「使徒信条」はキリスト教徒の信ずべきことで、これを玄義という。玄義とはなぜと聞いてはならないのである。
処女であるマリアが妊娠したなんて不合理なことも信じなければならない。我々ならどこかで輸入してきたに違いないと疑う、そんなことをしてはいけない。一度死んで3日後に甦ったり、最後の審判が必ず来るということも信じなければならない。
そもそも、全知全能というのもおかしな話なのである。全能の神がどうして人間ごときに裏切られたのか。それを人間の罪にし贖罪を求める。人間はどこまでも罪人なのである。ドジでイケズというしかない。
良いことは神様持ちで、悪いことは人間持ちなのである。
仏教も信ずるということを大切にするが、仏教は信解(しんげ)する、つまり、よく分って信じるのである。