鎌倉街道上道の鳩山町から嵐山町との境に笛吹峠があります。この名の由来は、正平7年(1352)
2月25日の武蔵野合戦で敗者となった宗良親王がこの峠で笛を吹いたことからと伝わります。
ここで武蔵野合戦の詳細を述べるつもりはありませが、この笛吹峠に差し掛かる少し手前の鎌倉
街道の西方350m程のところに、日野岡家住宅長屋門と舛井戸遺跡がるとのことから訪ねてみまし
た。
名 称:日野岡家住宅長屋門(ひのおかけじゅうたくながやもん)
形 態:建築物
登 録:国登録有形文化財(建築物)(名称:日野岡家住宅長屋門 平成19年〔2007〕7月31日登録)
時 代:江戸時代後期
概 要:木造平屋建、茅葺(鉄板仮葺)、桁行15.7m、梁間4.6m、建築面積74㎡
所在地:埼玉県比企郡鳩山町須江
日野岡家は、江戸時代には瑠璃光院(須恵山光雲寺宮本坊)と称する「里修験」であったとのこと。
この長屋門は、山門(大門)として江戸後期に建築されたが以後何度か改修されているようです。
南方の農道から日野岡家住宅長屋門も見ています
この写真の右端に舛井戸遺跡がありますが、日野岡家入口から東方約30mの距離です
名 称:舛井戸遺跡(ますいどいせき)
形 態:手洗い井戸
指 定:鳩山町指定史跡(名称:舛井戸遺跡 昭和56年〔1981〕4月1日指定)
所在地:埼玉県比企郡鳩山町須江
擬木の囲いで保護されている舛井戸遺跡
現地に設置の説明板
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村指定記念物 舛井戸遺跡
寛徳年間のころ(西暦1045年)この地に日出薬師尊があった。参詣する善男善女の御手洗井戸と
して建設された。
以来、今日に至るまで渇水することなく明泉が湧出している。先人たちが伊勢神宮、黒岩神社に参
拝の折に身体を浄めた泉といい伝えられている。又干魃の際には住民の飲料水として近年まで用い
られていた。
昭和32年道路改良工事により一時埋立てられたが、地元有志により復元され由緒ある遺跡として保
存することとした。
昭和56年4月1日 鳩山村教育委員会
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説明板は「鳩山村」となっていますが、この1年後の昭和57年(1982)4月の町制施行で「鳩山町」
に変っています。
村の一文字だけシール等を貼ったりで町に変えるよりこのままの方が味がありますね。
「舛井戸遺跡碑」 昭和55年3月建之
舛井戸① 西側から
舛井戸② 東側から
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余談ですが、「国登録有形文化財に指定(された)」という表現をよく見かけますが、国登録有形文化財はあく
まで登録であって指定されるものではありません。文化財保護法の規定上、文化財の「指定」と「登録」とは明
確に区別されています。「登録有形文化財として登録されている」と表記するのが正確であり、官報告示におい
ても「文化財を登録有形文化財に登録する」と表現されています。
酷いものになると「国指定登録有形文化財」なんてありもしない名称を使っているHPもありました。
指定重要文化財と登録文化財とではその対象や性格、要件が異なります。また、国指定重要文化財 と 国登録
有形文化財 には「国」と「文化財」という共通ワードがあることから国登録有形文化財を国指定重要文化財と
同格に捉えている方も見受けられますが(国登録有形文化財を否定するつもりではなく)全く格が違います。こ
れ以上述べるといろいろと問題がありますのでこの辺にしておきます。
なお、当ブログで国登録有形文化財を取り上げるのは今回が(多分)初めてですのでちょっと触れてみたもので、
日野岡家住宅長屋門について述べたものではありませんので、誤解なきようお願いいたします
散策日:令和3年(2021)9月7日(火)