円の外へ

20070121開設/中学高校国語授業指導案/中学校学級経営案/発達症対応/生活指導/行事委員会指導

「幸せな気持ちになる」授業

2021-05-15 00:43:32 | 2021年度雑記
カテゴリー別目次
2021-05-14
国語授業は、4月の練習期間が終わり、5月は本番の入り口だ。

休み時間に、多量のテキストを、机の左か右上に積んである。
挨拶と同時に「授業前に準備できましたか」で、生徒が「はいっ」と言う。
1秒の間もなく、部首名のフラッシュカードを読ませる。
(4月は熟字訓だった)
(挨拶はそのうち無くす。無駄かつ、気を付け、という軍制用語の連用だ)

間もなく、漢字ドリルの、テストと次回の予習ページを始める。
間もなく、教科書の、1分交代読み4回を始める。
短編教材なので、ほぼ全員が全文を音読し終える。
(しかし、最初生徒は「これを? 4回で? 全部読むんですか?」と言った)
間もなく、ノートを開かせて、日付・本時のテーマを視写させる。
僕の板書が終わると同時に、生徒は、ほぼ全員書き終わる。
だが、まだまだ足りない。

「間もなく」が、今は10秒から30秒ほどかかってしまう。
1か月後には、コンマ5秒程度にする。
1秒以内ということだ。
生徒には「段取り力」という言葉を教えた。
板書のあと、1秒以内に書き終わる生徒は今でも10人くらいはいる。
それは、先を読み指示より先に漢字ドリルを開いているからだ。
その程度のことをわざわざと思われたら申し訳ございません。

今週、授業開始1か月半たって、初めて校長が廊下を通った。
ちょうど、1分交代音読のときだった。
2、3分していなくなった。
職員室に戻ると、校長が僕の視線の前の方に立っている。
そこにいたことのない位置なので、何か言ってくれるかと思った。
僕の様子を見はからい、校長が話しかけた。
「生徒が楽しそうでしたね」
「はい。僕がいちばん楽しいんです」
「ああ、それが大事ですね」
「はい」
「先生の授業を見ていると、幸せな気持ちになります」
「有難うございます。僕が本当に毎日幸せです。
 また見て頂ければ有り難いです」


この35年間、校長が「授業について」何か言ってくれたことは一度もなかった。
(初任時の教頭だけは、授業の達人で、多くを教わった)
まず、見に来ない。
廊下で見聞きし通り過ぎても、監視・無関心・あら探し、のどれかだった。

「幸せな気持ちになる授業」
素敵な言葉だ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 4月の授業 | トップ | 5月の授業・夢なのかもしれない »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

2021年度雑記」カテゴリの最新記事