自立は自ずから立つと書く。自分はどこに立っているのか。
その立つべき地盤は内山老師の分類によれば二つある。一つは生命地盤ともう一つは生存地盤。生命地盤はその上で生まれ生き死んでいく。私の身体を支えてくれる地盤で宇宙全体にまで広がりを持っている。
一方、頭で考えられた約束事で造られた地盤、人が生きることだけに拠って立つ地盤で死がオミットされているから老師はこの地盤を生存地盤と名付けたのである。
国、社会、組織、組合、団体等全て約束事の世界である。この世界は言葉で通じ合い、金が取引の道具となる。どこかの会社に就職し金を稼ぎ自立するというのはこの地盤に立つことなのである。
ところがこの地盤は危ういもので約束が破綻すればそこから落っこちる。高いところに登っていれば落ち目がひどいというは道理である。小室のように塀の中に落ちることになる。
大統領や首相だって落っこちる時は落っこちる。
国というのは堅いものの代表だと思っていたら、どんどん軟弱化し崩れかけている。生存地盤のものは何も当てにはならないのである。
確固たる生命地盤の上に立つ。いや、誰でも生命地盤の上に立っているのに生存地盤だけに目が向いてそれを見失っているのである。目を見開いて自らが立っている生命地盤を地固めして生きることが大切ではなかろうか。そうでなければ安心がない。
宗教とは生命地盤のことを教えるものである。ところが生存地盤のことに一所懸命という宗教もあるようである。こんなのはそもそも本来宗教というべきものではないのである。
えっ、どこって。ちょっと頭をめぐらせばすぐ分る。