「眠れぬ森のB女・6」
妻はツマらない?
アタシは魔女でも、世間的にみれば人妻ね。人妻はすべて魔女でもあるのよね。魔女に毒はつきものよ。だから妻と毒の字は似ているわけね。稲妻が凄いというのもうなずけるわ。でも、妻はツマらないわ。どうしてかしら?
実態はほとんど女王様や女暴君でも、妻って自主性が無い気がしない? いまいち積極性に欠けるのよねえ。もちろん人様々だから、十分満足している魔女だっていると思うけれど、アタシには物足りない立場なのよ。
アキラメは積極的な生き方だ、とダンナは言うけれど、簡単にアキラメない根性が世間では美徳とされているわ。アタシに根性があるとは思えないけれど、美という字がついているモノに弱いのよ。同じ波動は共鳴するっていうじゃない。美人のアタシの宿命なのかしらね。
じゃあ何をしたいのか、というと困るのよねえ。努力も苦労もしたくないし、多くの人に会うのはうっとうしいし、テキパキ動くのは苦手だし。何よりも、食事時間はたっぷり必要だわ。えっ、今の立場が最高なの? そうかなあ。
そういえばお師匠様の言葉を思いだすわ。
「不満があるのではなく、感謝を忘れているだけだ」
感謝というと、現状に満足しきって動かない姿勢にみえるけれど、実際は感謝から新たなコトが始まるみたいね。不思議なんだけど、不満より感謝のほうが何かを変える原動力なのよ。ツマらない、って言っていたのでは何も変わらないわ。
ダンナがいなければ妻になれないわ。だからダンナに感謝なのね。それがどんなダンナであってもね。アタシもダンナに感謝してなかったと気づいたわ。
この時に反省をする人がいるのだけれど、必要ないみたいよ。それどころか下手な反省は、いじけた心を創りやすいそうよ。ただ、気づくだけでいいの。ただ、感謝するだけでいいの。何事も「ただ」がいいのよ。この奥ゆかしさが美しいのよ。
感謝っていっても力まないでね。心から感謝するものだ、なんてウソよ。心なんてフラフラと頼りないものよ。あまり相手にならないでね。心がどう思っていてもいいの。感謝の行いをすれば、感謝したことになるのよ。心より感謝の行いのほうが優先するのよ。
注意してね。心で思っているだけでは感謝にならないわ。
感謝は「行い」があって感謝の形となるのよ。
感謝の行いも簡単よ。言葉で「ありがとう」と言うか、文字で書くか、体で表現するかだけよ。体の表現も合掌したり、頭を下げることぐらいよ。しかも、必ずしも相手に見せなくてもいいのよ。相手に気づかれなくてもいいの。
それからね、これが大切な特徴なんだけど、対象が当の相手でなくてもいいのよ。
このことが理解できると真の感謝を行なえるわ。
どう、これならアタシにも出来るわね。貴女にも出来るわね。
あらっ、何だか妻もわるくないわね。ダンナもわるくないわ。人間も地球もこの世もわるくないわね。アタシは初めからイイオンナだし。
何だか嬉しくなって、今夜も眠れそうもないわ。
「鏡よ鏡。いつも美しいアタシを映してくれて、ありがとう」
「ありがとうは最高最強の呪文でんがな。この言葉だけで世界は変わるんや」
「今日は気分がいいから、座布団二枚」
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」