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大阪府島本町議会議員
とだ*やすこの活動報告

シュタイナーの人智学に触れて

2017年02月12日 | とだ*やすこの活動日記
昨日、大阪府立大学i'-siteなんば、にて、シュタイナー人智学を英国人のA先生(ご専門は英語・英米文学)から学ぶ機会を得ました(日本語通訳あり)。

テーマはジェンダー。人智学の視点でこの問題を学びたいと、通訳のY先生とのご縁で、ゼミに特別に参加させていただきました。深く感動、心躍る講義でした。

国籍、民族、性別、家族、これらはあたかも洋服と同じように、ただ、まとっているものに過ぎないという考え方に、納得しました。しかし、その洋服が自分の好みでない場合の居心地の悪さといったらありません。

まして国籍、民族、性別、文化、時代、価値観の異なる個人の集団である家族、ご近所、職場などなど、所属するグループに自分がいかにして存在するか、は誰にとってもたいへんな課題です。

根源的に、寛いで、創造的に「人」として生き、「人」として「人」に出会うこと。このことに、いかにして辿り着くか。生きるということは、問いかけの連続です。

男女の性別はもとより、LGBTでさえも既に古い概念のグルーピィング、ラベリングであるとA先生は強調されました。ジェンダーの問題が、はじめて自分のものになった気がします。

幼い子ども、2歳、3歳の子が身体と異なる性自認を訴えるという事例が増えているそうです。性にめざめる前の年齢の子どもたちが、「ボクは女になりたい」「わたしは男になりたい」ではなく、「ボクは女の子!」「わたしは男の子!」わかって!ママ、パパと訴えるのだそうです。

そういう子どもたちに、女の子なのだからこんなことしてはいけない、男の子だからこうではくては、と周囲(特に親のことが多い)が強要するのは虐待以外のなにものでもない、ということになります。実際、カナダでは親が罪に問われるそうです。

進化には過去があるように、当然、未来もある。この子たちは、今、わたしたちに大事ななにかを伝えようと、教えようとしているのではないでしょうか、と問いかけられました。

本質を生きよ、と。

通訳という大役を担われたY先生のこの問題への理解の深さ、日本語の表現の深さに感動しました。言葉の壁を越えて、英語と日本語が二重奏で迫ってくる学びのライブ。よい機会をいただき、Uさんに感謝しています。


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空の色春へ春へと青を足し 靖子