一法寺の一法は私の戒名である。一法の寺と意味で一法寺と名づけた。昭和56年4月8日、兵庫県新温泉町久斗山にある安泰寺で先々代の住職渡部耕法老師から戒を受け老師の一字が入った一法という名をいただいた。
一法の意味としては渡部老師から説明を受けた訳ではないが、私としては次のごとく理解している。
「一心一切法 一切法一心」 を略したもの。一心と一切法がイコール。一心とは前回書いたように「自己生命の実物」それが一切法、ありとあらゆる事物と一つなのだということ。自己と世界が一体だということ。
一心一切法 といえば、自己生命が宇宙全体に展開していく感じがするし、一切法一心 という時宇宙が自己自身に収斂してくる感じがあるように思う。
大した名前をつけてもらったと思っているが、別に名前が付こうが付かなかろうが誰でも「一心一切法 一切法一心」を生きているのだということである。
注:法とは岩波の仏教辞典によると、仏教では種々の意味に用いられ、1)法則、正義、規範 2)仏陀の教法 3)徳、属性 4)因 5)事物の5種があると記述されているが、一切法という場合は事物のことである。