十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

命の重さ

2008年11月03日 | 生命

 今日の朝日新聞の読者の声欄に久しぶりに目にする言葉が出てきたので、それについて書いてみる。


 それは「人の命は地球より重い」という言葉である。
 田母神俊雄航空幕僚長が「我が国は侵略国家だったなどというのはぬれぎぬである」という趣旨の内容で懸賞論文に応募したことに反対意見を述べている中に出てくる。


 この「人の命は地球より重い」はもともと誰が言い出したのか私には分らないが、1977年に起こった日本赤軍によるダッカでの日航機をハイジャック事件時に、超法規的措置として服役中の過激派や爆弾魔を釈放した時、福田赳夫首相が言った言葉として有名である。それ以前は1948年に最高裁判決の中で使われたということである。


 さて、人の命ってどれくらい重さなのか、まず体重でみるとギネス載ったメキシコ人男性は560Kgだとか、小錦の倍、私の10倍以上。いずれも一人の人間だとするとこの人無駄なものをいっぱいくっつけているなあという印象、要するに食い過ぎだ。


 で、そんな体重をどう支えるか。例えば私は今椅子に坐ってタイピングしている。私の体重を椅子が支えている。しかし、椅子自体で私を支えることはできない。椅子を床が支えているから椅子は私を支えられるのである。床は建物に支えられ、建物は地面に支えられ、地面は地殻に、地殻はマントルに、マントルは外核に、外核は内核に支えられる。と考えていくと私は地球全体によって支えられている。


 その地球だって単独には存在し得ない。太陽系に支えられている。太陽系は銀河に、銀河は銀河群に、銀河群は銀河団に、銀河団も大規模構造の中にあり支えられている。大規模構造は宇宙全体に支えられてある。


 要するにこの身は宇宙全体の力がなければ支えられないということになる。
 とすると、「人の命は地球より重い」という程度では、いささか軽い扱いとなるのでないか。

コメント
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