語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【フェルメール】赤い帽子の娘 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~

2018年08月25日 | □旅
 路上観察学を開拓した赤瀬川源平が、フェルメールの全作品36点の観察を集約したのが本書。たとえば、《赤い帽子の娘》についてこう書く。
 ちなみに、この作品は2018年のフェルメール展(8作品)の一つ。日本初公開。
---(引用開始)---
 何とも大胆な赤い横長の帽子。そして濡れた小さな赤い唇。その二つを結ぶ横長の逆三角形が、薄暗い画面の中でゆっくり右に傾いている。何ごともない穏やかな絵なのに、画家の描く冷徹な空気にひやりとする。
 *
 絵の全体を見ているときは、対象の描写があまりにも自然なのでわからない。でも近づいて見ると、すべてを細かく描き挙げているわけではなく、要点のハイライトだけを、じつに大胆な筆づかいで、あまりにあっさりと描いているのがわかる。フェルメールの透明感の秘密の第1点。
 *
■どきりとする自然さ
 自分にとって不可解であったフェルメールの絵の第一号。
 この絵の自然さにどきりとして、この自然の感触は何かと考えてしまった。
 どきりとするほどの自然さの、その原因の筆頭は光の状態である。頬から下に光が当たり、両眼と、それから顔面のほとんどの面積がうっすらとした陰の中にある。肖像ともなればもっと正面から光を当てるものだが、それをむしろ外している。そしてその人物が、いわゆる理想の美人ではないふつうの感じで、ふと口を半開きにしたままこちらを振り返っている。その唇や瞳が密かに光り、そんなさまざまな自然さが、狂いのない緻密さをもっって描かれている。
 と思うのに、よく見ると衣服の白い襟元や皺のところなど、筆のタッチが大きくて粗い。とりわけそう見えるのは被っている赤い帽子。あまりにも大雑把に赤く塗られているようで、昔の絵葉書などの人工着色みたいな感触である。いったいこれは何だろう。
 *
 まるでUFOのような存在の赤い帽子。ふんわりとした羽毛なのだろうが、古典的な絵の中でこれほどあっさりと色を塗られていると、こちらも落ち着いていられない。この巨大な落差の中に、フェルメールの永遠の新鮮さがセットされている。
---(引用終了)---

【資料】
 (1)フェルメール展・東京会場
  期間:2018年10月5日(金)~2019年2月3日(日)
  会場:上野の森美術館

 (2)展示作品
  1)牛乳を注ぐ女 1660年頃/アムステルダム国立美術館
  2)マルタとマリアの家のキリスト 1654-1656年頃/スコットランド・ナショナル・ギャラリー
  3)手紙を書く婦人と召使い 1670-1671年頃/アイルランド・ナショナル・ギャラリー
  4)ワイングラス 1661-1662年頃/ベルリン国立美術館【日本初公開】 
  5)手紙を書く女 1665年頃/ワシントン・ナショナル・ギャラリー
  6)赤い帽子の娘 1665-1666年頃/ワシントン・ナショナル・ギャラリー【日本初公開】※12/20まで
  7)リュートを調弦する女 1662-1663年頃/メトロポリタン美術館
  8)真珠の首飾りの女 1662-1665年頃/ベルリン国立美術館

□赤瀬川源平『[新装版]赤瀬川源平が読み解く全作品 フェルメールの眼』(講談社、2012)の「1 赤い帽子の娘」を引用

 【参考】
【フェルメール】の秘密情報 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~
【フェルメール】《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~
【フェルメール】《兵士と笑う娘》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~
【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~
【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~

 
 《赤い帽子の娘》(1665-1666年頃)/ワシントン・ナショナル・ギャラリー
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【佐藤優】心の清い人

2018年08月24日 | ●佐藤優
 <心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。 --「マタイによる福音書」5章8節

 旧約聖書の「詩編」にこんな記述がある。
 〈主の山に登るべき者は誰か。
 その聖所に立つべき者はだれか。
 手が清く、心のいさぎよい者、
 その魂がむなしい事に望みをかけない者、
 偽って誓わない者こそ、その人である。
 このような人は主から祝福をうけ、
 その救の神から義をうける。〉(「詩編」24篇3~5節)
 イエスは、「心の清い人」について、この詩編を思い浮かべながら語っている。ここで言う「心」とは、人間の内面にとどまらず、その人物の全体を意味する。神のみを求め、金や名誉などの現世的な価値観に惑わされない人が、「心の清い人」なのである。神を見ることができるのは、神のみを追求している人なのである。>

□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「心の清い人」を引用

 【参考】
【佐藤優】あわれみ深い人
【佐藤優】正しさを望む人
【佐藤優】柔和な人
【佐藤優】悲しんでいる人
【佐藤優】心の貧しい人
【佐藤優】地の塩となれ
【佐藤優】狭い門を選べ
【佐藤優】求めれば与えられる
【佐藤優】明日を思い悩むな
【佐藤優】思い悩むな
【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~


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【フェルメール】の秘密情報 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~

2018年08月23日 | □旅
 路上観察学を開拓した赤瀬川源平が、フェルメールの全作品36点の観察を集約したのが本書。彼は「はじめに--フェルメールの秘密情報」でこう書く。

---(引用開始)---
 フェルメールはカメラが出来る前の“写真家”である。
 と考えたほうがいいのかもしれない。そう思うほど、フェルメールの絵は光学的で、神秘的である。
 光学的、つまり科学的であることがどうして神秘的なのか。その辺りは、実際にフェルメールの絵を見ながらこのあと考えていこう。
 でもぼくがフェルメールに引かれたのは、そういう妙な感触からである。二律背反というか、暖かいのに冷静、穏やかなのに研ぎすまされている、そういう感触が妙に目に引っ掛かって離れなかった。
 はじめはとにかくその描写の技術に目を見張った。本物そっくり。
 フェルメールに限らず昔の絵はみんなそうで、どの画家も本物そっくりのリアリズムを目指している。19世紀にカメラが世に出てくるまでは。
 フェルメールは17世紀のオランダの画家である。世の中の絵のリアリズムは16世紀のルネッサンスで遠近法を手に入れて、一段と本物そっくりに近づいていた。だからフェルメールの絵も本物そっくりなのだけれど、ちょっと違う。よく見ると、ところどころ筆のタッチがずいぶん粗い。
 人物の顔とか衣服とかの中心的な部分は筆のタッチをなくして滑らかに描かれているようだけど、でもところどころ粗い筆の跡がちゃんとわかる。
 たとえば床が白と黒の市松模様の石張りになっている絵が多いが、その白い石のまだら模様など、ほとんど一筆描きで筆跡も生々しいのだ。
 その大胆さに驚かされた。そのことに気がつくと、フェルメールの描写力の、他の画家とは違う透明感が、何か少しわかったような気になってくる。
 筆づかいは要所要所かなり粗いのに、描かれた絵の本物そっくり感はぞくっとするほどだ。でも何にぞくっとするのだろうか。
 一つは視覚のレンズ効果が描かれていることだと思う。レンズにはピント位置がある。ピントの合ったところはありありと見え、合ってないところはぼやけて、そのぼやけた中の尖った光の点は丸い粒状になる。そういう働きのレンズが人間の目にも、水晶体となってはめ込まれていて、それでぼくらは物を見ている。でも、自分の目は自分だけしか見ていないので、人間は自分の目のレンズ効果には気がつかない。目の構造を客体化したカメラが出来て、はじめてそのことに気がついた。でもカメラ以前に、フェルメールはその絵の中にレンズ効果を描き込んだのである。カメラと似た仕組みのレンズ付きのぞき装置(カメラオブスキュラ)の体験があるのだろうといわれている。
 そういう目の物理効果ともう一つ、心理的な人間効果。
 フェルメールの人物画は、ほとんどが生活の一場面を切り取ったものだが、その切り取り方が鮮明なのだ。
 ふつうならもう少し、そのポーズなり表情なりを“絵らしく”安定して落ち着いたところを描くものである。でもフェルメールの絵は違う。人々の生活の生の瞬間をすぱっと正確に切っている。その時間の切り取り方のところでも非常に写真的で、大胆である。画面に描かれた人物の、とくに複数の場合のお互いの心理関係などが、それぞれの動作や表情の上で、見事にその瞬間に凍結されている。
 物の描写の、レンズ的物理効果はカメラオブスキュラで獲得できたかもしれない。でもカメラそのものはまだ世の中にない。ましていまのようなハンディなカメラでの現実のスナップというのは、とても望めない時代である。でもそれをフェルメールは、自分の絵の描写力でおこなっている。その点を考えてもフェルメールは真からの、カメラ以前の写真家だったのだと思う。
---(引用終了)---

□赤瀬川源平『[新装版]赤瀬川源平が読み解く全作品 フェルメールの眼』(講談社、2012)の「はじめに--フェルメールの秘密情報」を引用

 【参考】
【フェルメール】《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~
【フェルメール】《兵士と笑う娘》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~
【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~
【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~

 
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【佐藤優】あわれみ深い人

2018年08月23日 | ●佐藤優
 <あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。 --「マタイによる福音書」5章7節

 「あわれみ深い」という言葉は、神やイエス・キリストに対して用いられることが多い。神や、そのひとり子であるイエスのように、慈しみの心を持って他者に接する人を指しているのであろう。慈しみの心を持つ人は、他者の痛みを自分の痛みのように感じることができる。イエスは、弟子たちに、共感力の強い人間になれと訴えている。
 人間の気持ちは相互的だ。私がある人を嫌っているとしよう。その人は私から嫌われていることを何となく察知する。当然、その人は私に好感を抱くことはないであろう。逆に私がある人に共感を抱くならば、その人も私に共感を抱く可能性が高い。
 キリスト教の特徴は、聖書を読むことを通じて他者の気持ちになって考えることができる人間になることである。人間は一人で生きていくことはできない。あるときは他者を助け、別のときには他者に助けられる。あわれみ深い人はこのような相互扶助の関係を構築することができる。>

□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「あわれみ深い人」を引用

 【参考】
【佐藤優】正しさを望む人
【佐藤優】柔和な人
【佐藤優】悲しんでいる人
【佐藤優】心の貧しい人
【佐藤優】地の塩となれ
【佐藤優】狭い門を選べ
【佐藤優】求めれば与えられる
【佐藤優】明日を思い悩むな
【佐藤優】思い悩むな
【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~


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【フェルメール】《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~

2018年08月23日 | □旅
 路上観察学を開拓した赤瀬川源平が、フェルメールの全作品36点の観察を集約したのが本書。たとえば、《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》についてこう書く。
 ちなみに、この作品は2018年のフェルメール展(8作品)の一つ。日本初公開。
---(引用開始)---
 男が女にワインを勧めている。他に誰もいない静かな室内で、ワインだけが精気をもつ小さな液体として際立っている。フェルメールの意図が伝わってくるし、絵の中の男の意図もよく伝わってくる。
 *
 上唇と鼻と目が、大きなワイングラスの中にすっぽりと収まっている。とくにその目が、ワイングラスの光った部分の向こう側に隠れてわからず、何かしら暗示的であり、こちらの目もモーローとしてくるみたいだ。
 *
■視線から読める“文学”
 この絵の場合、二つの視線が結ばれるのではなく、視線が折れ曲がって進む。
 まず黒い帽子の男。陶製のワインの瓶に手をかけて、じっと女を見ている。見られている方の女は、勧められたワインを飲みながら、その自分の視線は横倒しにしたワイングラスの中で渦を巻いている。
 そうやって画面から手の皮膚までぽっと赤くなってきている女をじっと見ている男。何だか九分通り手中にした獲物を見つめるような視線。そういう“文学”まで緻密に描いているフェルメールは、やはり物理的だけでなく人間的にも“写真画家”である。
---(引用終了)---

□赤瀬川源平『[新装版]赤瀬川源平が読み解く全作品 フェルメールの眼』(講談社、2012)の「5 ぶどう酒のグラス」を引用

 【参考】
【フェルメール】《兵士と笑う娘》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~
【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~
【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~

 
 《ぶどう酒のグラス(紳士とワインを飲む女)》(1658- 60年頃)/ベルリン国立博物館

 
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【佐藤優】正しさを望む人

2018年08月22日 | ●佐藤優
 <義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。 --「マタイによる福音書」5章6節

 義とは、正しいことと言い換えてもいい。「義に飢えかわいている人たち」とは、イエス・キリストによって正しいことがこの世界に実現することを望んでいる人々という意味だ。こういう人たちの希望は、必ず満たされると説く。しかし、現実の世界には、悪が蔓延している。キリスト教徒は、イエスの生き方に倣って、愛を行動として実践しなくてはならない。
 もっとも、いくらキリスト教徒が努力しても、理想的な世の中を人間の力で構築することはできない。キリスト教は、徹底した他力本願の宗教なので、人間による努力に一切価値を認めない。従って、「義に飢えかわいている人たち」の願いが満たされるのは、イエス・キリストが再臨して、最後の審判が行われるときなのである。しかしそのときまで、自分は選ばれているのだから確実に救われると信じ、究極的な救済は外部から到来することを信じ、「急ぎつつ待つ」姿勢を取ることの大切さを聖書は教えている。>

□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「正しさを望む人」を引用

 【参考】
【佐藤優】柔和な人
【佐藤優】悲しんでいる人
【佐藤優】心の貧しい人
【佐藤優】地の塩となれ
【佐藤優】狭い門を選べ
【佐藤優】求めれば与えられる
【佐藤優】明日を思い悩むな
【佐藤優】思い悩むな
【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~


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【フェルメール】《兵士と笑う娘》 ~赤瀬川源平『フェルメールの眼』~

2018年08月22日 | □旅
 路上観察学を開拓した赤瀬川源平が、フェルメールの全作品36点の観察を集約したのが本書。たとえば、《兵士と笑う娘》についてこう書く。

---(引用開始)---
 フェルメールの室内画は、左に窓、正面に壁掛け地図、そして人物、という構図が定番である。その中でもこの絵はいちばん明るく、地図がはっきり見える。女性の顔もいちばん明るい。
 *
 男の目はここからは見えないが、これも互いに見つめ合う一対の視線である。画面中央横位置に、そういうぴんと張り詰めた直線がある。直接に絵具で線としては描かれてはいないのに、でも絵を見ているとそういう見えない線が、何だかハレーションのような力で強く浮かび上がるのを感じる。
 *
■歯まで見える笑顔
 綺麗な笑顔だ。唇の両端がふわりと上がり、白い歯まで見えて、明らかに笑顔である。
 じつは絵の中に笑顔が描かれること自体が珍しいのだ。それも現代ならともなく、19世紀以前の古典的な絵の風習の中で、人物が笑って歯まで見えているというのは、ありそうでほとんどない。絵は厳粛なもの、という習慣が根強くあったのだろう。フランス・ハルスの肖像画で、はじめて白い歯の笑顔を見たのが私としては最初だ。
 同時代に活躍したハルスはひらすら庶民生活をスピード感のあるタッチで描いた画家なので、笑顔が登場したのは自然の成り行きでもある。でもフェルメールの落ち着いた地味な絵に、よく見ると笑顔が多いというのは意外な気がする。
 フェルメールの残した作品はいまのところ(1998年)36点だといわれており、その中に登場する人物は55人(2点の風景画の点景人物は除く)、そのうちわずかながらでも歯の見える人物は11人(他に歯は見えるけど笑顔でないのが1人)というのはかなりな数字だと思う。
 フランス・ハルスもフェルメールもオランダの画家。無関係ではないだろう。
---(引用終了)---

□赤瀬川源平『[新装版]赤瀬川源平が読み解く全作品 フェルメールの眼』(講談社、2012)の「3 兵士と笑う娘」を引用

 【参考】
【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~
【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~

 
 《兵士と笑う娘》(1658~1659年頃)/フリック・コレクション(ニューヨーク)

 
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【フェルメール】《牛乳を注ぐ女》 ~『20世紀最大の贋作事件』~

2018年08月21日 | □旅
 「美術史上最も有名な贋作者」とされるハン・ファン・メーヘレンが、その師となるバルトゥス・コルテリングに出会ったのは公立高校に入学した日。コルテリングは絵の具についていろいろと語る。
---(引用開始)---
 「《牛乳を注ぐ女》はオランダが誇る最も偉大な画家の、おそらく最高傑作だ。にもかかわらず、使われた色は10色、多くても1ダースくらいのものだ。フェルメールのすごいところは、数少ない色彩を組み合わせ、ほとんど混色をせず、レーキ顔料とニス層を用いて現実を髣髴とさせるところにある」。
 コルテリングは指でベンチをなぞり、さまざまな鉱石の塊を手に取り、粘土を指に絡ませた。
 「鉛と錫からなる一酸化鉛をベースにして、フェルメールは、この鮮やかな黄色を生み出した。彼の描く影の部分が温もりを帯びるのは、未精製あるいは焼成済みの茶や赤のオーカー系顔料の賜物だ」。
 さらに彼は動物のかけらを手にした。
 「ボーン・ブラックは、象牙の削りくずを焦がしたもの。緑土色はセラドナイトから。そしてこれは・・・・」。
 コルテリングは金の線模様の走る荒削りの青い石を取り上げた。
 「これが、顔料のなかでも最も効果なウルトラマリンの原料となる石だ。ラピス・ラズリと呼ばれている。古代エジプト人が崇拝の対象としていた石で、東洋のごく数少ない鉱山でしか採れない。値が張るので、画家たちはこの色をめったに使わなかったが、フェルメールはアズライトよりも好んで用いた。宝石を描くときだけではなく、貧しい下層の人々の普段着を描くときにも使った。まさに彼の天才の証となる色だ」。
---(引用終了)---

□フランク・ウィン(小林頼子、池田みゆき・訳)『フェルメールになれなかった男 --20世紀最大の贋作事件』(『私はフェルメール--20世紀最大の贋作事件』として、ランダムハウス講談社、2007/後に『フェルメールになれなかった男--20世紀最大の贋作事件』として、武田ランダムハウスジャパン、2012/後にちくま文庫、2014)の「2 絵画の錬金術」から一部引用

 【参考】
【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~

 
 《牛乳を注ぐ女》(1657-1658年頃)
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【佐藤優】柔和な人

2018年08月20日 | ●佐藤優
 <柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。 --「マタイによる福音書」5章5節

 「柔和な人」とは、心が柔軟で、素直に神の教えを受け入れることができる人という意味だ。その意味で、「心の貧しい人」と同じである。心の貧しい人たちが「天の国」に入ることに対応して、柔和な人たちが地、すなわちこの世を支配することになるとイエスは言う。この世界を神の意志に基づいて保全するのは、神の意志に従う人であるということになる。
 ここでイエスが説くのは、神権による支配だ。こんなことを言うと顰蹙を買うが、実はキリスト教は人権を信用していない。なぜなら、人間は原罪を負った存在なので、悪から免れることができない。そのような人間が主張する権利は、ろくなものでないからだ。
 人権を普遍的価値と主張する欧米が行った帝国主義政策や植民地支配を客観的に見れば、神なしに生きていくことができると考える人権論者が、どれくらい危険な存在であるかがわかる。人間の限界を知り、神を恐れる者が政治に従事すべきである。>

□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「柔和な人」を引用

 【参考】
【佐藤優】悲しんでいる人
【佐藤優】心の貧しい人
【佐藤優】地の塩となれ
【佐藤優】狭い門を選べ
【佐藤優】求めれば与えられる
【佐藤優】明日を思い悩むな
【佐藤優】思い悩むな
【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~
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【佐藤優】悲しんでいる人

2018年08月19日 | ●佐藤優
 <悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。 --「マタイによる福音書」5章4節

 「悲しんでいる人」とは、何か不幸があって泣きそうになっている人のことではない。現在が苦難と悲劇の時であるということをリアルに受けとめて、神による助けを心の底から望んでいる人のことだ。
 ここで言う「悲しんでいる人」は「へりくだる人」と言い換えることができる。自己の能力を過大評価せずに、時代の危機を正確に認識している人のことだ。正しい現状認識をしている人を神は慰めると説いている。
 さらにこの「慰められる」は、未来の状況を示している。苦難と悲劇を正面から受けとめて、一生懸命に生きている人は、イエス・キリストが再臨して、最後の審判を行うときに、必ず救われるという確信がここで示されている。イエスの教えに従うならば、救済されるためにも現実の苦難と悲劇を等身大で受けとめることが重要になる。こういう認識を持っているので、キリスト教信仰を持つ人には高度なインテリジェンス分析専門家が多いのである。きびしい現実に対して、常に冷静な判断を下すことができるためだ。>

□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「悲しんでいる人」を引用

 【参考】
【佐藤優】心の貧しい人
【佐藤優】地の塩となれ
【佐藤優】狭い門を選べ
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【佐藤優】明日を思い悩むな
【佐藤優】思い悩むな
【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~
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【フェルメール】の青はどこから来ているか? ~『フェルメール 光の王国』~

2018年08月18日 | □旅
 『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞および中央公論新書大賞を受賞した福岡伸一が、フェルメールの稀少な作品をもとめて各国をわたり歩く。その紀行と思索の結果が『フェルメール 光の王国』。本書のうち、フェルメールの「青」の謎に迫る箇所がこちら。

---(引用開始)---
 さて、『真珠の耳飾りの少女』を際立たせているもう一つの要素は、当時から見ても古代衣装にあたるターバンの鮮やかな青である。現に、この作品のタイトルは、『青いターバンの少女』と呼ばれることもある。深い青のつややかさと鮮やかさは、フェルメールがこの絵を描いたときから350年を経た現在も、ほとんど劣化していない。なぜか。この青は、細かく砕いた宝石で描かれているからである。
 ラピスラズリ。アフガニスタン奥地の山峡に産出されるこの青い宝石は、ツタンカーメンのマスクにはめ込まれるなど、紀元前3000年の昔から高貴で稀少なものとして、地中海世界で、そしてヨーロッパ各地で珍重されてきた。旧約聖書の記述にも、その価値は金と並び称され、時には純金よりも高価であった。
 中世の化学者たちが、蝋と薄めた洗剤液を使って不純物をラピスラズリから除去する方法を発見し、透き通るように澄んだ、それでいて限りなく深い青、地中海を越えてもたらされた青、すなわちウルトラマリンブルーが完成した。
 貴重で高価なこの青は、たとえば、宗教絵画における聖母像など特別な限られた対象にのみ用いられるのが常だった。
 しかしフェルメールは、このウルトラマリンを惜しげもなく、少女のターバンに使ったのである。
 むろん当時、画家はすべて自分自身で絵の具を調合した。アトリエから細い階段を使って上がる屋根裏部屋に置いた石のテーブルで、今やフェルメールの助手となった少女は、一心に顔料と亜麻仁油を混ぜる。すると限りなく鮮やかな色がそこから立ち上がり始める。
---(引用終了)---

□福岡伸一【注】・著、小林廉宜・写真『フェルメール 光の王国』(木楽舍、2011)の「第1章 オランダの光を紡ぐ旅」から一部引用

 【注】生物学者。『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書、2007)でサントリー学芸賞および中央公論新書大賞を受賞。

 
 フェルメール《真珠の耳飾りの少女》(1665-1666年頃)

 
 映画「真珠の耳飾りの少女」(英・ルクセンブルク、2004)
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【佐藤優】心の貧しい人

2018年08月17日 | ●佐藤優
 <こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。 --「マタイによる福音書」5章3節

 「心の貧しい人」とは、経済的困窮者ではない。自分の心の中に救済の根拠がないことを自覚している人を指す。言い換えるならば、神に全面的に頼ることによってのみ自分は救われるのだという信仰を持っている人のことだ。キリスト教は、他力本願の宗教である。自分の心に一切、救済の根拠を認めないような信仰を持っている人が肯定的に評価される。
 ここでイエスが「心の貧しい人たち」に対して「さいわいである」と言明した背景には、この世の終わりがすぐにやって来るという認識がある。それだから、この言葉には、「あなたが『神の国』に入りたいと思うならば、悔い改めて、自分自身が無力で、神に頼るしかないという信仰を持たなくてはならない」という意味がある。しかし、人間は自分が可愛いので、自分が無力な存在であるということを、なかなか認められない。イエスはそんな人間たちに、「小さなプライドを捨て、自らの無力さを自覚する謙虚さを持て」と教えているのだ。>

□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「心の貧しい人」を引用

 【参考】
【佐藤優】地の塩となれ
【佐藤優】狭い門を選べ
【佐藤優】求めれば与えられる
【佐藤優】明日を思い悩むな
【佐藤優】思い悩むな
【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~
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【レイテ戦記】エピローグ ~現代日本の縮図~

2018年08月16日 | ●大岡昇平
 作戦の細目には幾多の問題が残った。16師団の半端な水際戦闘、第1師団のリモン峠における初動混乱、栗田艦隊の逡巡、ブラウエン斬込み作戦の無理などがあるが、それらは全般的戦略の上に立つさざなみにすぎず、全体として通信連絡の不備、火力装備の前近代性--陸軍についていえば、砲撃を有線観測によって行い、局地戦を歩兵の突撃で解決しようとする、というような戦術の前近代性によって、勝つ機会はなかった。
 しかし、そういう戦略的無理にも拘わらず、現地部隊が不可能を可能にしようとして、最善を尽くして戦ったことが認められる。兵士はよく戦ったのであるが、ガダルカナル以来、一度も勝ったことがないという事実は、将兵の心に重くのしかかっていた。「今度は自分がやられる番ではないか」という危惧は、どんなに大言壮語する部隊長の心の底にもあった。その結果たる全体の士気の低下は随所に戦術的不手際となって現れた。これは陸軍でも海軍でも同じであった。
 陸海特攻機が出現したのは、この時期である。生き残った参謀たちはこれを現地志願によった、と繰り返しているが、戦術は真珠湾の甲標的に萌芽が見られ、ガダルカナル敗退以後、実験室で研究がすすめられていた。捷号作戦といっしょに実施と決定していたことを示す多くの証拠があるのである。
 この戦術はやがて強制となり、徴募学生を使うことによって一層非人道的になるのであるが、私はそれにも拘わらず、死生の問題を自分の問題として解決して、その死の瞬間、つまり機と自己を目標に命中させる瞬間まで操縦を誤らなかった特攻士に畏敬の念を禁じ得ない。死を前提とする思想は不健全であり煽動であるが、死刑の宣告を受けながら最後まで目的を見失わない人間はやはり偉いのである。
 醜悪なのはさっさと地上に降りて部下をかり立てるのに専念し、戦後いつわりを繰り返している指揮官と参謀である。

□大岡昇平『レイテ戦記(4)』(中公文庫、2018)の「30 エピローグ」から一部引用

 【参考】
【レイテ戦記】鎮魂歌
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【レイテ戦記】鎮魂歌

2018年08月16日 | ●大岡昇平
 死んだ兵士の霊を慰めるためには、多分遺族の涙もウォー・レクエムも十分ではない。

   家畜のように死ぬ者のために、どんな弔いの鐘がある?
   大砲の化物じみた怒りだけだ。
   どもりのライフルの早口のお喋りだけが、
   おお急ぎでお祈りをとなえてくれるだろう。

 これは第一次世界大戦で戦死したイギリスの詩人オーウェンの詩「悲運に倒れた青年たちへの賛歌」の一節である。私はこれからレイテ島上の戦闘について、私が事実と判断したものを、出来るだけ詳しく書くつもりである。75ミリ野砲の砲声と38銃の響きを再現したいと思っている。それが戦って死んだ者の霊を慰める唯一のものだと思っている。それが私に出来る唯一のことだからである。

□大岡昇平『レイテ戦記(1)』(中公文庫、2018)の「5 陸軍」から一部引用

 
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【佐藤優】地の塩となれ

2018年08月16日 | ●佐藤優
 <あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。 --「マタイによる福音書」5章13節

 キリスト教は実践的な宗教だ。心の中で信仰を持っているだけではキリスト教徒とは言えない。それをただちに行動に移すことが求められる。信仰即行為なのである。
 もっともキリスト教徒は、世の中の他の人々とは異なる行動原理、すなわちイエス・キリストに徹底的に従うという基準で動く。その結果、社会と摩擦を起こす場合がある。キリスト教徒の中には、このような摩擦を恐れて身内だけで固まってしまう傾向がある。しかし、それは間違いだとイエスは強調する。
 塩が役に立つのは、周囲の食べ物に味をつけるからで、塩が固まっていては意味がない。塩は異質な存在であるから意味があるように、自分たちも世の中の基準から少しずれ、変わっているところに意味がある。塩は、自らのために存在するのではなく、他者に働きかけることで初めて意味を持つ。このようにキリスト教徒も、信者同士で固まっているのではなく、広く外の世界に働きかけることが重要であり、「引きこもり」になるなと戒(いまし)めているのだ。>

□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「地の塩となれ」を引用

 【参考】
【佐藤優】狭い門を選べ
【佐藤優】求めれば与えられる
【佐藤優】明日を思い悩むな
【佐藤優】思い悩むな
【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~
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