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語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】原発>食品>農林水産省、その無能の証明~牛肉とコメ~

2011年09月08日 | 震災・原発事故
(1)牛肉
 牛肉の汚染は、厳しいチェック体制がとられた(はず)にもかかわらず発生した。この点で、葉物野菜や原乳の汚染問題とは大きく異なる。
 肉用牛の場合、農水省は原発周辺県に対し、餌の管理などの注意を通達した。緊急時避難区域内を牛が移動する際には、さらに3段階の体制がとられた。牛の身体の表面を放射線測定器で測定し、農家への聞き取り調査を行い、放射性物質をチェックする・・・・ことになっていた。
 ところが、実際は抜け穴だらけだった。
 (a)農家への飼料摂取制限の通達は、水素爆発から1週間後に行われた。
 (b)①緊急時避難準備区域と②計画的避難区域では、住民に対しては内部被曝の検査が行われた。しかし、牛に対しては、検査能力の限界などのため、事故後に出荷された約1万頭のうちモニタリング検査(内部被曝を測定する)が行われたのはわずかに60頭程度にとどまった。
 (c)(b)-①および(b)-②を除く地域では、牛の表面を測る外部被曝の検査のみで出荷が許可されていた。
 こうしたズサンな管理によって、7月8日、(b)-①に設定されている南相馬市の農家の牛肉から、暫定値を超える放射性セシウムが検出されるに至った。この農家は、7月8日より前にも出荷していた。すでに汚染の疑いのある牛肉が市場に出回っていたのだ。これが判明すると、日本中が大騒ぎになった。

 稲わらについては、そうした管理さえ行われていなかった。
 宮城県産の稲わらから高濃度の汚染が見つかったことをきっかけに、岩手、福島、宮城、栃木の4県で肉牛の出荷停止という事態に発展した。8月15日現在、汚染の疑いのある牛は4,441頭、うち1,044頭のモニタリング検査の結果は、74頭から規制値を上回る放射性セシウムが検出された。
 この結果、政府は汚染により出荷できなくなった牛の買い上げなどの支援策に857億円もの費用を投じた。
 仕事を手抜きして巨額の税金を費消する結果を招いた農水省生産局は弁明する。「野ざらしになっていた稲わらが餌になっていたことは想定できなかった」
 しかし、東北地方では、秋にコメを収穫した後、乾燥が十分ではない等の理由で春先まで稲わらを外に放置することがある。農業の現場を少しで知っていれば、すぐわかることだ、と多くの農家は農水省の対応を厳しく批判する。

 8月3日、汚染稲わらによる牛肉汚染対策の意見交換会が開かれた(財団法人「職の安心・安全財団」主催)。
 そこで、原田英男・農水省生産局畜産企画課長は強調した。「通達を出すなど農水省はさまざまな対策をした」
 「もとはといえば原発事故のせいだ」と繰り返した。
 ここで国家公務員の原田は、原発は国が主導して建設したことを忘れている。原田の念頭には、国も国民もなく、農水省だけがある。
 消費者の信頼回復のために、と生産者の多数が望む全頭検査についても、「必要ないと思っている。全頭検査はその検査体制を敷くだけで時間がかかり、現実的ではない。ゼロリスクを望むのは無理だ」と原田は一蹴した。

 ちなみに、厚生労働省は「原発事故後、検査能力を増強している」【厚生労働省食品案演舞案園監視課】。
 ただし、新規に導入予定の放射能測定器は、わずか3台。牛肉の検査には1検体の検査に2時間要する。24時間フル稼働しても、1日当たり30検体程度の能力増強でしかない。

(2)コメ
 牛にはトレーサビリティ制度がある。にもかかわらず、汚染牛の流通を阻止できなかった【注1】。
 ましてや、コメの場合には複数の産地のブレンドが多いから、流通経路はたどり難い【注2】。
 11年産米の放射性物質検査はすでに始まった。対象範囲は、17都県と広い。福島県産以外の検査をまったく行わなかった牛肉の検査より改善している、と言えば言える。
 しかし、「なるべく空間線量の高いところで計測してほしい」と農水省は言っているが、測定する水田の選定は自治体任せだ【注3】。

 牛肉汚染問題は、「モニタリング調査をしているので、市場には安全な食品だけが出回っている」と言い続けてきた農水省の主張を根底からくつがえした。
 国に任せておけない、と自主検査に踏み切る農家もある。放射線測定には1検体当たり2万円程度を要するから、負担は軽くない。

 【注1】「【震災】原発>事故後に20キロ圏内にいた牛の肉が関東に流れている
 【注2】「【震災】原発>食品>新米は安全か?
 【注3】「【震災】原発>食品>汚染米のチェック機能不全/消費者側の対策

 以上、記事「コメでも二の舞のおそれ 『セシウム牛』を生んだ泥縄検査」(「週刊東洋経済」2011年9月10日号)に拠る。
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【震災】原発>息を吹き返す東京電力

2011年09月07日 | 震災・原発事故
(1)原子力損害賠償支援機構法
 瀬死の東電が息を吹き返しつつある。8月3日に「原子力損害賠償支援機構法」が成立したからだ。
 支援機構から入ってくる資金で、賠償金をチャラにさせる。資金の流れができれば債務超過にはならない。【西澤俊夫・東電社長】
 なぜか。損害賠償引当金を特別損失として計上する一方、ほぼ同じ額を機構から交付金として受け取り、特別利益として計上する。これにより、賠償金の特別損失は相殺される。賠償金が巨額になろうと、最終損益には影響しない。純資産も毀損されない。・・・・というわけだ。
 他方、賠償金支払い以外の運転資金は別途調達しなければならないが、機構法により政府が金融機関に対して2兆円まで政府保証をつける。金融機関は、政府保証がある以上、東電の求めに応じない理由がない。・・・・というわけだ。
 交付金と政府保証の合計4兆円に上る資金を得たことで、東電の経営の見とおしは、俄然、明るくなった。

(2)原子力賠償法の見直し
 6月の閣議決定により、1年以内に事故の際の事業者と国の責任をあらためて見直す。
 今後のポイントは、東電の賠償責任に上限が設定されるか否かだ。
 東電は、今後「特別負担金」を毎年機構に対して返済していく。少なく見積もっても15兆円と言われる。返済期間は長期にわたる。
 今回の賠償は現行法の枠内で行う、と西澤社長はいうが、仮に上限が設定され、上限設定が適用されれば、東電は手の舞い足の踏む所を知らないだろう。

(3)経産省の後押し
 事故後浮上した「東電解体論」は、トーンダウンしつつある。
 首相交代を挟んで、民主党内には東電に対する関心が薄れてきた。【寺澤聡子・みずほ証券シニアクレジットアナリスト】
 調査委がどこまで踏み込めるか、微妙になってきた。
 一連の動きの背景には、経産省の力添えがある。そもそも機構法の州案となった「賠償スキーム」は、大手銀行の案をたたき台に経産省が作成したものだ。当初は出来が悪いと考えた官邸も、カネを出したくない財務省と東電を守りたい経産省に押されて追認してしまった。一時は経産省内でも発送電分離案が浮上したが、東電を存続させることになった以上分離は無理、と今では推進派さえ考えが後退している。【岸博幸・慶応義塾大学大学院教授】
 当の東電も、意欲を見せる。
 賠償を行うだけでは何のために会社があるのかわからない。カネのない中で必要な事業投資は続けたい。【西澤社長】

(4)不確定要素
 (a)経営・財務調査委員会。リストラの徹底を議論している。他業種に比べて高い給与と企業年金の減額、人員削減など。相手の言い値どおり通常の3倍に近い価格で買っている燃料費も。調査委は9月下旬に報告書を提出して役目を終え、その後新設の機構が監視していくが、機構には調査委のメンバーが参加する、と目される。一度後退した分離論が再燃しかねない。
 (b)機構法見直しの可能性。政府は、2年以内に政府、東電、他の電力会社の負担、株主など利害関係者の負担の在り方を検討する。すでに中部電力が一般負担金の支払いに難色を示すなど、機構は出だしから波乱含みなのだ。
 (c)こうした“バランス”が崩れれば、金融機関の融資スタンスも変わるリスクがある。そもそも、東電向け債権は増える傾向にあるが、銀行が融資残高を増やしていけるか、不透明だ。
 (d)電力供給の要とされる原発は再稼働の見とおしが立たない。早期再開は困難で、このままでは12年4月までにすべての原発が止まる。
 (e)火力発電などの稼働を増やすしかないが、原油高が続く中で今期は前期比1兆円近くの燃料費増が見こまれる。
 (f)今後、交付金返済のために、特別負担金のみならず原発をもつすべての電力会社が対象となる「一般負担金」を東電も支払うことになる。個別の額は機構が決める。総額は、少なくとも数千億円になる見こみだ。
 (g)事故原発の廃炉関連費用も不確かだ。事故はまだ収束していない。汚染水の漏出を防ぐ遮水壁のように、今後も想定外の費用が生じる可能性がある。こうした費用は特別損失として計上され、最終損益の悪化につながる。
 (h)賠償は、9月から受付けを始め、10月から本払いを開始する。この間にも新設される機構へ資金援助を要請する、と見られる。原子力損害賠償紛争審査会の指針に基づいて賠償するが、指針を不服とする被害者などが集団で訴訟を検討する動きがある。東電は、関連、偶発、風評などの被害については争うつもりだ。

(5)東電の独り勝ち
 事故収束、訴訟費用などの費用が膨らんで最終赤字を出し続けることになれば、ジリジリと財務が毀損され続けかねない。個別企業としての財務の回復がまるで見えない。
 営業利益段階で黒字にするには、少なくとも10%の電気料金値上げが必要だ。一説によれば、9月には値上げだ。
 東電は、事故後も「燃料費調整制度」による値上げを行ってきた。今回は、原発稼働率低下に伴う火力発電所の稼働増など、電源構成の変化による料金改定をもくろんでいる。仮に値上げするとすれば、31年ぶりの料金改定となる。
 10月に提出する特別事業計画書には、向こう10年程度にわたる事業の収益計画が盛りこまれる、と目される。ここで値上げを織りこむか否かが焦点となる。
 東電を囲む環境が目まぐるしく変わる中、このままでは東電の独り勝ちとなる。他方、福島の被害者や東電利用者が貧乏くじを引くことになる。【岸教授】
 国民の間でせっかく沸き上がったエネルギー政策の見直し議論は、機構法成立により、尻すぼみになってしまった。
 利用者を始めとする国民の監視が緩む中、東電は着実に活力を取りもどしつつある。

 以上、倉沢美左「息を吹き返す東電」(「週刊東洋経済」2011年9月10日号)に拠る。
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【震災】原発を廃止すべき6つの理由 ~ドイツの国策~

2011年09月06日 | 震災・原発事故
 (1)原発の安全性は高くても、事故は起こりうる。
 (2)事故になれば、ほかのどんなエネルギー源よりも危険だ。
 (3)次世代に放射性廃棄物処理などを残すのは、倫理的に問題がある。
 (4)より安全なエネルギー源がある。
 (5)温暖化問題もあるので、化石燃料の使用は解決策ではない。
 (6)再生可能エネルギー普及とエネルギー効率の改善で段階的に原発ゼロに向かうことは、経済にも大きなチャンスになる。

 これは、ドイツで首相が設置した「より安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」において、「なぜ」を徹底的に議論した結論だ。
 「原子力発電をやめるべきか」を考える際、「どうやって」の前に、「なぜ」(理由)を深く議論することが必要だ。倫理的価値判断が含まれるからだ。
 日本が学ぶべきは、手段としての原子力の評価だ。発電という目的に対して、(a)地震国での原発のコストとリスク、(b)事故被害の大きさ、(c)将来世代への責任などについて、他の発電手段と比較して評価を行うことだ。 その上で何を選ぶかは、社会の倫理的価値判断に基づいて決めるべきことだ。
 いまの日本に必要なことは、こうした目標・政策枠組みの策定と担い手の育成だ。そして、時間はかかるが、「原発をどうするか」の国民的議論をふまえた上で政治的に決定することだ。

 以上、ミランダ・シュラーズ(ベルリン自由大学教授)/吉田文和(北海道大学教授)「〈私の視点〉脱原発 「なぜ」の徹底議論必要」(2011年9月3日付け朝日新聞)に拠る。
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【震災】原発>食品>いまだにやまぬ産地・銘柄の偽装

2011年09月06日 | 震災・原発事故
 都内のある米穀店は、4年前に産地・銘柄偽装で農林水産省から業務改善命令を受けた。その時と同じ場所、同じ屋号のまま、今も営業している。店頭には、産地・銘柄偽装したと同じ銘柄のコシヒカリが並んでいる。新潟県産と新潟県魚沼産のコシヒカリだ。
 この店の主は、業務改善命令によって店名が公表されたとき、開きなおった。
 「産地・銘柄偽装なんて、スーパーだって、ディスカウントストアだって、みんなやっている。そんな安売りのコメに対抗しなきゃいけないから、ウチもやったんだ」

 この米穀店も、同時に業務改善命令を受けた千葉県の米穀卸も、「三つ星お米マイスター」を店頭に掲げていた。これは、日本米穀小売商業組合連合会がコメの専門職経験者に与える「博士的称号」だ。ネット通販でも、この称号を掲げて「安心のお店」とうたう店は少なくない。
 そんなプロが開きなおるほど偽装は蔓延していた。
 新潟県魚沼産コシヒカリは、実際の生産量の30倍以上流通していた(業界の公然の秘密)。取り締まりが厳しくなっても、産地を表記する必要のないブレンド米に仕立て上げれば何でもできる(業界の常識)。業者のあいだでは、偽装は「あって当然、なくて不自然」。【吾妻博勝・食品ジャーナリスト】

 新潟県産コシヒカリは、現在、遺伝子「コシヒカリBL」をもつ新種に切り替えられた。DNA検査をすれば、偽装を見破ることができる。
 昨年度、新潟県による調査では、スーパー、ディスカウントストア200店の「新潟県産コシヒカリ」のうち3分の1は「コシヒカリBL」をもたない従来のコシヒカリだったり、他のコメが混入していた。

 警察や地方自治体による摘発はさて措き、07年以降、農水省はコメに係るJAS法の品質表示基準違反による業務改善命令は出していない。
 違反が見つかっても、業者が直ちに改善の意思表示をしたり、常習性のない一時的な過失と判断された場合は「指導」で終わる。この場合、内容も企業名も公表されないのだ。
 改善の意思がなかったり、悪質犯と判断されたとき、初めて「指示」が行われ、企業名が公表される。
 それでも事態が改善されない場合のみ、業務改善命令が出される。

 11年1月から、過失であっても「指示」の内容を顧客/購入者に情報提供しなければならなくなったが、抑止効果のほどは疑問だ。
 原発事故、水害による相場上昇は、悪徳業者にとって天佑だ。すでに福島県に他県の「一空袋」【注】が集まっている。
 偽装米を防止する決め手はない。

【注】「【震災】原発>食品>汚染米のチェック機能不全/消費者側の対策」参照。

 以上、記事「いまだにやまぬ産地偽装・銘柄偽装 コメロンダリングの呆れた実態」(「週刊ダイヤモンド」2011年9月10日号)に拠る。
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【震災】原発>食品>汚染米のチェック機能不全/消費者側の対策

2011年09月05日 | 震災・原発事故
(1)検査の信頼性
 (a)人間に外部被曝と内部被曝があるように、作物にも①直接降りかかる汚染と、②土から吸収される汚染がある。田植えは5月以降だから、問題になるのは②だ。
 国は、福島原発から半径30km圏内などをコメの作付け制限地域と指定している。この地域は、国から補償される。制限をくぐり抜けてまでコメを作るメリットは小さい。

 (b)ただし、作付け制限地域外も汚染されている。国は、自治体に収穫前後の検査を指示した。検査は、収穫の1週間前に水田に稲が植わっている状態で予備調査を行い、基準値を超えた場合、本調査を行う。本調査で暫定基準値を超えた時、出荷制限される。
 8月19日、茨城県鉾田市で初めて52Bq/kgの放射性セシウムが検出された。その後も、千葉県、福島県などで50Bq/kg程度が検出されたものの、今のところ小売りが茨城県産を回避する動きは見られない。

 (c)しかし、検査ポイントが少ない。予備調査で最大5点、本調査で重点調査区域に指定された場合で15haに1点にすぎない。
 予備調査や本調査のポイント選定は、国は県に任せている。県は市町村に指示し、実際の作業は県、市町村、農協の関係者などが行う。制度上は、恣意的にポイントを選んだり、低い数値がでるまで検査することも可能だ。
 福島県内の市町村では、すでに予備調査が終了している。放射性物質は、基準値以下どころか、不検出だったところもある。この結果に、同じ県内の農家自身から疑問の声が上がっている。検査方法の改善が必要だ。 

 (d)収穫から出荷までの二次汚染も問題だ。コメは、脱穀、精米の段階でかなりの放射性物質が取り除かれる。しかし、脱穀機に汚染されたもみがらが残っていれば、次回の作業の際、二次汚染の危険が残る。
 コメ以外の部分の汚染も問題だ。稲の葉、茎、もみがらは食用、飼料として出荷されているが、検査対象になっていない。

(2)産地偽装
 福島県いわき市・浜通りにある大型ホームセンターには、今、一度使用して空いた米袋「一空袋(いちあきたい)」がよく売れている。山積みの栃木県、青森県などの「一空袋」が次々に搬入され、飛ぶように売れているのだ。
 「一空袋」は従来、割安な紙袋として農家が自家消費用のコメや農作物を入れるのに使ってきた。だが、他方、「一空袋」はコメの産地偽装、銘柄偽装の道具としてよく知られている。
 「一空袋」には、コメの産地、銘柄、生産年月日、生産者の名前と住所が記され、集荷した農協と検査員の検印が押されている。農協のお墨付きの米袋だ。悪質な農家やブローカーが違うコメを入れれば、偽装を見破るのはプロでも容易ではない。

(3)流通、販売での検査
 外食最大手ゼンショーは、使用する米について産地ごとに放射性物質の検査を始めた。ロイヤルホールディングスも検査機器を導入、検査を始める。
 しかし、外食、流通企業で独自の検査機器を導入しているのは例外的だ。多くは卸業者の検査証などに頼っている。袋の偽装があれば、絶対に見抜けない。

(4)消費者の対策
 (a)同じ店で長い期間買う。
 (b)一つの産地のコメを買い続ける。  
 (c)スーパーの店頭で、安全性の確保についての取り組み方を訊ねる。納得いく説明が返ってこなかったら、コメの専門店などを回り、なじみの店を見つける。
 (d)楽天などのサイトで、商品や商店に係る購入者の評価を参考にする。
 (e)農家から直接購入する。インターネットで入手できる。農家を直接訪ねてもよい。

 以上、記事「産地偽装も取り沙汰される汚染問題に大揺れの産地」(「週刊ダイヤモンド」2011年9月10日号)に拠る。
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【震災】原発>食品>汚染米のチェック機能不全/消費者側の対策

2011年09月05日 | 震災・原発事故
 二重投稿につき、こちらに統一します。
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【震災】原発>原発廃棄物の棄て場所 ~日米に共通する構造~

2011年09月04日 | 震災・原発事故
 思えばメディアから反原発の論調が消えたのはいつのことだろうか。いつのまにか原発批判はタブーとなり、封印されてしまった。
 国策としての原発は、核の平和利用という美名に隠され、地震列島である日本に54基も建設されていた。通産省=経済産業省と東京電力をはじめとした電力会社が、米国GEや東芝、日立などの大企業と手を組み、過疎の村に「電力マネー」というアメをばらまいてきた。これは沖縄の米軍基地の構図に似ている。

 以上、岡留安則(元「噂の真相」編集長)「いつから原発批判はタブーになったのか」(「週刊朝日」2011年9月9日号)から一部引用した。

    *

 いかに嘘だデマだと吹聴しようが、事態は吉本が考えるよりはるかに深刻だったのだ。原発の立地条件についても、これまで多くの問題が指摘されてきた。『問題・人権事典』(解放・人権研究所編)によると、福井県内には美浜をはじめ数多くの原子力発電所があるが、「ほとんどの原発立地市町にが所在している」。そして、「零細な農業と不安定な仕事しか持たなかったの住民は、いきおい仕事や雇用を原発関係に大きく依存」しているのが実情なのだ。これは都市部への電力供給を引き受ける原発施設の立地条件と、被差別の置かれた風土的条件の複合からくる、「安全神話」の裏側にある歴史的現実である。原発はこうした日本の産業構造とエネルギー政策の偏向が臨界点に達した、禍々しいプロジェクトだったのである。
 この他、下層労働者の日常的被曝は、同事典で述べられている大都市の「寄せ場」から駆り集められた非正規労働者など、社会的に不安定な身分に集中、堀江の前掲書【注】には、すでに70年代から黒人をはじめとする大量の外国人労働者の存在も報告されている。

 【注】堀江邦夫『原発ジプシー』(現代書館、2011)

 以上、高澤秀次「吉本隆明と『文学者の原発責任』 -80年代から3・11以降へ-(「atプラス」、2011年9月号)から一部引用した。

    *

 80年代以降、高レベル放射性廃棄物の関連施設の建設候補地として、多くの自治体の名前が挙がった。諸施設の建設候補地に特定された場所の大半は、大都市圏から離れ、過疎地が進む辺境に位置している。地図上に落としてみると、先住民族が領土権を主張している歴史的な生活圏や、現在の居留地と重なっていることがわかる。
 環境人種差別は、米国社会に深く根を張っている。有害廃棄物施設の建設地や、土壌や大気の汚染地区が、貧困層の有色人種の居住地に集中している。
 自然災害や環境破壊によるリスクの配分は、平等ではない。<例>ハリケーン・カトリーナによってもっとも壊滅的な被害を受けたのは、ルイジアナ州ニュー・オーリンズ市第9地区を中心とした貧困層の黒人だ。被災地の瓦礫はアスベストを含む多くの有害物質を含んでいたが、これを処理した日雇い労働者の大半は、中南米系の不法移民だった。彼らは、適切な防護服やマスクも与えられず、宿泊施設もシャワーもない現場で危険な作業を続けた。災害廃棄物の処分場のひとつは、ベトナム系移民が多く住む地域に設置された。「色分けされた格差が埋め込まれた、空間の暴力である」

 科学技術は常に進歩しているのだから、放射性廃棄物処分もきっとなんとかなるだろう、という無責任な想定のもとに、原子力産業は拡大し、米国政府は支援を続けてきた。いまや104基の原子炉が、米国の総電力の20%を賄っている。
 82年に成立した核廃棄物政策法は、高レベル放射性廃棄物処分の最終的な責任の所在を連邦政府に定めた。ただし、この法律は最終処分場の建設候補地を具体的に特定していない。
 連邦政府は、最終処分場建設計画に加えて、監視付回収可能貯蔵(MRS)プログラムも立ち上げた。MRSは、地層処分がおこなわれる最終処分場が建設されるまでのあいだ、暫定的に使用済み燃料を地上に収納しておく施設だ。
 87年、核廃棄物政策法改正に伴って、ネバダ州ヤッカ・マウンテンが唯一の最終処分候補地として特定され、サイト特性調査が始まった。ヤッカ・マウンテンは、51年以降900回以上の核実験の現場になったネバダ実験場を見下ろしている。この場所の特定には、ネバダ州政府の連邦レベルにおける政治力の弱さに加え、既に汚染されているのだからよいではないか、という論理も働いていた。
 ヤッカ・マウンテンは、もともと先住民の領土だ。この地域には、ウェスタン・ショショーニをはじめとする狩猟採集民族が、季節に合わせて移動しながら暮らしていた。ところが、ネバダ実験場の建設にあたって、近辺に暮らす先住民たちは移住を強いられた。
 核実験は、風向きが大都市圏であるロサンゼルスやラスベガスの方角ではなく北東のユタ州の方向に吹いているときを選んでおこなわれた。風下に暮らしていたのは、先住民であり、宗教的なマイノリティであるモルモン教徒だった。
 住民たちの健康は蝕まれた。
 ネバダ州政府は、即座に反対の立場を鮮明にし、反対運動を激しく展開した。最終処分場建設の具体的な見とおしは、立たなくなった。
 一刻も早く放射性廃棄物の捨て場所を確保しなければ、操業の打ち切りの可能性も出てくるという危機感が電力会社のあいだに高まり、連邦政府は暫定的な中間貯蔵施設を建設する必要に迫られた。91年、連邦政府核廃棄物交渉局は、米国内におけるすべての州、郡、部族政府に、MRS計画への参加を呼びかける手紙を送った。この呼びかけに応え、MRS施設の受け入れ検討のため支給される助成金プログラムに申請した自治体16件。このうち14件が、先住民居留地だった。
 ところが、連邦議会は、94年度の予算編成の際、MRS計画の中止を決定した。
 困り果てた大手電力会社8件は、民間合弁企業、民間核燃料貯蔵会社(PFS)を創設した。97年、ユタ州トゥエラ郡スカル・バレー・ゴシュート族とPFSは、合同事業契約書を取り交わす。施設の建設予定地は、住宅地から3.5マイル、すなわち5.63キロしか離れていなかった。
 スカル・バレーに連邦政府が17年に設置した居留地は、複数の産業廃棄物処分場と焼却施設、低レベル放射性廃棄物処分場に加え、40年代以降半世紀以上にわたり米陸軍が生物科学兵器の生産、実験、焼却を行ってきた軍事基地に囲まれている。レオン・ベアー部族長をはじめとする部族政府の幹部は、いう。これだけ危険な施設に取り囲まれた居留地の経済開発をおこなうにあたり、他にどんな選択肢があるのか・・・・。ゴシュート族は、19世紀にモルモン教徒の開拓者たちがやってきて以来、スカル・バレー(骸骨の谷)と名付けられた荒野に追いやられ、20世紀を通じてリスクの高い施設が周囲に建設されても黙って耐えるしかなかった。高レベル放射性廃棄物施設の受け入れは、現在も過疎化と貧困にあえぐ先住民たちによる、まさに苦渋の選択だった。
 先住民は、ユタ州では「見えない存在」なのだ。ユタ州の文化地理において、ゴシュート族をはじめとする先住民は周縁に追いやられ、行政や一般市民から忘れ去られている。
 「わたしたちは、生き残るために、核廃棄物を受け入れるのです」【ベアー部族長】
 核の空間は、社会的弱者を踏みつけにしながら形成されていったのだ。
 
 以上、石山徳子「アメリカ合衆国と切り捨てられる弱者たち -高レベル放射性廃棄物の処分問題をめぐって-(「atプラス」、2011年9月号)に拠る。
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【震災】原発>内部被曝対策に不可欠な人的ネットワーク

2011年09月03日 | 震災・原発事故
 宮台真司は、インターネットのニュース解説番組で、かねて原発をめぐる権益ネットーワークやそれを支える社会構造について議論してきた。原発事故直後から、政府や東電の言うことを真に受けたらとんでもないことになる、と言ってきた。
 莫大な利益をあげる電力会社は、地域の放送局、新聞社、企業に出資する地域経済団体のボスで、大学にも研究資金を提供する。そんな日本で、学者やマスコミの情報に依存するのは自殺行為だ。現に、真に受けたらとんでもないことになった。

 問題になったのは、政府は内部被曝の評価に必要なデータを十分に公開していないことだ。政府の責任もあるが、「安心できるのかできないのか、はっきりしろ」と要求する市民にも責任がある。
 内部被曝の危険については、学会内の統一見解がない。政府ごときに、安心できるのかどうかを評価する能力はない。
 市民は、「能力もないのに政府が評価しようとするな、市民が評価するからデータを出せ」と要求すべきだ。

 むろん、専門家が一致しないデータ評価について、市民が評価するのは難しい。その時に大切になるのが、市民ネットワークだ。周囲に詳しい人を探してデータ評価の仕方を尋ねまわり、その人を囲んで話し合う。皆の一致がなくてもよい。勝手に思いこまず、付和雷同せず、ああでもないこうでもないと話し合い、自分で決める。
 宮台も、友人たちに相談しまくった。震災直後、友人たちの勧めにしたがってガイガーカウンター2台で線量を測った。1台は空間線量(ガンマ線)だけでなくアルファ線が測れる。友人たちは、都内各所で自発的に空間線量と植え込みや地面のベータ線を測った。こうした計測をもとに、すぐに当時4歳と1歳の娘たちを知人の子と一緒に疎開させた。

 内部被曝研究が手薄な理由・・・・
 (a)政治的な文脈だ。原爆が投下された広島と長崎では、内部被曝調査が行われたが、米政府が公表を禁じたため、我々はいまだに原爆投下後の内部被曝の知恵を活用できない。
 (b)統計学的な理由だ。限られた範囲のホットスポットで少数の癌患者が倍増しても、母集団(人類全体)についての放射線の危険を推定するにはサンプル数が足りない。統計的に有意な結果が得にくい。国際放射線防護委員会(ICRP)は、そうした問題に注意を喚起していない。
 しかし、最悪事態を最小化するという危機管理の基本に従い、内部被曝に最大限の注意を喚起すべきだ。これは社会的な倫理の問題だ。 

 そこで必要なこと・・・・
 (a)「科学の民主化」だ。科学的データ評価を市民がどう受け止めるべきかについて、科学者と市民とつなぐミドルマン役が必要だ。60年前に社会心理学者ラザースフェルドが提唱したことだ。
 (b)「民主の科学化」も必要だ。話し合うだけでは民主主義ではない。「空気に縛られる社会」から「知識を尊重する社会」への脱皮が必要だ。子どもの疎開も、知識に基づくことが大切だ。

 転居について家族の意見が割れるのは当然だ。内部被曝の感受性は子どもが圧倒的に高いが、再就職や近隣社会への適応を含めて、大人や高齢者には転居は困難だ。
 こういう場合のガイドラインを政府でなく市民が考えるべきだ。
 今回残念なことに、多くの親は自分の子どもだけを疎開させた。そこに日本社会の劣化を見る。
 避難先を持っているなら、隣近所や親族の子も一緒に連れていくべきだ。子どもも疎開先で寂しくなくなるし、経済的格差も緩和できる。  

 以上、宮台真司【注】((首都大学東京教授/社会学)「安全だとも危険だとも言えない状況で不可欠な人的ネットワーク」(「週刊朝日」2011年9月9日号)に拠る。

 【注】「【震災】原発立地を住民が決める根拠 ~エネルギーの共同体自治~
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【読書余滴】鶴見俊輔の書評術

2011年09月03日 | 批評・思想


 期待の次元と回想の次元を区別し、回想だけで終わらせるのが科学主義だとすれば、そうではない期待の次元における思想というものをなるべく大切にしたい。書評でいえば、期待の次元で読んだものを読者に提出したい。この本はいまの日本にとって新しいものを出している、という思いを書きとめておきたいし、人にも知ってほしい。
 新しい風景を見せるのが、私(鶴見俊輔)の書評の戦略だ。

 まずいところを鋭く抉ることを通して、新しい世界を垣間見せる書評芸は、私(鶴見)にはない。
 非常に大きな影響力をもつ困った思想の場合には、取り上げてけなしたい。が、そういうのは余り出てこない。ヒトラー『わが闘争』のような本が出てくれば、はっきりそれに対決する書評が必要だ。しかし、そんな本は、余り出てこない。
 そういう困った思想は、政治家あるいは官僚の起こす事件として出てくる。それに対する批判は、書評欄の役割ではない。

 3、4年前まで遡る自由を許してくれれば、もっと書評できる。問題は時間だ。本が出てから1、2週間のあいだに書評を書かなければならない。読んでみて重大な見落としは、10年、20年の幅をもって現れる。その期間に重大な見落としがあったといえるような、そんな自由を与えてくれる書評欄がほしい。
 <例>綱島梁川『東洋思想史の研究』。貝塚茂樹が「これ意外にいい本だよ」というので読んでみると面白い。綱島は、明治末の神秘家で、結核を患っていた。その人が貝塚が感心するほどの中国思想史を書いた。何十年にもわたり見落とした本を自由自在に出せるような、時間の幅が書評欄にできないといけない。

 New york Review of Books や London Times Litterary Supplement の長文の本格的な書評文化が日本ではついに育たなかった原因は、時間だ。百年の幅をもって書評してもいい、という欄ができればいい。それも、旧著発掘だけではなくて、新解釈を混ぜたようなかたちで。

 いまの短い書評でも「この本おもしろいよ」と責任をもっていえるが、その程度のことだ。「暮らしの手帖」ふうな「テストして読んだ、これはおもしろい」という署名入りの広告だ。
 原稿をもっと短くしていけば、またおもしろいかもしれない。江戸時代によくあった欄外注。テキストをまわして、仲間が「ここはおもしろ」「ここはどうかな」と余白に注をつける。アメリカで公刊前にまわしている一種のミミオグラフ・コピーのようなものだ。藤田茂吉『文明東漸史』(1884年刊)には欄外注が入っている。渡辺崋山と高野長英の果たした役割を明治に入ってから広く知らせようと書かれた本だ。そして、初版本にだれかが手を入れた欄外注を次の版で生かしている。その高野長英伝の異本と思われる写本が慶応大学の図書館にあった。江戸時代の読者は少ないから、本が読み手のあいだをまわるうちにだんだん欄外注がつけられてきたのだ。
 中江兆民は、「ここのところ、得意の説なり」なんて自分の本に自分で欄外注をつけている。友だちにもつけてもらう。自然科学の世界では批判がくり返し出てくるから、欄外注みたいなものはあることはあるだろうが、人文科学、社会科学、思想史の世界ではなかなかない。

 旧著と新著をとり混ぜることでいえば、古在由重『現代哲学』(1937年)を戦後マルクス主義が解禁になったとき取り上げて、「これがいちばんいい、いまたくさん出ている西洋哲学の本はこの本にはるかに及ばない」とパッといえたらいい。私(鶴見)は、『現代哲学』の改版が出たときの文庫本の解説でそのことを書いた。古在が亡くなったときにも、追悼文でそのことを書いた。「言論の自由があることは、マルクス主義哲学にとってなんのプラスにもならなかった」と。しかし、書評欄ではなかった。こういういい本をそういうかたちで紹介するメディアがない。

 書評文化がいまのようなかたちでしか成立していない、ということは、日本の知的世界がそれだけ成熟していない、ということだ。英国では成熟している。それは原稿料の多寡によるものではない。
 ジョージ・オーウェルはかなり貧しい暮らしをしていたが、彼は手紙の中で「書評を書くのが好きなんだ」と言っている。「だけど小説にくらべておどろくほど原稿料が少ないので、仕方ないから小説を書いている」。彼の全著作を読んでみると、小説と書評のどちらがいいか、かなり疑問がある。書評の方に、ボーイズ・ウィークリーとかドナルド・マッギルの漫画とか、英国の草花を論じたものとか、イヴリン・ウォーを論じたものとか、ヘンリー・ミラー論「鯨の腹の中で」など、不朽の秀作がある。オーウェルの小説はそんなにいいものではない。

 私(鶴見)は、本を読みながら青線・赤線を引く。それが編集だという考え方もできる。そうすることで、もう一つの本をつくっている。スキー場で上から下を見下ろすと、凹凸が見える。その凹凸をどうやって走り抜けるかを考えるように、本を読むこともその凹凸を走り抜けることなのだ。あらゆる言葉が均等に並んでいたら、本なんて読めるわけない。ある概念を自分の関心で刺し貫けば、自分にとってのスキーのコースが自分の中でできるわけだ。そういうことが読書だと思う。自分の関心で対峙すれば、同じテキストに対して別の解釈が成り立つ。テキストのどの箇所をこう解釈したと明示すれば、ゆがめたということにならない。たとえ歪めたとしても、歪めた証拠は残る。

 以上、鶴見俊輔『期待と回想』(晶文社、1997)に拠る。
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【震災】原発>失敗の構造 ~歴史はくり返す~

2011年09月02日 | 震災・原発事故
 「津波は想定外だった」という言い訳を聞くにつけ、日本人は戦時中から何ら変わっていないと痛感します。大地震や大津波は史実から十分予測できるのに、起きて困ることは「起きないのではないか」と考える癖があるのです。そのうち「起きないに違いない」となり「絶対に起きない」という確信に変わる。終戦直前のソ連軍の満州侵攻がそう。国境線にソ連軍が集結しているのを知りながら「今、来られたら困る」と考え、「中立条約があるから出てこない」「絶対出てこない」に変化を遂げた精神構造から進歩していません。【注】

 【注】「日本人の思考様式には、どうも昔からきびしい事実認識と希望的観測を混同する悪い癖がある。とくに“苦しいときの神頼み”という言葉があるように、危機が予測されるよきに努めて楽観視しようとする、危ない傾向があるようだ」(佐々淳行『新・危機管理のノウハウ -平成ボケに挑むリーダーの条件-』、文藝春秋、1991)

 以上、半藤一利「『ソ連対日参戦は絶対ない』 日本人は戦争中から進歩なし」(「サンデー毎日」2011年9月11日号)から一部引用した。

   *

 通称「海軍甲事件」は、山本五十六・連合艦隊司令官の戦死(43年)だ。
 その1年後に起きた通称「海軍乙事件」は次のとおりだ。
 43年11月にはギルバート諸島のタラワ、マキンの、44年2月にはマーシャル群島クェゼリンの守備隊が全滅した。こうした状況下、古賀峯一・連合艦隊司令官は拠点のトラック島からの撤退に踏み切り、一部はパラオに移った。しかし、そこも米軍の激しい空襲を受けた。
 司令部を移すことになり、3月31日22時頃、古賀と福留繁(開戦時は軍令部の作戦部長)は2機の二式大艇に分乗し、パラオからフィリピンのダバオにに飛んだ。1号機には古賀、柳沢蔵之助以下8人の参謀、搭乗員10人余、2号機には福留、山本祐二・作戦参謀以下10人近く、搭乗員10人余が乗った。
 しかし、両機とも台風に巻きこまれ、1号機は行方不明になった。2号機はセブ島近くに不時着し、海上を浮遊していたが、現地民に救助された。ただし、これはゲリラだった。ゲリラだと気付いた福留は、山本らと共に書類ケースを海中に投じた。しかし、ゲリラはすかさず書類ケースを拾いあげ、やがて米軍の手に渡った。
 「海軍乙事件」とは、(a)古賀長官の行方不明、(b)機密文書の漏出、という2つの不祥事の暗号名だった。
 書類ケースには、今後の連合艦隊の作戦を詳細に記したZ作戦計画書と暗号書関係の機密文書が入っていた。終戦時に連合艦隊参謀だった千早正隆は、戦後、GHQ情報部戦史室でZ作戦計画書を発見し、驚愕する。
 Z作戦計画書は解読され、チェスター・ニミッツ司令長官に届けられた。これをニミッツは、マリアナ沖海戦に参加するすべての艦隊の参謀たちに送った。日本軍の手の内を知る米軍は、作戦を有利に進めることができた。

 福留と山本は、ゲリラから救出されると直ちに内地に呼び返された。
 福留は、「機密図書は漁民の手に渡ったが、彼らは関心を持たなかった」と救出直後から述べ、4月17日、海軍大臣官邸における糾明委員会の事情聴取でもこれを繰り返した。沢本頼雄・海軍次官(中将)以下6人の委員は、なぜか深くは追求しなかった。事件は不問に付された。ゲリラに書類ケースが渡ったところで、それが日本海軍の最高機密だとはわかるまい、という楽観的な見とおしを持つことで互いに慰めあったのだ。
 重要書類の喪失という不祥事は、不可抗力だった、とも言える。しかし、海軍首脳が揃って隠蔽に回って、それ以後一切口を拭ったのは、国家への背信行為であり犯罪だった。機密の漏出を隠蔽した日本海軍は、作戦を変更しなかった。作戦はことごとく細部まで米軍に読まれていた。マリアナ沖海戦でもレイテ沖海戦でも、日本海軍は壊滅的な打撃をこうむった。そして、特攻作戦に突入する。
 福留の大失態を隠蔽した海軍首脳部は、戦争の帰趨に大きな影響を与えたのだ。

 「戦後にあってなお、この『海軍乙事件』は不明朗なままである。ここにひそんでいる軍官僚の責任は問われたことはない。/福留はその後、第二航空艦隊司令長官に転じ、戦争指導にあたっている。戦時下、戦後もこの件には口を閉ざしたままだった。事件への対応の鈍さ、事実を隠そうとする姑息さ、仲間うちでのかばいあい、現在の原発事故での“原子力村”の学者や官僚は今なおこの構図のままである」

 以上、保阪正康「海軍乙事件 -もし関係者を処罰していれば ~第14部 昭和史の「もし」(32)/昭和史の大河を往く 第273回~」(「サンデー毎日」2011年9月11日号)に拠る。
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【震災】原発>外国からの損害賠償請求 ~東電救済で国は破綻~

2011年09月02日 | 震災・原発事故
  野田新政権には取り組むべき政策課題が山積みしているが、日本全体のリスクを低減する観点から早急に取り組むべき課題がある。それは東電の破綻処理だ。
 東電をどうするかについては、原子力損害賠償支援機構法の成立によって決着している。事実上、政府が東電を救済することになった。このスキームには、市場のルールの観点から問題が多いが、それに加え、別の観点からも大きな問題を生じさせかねない。それは、外国からの損害賠償請求への対応だ。

 放射能汚染の被害は、日本国内にとどまらず、外国にも及んでいる。今後、外国からも損害賠償請求を起こされる可能性が大きい。特に日本の近隣には中国やロシアなど色々な意味で難しい国がある。東電が8月30日に発表した「原発事故に伴う損害賠償の算定基準」を遥かに超える規模の損害賠償が外国から請求される可能性がある。
 ある国は、もう損害賠償の請求のための情報収集と準備を始めている。
 損害賠償請求を考えている外国にとって、機構法による東電救済スキームは“非常に美味しい”。東電は潰れないし、国も責任を認めている。かつ、国が東電に無制限に予算を投入する仕組みになっている。いくらでも損害賠償を請求できる。
 数百兆もの損害賠償が外国から本当に請求されたら、東電は当然払い切れないので、ツケはすべて国に回ってくる。1,000兆円近い日本政府の債務に数百兆円が上乗せされたらどうなるか。東電より先に国が破産してしまう。戦後賠償よりも重い負担を日本全体として背負わされかねない。
 では、外国からの損害賠償請求にはどのように対応すべきか。
 もし原発賠償条約に加盟していれば、日本の裁判所で訴訟を起こさなければならない。その場合、外国で訴訟を起こすこと自体大変だし、裁判所も外国人より自国企業を守る方に重きを置くはずなので、損害賠償を起こされても、それがあまりに巨額になることは防げるはずだ。しかし、仮にこれからこの条約に加盟したとしても、過去の事故にまで条約の効力が遡及するとは考えられない。

 条約に未加盟のまま、海外からの巨額の損害賠償に国としてどう対処するか。その手は2つしかない。
 (a)東電にも国にも原発事故の責任はない、とする。そうすれば、外国が損害賠償を請求できる相手がなくなる。そのためには、今回の原発事故が原子力賠償法上の“天災地変”に該当するとしなければならない。東電の事故責任、賠償責任という政府の見解を変えなければならない。かつ、東電の責任が前提の機構法も廃止しなければならない。
 しかし、福島県民の心情を慮れば、政府が判断を翻すのは現実には困難だ。
 (b)もう一つの方法が現実的だ。それは、東電を無理に延命させず、事実上債務超過なのだから淡々と破綻処理を進めることだ。賠償責任を負う東電がなくなり、機構法から国の責任を謳った部分を削除すれば、テクニカルには外国が損害賠償を請求する相手がいなくなる。
 この場合、福島の被災者には、“事故の損害賠償”ではなく“被災者への支援”として政府が肩代わりすればよい。国内の被災者相手に“損害賠償”という言葉を使い続けると、外国からの損害賠償にも応じざるを得なくなるので、被災者への給付の性質を変えるのだ。

 現在の東電救済スキームの下で外国が数百兆円もの損害賠償を請求してきたら、日本はおしまいだ。
 また、中国やロシアの政府が、領土交渉や漁業権の交渉などにこの損害賠償を絡め、尖閣諸島や北方領土(の領有権主張の放棄)を代償として求めることもあり得る。
 野田政権は、菅政権が国内のことだけを考えて作った東電救済スキームを早急に修正し、日本の国益が確実に守られるようにすべきだ。そうしないと、本当に“東電栄えて国滅びる”となりかねない。
   
 以上、岸博幸「野田政権は東電破綻処理を急げ――このままでは日本は中国やロシアからの巨額賠償請求の餌食になる ~岸博幸のクリエイティブ国富論 第153回~」(2011年9月2日 DIAMOND online)に拠る。
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【震災】原発事故にみる戦後デモクラシーの欠落 ~for the peopleの二重性~

2011年09月01日 | 震災・原発事故
(1)民主主義は今回の原発危機をどう克服するか
 デモクラシーとは何か。リンカーンのゲティスバーグの演説に“government of the people, by the people, for the people”とあるが、ここで特に問題となるのは、「by the people」と「for the people」だ。この2つは、ときに分裂する。
 しばしば次のような議論がある。「何が人民自身のためになるかは人民自身が知らない」「だから英明なる官僚が人々に代わって、人々を統治しなければならない」
 この場合の「for the people」は二重の意味で用いられている。人民の「ために」・・・・は、ときに人民に「代わって」という意味を招くのだ。すると、「人々のために、人々に代わって統治する」という話に転移してしまう。この傾向は、特に戦後民主主義のなかで顕著だった。パターナリズムを基調とする自由民主党を中心として民主化を進めていったからだ。
 こうなると、「by the people」という契機は後ろに引っ込んでしまう。「お前たちにとって何が利益になるかは、俺たちのほうが分かっているから任せておけ」・・・・こうした地盤のうえに、明治以来の日本で連綿と続いてきた官僚支配が乗っかっている。「by」抜きの「for」という原理で、日本の戦後民主主義が動いてきた。
 しかし、バブルがはじけてグローバル化が進みはじめた頃から、明治以来の官僚制もさまざまな失敗や腐敗を露呈するようになった。偏差値の高い官僚が人民に代わって国益や地域の利益を追求する仕組みが徐々に破綻してきた。
 <例>(a)94年に新潟県巻町(現・新潟市西浦区)で東北電力の原発を誘致するか否かで、住民投票によって原発誘致は否決された。(b)00年には徳島県の吉野川で河口近くのダム造りを徳島住民投票で押し返した。こうした住民投票によって、ようやく「by the people」と「for the people」の亀裂が明らかになってきた。
 しかし、この時期にせっかく盛り上がった参加型民主主義、自己決定という機運は、21世紀に入ると「小さな政府」「自己責任」というネオリベラリズムの議論に回収されてしまった。ネオリベラリズムの原理のもと、パターナリズムを否定しながら、中央政府による再配分をどんどん縮小していった。「官僚にはもはや地域や市民の世話をする知恵も金もないから、後はお前たちが自分でやれ、自己責任だ」という形で構造改革が押し進められた。
 市民が政治に参加しながら、自分たちの地域の公共性を議論していく、という機運は停滞・縮小していった。
 昨今よく見られるのは、「by the people」のモメントを極めて単純化し、「市民税を下げろ」「議会はけしからん」といかいう形で、仮想敵を叩いて一時の溜飲を下す、というくだらないポピュリズムだ。それは「by the people」のモメントを変な方向にねじ曲げていった結果出てきた。
 戦後デモクラシーの受動的「for the people」の帰結として、原発政策がある。原発を誘致したら地元に雨霰のようにお金が降ってくる、という構図だ。パターナリズムによって受動的民主化を押し進めれば進めるほど、政治家や官僚の懐に金が転がりこんでくる、という歪な構図が連綿と続いた。原発事故で、「by the people」と「for the people」の間にある亀裂が、ようやく人々に意識されてきたのではないか。

(2)政治家・官僚の隠蔽体質とメディアの癒着
 福島第一原発事故が明らかにしたのは、日本の政治家・官僚の隠蔽体質とメディアの癒着だ。
 事故後の報道を見ていると、まさに「新たな大本営」ができた、という感じだ。政/官/業の鉄の三角形があり、一部の政治家・族議員、そのカウンターパートとしての官僚、その傘下にある業界・企業。これが癒着してさまざまな既得権を守ってきた、という議論は、これまで人々に知られてきたが、今回はそれに加えて学者やメディアなどが五角形、六角形の既得権の温存の構造をつくってきた、ということがわかった。
 <例>(a)学問が悪しき意味での「for the people」に加担してきた。「人民のために、人民に代わってより良い政策を考案してあげる」というテクノクラシーが、学問に付随している。今回の原発の件では、特にその傾向が顕著だ。学問が役人と官僚と一緒になって、どんどん真理をねじ曲げてしまっている。(b)メディアについても、そういう傾向がある。
 最近になって、ようやくメディア自身もそれを書くようになった。これは大変大きな変化だ。「大本営」の疑わしさも、だんだんと炙りだされてきた。
 メルトダウンがいつ起こったか、という基本的な事実さえ、2ヵ月以上経ってようやく出てきた。政府は事故対策の立案に必要な現状把握さえできていなかった。こうしたお粗末な状況の中で既存の権力が動いてきた。このことが国民の前に明るみに出されつつある。ここにきて、ようやく官僚や専門家などのテクノクラート共同体が「for the people」を盾にする能力・資格をもっていないことが認識されはじめた。それが変化を余儀なくされている。これが第一歩の大きな変化だ。
 頭のいい自称「専門家」が専門知を持っていない以上、専門家は市民に向かって「お前たちは素人だ」という資格はなくなった。政策形成は市民に対して開放された。
 「このままでは後世の子孫に向けて顔向けできない」という感情を、いま多くの人々が持ちはじめているのではないか。そういう意味で福島第一原発事故は、日本の戦後のデモクラシーの欠落を雄弁に物語った。

(3)政治的現実にどう取り組むか
 民主党政権のときにこの大災害が起こり、原発事故が起こったのは、タイミングとしてはまだマシだった。長年利権の共同体の維持管理をしていた人たちがそのまま政権に居座っていたら、もっともとんでもないことになっていた。
 今回民主党がいろいろと不手際をやって、情報が二転三転するということは、国民が真相に近づくという意味ではある程度の効果があった。情報を隠蔽し続けて嘘をつき通されるよりまだマシだ。怪我の功名だが、民主党政権は、自民党のように官僚機構や企業をグリップすることができていなかった。それ故に不手際が露呈し、またそのことによって国民が真相に近づくことが可能になった。民主党という政権のもとでこの事故が起こったことの意味は、そこにある。

(4)その他
 (a)浜岡原発を止める決断を下した後の各界からの反発、圧力はすさまじいものだった、と菅首相は述懐した。具体的には語っていないが、それを窺わせる状況証拠はある。福島第一原発の原子炉が破損した後、菅首相の指示で海水注入を止めた、という話があった。これを安倍晋三元首相が聞きつけてブログで騒ぎだし、谷垣禎一自民党総裁まで飛びついて国会で菅首相の責任を追及した。しかし、実際は海水注入は止まっていなかったので、これがまさにガセネタだ。東電側からこのガセネタが自民党に流され、首相の攻撃に使われた。しかも、ガセネタであることが分かってからも、これを利用して首相を誹謗した側は何ら責任を問われていない。この国の権力の在処を窺わせるエピソードだ。
 議会でやれることはやらなければならないが、政治家に任せていては結局既存の体制に丸めこまれる。エネルギーの分散化や自然エネルギーへの転換などは、普通の市民が考えて動くことによって、はじめて実現に向かうことができる性質のものだ。
 菅首相は、「これは国会を出た社会運動だ」と言った。辞めることが決まっている首相の口から出る言葉として最善の発言だ。

 (b)原発をなくすか否かというテーマについては、政党を単位に議論することはできない。石原伸晃自民党幹事長がイタリアの脱原発国民投票についてヒステリーと評し、民主党の前原誠司前外相が脱原発はポピュリズムだと言った。この二人は原発問題では馬が合うらしい。
 原発の是非を問う国民投票に賛成する。国民投票で法律を変えることはできない。しかし、この運動によって市民が自ら考え、政治家に態度表明を迫ることができる。賛否の分かれる問題について、政党が意思決定を逃げないよう追いこんでいくことも、市民の役割だ。

 以上、シンポジウム「震災・原発と新たな社会運動」の基調講演2、山口二郎「戦後デモクラシーの欠落 --for the peopleの二重性をめぐって」(「atプラス」、2011年9月号)に拠る。
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