三津嚴島神社ブログ

愛媛県松山市神田町に鎮座する嚴島神社の神主の記録

三津嚴島神社の見どころ ―注連石編―

2015年11月04日 | 境内案内
秋も深まり肌寒くなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか?
早いもので今年もあと二カ月となりました。

今月は七五三の月という事もあり、親子連れでの参拝者が増えております。
最近では両親の仕事の都合もあり、11月15日ではなく、10月中旬から11月中の吉日や土日祝日を利用してお参り頂くご家族が増えております。
せっかく当嚴島神社へ参拝いただきますので、ご祈祷以外にも境内の見どころをご紹介し、新しい発見や気づきをお持ち帰り頂けたらと思います。

まず、初めに当嚴島神社へ到着した際に目に入ってくるのが【注連石/しめいし】
書いて字のごとく両端の大きな注連石に注連縄が飾られております。
注連縄とはそこが神聖な場所であることを示すものです。
そして、この注連石こそが一つ目の見どころであります。

行書体で読みづらいかもしれませんが、注連石には
【年豊人楽/ねんぽうじんらく】
と書かれております。
意味は

年豊かにして人楽しむ


この字を書いたのが、かの有名な【三輪田米山】であります。
1908年88歳で没するまで、生涯を松山の地で書家・神職として過ごされた方です。
酒を飲んで酔った状態で書く独特の技法で、従来にない形にとらわれない書として注目を浴びています。

松山近辺で数多く神名石や注連石を残しておりますが、最大級の大きさを誇る注連石であり、威風堂々とした簡潔な行書体で迫力のある注連石となっております。
文字もさることながら石を掘った石工の技術・刻法も素晴らしく、千の底に丸味があり、やわらかさと立体感が実によく表現されており、名品中の名品だとか。


また、米山の作品中、制作年代が判明している数少ない作品で、
『日記』には明治18年12月5日に漸く人力車が迎えに来たこと、注連石建立の実地を確認して6日に揮毫を行い、7日に実家である日尾八幡神社に戻る様子が記載されています。

裏面の「昭和十八年十二月 大日本帝国」と書かれた文字は店画の自由さが目を引き「大日本帝国」の刻入はこの注連石のみです。
「楽」の最終点は、肉質では右にはみ出していたのだが、石工が気を利かせて内側に移動させたという逸話もあります。

昭和25年3月に昭和天皇が御行幸された際には
嚴島神社の前を通りかかり注連石を見るなり運転手に車を停めさせて、その文字を堪能されました。



車でお越しの方は駐車場に車を停車してから、やや戻る形になりますが、是非ご覧ください。
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