◇延喜式内社◇
社 号:横見神社(よこみじんじゃ)
通 称:御所横見神社
旧 称:飯玉氷川明神社
御祭神:・建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
・櫛稲田比賣命(くし なだひめ)
創 建:和銅年間(708-715)
社 格:延喜式内小社・旧郷社
例 祭:10月14日 例祭
指 定:-
鎮座地:埼玉県比企郡吉見町御所1
横見神社は、和銅年間(708~715)に創建され、平安時代の延長5年(927)に作成された『延喜式』
神名帳に記載された式内社で、武蔵国横見郡三社のうちの一社です。
御所の地名は、平安時代末から中世にかけて吉見を領有した吉見氏の居館が地内に築かれ、人々が
それを「吉見の御所」と呼んでいたところから名付けられたもの。
𠮷見氏とは、源頼朝の弟、範頼の子孫で永仁4年(1296)まで四代にわたり当地を支配したものの、
その後有力者のなくなった当社は、いつしか飯玉氷川明神社と改号、近郷7ヶ村の鎮守社として祀ら
れていたといいます。
明治維新後横見神社と社号を改め、明治5年稲荷山古墳に末社稲荷社を勧請、明治7年郷社に列格して
います。
なお同じ吉見町久保田にも「横見神社」があります。久保田横見神社は、建長年間(1249~1256)に
起きた大洪水により御所の横見神社が当地に漂着、当地に鎮座していた愛宕社を末社として、御所の
横見神社の旧称より飯玉神社と称していたといいます。明治4年村社に列格、社号を御所の横見神社に
倣って横見神社と称したといいます。
『境内』 右の建物が『社務所』
境内の道路沿いにはロープが張られていいて車両は入れません。防犯上からの措置でしょう。
『社号標』【延喜式内 郷社横見神社】とあります
『鳥居』 明神鳥居のようです
『扁額』 【延喜式内 横見神社】 しっかり「延喜式内」と入れています
正面に『拝殿』 赤い橋の下は空堀です
社殿のあるエリアの四方は堀(一部水堀)が廻らされています
当所は「御所陣屋跡」とも言われています
『拝殿』
『拝殿』と『本殿』
拝殿のある場所は墳丘の一部を削平しているようです
墳丘の上に建つ『本殿』
社殿の左側にある『三峯神社』
境内西側にある『稲荷山古墳』
明治5年に勧請されたという末社『稲荷社』
参拝日:平成31年(2019)4月11日(木)
社 号:横見神社(よこみじんじゃ)
通 称:御所横見神社
旧 称:飯玉氷川明神社
御祭神:・建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
・櫛稲田比賣命(くし なだひめ)
創 建:和銅年間(708-715)
社 格:延喜式内小社・旧郷社
例 祭:10月14日 例祭
指 定:-
鎮座地:埼玉県比企郡吉見町御所1
横見神社は、和銅年間(708~715)に創建され、平安時代の延長5年(927)に作成された『延喜式』
神名帳に記載された式内社で、武蔵国横見郡三社のうちの一社です。
御所の地名は、平安時代末から中世にかけて吉見を領有した吉見氏の居館が地内に築かれ、人々が
それを「吉見の御所」と呼んでいたところから名付けられたもの。
𠮷見氏とは、源頼朝の弟、範頼の子孫で永仁4年(1296)まで四代にわたり当地を支配したものの、
その後有力者のなくなった当社は、いつしか飯玉氷川明神社と改号、近郷7ヶ村の鎮守社として祀ら
れていたといいます。
明治維新後横見神社と社号を改め、明治5年稲荷山古墳に末社稲荷社を勧請、明治7年郷社に列格して
います。
なお同じ吉見町久保田にも「横見神社」があります。久保田横見神社は、建長年間(1249~1256)に
起きた大洪水により御所の横見神社が当地に漂着、当地に鎮座していた愛宕社を末社として、御所の
横見神社の旧称より飯玉神社と称していたといいます。明治4年村社に列格、社号を御所の横見神社に
倣って横見神社と称したといいます。
『境内』 右の建物が『社務所』
境内の道路沿いにはロープが張られていいて車両は入れません。防犯上からの措置でしょう。
『社号標』【延喜式内 郷社横見神社】とあります
『鳥居』 明神鳥居のようです
『扁額』 【延喜式内 横見神社】 しっかり「延喜式内」と入れています
正面に『拝殿』 赤い橋の下は空堀です
社殿のあるエリアの四方は堀(一部水堀)が廻らされています
当所は「御所陣屋跡」とも言われています
『拝殿』
『拝殿』と『本殿』
拝殿のある場所は墳丘の一部を削平しているようです
墳丘の上に建つ『本殿』
社殿の左側にある『三峯神社』
境内西側にある『稲荷山古墳』
明治5年に勧請されたという末社『稲荷社』
参拝日:平成31年(2019)4月11日(木)