3月15日の言葉は中国の古典「大学」からの引用です。
「心ここにあらざれば、みれども見えず、聴けども聞こえず、
食らえどもその味を知らず、これ身を修むるはその心を正すにあり」
(心が別のことに奪われて、うわの空だったら、ものを見ていても見えておらず、呼びかけられても聞こえておらず、
食べていてもその味を楽しめない。わが身を修めるにはまず自分の心の働きを正す事が肝心である)
確かに、何か考え事をしていると、目の前のすばらしい景色も目に入らなかったり、
人の呼び声も聞こえなかったり、食べていても味に集中できなかったりする事がよくあります。
テレビのニュースを見ていると、毎日色んな事件が起こっておりますが
「日々起こる出来事を自分の問題としてとらえていない、心ここにあらずの状態」
だと目の前に重大な事が起こっていても、まったく他人事であり、
見ているつもりでも全く見えていない「みれども見えず」の状態になっています。
元旦に起きた能登半島地震も親戚や知人のいる方とそうでない方とでは、
関心の度合いがずいぶん違うと思いますし、遠く離れた地域の人には他人事の様に思いがちですが
「心がそこにあるかどうかで」私たちの気持ちや行動も変わってくる事でしょう。
少なくとも自分の家族や周りの人々には「心ここにあり」心をそこにおいて、
自分の問題として自分のことのように考えたいものです。
そうすれば今まで見えなかったり、聞こえなかったものが、現われて来るかもしれませんね。
今日も良い一日を!