「非」社会資本を形成する危険性がある。
 政治システム(国-地方自治体)と市民社会が連携するにはどんな関係を築かなければならないか。・・・・この問題もさりながら、より根源的な問題は、選別主義福祉レジームにある。

 公共事業に責任を負う政治システムの質を向上させなければならない。
 また、政治システムと市民社会とは積極的で対等に連携していかなくてはならない。それは相互に信頼しあう関係が前提となる。行政の肩代わりではなく、市民社会が自律性を奪われない連携を展開していかなければならない。

【参考】訓覇法子『スウェーデン共生社会「国民の家」を支える「国家-地方-市民社会」の連携』(「社会福祉研究」第104号、財団法人鉄道弘済会、2009年4月号)
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書評:『つぶやき進化論  「140字」がGoogleを超える!』

2010年08月02日 | 批評・思想
 2008年の米国大統領選挙の帰趨は、ソーシャルメディアが左右した。TwitterやYouTubeでバラク・オバマのファンが広がり、オバマ陣営への小口献金は総体として莫大な額となった。オバマのスローガン「チェンジ」は、選挙の手法においてすでに実践されていたのである。

 なぜソーシャルメディアがかくも盛んに活用されるのか。
 サーチエンジンには致命的な欠陥がある、と本書は指摘する。ウェブの情報量が多すぎて、全体を把握するために別のツールが必要なのだ。そのツールがソーシャルメディアというわけだ。ソーシャルメディアによって、手軽に速やかに質の高い情報が入手できる、と本書は実例をあげて説く。
 かくて、「グーグルの強敵は他のサーチエンジンであるYahoo! 、MSN 、Ask などではなく、ソーシャルメディアなのだ。グーグルをはじめとするサーチエンジンはこの流れに気づいていて、サービスをよりソーシャルメディアに近づけようとしている」

 ソーシャルメディアは社会にどのような行動の変化をもたらすか。
 例1。消費者は、気になる商品があればソーシャルメディアで評判を調べ、あるいはみんなの意見に耳をかたむけて、買うかどうかを決めることができる。
 例2。企業、マーケッティング担当者は、ソーシャルメディアにおいて以前よりも容易に批判的な意見を見つけだせるから、問題発見はこちらに任せ、問題解決に時間を傾注する。有能な企業はかくのごとく批判的な意見を前向きに受け止めるが、無能な企業は逆にソーシャルメディア上の批判的な意見を隠蔽する操作に忙殺されるのだ。

 ソーシャルメディアは、ビジネスモデルの変革を強いる。端的な例は、新聞にみることができる。
 ビジネスモデルを変えないと、それまでのサービスをデジタル化するだけで、従前とおなじ購読料を設定することになる。この愚行の結果、世界第2位の巨大メディア企業、トリビューン社は2008年に破産申告した。
 逆に、先進的な決断をしたのは「ニューヨークタイムズ」紙だ。自動的に記事がダウンロードできるサービスを設け、月額12ドルというわずかな購読料のみを課金している。バラク・オバマが小口献金を集めて、結果として何百万ドルに達したやり方に似ている。

 本書には新たなビジネスモデルのアイデアが盛りこまれているから、「有能な」企業は食指をそそられるはずだ。たとえば電子書籍。これまで本の中に商品を登場させた場合の効果を測定できなかったが、ハイパーリンクを取り入れることで新たな収入源を生む、と本書は予測する。

 ところで、本書にキーワードを設定するなら、「みんな」である。みんなのメディア、みんなの経済(ソーシャルノミクス)、みんなの迷い、みんなが何をしているのか知りたい、みんな必死です、みんな、みんな・・・・。
 「140字」には「140字」の情報や思想しか盛りこむことはできないのだが、量は質に転化するのである。ソーシャルメディアに示されるメッセージは概して主観的なものだが、主観が多数集まれば客観性を帯びるというわけだ。まことにアメリカ的な、あまりにも大衆社会アメリカ的な。

【注】本書は、R+から献本していただいた。条件は、書評400字程度を書くこと、である。
 レビュープラス

□エリック クォルマン(竹村詠美/原田卓・訳)『つぶやき進化論  「140字」がGoogleを超える!』 (イースト・プレス、2010)
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【読書余滴】『つぶやき進化論  「140字」がGoogleを超える!』 のさわり

2010年08月02日 | 批評・思想
 『つぶやき進化論  「140字」がGoogleを超える!』 の各章末に添えられた「キーポイント」は、次のとおり。

■1章クチコミ(ワ ールド・オブ・マウス)は世界をかけめぐる!
(1)インターネットによって市場は細分化されたが、人々は今でもみんなの動向を知りたいと思っている。そこで役に立つのがソーシャルメディアだ。
(2)ソーシャルメディアで時間をつぶすと、実は生産性があがる! ソーシャルメディアには、「情報の消化不良」を防止する力がある。サリー・スーパーマーケットの例でわかるように、以前ならぼんやり過ごしていた10分間が、ソーシャルメディアを使うことで非常に意味のあるひとときになるし、直後の行動決定にも意義ある影響がありうる。
(3)企業はそもそも、ビジネスモデルを大きく変えなくてはいけない。ビジネスモデルを変えもせずに、「デジタル化するだけ」ではダメなのだ。ソーシャルメディアの影響と需要に応えられるような、根本的な変革が必要だ。
(4)昔ながらの新聞や雑誌は、オンラインでの生き残りに苦労している。記事を書くのに最もふさわしい人間は、無償で、楽しみのために書いているフリーのブロガーだからだ。彼らは購読料を稼ごうなどとは思っていない。無報酬で、自分の意見、動画、調査結果といったコンテンツを投稿しているのは、ただ「みんなに見てもらいたいから」だ。ジャーナリストや出版社はこうした、購読料なしの、質のいいブログとの厳しい勝負を強いられている。
(5)これからは、どのニュースを読めばいいか考えなくてもいい。「ニュースのほうから集まってくる」、あるいは自分が発信するようになる。
(6)ソーシャルメディアの重要な点は、大勢の人が、まるで紙のフォルダーにラベルを貼るように、「情報にタグをつけることができる」機能があることだ。こうしてウェブ内の情報は整理され、すべてのユーザーにとって使いやすいものになる。
(7)すばらしいマーケティングのアイデアは、企業のマーケティング部門の会議から生まれるとは限らない。すでに草の根で高く評価されている活動に協力するのも賢明な企業戦略だ。ストライドガムと「踊るマット」の例に学ぶべきことは大きい。

■2章Twitter 上は360度「ガラス張り」
(1)企業も個人も、誰かと結びついていたくて、ソーシャルメディアで公開日記をつける。何にもまして、自分より大きな存在の一端を担っていると感じたいからだ。企業でも個人でも、この開かれた状態には責任がつきまとう。
(2)いまや、金曜夜のパーティーのあられもない自分の姿が、YouTube で公開される時代。
(3)個人も企業も、母親や重役に一挙一動を監視されているかのような暮らしを始めつつある。おそらく実際に見られているだろう。ソーシャルメディアがもたらしたこうした行動の変化には欠点もあるが、社会にとってはおおむね有益だ。
(4)ソーシャルメディアは案外、「親子の距離」も縮めている。
(5)ソーシャルメディアをとおして、顧客の不満は「瞬時に」投稿される。企業にとってはまたとない「顧客ケア」のチャンス。
(6)ソーシャルメディアでは、企業は以前よりも容易に批判的なコメントや投稿を探し出せる。だから問題の「発見」に時間を費やす代わりに、「解決」に心血を注ぐことができる。
(7)有能な企業や個人は、ソーシャルメディアを介しての批判的なフィードバックを前向きに受け止める。改善すべきところを明らかにしてくれる顧客の意見は何ものにも代
えがたい。
(8)愚かな企業は、ソーシャルメディア上の批判的なコメントを「見えにくくしたり」「消したり」、操作することにとかく時間を費やす。

■3章Twitterの中の「自慢したがり」な面々
(1)ソーシャルメディアがあれば人々はその場で人生を見直し、いつも人々を悩ませてきた「私の人生はこれでいいのか?」という問題に答えを出しやすくなる。今までより多くの人が生産的な活動や社会貢献に関わろうとするようになるため、社会にとってもプラスになる。
(2)「視聴者参加型番組」の代わりに「自分参加型のソーシャルメディア」の時代だ。重要なのは、テレビに出ている他人ではなく「友達や自分自身」の現実だ。
(3)これからの「受信ボックス」はソーシャルメディアになる。若い世代は電子メールを時代遅れで古臭いと思っている。
(4)ジェネレーションYとZは、1対1や口頭のコミュニケーションの必要がないソーシャルメディアに依存しているため、対人コミュニケーション能力が低くなっている。
(5)ジェネレーションYとZは、世の中の役に立ちたいという意志が強い世代であり、慈善事業や社会貢献のためにソーシャルメディアを活用している。
(6)消費者は好きなブランドを自分のイメージとしてアピールし、商品を「自慢」してくれる。彼らに任せてみようではないか!

■4章「ソーシャルメディアが大統領にした」男
(1)政治でもビジネスでも、開放型の双方向対話は、一方的に視聴者に向けられたコミュニケーションよりもはるかに効果がある。ソーシャルメディアはこの双方向対話を可能にする。従来の広告よりも、無料のソーシャルメディアツールを用いて宣伝を行うほうが、今の時代に即した費用対効果の高い方法だ。
(2)有権者を巻き込むことで、ソーシャルメディアは投票率に好影響をもたらした(1908年以来の最高率、また若年層でも最高率)。
(3)アメリカ大統領選挙にオンライン投票を導入すれば、推定67億ドルの生産性損失を回避できる。
(4)インフルエンザの流行を予測して予防したり、次のイギリス首相を予想したりできるか? については、まだ「集団的知性」の可能性のほんの表層部分が引っかかれているだけだ。
(5)「フォーチュン500」に名を連ねる企業はオバマから学ぶべきだ。彼はソーシャルメディアを信用し、一般市民に彼というブランドを自由に使わせて、思いもよらないほどの成功につなげた。
(6)インターネットがなければ、オバマは大統領にはならなかった。ビジネス同様、政治家や政府もソーシャルメディアの進歩に遅れを取らないようにする必要がある。政治の場でうまくソーシャルメディアを活用すれば、大きな恩恵を受けられる。

■5章「みんなのメディア」は“みんなの迷い”を吸い込んで成長する!
(1)消費者はソーシャルメディアを介して、商品、サービス、健康問題などについて、仲間に助言を求める。優れた商品やサービスを提供する企業だけがこうした会話で話題になる。月並みではすぐに排除されてしまうだろう。今日では、78%の人が他人の意見を頼りにしている。広告に頼るのは14%にすぎない。
(2)ソーシャルメディアのおかげで、みんなが同じことを繰り返さなくてよいので労力が重複しない。結果として効率のよい社会になる。
(3)安い、速い、質がよい、のうちふたつしか併せ持つことができないという古い格言は、ソーシャルメディアにはあてはまらない。3つすべてを持つことは可能だ。
(4)ソーシャルメディアで成功する企業は、従来の広告会社的性質よりもむしろ、エンターテインメント会社、出版社、パーティープランナーのような機能を有するようになるだろう。
(5)電子書籍の人気が高まれば、ブランドにとって新たなデジダルメディアに広告を出すチャンスとなる。映画におけるプロダクト・プレイスメントに似ているが、本のなかでブランドの文字部分をクリックしたり、その状況をたどったりすることができる。
(6)最も成功するソーシャルメディアとモバイルアプリケーションは、ユーザーが自慢したり、競い合ったり、友だちに教えることで自分が格好よく見える、そういったものだ。
(7)検索戦争でグーグルを最も脅かすのは他社のサーチエンジンではなく、何かを探そうとする人びとがソーシャルメディアで他の人に尋ねる質問の増加である。以前にも増して、商品やサービスが消費者のもとへ自然に集まってくるようになるだろう。

■6章「自分以外のもの」になれない時代
(1)ソーシャルメディアによって情報がすぐに広まる世の中では、いろんな顔をもつことが少なくなる。「仕事」用の自分と「パーティー」用の自分を使い分けることもなくなるだろう。人も企業も、ひとつの本質を持ち、その本質に忠実でいなくてはいけないだろう。
(2)個人にとっても企業にとっても、「多才」であることはあまり意味がなくなる。自分の核になる「強み」を活かすほうがうまくいく。それがライバルとの差につながる。
(3)ソーシャルメディアの世界で勝つのは、派手なメッセージに頼っているだけの企業ではなく、すぐれた商品やサービスを提供する企業だ。ソーシャルメディア内のつながりは世界最大かつ最強のリファーラルシステムだ。
(4)マーケティング担当者の仕事は、開発した商品を「売りこむ」ことから、顧客や見込み客の声を聞き、ニーズを満たし、要求に応えることへと変わった。

■7章「140文字」の世界で覇者たるには?
(1)完璧な人や企業などないのだから、過ちを認めてしまうのがベストだ。そうすれば一目置いてもらえる。
(2)これまでの広告は、番組や記事といったコンテンツを挟み込むように配置されていた。クチコミのチャンスを利用するためには、コンテンツのなかに溶け込ませる必要がある。
(3)CNNやESPNがやってみせたように、企業は「トム・ソーヤー的アプローチ」を活用して、熱狂的ファンに商品や番組やサービスに貢献してもらおう。
(4)今日の顧客やファンは、明日の競争相手かもしれない。そうならないように積極的に手を打とう。
(5)デイヴィッド・オグルヴィよりデール・カーネギーのように。まずは耳を傾けてから、売り込む。
(6)ソーシャルメディアライフでは何もせずに過ごすよりも、失敗するほうがよい。
(7)サーチエンジン最適化とソーシャルメディアはつながっていることを忘れずに。

■8章「みんなの経済」時代の消費者は「ガラスの家」に住む
(1)自社でソーシャルネットワークの二番煎じをつくっても、誰も来ない「悪夢の野球場」でしかない。既存のツールの中から最高のものを選んで接続するのが賢い。ソーシャルメディア企業でもないのに無理して新規参入しようとするのは愚かなことだ。
(2)ソーシャルメディアによって、インターネットアクセスがコンピューターからモバイルデバイスに推移している。
(3)求職や求人に関してソーシャルメディアの中で行われる情報交換の形は、10年前から激変した。情報の流れが増えたことによって、求人側と求職者の最適な出会いが増えた。
(4)ソーシャルメディアツールによって情報交換が迅速におこなわれるようになり、マーケティングではリファーラルを重視するようになった。人材募集や就職活動でも同じように、かつてないほど紹介を重視するようになるだろう。
(5)直接会って話す必要のないコミュニケーションが多すぎるため、若い世代の対人コミュニケーションスキルは衰えている。
(6)サーチエンジンの検索結果や古いウェブ広告のモデルは時代遅れだが、ソーシャルメディアによっていずれも革命的に変わるだろう。そうでなければウェブ広告のシェアは激減することになる。
(7)今後、個人や企業がどれだけ業績をあげられるかは、まさに、ソーシャルメディアをうまく利用できるかどうかにかかっている。
(8)前に進みながら倒れよう。失敗するなら俊敏に、よりたくみに。
(9)モバイルの進化は「つねにつながっている社会」を実現すべく進化している。ソーシャルメディアの利用は、携帯でソーシャルメディアが利用出来るデバイスが普及するにつれて、さらに増加するだろう。
(10)デジタルのビジネス・ネットワークは、「必要となる以前に自分のほうから」積極的に構築しておくこと。

【参考】エリック クォルマン(竹村詠美/原田卓・訳)『つぶやき進化論  「140字」がGoogleを超える!』 (イースト・プレス、2010)
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【旅】鞍馬

2010年08月01日 | □旅
 叡山ロープウェイの比叡山頂駅からケーブルカーで降下すると、八瀬叡山口駅近くにいたる。叡山電車に乗り継ぎ、宝ヶ池駅で鞍馬線に乗り換えれば、鞍馬駅まで一直線だ。
 鞍馬駅を出ると、どでかい天狗の面がこちらをにらみつけているのが目にはいった。
 たちならぶ土産物屋の先にケーブルカーもあるが、わずか200メートルほど運行するだけなので、これも横目に見てすぎ先をいそぐこととする。エネルギーを節約しないであるけば、武芸上達のご利益がある鬼一法眼神社や由岐神社に詣でることができるからだ。由岐神社では、例年10月22日に名高い火祭が行われる。



 しかし、由岐神社から先が長かった。
 砂利道をしのぎ、無限につづくと思われる石段を昇り・・・・。
 ここでも中学生の修学旅行の一団に出くわした。私の目先をあるく生徒たちは、軽快な足取りで昇っていく。
 20台後半らしい、日に焼けて精かんな顔つきの教諭が後衛についていたが、途中で立ち止まって上着をぬぐと、サッサと先を急いで生徒たちを追い越し、たちまち姿が見えなくなった。
 かわって見えてきたのは、添乗員のお姉さんの後ろ姿である。形のよい脚が一段ずつ昇っていく。ところが、だんだん足取りが乱れてきて、引率する中学生より遅れがちになる。
 鍛え方が足りない。ツアーコンダクターは、一に体力、二に体力、三、四がなくて、五が饒舌ということを知らないのだろうか。・・・・知らないだろうね。私が考えついた格言である。

 由岐神社から水平距離で1キロメートル、高度差で100メートル、中学生の一団の背後について休みなく昇っていき、ようやく石段がとぎれると、そこが鞍馬寺であった。
 火鉢に煙草の吸い殻がさしてある休憩所で一服していると、スコッチ・テリヤを引き連れたマダムが入ってきた。先客の、やはり一服している眼鏡氏にテリヤを引き渡す。ちょっと写真を撮ってきますからね・・・・。
 写真をとらないと、不在証明ならぬ旅したことにならないと思う風潮はなげかわしい。しっかりと自分の眼でみて、脳裡に焼きつければよいのだ。
 しかし、記憶は薄れるものだ。スペインのマラガを再訪した沢木耕太郎も嘆いていた。
 それでも、と思う。記憶に残るもの、残らないもの一切をふくめて、それが旅というものだ。人生というものがそうだ、と言ってもよいかもしれない。

 鞍馬寺の裏手からさらに2キロメートル、昇降をくりかえすと奥の院魔王殿に到着する。
 道中に奇怪な木の根道にたびたび出 くわす。このあたりの砂岩ホルンフェルズはマグマ貫入の熱で灼かれてできたもので、風化しにくい。土壌の層は薄い。ために、木の根が地表を這うのである。
 奇怪なのは自然界だけではない。人の世もしかり。
 魔王殿までのルート上に義経堂がある。義経は奥州衣川館で自刃したのだが、その霊が鞍馬山を漂っているのだ。義経堂は、無念の思いにかられてさまよう義経の霊をなだめる祠である。目には見えないが、天狗がこのあたりを跳梁しているはずだ。

 
 

 魔王殿から急勾配の道を降りて先へすすむと、貴船神社が待ち受けている。さらに突き進めば叡電貴船口駅に達する。この間、水平距離でおよそ10キロメートル弱。歩いて歩けない距離ではない。しかし、この日は早朝から比叡山を歩いている。万歩計の数値はすでに2万歩を越えている。
 私たちは目を見交わし、無言で相談した。
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