JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
武蔵野鉄道 武蔵大和から狭山公園前ゆき 片道乗車券 ~その1
日付が薄くて読みづらいですが、1942(昭和17)年10月に武蔵野鉄道(現・西武鉄道)武蔵大和駅で発行された、狭山公園前(現・多摩湖)駅ゆきの片道乗車券です。
白色無地紋のB型矢印式大人・小児用券になっています。
この券は本来、本小平(もとこだいら。現・小平駅に吸収合併)駅発の乗車券として作成されていたようですが、欠札となってしまったのでしょうか、武蔵大和駅発の乗車券に転用されています。
元々の発駅であった本小平駅は、現在の多摩湖線の前身である多摩湖鉄道が開業させた駅です。多摩湖鉄道はその母体となる西武グループの中核企業であった箱根土地(現・コクド)が、自社で造成した小平学園都市の販売促進と完成目前の村山貯水池の行楽客輸送を目的とした鉄道でした。
このとき、鉄道省の調整によって(旧)西武鉄道村山線(現・西武鉄道新宿線)の予定線と萩山駅で接続する予定でしたが、(旧)西武鉄道は開業前に北の方に路線を変更してしまい、接続が取れなくなってしまいます。そこで多摩湖鉄道は村山貯水池方面への距離が短くなることを考慮し、1928(昭和3)年に当初より南側の位置に萩山駅を変更し、国分寺~萩山間を開業させています。
しかし、(旧)西武鉄道との接続を考えると、萩山駅と(旧)西武鉄道小平駅間に支線(小平連絡線)を延長敷設せざるを得ず、萩山開業に前後して申請を提出し、同年11月に開業しています。この時、萩山には国分寺から小平方へカーブして行く線と、貯水池方へ行く予定線でY字型の線ができ、後のデルタ線の原型ができています。
多摩湖鉄道の小平駅延長開業は(旧)西武鉄道と連絡する前提でしたが、「両社の協議が整わず直ちに連絡しがたく、旅客の利便を計るためとりあえず(離れたところに)設計した」とあり、(旧)西武鉄道は少々離れた場所に小平駅を開業させています。多摩湖鉄道側の小平駅が当初からあったことから「本小平」と呼ばれていたようです。
これは駅が離れていることから各々を区別するためであることは明確ですが、11月の開業当時は双方とも小平駅でした。しかし、同社の起点である国分寺駅が仮駅で開業していますが、1929(昭和4)年4月の国分寺本駅開業に合わせて本小平駅と改称されています。このことから「小平」→「本小平」となったことが判ります。
その後、同社は武蔵野鉄道(現・西武鉄道)に吸収合併され、さらに1949(昭和24)年に(旧)西武鉄道と合併した現在の西武鉄道となり、村山線と接続して一つの駅となった時に再び小平駅になっています。
一方、着駅である狭山公園前駅は、多摩湖鉄道が1936(昭和11)年に開業した村山貯水池駅(初代)という駅でした。1940(昭和15)年に同社は、武蔵野鉄道(現・西武鉄道)に吸収合併されて同社の駅になりますが、1941(昭和16)年の戦時下に、軍事的に重要な貯水池の存在を隠すために狭山公園前駅に改称されます。同時にライバルだった(旧)西武鉄道村山線の村山貯水池前駅は狭山公園駅(廃駅)に、同じ武蔵野鉄道狭山線村山貯水池際駅は村山駅(現・西武球場前駅)に改称されています。