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ストライクを見逃しての三振は、普通なら御法度。ところが野村は違った。野村を師と仰ぐ山﨑武司(中日)は楽天時代、こう話していたそうだ。「たとえば1回もバットを振らずに3球三振に倒れたとする。でも“全部真っすぐを待っていたんだけど、3球ともカーブが来た”ときちんと話せば、野村さんは怒らなかった。要するに失敗の根拠さえ、はっきりしていればいいんです。それは次につながりますから…」。
息子・克則氏がコーチになった時、指導に困らないようにと書き留めておいたのが、かの有名な「野村ノート」だという。この本がベストセラーになったことで、この後、野村本は数々出版されたが、これが最高傑作だという意見も多い。
リーダー論も秀逸だ。「中心なき組織は機能しない」。野村の有名な言葉である。ヤクルト時代、日ハムの栗山監督は野村に重用されず、不遇をかこった時期もある。それでも栗山監督の選手起用には、野村の思考が色濃く反映されている。その典型が4番の中田翔。不振の時期も栗山監督は我慢して中田を4番=組織の中心で使い続けた。
財を残すは下なり、名を残すは中なり、人を残すは上なり。これは野村の口ぐせだが、確かに彼は数多くの優秀な人材を育て上げたものだ。