ワシの氣功時の脳は零だ。
零といっても、全てパーじゃない。
それほど人間が出来ていない。
憧れるが、まだ遠く遥か彼方の境地だ。
いつか、いつでもパーになりたい・・・。
零の幅が「氣」の通り道になる。
ワシの下品な思いは、隅っこに追いやられる。
無くなりはしないが、働かない・・・。
通る「氣」はワシよりもマトモだからだ。
それならもっと立派な人の脳を通ればいいのに・・・。
ワシはマトモや立派に成りたくないのだ。
どうやら、この氣功は人を差別しないようだ。
上品だろうが、下品だろうが、同じに扱う。
上品の人にだけ使えるわけでもない。
修行を積んで徳を上げても関係ない。
(まぁ修行で徳が上がると思う人は無理かも・・・)
要は、脳が零になればいいようだ。
ワシがこの「氣」を扱うのに適しているのは、
元々脳の能力が少ないせいかもしれない。
少ないのだから、0になるのに苦労しない。
性格かもしれない。
自分の思いなど元々下品だから、いつでも捨てられる。
どうでもいいやぁ・・・。
根性も無いから力を使おうともしない。
だから「氣」が勝手に流れる。
流れるのを邪魔しない。
それが効を増しているようだ。
世の中・・・ヒネクレているなぁ・・・。
能力比べなんてしないが、
この世界にいると相手の範囲が判ってしまう。
判ってしまうことがある。
申し訳ないと(何となく、少し)思う。
マジメに努力している人に顔向け出来ない。
(と言いながら、不遜な発言を繰り返す・・・)
氣功が出来る、という人と出会ってしまう。
すいません・・・ワシは無能力者です。
ワシが悪いのではない。
仕組みがヒネクレているのだ。
無能力に贔屓するのは、ワシのせいじゃない。
キリちゃん(イエス)が言った。
「無い者が得るだろう」
ワシが言ったわけじゃないぞ。
人間社会は努力が報われる(傾向にある)。
だから精進した方がいい。
人の社会は、マジメが一番だ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」