水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

零脳者・8

2005-07-11 21:00:40 | Weblog

全て霊という表現もある。
肉体が無い霊が「オバケさん」
肉体が有る霊が「人間」
怖いのは人間の方だ。
イキナリ他人を殺傷するのは人間だ。

「オバケさん」は怖くない。
怖い力が持てない存在だ。
小さな事にクヨクヨこだわっている存在だ。
可哀想だが、ツマラン生き方(?)だ。
大らかになると、この世にはいられないが、
もっと素敵な所には行けるかもしれない。

あの世の事は、死んでからで間に合う。
生きている人間がアレコレ思い煩う事ではない。
生きている人間は「生きる事」。
それで精一杯のはずだ。
余計な事を考えるのは「活きてない」証拠だ。

霊障は「人間とオバケさん」の交流(?)。
それに係わると「気づき」もある。
「オバケさん」から教わる事も多い。
なるほどなぁ・・・(一人納得!)
だけど、そんなに勉強熱心(霊障)になる必要はない。
生きている相手だけで、充分だと思うぞ。

生きているのは、肉体が主役だなぁ。
肉体があるから、イロイロが変わる。
変わる事が出来る。
森羅万象は無常だから意味があるのだ。

イロイロと出会う。
人やモノや風景や機会や感情や思想。
イロイロと出会えるのは、生きている時だけだ。
イロイロと経験、体験できるのも特徴だ。
死んでからでは・・・遅いのだ。

霊能者ではなく、零脳者の観方がある。
霊も人間も本質は同じだ。
(霊に脳が有るか、無いかというのは、
とても面白いテーマだが、ここでは書かないぞ)
生身(肉体・物質)の有無だけだ。
それが・・・大きな意味を持つ。

霊は怖がる相手ではない。
付き合う相手でもない。
だが、とても大切な事を教えてくれる。
追い払う相手でもない。
こちら側(人間)を見直す相手では、あるなぁ・・・。


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
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