「眠れぬ森のB女・5」
ダンナはナンダ?
上から読んでも下から読んでも、ダンナがダメだが何だ。つまらない廻文ねえ。
世にはイロイロな病名があって、マジメ人間に罹る率が高いのが、平等過敏症症候群なのよ。すぐ、「差別だ、差別だ」と言うのが特徴よ。未熟な法律や制度を変えるのも大切かもしれないけれど、自分からもっと和(柔)らぐ必要がありそうよね。
「旦那というのは男尊女卑思想の現れであって、平等社会にあってはならない言葉です。差別用語を無くし、明るい社会を創りましょう」なんて本気で言うんだもん。
その旦那が怪しい所でムチに叩かれ、「女王さま~、私は奴隷です」なんて喜んでいる場合はどうするのかしらね。
差別用語を無くせば、「〇〇というのは〇〇〇〇思想の現れであって、〇〇〇〇にあってはならない〇〇です」とか、〇〇がムチで叩かれ、「〇〇〇〇~、私は○○です」なんて喜んでいます。となるのだけれど、これで明るい社会になったかしら?
言葉を規制するより、笑顔がこぼれる工夫のほうが明るい社会になるんじゃない?
アタシがパートナーのことを、ダンナと呼ぼうが宿六と呼ぼうが大きなお世話よ。これでも愛し合っているし、ダンナはどう思うとアタシのほうは満足なのよ。
そのダンナのことを少し紹介しますわ。
氣功で治療をするのを仕事としている、つもり、らしいのだけれど、こんな山の中に来る人は滅多にいません。考えないのが氣功師であり人間の生き方だ、というのがダンナの言い分です。だから毎日ボ~としているわ。
時々、文章を書くのだけれど、それがヒドイのよ。例えば、
我輩は考えぬアッシである
我輩はネコではない
我輩はトンビやタカでもない
我輩はワシである。私である。あたしである
我輩はアッシである。間違いない
間違いないが、考えてはいない
我輩は考えぬアッシである
(アッシとは私、わし、あたしの訛った言葉)
ね~。アタシはこれを読んだら溜息が出たわ。結婚して十年よ、十年。十年経ってこれじゃあね~。アタシは魔女だから年齢は気にしないけれど、ダンナは四十五歳よ。それでこの文章よ。まあシアワセといえば、シアワセかもしれないわね。
ダンナが考えない人だから、アタシが考える魔女で調和がとれているのかしら。魔女といってもマホウの鏡と遊ぶくらいで、特別なことは何もしないし、する気もないわ。結構お似合いかもね。
これってオノロケだから素直に聞くのよ。他人のシアワセを素直に喜べる人に、幸運は訪れるものよ。オノロケに出会ったらチャンスなのよ。
ところで明日のオカズ、何にしようかしら。考えると今夜も眠れないわ。
「鏡よ鏡。アタシとダンナとどっちが好き?」
「アンさんの前でダンナはんの方が好き、なんてよう言われへんで。ワイ、こう見えても心臓小さいんや。正直者は長生き出来んと言うやないか」
「あんたね~」
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」