2014-07-06
日本の国語教育では書き方の様式を教えず、
創作文を書かせませんが、それはなぜですか より引用
●ここから●
子どもたちが授業で実際に書いた作文を日米で比較してみると、興味深いことが分かります。
日本の教師は、意識する、しないにかかわらず、
結果的に「綴り方」の伝統に則って、
「自由に、思ったままを書けばいいんだよ」
と励まして子どもに作文を書かせます。
しかし、でき上がった作文は、どれも驚くほど似通っています。
その一方で、一見自由な印象を受けるアメリカの小学校では、
実は厳しい文章の「型」の訓練と、技術的指導や添削が行われます。
その結果として生み出されるのは、
各自が書く目的に応じて様式を選び、そこに個別の意見が主張され、
ときにはさまざまな様式を組み合わせる多様な作文です。
ここには、「自由」を重視している方が結果的に「規範」にとらわれ、
「規範」を重視している方が結果的に「自由」な多様性を生む、
というパラドックスが見られます。
型を知らずに「自由に書け」といわれても、
いったい「何から」自由になればよいのか分かりません。
その結果、
「起こったことをありのまま書いて時系列で気持ちの変化をたどる」
という書き方が逆説的に唯一の型になってしまうのです。
●ここまで●
渡辺雅子[国際日本文化研究センター助教授]
日本の国語教育では書き方の様式を教えず、
創作文を書かせませんが、それはなぜですか より引用
●ここから●
子どもたちが授業で実際に書いた作文を日米で比較してみると、興味深いことが分かります。
日本の教師は、意識する、しないにかかわらず、
結果的に「綴り方」の伝統に則って、
「自由に、思ったままを書けばいいんだよ」
と励まして子どもに作文を書かせます。
しかし、でき上がった作文は、どれも驚くほど似通っています。
その一方で、一見自由な印象を受けるアメリカの小学校では、
実は厳しい文章の「型」の訓練と、技術的指導や添削が行われます。
その結果として生み出されるのは、
各自が書く目的に応じて様式を選び、そこに個別の意見が主張され、
ときにはさまざまな様式を組み合わせる多様な作文です。
ここには、「自由」を重視している方が結果的に「規範」にとらわれ、
「規範」を重視している方が結果的に「自由」な多様性を生む、
というパラドックスが見られます。
型を知らずに「自由に書け」といわれても、
いったい「何から」自由になればよいのか分かりません。
その結果、
「起こったことをありのまま書いて時系列で気持ちの変化をたどる」
という書き方が逆説的に唯一の型になってしまうのです。
●ここまで●
渡辺雅子[国際日本文化研究センター助教授]