水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

眠れぬ森のB女・12

2005-07-27 15:37:48 | Weblog

親子の愛
    
 愛、といっても愛情の事よ。
 前項で書いたように、「愛」そのものの解説なんてしても理解できないでしょ。でもここでは「愛」と表現したほうがイメージしやすいのよ。
 イメージは理解を先導したり、扇動したり、何かの船頭になったりするものなの。
 理解は「愛」への入り口なんだけど、イメージが先導役だと知るとイメージの重要性が解るかしら?
 ツマラナイ学習より、想像やその先にある創造の癖をつけるほうが、ずっと物事の理解に近づくわ。
 勉強をさせるのは何のため? 何かを理解するためでしょ。それなら頭は遊ばせなくっちゃ。
 遊びからイメージやもっと直接的に理解や発見が起こるものよ。直感ってヤツかな。
 あら?また話しが横にずれていたわ。そうそう親子の愛だったわね。
 人間にとって親子の愛は基本形なのよ。だから人間には例外なく親がいるのよ。人間以外では親がいなくて生まれるモノって多いわ。いきなり発生するモノや、分裂するモノなどさまざまよ。
 ここでいう親は肉体的遺伝的な存在のことよ。すべては「神」という親から生まれた、だから我ら動物みな兄弟、という表現の仕方もあるけれどねぇ。
 いきなり本質的なことを言ったって、それぞれが勝手に受け取ってケンカするのがオチよ。各宗教間の争いを見て。神様がいたら嘆く・・・わけないか。嘆くのは悲観的な人間のほうだったわね。神様はそんな事ぐらい、お見通しのはずよ。そうじゃなければ、神様なんてやってられないわよねぇ。
 神様って超ポジティブよ。悲観的な神様なんてニセモノに決まっているじゃない。まして怒る事は絶対しないわ。神様モドキは人間の創りものよ。よく観てね。
 親子の愛の特徴は「最初から備わっている」事よ。
 通常、愛情は育てたり変化させたりする「行い」が伴うものなんだけど、愛情が最初からあるから親子としてこの世に存在しているの。
 ところで覚えているかしら?きっと忘れていると思うけど、以前に
 「行い」が伴って感謝の形になる、って言ったのよ。この世で学ぶ大切な事はすべて「行い」を通して理解できるような仕組みなのよ。
 これも大切。感謝と愛情は同じモノを違う側面から表現したのよね。感謝って結構「大物」なのよ。つまり親子間では最初から感謝も備わっているのよ。
 それにしても「行い」なしで愛情も感謝も最初からあるんだから、親子ってすごいわねぇ。しかも人間なら例外無しに与えられているのよ。この世のこんな仕組みを考えると、こんなアタシだって神様の仕業と思うわよ。
 あら?アンダーラインばかり。ここのお話は重要なのかなぁ。
 「鏡よ鏡、お前にも親はいるの?」
 「ワイらは己を映すことによって、神、つまり大親を観るために創られたんや」
 「へ~、そう。で、アンタに親はいるの?」
 「ウッ! ワイ、人間やない!」
 「知っているわ。で、アンタに親はいるの?」
 「ワ、ワイかて人間が羨ましいことだってあるんや」
 「つまり、アンタに親はいないのね。フフフ、案外アンタが可愛くないので捨てられたのかもよ」
 「そ、そ、そうやろか?」
 「あ~。何故か今夜は気分良く眠れそう」
 (魔女に限らず、オナゴは底意地が悪いものです・・・)


(何故かB女の評判がいいので、つ、つい、今日も続きをコピペしてしまった
やはりキチンと最後まで書いて、出版という形にしたいなぁ・・・)



(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
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