愛と愛情
これからが本番よ。まず愛と愛情の違いからよ。これは基本的な事だけど、ほとんど理解されていないのよ。まぁ仕方ないけど。
愛はこの次元に限らず最も大切なことなのだけど、今までの人間の段階では言葉が先行していただけで、なかなか本質にせまる表現が出来なかったのよ。愛ってめちゃくちゃ大きな相手なのよ。
普通は「愛」というと、優しいイメージや、神聖なイメージを抱くものだけど、そんな単純な範囲じゃないわ。
この世の仕組み、いいえ、この次元の仕組み、いいえ、次元を超えた仕組みの質自体を「愛」というのよ。
どう? 想像できるかしら? 無理でしょう。
えっ、無理なのは文章表現が稚拙だから? 解ってないわね。
リードするものが精密正確なほど、想像レベルは貧しくなるの。表現の稚拙はアタシの思いやり。
とにかく、「愛」をストレートに学べないのだから、人間のレベルでは「愛」より「愛情」を学ぶことが優先するのよ。そのためにこの「愛情」あふれる地球に生まれたのよ。
貴方が人間を超えたレベルならば「愛」を語ってもいいけど、シッタルーダやイエスクラスはめったにいないわよ。
その彼らさえ、つい「愛」を人々に語っちゃったけど、ごらんのとおり今の人間には無理解だったでしょ。宗教関係者は「そんな事は無い」って言いたいでしょうけど、これは単なる事実よ。
釈迦さんもキリストさんも、人間には無理だと「解っちゃいるけど、止められねえ」というわけだったのよねぇ~。ホントに優しいんだ。
えっ、アタシ? だから普通の人間じゃないわよ、って断っていたじゃない。だから当然エラソウに「愛」についても書くわよ。解ってもらおうなんて、最初から思っていないわ。
アタシは和(柔)らいでほしいだけ。もちろん人間の意識のことよ。考えて理解なんてしないでね。無理は無駄になりやすいのよ。
愛も愛情も「考える」相手ではないわ。難しくいうと「智と行」なのよ。
ほとんどの人間は「智と行」を「痴と業」にしているから大変なのよ。「痴と業」にすると、愛や愛情がねじれて見えてしまうから、「苦」の原因になってしまうのよ。
愛や愛情の本当の姿が「苦」のはずが無いでしょ。嬉しい、楽しい、愉しい、気持ち良い、安心、和(柔)らぎなどの幸せを知るためにあるのだから。
ねえ、人間って不思議よね。素直に「愛と愛情」を学んで幸せになればいいのに、ワザワザ「愛と愛情」をひねくれさせて、苦しく生きる方を選ぶのだから。
素直が一番なのよ。字のとおり、なんでも理解には素直が一番早いし速いのよ。
「鏡よ鏡、今日は素直に言ってね。この世で一番綺麗な女性はだ~れだ?」
「どこの綺麗や? 顔か? 心か? 体か? 魂か?」
「う~ん・・・。顔の綺麗な女性」
「歳によって違うねん。何歳くらいや?」
「う~ん・・・。30代でいいわ」
「国によって基準が違うねん。何処の国や?」
「う~ん・・・。日本では?」
「時代によっても違うねん。何時の時代や?」
「現代よ」
「一人の人間でも体や心の状態で顔も変わるんやけど、どんな状態の時や?」
「もういいわ。なんだかバカバカしくなってきたわ」
「大切なのはそれや。素直の前では利害や感情なんてツマランもんや」
「それって、アタシの質問が素直でなかったという意味ね」
「いいや。アンさん自身や」
「ムッ! これ、針の座布団です。どうぞ」
(まだありますが、一応これでB女の話は中断しようかと思ってます。
また雑記を書く時間が無い時に続きをコピペしようかと・・・)
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」