<狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。 --「マタイによる福音書」7章13-14節
キリスト教は、人間に選択を求める宗教だ。ここで人間に課されているのは、「狭い門」か「広い門」かの二つしか選択肢はないことだ。「第三の門」や「門をくぐらない」という選択はできないのである。
キリスト教には「召命(しょうめい)」という考え方がある。あるとき、ある特定の場所で、特定の人を神が呼び出すのである。この呼び出しに対して、応じるか、応じないか、いずれの対応しか人間は取ることができない。神の呼び出しを拒否することは、そのまま滅びの道へとつながる。だから、常に神に従うことをキリスト教は説いている。
人生において、私たちも選択を余儀なくされることが何度もある。そのときの選択基準として、客観的に考えて、より難しいと思う選択をすることをイエスは勧めている。「広い門」よりも「狭い門」を選ぶ、すなわち主体的に苦難を選んだ方が、人間は幸せになるという逆説を説くのである。私も特捜検察に逮捕されたとき「狭い門」を選んだ。そうしなければ、私が職業作家になる選択肢は消えていたと思う。>
□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「狭い門を選べ」を引用
【参考】
「【佐藤優】求めれば与えられる」
「【佐藤優】明日を思い悩むな」
「【佐藤優】思い悩むな」
「【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~」
キリスト教は、人間に選択を求める宗教だ。ここで人間に課されているのは、「狭い門」か「広い門」かの二つしか選択肢はないことだ。「第三の門」や「門をくぐらない」という選択はできないのである。
キリスト教には「召命(しょうめい)」という考え方がある。あるとき、ある特定の場所で、特定の人を神が呼び出すのである。この呼び出しに対して、応じるか、応じないか、いずれの対応しか人間は取ることができない。神の呼び出しを拒否することは、そのまま滅びの道へとつながる。だから、常に神に従うことをキリスト教は説いている。
人生において、私たちも選択を余儀なくされることが何度もある。そのときの選択基準として、客観的に考えて、より難しいと思う選択をすることをイエスは勧めている。「広い門」よりも「狭い門」を選ぶ、すなわち主体的に苦難を選んだ方が、人間は幸せになるという逆説を説くのである。私も特捜検察に逮捕されたとき「狭い門」を選んだ。そうしなければ、私が職業作家になる選択肢は消えていたと思う。>
□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「狭い門を選べ」を引用
【参考】
「【佐藤優】求めれば与えられる」
「【佐藤優】明日を思い悩むな」
「【佐藤優】思い悩むな」
「【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~」