●Ⅰ スウェーデン・モデル
1.コーポラティズム的政治文化と「国民の家」
スウェーデン・モデルとは、社会建設のビジョンや手段の総称である。「スウェーデン型福祉国家=国民の家」「サルッショーバーデンの精神(労使和解)」「合意と妥協の政治」といった意味あいのものだ。
コーポラティズム(corporatism)の高度に発達した国は、改良主義的労働運動の強かった北欧諸国やオーストリアである。
1928年、国会第二院において、社会民主党の初代首相ハンソンは、階級闘争ではなく、協調の精神による「国民の家」建設構想を打ちだした。この構想は、1930年代の早期のケインズ主義的経済政策に支えられて、着実に実現されていった。
1938年、「サルッショ-バーデン協定」が締結された。労使関係の安定化、集権化を目的とする協定である。この協定によって、経済政策、社会政策が再編成された。コーポラティズムが着実に根をおろしていった。
スウェーデン社会民主主義の強さは、早い時期に農民などの旧中間層を巻きこみ、「労働者階級の党」から「国民の党」へと広範な連帯を取りつけた点にある。
1960年、スウェーデンで所得比例給付による付加年金【注】が導入されたときも、当時拡大しはじめた新中間層を動員することで労働者階級の分裂を回避した。
スウェーデンの社会民主主義は、政治民主主義だけではない。共同決定法(1976年)により、労働者の経営参加が可能になった。労働者基金(1982年)の挫折によってスウェーデン経営者連盟(SAF)がコーポラティズムから脱けたが、社会問題解決における合意と妥協というコーポラティズム的文化は現在もなお受け継がれている。
【注】わが国の年金は、1階部分の基礎年金(公的年金)、2階部分の老齢厚生年金等(公的年金)があり、さらに3階部分の企業年金や確定拠出年金が加わる(私的年金)。この2階部分に相当するのが、付加年金。
2.共生社会『国民の家』を支える税方式
1971年以降(オイルショックは1973年)、スウェーデンはなんども経済危機に直面してきた。
1990年代の前代未聞の不況は、社会保険給付の切り下げなど一連の縮小・削減政策によって福祉国家を後退させた。
1992年、エーデル改革。1993年、障害者福祉改革。1995年、精神保健福祉改革。
1990年代後半、社会民主党は財政のたてなおしに成功した。
しかし、2008年秋の世界的な金融危機の余波で、ふたたび失業者が増大した。(ここで注記すると、2010年8月1日付け朝日新聞によれば、スウェーデンは早々と不況をぬけだし、2010年は3%台の成長率を達成する見こみである。欧州主要国は財政の赤字減らしに苦しんでいるが、スウェーデンの財政は黒字だ。)
政策の修正はあったが、福祉国家というビジョンは堅持されてきた。2007年に政権交代した保守系政権も、従前の社会民主党の労働政策を新たな形で継承するものである(すべての国民の経済的自立を図る雇用政策)。
スウェーデン福祉国家の独自性は、コストの大きさにあるのではなく、その構造にある。
スウェーデン・モデルの強さは、(1)普遍主義的社会政策、(2)高水準の社会権保障(基礎所得保障ではなくてスタンダード保障あるいは妥当な生活水準)、(3)平等と経済効率の融合を図ってきた点にある。
生活水準の高い国では、これらの原則を保持するには高負担を避けて通ることはできない。
スウェーデン・モデルがいまだに国民の支持を受けているのは、世代間連帯による生活安全保障制度(税方式)にあることは確かだ。所得再分配の恩恵を受けないグループをつくらず、なんぴともシステムから排除されない共生社会の基礎をなすからである。
高負担であっても高福祉として還元されるから、スウェーデン国民は「国民の家」を支持する。
2008年の調査によれば、9割以上の人が、税金を下げるよりも高齢者ケア・学校・医療サービスの質を上げてほしい、と考えている。8割以上の人が、医療や高齢者ケアの質を向上させるためにさらに高い税金を負担してよい、と考えている。
スウェーデンでは、税方式による医療の対GNP比は9%で、日本と変わりない。しかし、効率性において、上位を占める国の一つである。
「大きな政府」が支持されない理由はいくつかあるが、その一つは所得再分配によって税金還元を受ける集団と、そうでない集団が選別的福祉レジームにおいては生じるからである。大々的な所得再分配制度を必要としないのは富裕層である。
社会構造が幾重にも分断されると、国民の連帯が困難になり、共生社会が構築できない。
【参考】訓覇法子『スウェーデン共生社会「国民の家」を支える「国家-地方-市民社会」の連携』(「社会福祉研究」第104号、財団法人鉄道弘済会、2009年4月号)
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1.コーポラティズム的政治文化と「国民の家」
スウェーデン・モデルとは、社会建設のビジョンや手段の総称である。「スウェーデン型福祉国家=国民の家」「サルッショーバーデンの精神(労使和解)」「合意と妥協の政治」といった意味あいのものだ。
コーポラティズム(corporatism)の高度に発達した国は、改良主義的労働運動の強かった北欧諸国やオーストリアである。
1928年、国会第二院において、社会民主党の初代首相ハンソンは、階級闘争ではなく、協調の精神による「国民の家」建設構想を打ちだした。この構想は、1930年代の早期のケインズ主義的経済政策に支えられて、着実に実現されていった。
1938年、「サルッショ-バーデン協定」が締結された。労使関係の安定化、集権化を目的とする協定である。この協定によって、経済政策、社会政策が再編成された。コーポラティズムが着実に根をおろしていった。
スウェーデン社会民主主義の強さは、早い時期に農民などの旧中間層を巻きこみ、「労働者階級の党」から「国民の党」へと広範な連帯を取りつけた点にある。
1960年、スウェーデンで所得比例給付による付加年金【注】が導入されたときも、当時拡大しはじめた新中間層を動員することで労働者階級の分裂を回避した。
スウェーデンの社会民主主義は、政治民主主義だけではない。共同決定法(1976年)により、労働者の経営参加が可能になった。労働者基金(1982年)の挫折によってスウェーデン経営者連盟(SAF)がコーポラティズムから脱けたが、社会問題解決における合意と妥協というコーポラティズム的文化は現在もなお受け継がれている。
【注】わが国の年金は、1階部分の基礎年金(公的年金)、2階部分の老齢厚生年金等(公的年金)があり、さらに3階部分の企業年金や確定拠出年金が加わる(私的年金)。この2階部分に相当するのが、付加年金。
2.共生社会『国民の家』を支える税方式
1971年以降(オイルショックは1973年)、スウェーデンはなんども経済危機に直面してきた。
1990年代の前代未聞の不況は、社会保険給付の切り下げなど一連の縮小・削減政策によって福祉国家を後退させた。
1992年、エーデル改革。1993年、障害者福祉改革。1995年、精神保健福祉改革。
1990年代後半、社会民主党は財政のたてなおしに成功した。
しかし、2008年秋の世界的な金融危機の余波で、ふたたび失業者が増大した。(ここで注記すると、2010年8月1日付け朝日新聞によれば、スウェーデンは早々と不況をぬけだし、2010年は3%台の成長率を達成する見こみである。欧州主要国は財政の赤字減らしに苦しんでいるが、スウェーデンの財政は黒字だ。)
政策の修正はあったが、福祉国家というビジョンは堅持されてきた。2007年に政権交代した保守系政権も、従前の社会民主党の労働政策を新たな形で継承するものである(すべての国民の経済的自立を図る雇用政策)。
スウェーデン福祉国家の独自性は、コストの大きさにあるのではなく、その構造にある。
スウェーデン・モデルの強さは、(1)普遍主義的社会政策、(2)高水準の社会権保障(基礎所得保障ではなくてスタンダード保障あるいは妥当な生活水準)、(3)平等と経済効率の融合を図ってきた点にある。
生活水準の高い国では、これらの原則を保持するには高負担を避けて通ることはできない。
スウェーデン・モデルがいまだに国民の支持を受けているのは、世代間連帯による生活安全保障制度(税方式)にあることは確かだ。所得再分配の恩恵を受けないグループをつくらず、なんぴともシステムから排除されない共生社会の基礎をなすからである。
高負担であっても高福祉として還元されるから、スウェーデン国民は「国民の家」を支持する。
2008年の調査によれば、9割以上の人が、税金を下げるよりも高齢者ケア・学校・医療サービスの質を上げてほしい、と考えている。8割以上の人が、医療や高齢者ケアの質を向上させるためにさらに高い税金を負担してよい、と考えている。
スウェーデンでは、税方式による医療の対GNP比は9%で、日本と変わりない。しかし、効率性において、上位を占める国の一つである。
「大きな政府」が支持されない理由はいくつかあるが、その一つは所得再分配によって税金還元を受ける集団と、そうでない集団が選別的福祉レジームにおいては生じるからである。大々的な所得再分配制度を必要としないのは富裕層である。
社会構造が幾重にも分断されると、国民の連帯が困難になり、共生社会が構築できない。
【参考】訓覇法子『スウェーデン共生社会「国民の家」を支える「国家-地方-市民社会」の連携』(「社会福祉研究」第104号、財団法人鉄道弘済会、2009年4月号)
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