十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

音楽は聴き手の内で作られる

2008年11月02日 | 道楽

 今日は私がファンであるクラリネット奏者 西川香代さんが出演するコンサートがあって大阪狭山市まで行ってきた。天下茶屋から南海高野線に乗って「サヤマ~」という車内アナウンスで飛び降りたら何か雰囲気が違う感じ。出口に向かって歩きかけたら掲示が目に入った。会場のSAYAKAホールは次に「大阪狭山市」で降りてくださいとのこと、こんな掲示があるということは結構間違う人が多いに相違ない。


平成20年さやま芸術祭
 “あにまる・お~けすとら”の動物の謝肉祭


 というのが演奏会の名称で出演者はグループで演奏活動しているので見知った人が多く、親しく演奏を楽しめた。


 ところで、音楽というものは演奏者の上手下手を問題にされるが、じつは聴き手が問題なのである。演奏者というものは切れ切れの音を出しているに過ぎない。それをメロディーに仕上げるのは聴き手なのである。


 たとえば演奏者がド・レ・ミと音出ししたとする。ドと音を出した時にはまだレもミもない。レの音が出た時にはドは消えミは出ていない。聴き手の耳に入って来るのはド・レ・ミと音が順に入ってくるだけである。それではメロディーにならない。メロディーになるにはミと聞いた時にドとレが聴覚器官で保持されド・レ・ミと認識してメロディとなるのである。


 聴き手の側で音を記憶しそれによって音をつなげ音楽とする。  聴き手のこの作業がなければいかなる名手の名演奏も名演奏とはならないのである。

コメント
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