スマイリーな毎日

笑う門には福来たる

「解夏」ロケ地より見た長崎の街

2005-05-06 | 旅行
5月3日、午前中は平和公園を散歩。
その後、お昼を食べるため、市電で思案橋へ。
長崎に来たならば、トルコライスは食べねばと、目指すは、トルコライスで有名な「ツル茶ん」というお店。

トルコライスとは、バターピラフにスパゲッティ、ポークカツにカレーソースが一皿で楽しめる長崎発祥の洋食。
この店では、普通のトルコライス以外に、シーフードトルコ、チキントルコ、ランタントルコ、フリカンデルトルコ、テキトルコなどもありました。

トルコライスは、今回生まれて初めてということで、今回は冒険せずにノーマルのトルコライスを注文。
turutyan1
何か盛り合わせ方が、一人暮らしの男性の家で出てくる料理のような組み合わせ。
味は、また食べたいと思わせるほどではないが、まぁ普通においしい。

お腹も落ち着いたところで、さっそくまた長崎の町を散策。
午後は、映画「解夏」ゆかりの地を回るツアー。といっても勝手に僕が計画したツアー。

まずは、「ツル茶ん」から鍛冶屋町通りを歩いてヘイフリ坂へ。
heihurisaka
この先の階段が、冒頭及び最後のほうのシーンに出てきたらしいのですが、記憶が、、。
とりあえず、階段はむちゃくちゃ長そうなので、ここは上らず。

ちょっと寄り道して、眼鏡橋へ。
何てことのない石橋なのですが、高知のはりまや橋ほどのショックはない。
確かに横から見たら、眼鏡みたい。

その後、目指すは「興福寺」。
kouhukuji
このお寺は、1620年に中国の僧・真円によって建立されたもの。1654年に中国から渡ってきた僧・隠元がこの寺に入り、日本に初めて黄檗宗を伝えたという由緒あるお寺。
ここは、ほとんど観光客がいない。
愛想のいい猫がいて、呼んだら走ってきて、膝の上に乗ってきてかわいい。
映画のクライマックスで出てくる百日紅(さるすべり)の花は、残念ながら季節的に見ることができませんでした。

その先の龍馬通りを上って、亀山社中跡を目指す。
ryouma_street
この階段がきつい。
5月というのに真夏のような暑さの中、汗を拭き拭き、かつて龍馬が通ったといわれる道を歩いた。
やっとのことで、亀山社中跡へ。

亀山社中とは、幕末、日本発のカンパニーとして、坂本龍馬が設立した貿易商社。
ここ亀山社中跡には、幕末の志士たちの写真が多数展示されている。
とはいっても、一見普通の民家にしか見えない小さな建物。土日・祝日のみ無料開放しているそうだ。それでも、年間約1万人もの人がここを訪れるらしい。
「竜馬がゆく」の作者、司馬遼太郎氏も、もちろんここを訪れている。

近くの龍馬のぶーつ像で、長崎の景色を眺めた後、若宮稲荷神社へ。
wakamiyainari
映画で、隆之と陽子の二人が赤い鳥居の並んだ階段を歩くシーンです。
ちょっとしたワンシーンなんだけど、この赤い鳥居がすごく印象的で記憶に残っていました。

亀山社中跡では、たくさんの観光客がいたが、ここはすぐ近くなのに、ほとんど誰も歩いておらず、たいへん静か。
あまり暑いので、鳥居の階段の途中に座って飲んだ缶ジュースがおいしかった。

この後、隆之の母親がよく買いに行く饅頭屋の「いしだや万寿庵」に行こうと思ったが、ガイドブックに祝日は休みと書いてあったため、行かず。

次に、映画で出てくる「あの絵の長崎」を見るために「ホテル長崎」へ。
山の上にあるということなので、タクシーで向かった。
ホテルのロビーで、この景色が見れるとのことだったが、なんとその日は貸切で、仕切りがしてあり、入ることも見ることもできず。せっかくタクシー使ってまで来たのにと、かなりショック。
「ここであきらめては」と、駐車場を横切りホテルの裏に回ると、見えました。映画で出てきた長崎の絵の景色だ。
hotel_nagasaki_ura
これは感動!!
苦労した分、感動も大きかった。

ひとしきり景色を堪能した後、「聖福寺」へ。
地図で見る限り近そうなので、下りだから歩いていこうと、ホテル横の細い階段の続く路地を降りていく。
上から見ると眺めが良く、どっちに行けばいいか、何となく方向の見当がついていたが、いざ降りていくとジャングルに迷い込んだかのように、方向がわからなくなった。
それにしても、長崎の町というのはすごい。本当にここら辺は、人がやっとすれ違えるくらいの細い階段と民家ばかり。
この辺りに住んでいたら、まわりが階段だらけで、自転車も原付も使えなさそうだし、みんなはどうしているのだろう?と変な疑問が浮かんできました。やっぱり歩くしかないのかな。

そんなことを考え、迷いながらも、地元の人に道を聞いて、何とか「聖福寺」に到着。
syouhukuji
1677年に鉄心禅師が開いた黄檗宗の禅寺。
隆之を追って長崎にやって来た陽子との再開場面、20年前の鬼ごっこの思い出、隆之が発作で倒れ、老人に「解夏」の話を聞くシーンなどの撮影が行われた場所。

他にも見てみたかった場所がいくつかあったものの、1日ではまわりきれず。
すでに夕方になってきたので、中華街での晩御飯に備えて、一度ホテルに戻った。

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長崎で平和を祈る

2005-05-06 | 旅行

5月3日は、長崎街めぐりをする予定にしていた。

まず長崎原爆資料館へ。

原爆投下直後の惨劇の様子や被害の実相を知ることができる資料館。また、核兵器開発の歴史、平和希求など歴史性のある展示も行っています。
1945年(昭和20)8月9日、午前11時2分、長崎市の上空で原子爆弾が炸裂しました。広島に原子爆弾が落とされた3日後のことです。広島では14万人以上、長崎では7万人以上の多数の尊い命が瞬時のうちに奪われました。

館内には、投下直後の写真、爆風によってゆがんでしまった鉄橋や、熱線によって溶けてしまった瓶、それに被爆者たちの声なども、映像により聞くことができる。
原子爆弾の威力はすさまじく、目を覆いたくなる。言葉が出ず、そして、大変悲しくなるものばかりだ。

そして、この悲劇から半世紀以上が経った、現在も世界には数多くの核弾頭が存在している。唯一の核戦争被害国である日本は、このような核による悲劇を世界に伝え、非核国家として核戦争阻止・核兵器廃絶に積極的に働きかけていかないといけないでしょう。

その後、平和公園へ。
heiwakouen_nagasaki
平和祈念像。
この像は神の愛と仏の慈悲を象徴し、天にのびる右手は原爆の脅威を、水平にのばした左手は平和を、軽く閉じたまぶたは原爆犠牲者の冥福を祈っているといわれています。

すぐ近くには、原爆落下中心地碑がある。原子爆弾は、この碑の上空およそ500mで炸裂し、一瞬にして付近一帯を焼き尽くしたとのことです。

公園では、たくさんの人たちが、ベンチで休んだり、記念写真を撮ったりしていました。
アイスクリンの屋台も出ていて、ゆっくりとした平和な時間が流れています。
この時間がずっと続いて欲しいと、願わずにはいられませんでした。

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