先住民族関連ニュース

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マーク・プロトキン: アマゾンの人々が知っている我々の知らないこと

2017-12-20 | 先住民族関連
TED 12/18(月) 12:05配信
翻訳
私は民族植物学者です 熱帯雨林の住人が 植物をどう使っているか 調査する科学者です 私はずいぶん長く これをやってきましたが はっきり言って ― 彼らは森や森にある 貴重な薬について 我々が到底及び得ないくらいに よく知っています 同時に 彼ら原住民の固有文化が 森自体よりも急速に 失われようとしています アマゾンの熱帯雨林で 最も絶滅の危機に 瀕しているのは ジャガーでもなければ オウギワシでもなく 孤立した未接触部族なのです 4年前 私は山登りの事故で 足を怪我して 医者に行きました 医者は温めたり 冷やしたり アスピリンや 麻薬性鎮痛薬や 抗炎症薬を投与したり コルチゾン注射したり しましたが 効き目がありませんでした 何ヶ月か後に アマゾンの北東部の ある村に 足を踏み入れた時 シャーマンが言いました 「びっこを引いてるな」 この時のことは 生涯忘れることはないでしょう 彼は私の顔をのぞき込んで 言いました 「靴を脱いで その山刀を寄越しなさい」 (笑) 彼はヤシの木の元へ 歩いて行って シダを切ると 火にくべて それを私の足に当て ポットに入れて そのお茶を 私に飲ませました その後7ヶ月 痛みが消えました 再び痛み出したので また彼の所に行き 彼は同じ処置を してくれました それ以来3年間 痛みは出ていません 皆さんなら誰に 治療してもらいたいですか? (拍手) 誤解しないで もらいたいんですが 西洋医学は最も成功している 病気治療術です しかし穴もたくさんあります 乳がんはどうですか? 統合失調症は? 胃酸の逆流は? 不眠症は? 我々に治せないものを アマゾンの人々が治せる場合が 少なからずあるのです アマゾン北東部の呪医が リーシュマニア症を 治療しているところです やっかいな原虫性の病気で 世界で1千2百万の人々が 苦しんでいます 西洋医学では アンチモンを注射しますが 痛みがあり 高価で 重金属なので 心臓にも良くないでしょう この男はアマゾンの熱帯雨林にある 植物3種で治療してしまいます これは魔法のカエルです 私の同僚である 故ローレン・マッキンタイヤは ペルー・アンデスにある アマゾン源流の湖 マッキンタイア湖の 発見者ですが 30年前 ペルーとブラジルの国境付近で 道を見失いました 彼はマツェと呼ばれる 孤立したインディオ部族に助けられました 彼らは森の中を付いてくるように招き 彼はその通りにしました 彼らはヤシの葉の カゴを持ってきて 中からジャイアントネコメガエルを 取り出しました こんな大きなカエルです そして それを舐め始めました 強い幻覚誘発性があるんです その時のことを書いた彼の文章が 大麻の雑誌ハイタイムズの編集者の目に留まりました 民族植物学者の周りには色々と 変わった系統の人がいるんです その編集者はアマゾンに行くことにしました そいつを一発 ― あるいは一舐め試しに ― その体験を彼はこう記しています 「血圧は天井を突き破り 体のコントロールをすっかり失った バッタリ倒れて 6時間後に ハンモックの中で目を覚ました その後2日間 神になったように感じた」 (笑) イタリアの化学者が これを読んで思いました 「ジャイアントネコメガエルの 神学的側面に興味はないが この血圧の変化は いったいどういうことだろう?」 その化学者は ジャイアントネコメガエルの 皮膚のペプチドから 高血圧の新しい治療薬を作る 研究をしており 別の科学者はそこから 薬物耐性黄色ブドウ球菌への 対処法を見つけようとしています この孤立したインディオの部族と 魔法のカエルが 治療への答えだと分かったら 皮肉なものです これはアマゾンの北西部にいる アヤワスカ族のシャーマンが ヤへの儀式をしているところです 彼らの文化を守るための 資金援助が得られるよう ある基金の責任者に会わせるため 彼をロサンゼルスに連れて行きました シャーマンを見た男が 言いました 「医大には行っていないんですよね?」 「行っていない」とシャーマン 「だったら治療について 何が分かるんです?」 シャーマンは彼を見て 言いました 「伝染病にかかったなら 医者に行けばいい しかし人間の苦悩の多くは 心や魂の病だ その面で西洋医学は役に立たない それを癒すのが私だ」 (拍手) 自然から新しい医療を学ぶことが あらゆる面でバラ色というわけではありません これはブラジルにいる毒蛇で その毒は ここブラジルの サンパウロ大学で研究され 後にその毒から ACE阻害薬が開発されました 高血圧に対する 第一線の治療薬です 高血圧は死因の10%以上を 占めています この40億ドルの産業を ブラジルのヘビ毒が 支えているわけですが ブラジルの人々には 一銭も入っていません これは商売のあり方として 許容できるものではありません 熱帯雨林は地上における 生命の最高の表現であると言われています 私が好きなスリナムの言葉があります 「熱帯雨林は まだ聞いていない質問への 答えを持っている」 しかしご存じのように 熱帯雨林は急速に消失しています ここブラジルでも アマゾンでも 世界でも これは私が小型機から撮した写真で ここからは北西にあたる マットグロッソ州にある シングー族保護区の 東の境界線です 上半分が インディオの住んでいる場所で 真ん中の線が 保護区の東の境界線です 上半分がインディオ 下半分が白人です 上半分は驚異の薬をもたらし 下半分は痩せた牛がいるばかり 上半分では炭素が 森を作り出し 下半分では炭素が 大気に放出されて 地球温暖化を もたらしています 事実 炭素が大気に放出される 2番目に大きな原因が 森林破壊なのです 環境破壊について話す時 他では見られない アマゾンの壮観さも 忘れてはいけません アマゾンは美と驚異の地です 世界最大のアリクイが この熱帯雨林に住んでおり その体重は40キロにもなります ルブロンオオツチグモは 世界最大のクモですが これもアマゾンに生息しています オウギワシは翼開長が 2メートルを超えます そしてクロカイマン この怪物は体重が 500キロにもなり 人食いワニとして 知られています アナコンダ 世界最大のヘビです カピバラ 世界最大の齧歯類です ここブラジルには 重さが91キロもある カピバラの標本があります これらの生き物が住む アマゾン北東部 アクリオ族が住む地に 目を向けてみましょう 未接触部族は 我々の想像力の中で 神秘的で象徴的な役割を 担っています 自然のことを 誰よりもよく知っています 自然と完全に調和して 生きています 我々の基準に照らして 彼らを原始的と言う人もいます 「彼らは火の起こし方を知らない」 「現代文明と接触するまで知らなかった」 しかし彼らは森のことを 我々より遙かに良く知っています アクリオ族には「蜂蜜」を指す言葉が 35もあります 他のインディオ達から このジャングルの地の 真の主と目されています これは私の友達のポネイです 私がニューオーリンズの ローリングストーンズに夢中な 十代だった頃 ポネイは森の放浪者で アマゾン北東部のジャングルを 少人数のグループで彷徨い 獲物を追い 薬草を探し 他の放浪集団から 妻を見つけようとしていました 我々の知らないことを 知っていて 多くの教訓を もたらしてくれるのが このような人々なんです しかしアマゾンの 森林の多くには このような先住民はいません あるのは こういうものだけです 未接触の先住民が 石斧を研ぐのに使った 削られた岩の跡です かつて踊り 愛し 神を歌い 森を崇めた そのような文化は去ってしまい 残っているのは岩に刻まれた痕跡だけです アマゾン西部に 目を向けてみましょう 孤立部族のいる中心地です これらの点のそれぞれが 小さな未接触部族を表し コロンビア・アマゾンだけでも 14ないしは15の 孤立したグループがあると 見られています なぜ彼らは 孤立しているのでしょう? 彼らは我々の存在も 外の世界があることも知っています これは彼らなりの抵抗なのです 彼らは孤立することを選んだのです 人間としてそうあり続ける権利が 彼らにはあると思います なぜ彼らは他の人類から 姿を隠しているのか? 理由はこれです ある部分1492年に 始まったことですが 20世紀の変わり目の ゴム貿易が 大きな要因になっています アマゾンで取れる 天然ゴムへの需要が 植物版のゴールドラッシュを もたらしました 自転車のタイヤのためのゴム 自動車のタイやのためのゴム ツェッペリン型飛行船のためのゴム ゴムを手に入れようとする 狂ったような競争がありました この左側に出ている フリオ・アラナは その中でもことさら残虐な悪漢です この男の会社や 他の会社の連中が インディオを殺害し 虐殺し 拷問し 殺戮しました 右側のウイトト族の男のように 今日においてさえ 森から出て来た人々は めったにハッピーエンドを迎えません これはヌカック族です 彼らは80年代に現代文明に接触し 1年以内に40歳以上の者が みんな死にました 彼らが文字を持たないことを 思い出してください 年長者は彼らの図書館なのです シャーマンが1人死ぬのは 図書館が1つ焼失する ようなものなのです 彼らは土地を追われました 麻薬密売人に土地を奪われ ヌカック族の人々は 東コロンビアの公園で 乞食として生きています ヌカックの地の 南西にある 世界で最も壮観な地に 目を移しましょう チリビケテ国立公園です 3つの孤立部族に 囲まれた地でしたが コロンビア政府や コロンビアにいる同僚達のお陰で 拡張され メリーランド州より 広くなっています 植物多様性の宝庫です この地の植物を1943年に 最初に調査したのは 私の師である リチャード・シュルテスです この写真は彼が カリホナ族の聖なる山 ベルマウンテンの 頂上にいるところです この場所の今日の様子を ご覧に入れましょう チリビケテの上を飛ぶと この失われた世界の山々が 未だ失われたままなのが分かります 科学者は誰も これらの山に登っていません 1943年にシュルテスが 登って以来 ベルマウンテンに 登った者はいません ベルマウンテンに たどり着きました 映像の右手に見えています 今日の様子です ここは植物多様性の宝庫 であるだけでなく 3つの孤立部族の 棲み家であるだけでもなく コロンブス以前の絵画の 世界最大の宝庫でもあるんです ここには20万点以上の 絵画があります オランダの科学者 トーマス・ファン・デア・ハーメンは 「アマゾン熱帯雨林のシスティーナ礼拝堂」 と形容しました チリビケテの南東に 目を向けましょう ここもまたコロンビア・アマゾンです コロンビア・アマゾンは ニューイングランドよりも広いんです アマゾンは大きな森で ブラジルはその大きな部分を 占めていますが すべてではありません カウイナリとプレの 2つの国立公園があります コロンビア・アマゾン内で 右にブラジルとの国境があります ここにもいくつか 孤立した未接触部族がいます よく見ると これらモロカと呼ばれる 住居の屋根の形には 文化的な多様性が 見て取れます こちらは別の部族になります 孤立した地域ですが 外の世界からいろんな人々が 入り込んでいます プトゥマヨでは 貿易や輸送が増加しています コロンビア内戦の収束とともに 外から人が 入ってくるようになりました 違法な金鉱採掘者が北から あるいは 東のブラジル側から 入ってきます 商業的な狩猟や漁業が 増加しています 南から違法な森林伐採業者が来ます 麻薬密売人が公園を通り抜けて ブラジルへ行きます かつて人々が孤立したインディオに 関わらなかったのは このためです この写真がピンぼけなのは 急いで撮る必要があったためです (笑) これはまるで ― (拍手) ブラジル・アマゾンの 格納庫の写真みたいですが 実はキューバのハバナで開かれた 展覧会での写真です 未接触インディオに 干渉すべきでない理由を表現した ロス・カルピンテロスというグループの作品です しかし世界は変化しています これはブラジルとペルーの国境辺りにいる マシコ・ピロ族で 麻薬密売人や木材伐採業者に 追い立てられて ジャングルから さまよい出て来ました ペルーでは「人間サファリ」と呼ばれる 嫌らしいビジネスが 行われています 観光客を孤立部族の元に連れて行って 一緒に写真を撮るんです 彼らに服や道具を与えると同時に 病気ももたらすことになります 私は「非人道的サファリ」と呼んでいます これもペルー国境付近の インディオの写真で 宣教師の飛行機が 撮ったものです 彼らをキリスト教徒に 変えようと言うのです それがどんな結果になるかは 知っての通りです 我々は何を為べきでしょうか? 未接触部族への干渉を避け 現代文明と接触のある部族に 文化に配慮しつつ テクノロジーを渡すことです これは太古のシャーマンの知恵と 21世紀テクノロジーの 理想的な結婚です 私たちをこれを 30以上の部族に対して行い 先祖伝来の30万平方キロに及ぶ 熱帯雨林の地を 地図にし 管理し 保護しています (拍手) こうすることで インディオが自分達の ― 環境と文化の運命を 自分で決めることができます 部外者が入り込まないよう 監視所も建てています 公園保護官として訓練された インディオ達が 境界をパトロールして 外の世界を閉め出しています これは実際の接触の場面です ブラジルとペルーの国境地帯にいる チトナワ族です 助けを求めて ジャングルから出てきました 彼らは銃で襲撃され 家を焼かれ 虐殺された者もいます 機関銃を使って 未接触部族の人々を虐殺するというのは 今日地上で行われている 最も忌むべき非人道的行為であり 何としても やめさせなければなりません (拍手) この仕事は精神的に 報われるものですが 困難で危険でもあります 2人の同僚が 小型機の墜落のため 最近亡くなりました 彼らは未接触部族を守るため 森で働いていました 疑問は いったいどんな未来が 待っているのかということです これはブラジルにいる ヨラ族です 彼らを待っている未来は 我々を待っている未来は 何でしょう? 違った考え方をしてみましょう より良い世界を作りましょう 気候が変わるのなら 悪い方ではなく 良い方に変えましよう 植物が生い茂る星に 暮らしましょう 彼らがそう望むなら 孤立した人々が 孤立したままで居て その神秘と知識を 保てるようにしましょう 森に住むシャーマンが 不思議な草と 聖なるカエルで みんなを癒してくれる世界で 生きることにしましょう ありがとうございました (拍手)
「アマゾンの熱帯雨林で最も絶滅の危機に瀕しているのは、ジャガーでもなければオウギワシでもなく、未接触部族である」とマーク・プロトキンは言います。情熱的でハッとさせられるこの講演で、民族植物学者の彼が、森に住む原住民やシャーマンが治療に使う驚くべき薬草の世界へと私たちを誘ってくれます。そして未接触部族に迫る問題や危機、彼らの知恵を描き出し、このかけがえのない知の宝庫を守る必要を訴えます。 ( translated by Yasushi Aoki , reviewed by Reiko Bovee )
https://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20171218-00002141-ted

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アイヌ象徴空間、整備費に36億円 補正と合算で

2017-12-20 | アイヌ民族関連
北海道新聞12/19 05:00
 政府は18日、2020年4月に胆振管内白老町に開業するアイヌ民族の文化復興拠点「民族共生象徴空間」の整備費として、2018年度の北海道開発予算に20億円、17年度補正予算に16億円を計上する方針を固めた。合算すると17年度当初予算比4・7倍の36億円となり、18年度予算の概算要求(32億円)を上回る。
 政府は5月、象徴空間の開業日を、当初予定した20年7月から、3カ月ほど前倒しして4月24日にすることを発表した。これにより18年度に着工する「体験交流ホール」や「体験学習館」の発注を急ぐ必要が生じた。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/152167

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バングラデシュで、私たちが「ピクニックに行こう!」と言えば…この場所に「ありがとう」を込めて。

2017-12-20 | 先住民族関連
ハフィントンポスト 2017年12月19日 10時35分 JST | 更新 17時間前

Natsumizo
先日、チッタゴン丘陵地帯の友人たちとピクニックに出かけました。
ピクニックメンバーの民族構成は......マルマ6人、チャクマ3人、ラカイン1人、ムロ1人、現地化したい日本人1人(私)の計12人。兎にも角にも「パハリ=山人」(チッタゴン丘陵地帯の少数民族)なメンツです。
こんな時、私たちは、最も人数の多い民族の言葉(この時はマルマ語)か、バングラデシュの国語であるベンガル語で会話をします。
こちらでは、みんな(特に男子が)地元をピクニックすることが本当に好きで、例えば3連休あったとしたら3日間ピクニック三昧、もしくは3日コースで計画を練ったりします。たまに、地元以外の観光地にバスで......ということもありますが。
「ピクニックに行こう!」と誘われるのは、私にとっても大きな喜びのひとつです。子ども時代から父の趣味でアウトドア好きに育ったことも、今に繋がっている気がして嬉しいです。
そんな私たちのピクニックコースとは......山を登るか、川・湖で泳ぐ(シャンプー持参で入浴も兼ねる)か、滝に打たれるか、村の民家を尋ねる、などが定番です。そのうち今回は、登山と最高のピクニックランチをご紹介します♡
カプタイ湖とその真実
チッタゴン丘陵地帯3県の真ん中にあるランガマティ。ここでどこかに出かけたら、途中必ず「カプタイ湖」を見かけることになります。片手にプタイ湖、そして逆には緑の山々という景色の中、その間にあるカプタイロードをバイクやCNG(バングラデシュの定番移動手段である天然ガス自動車。写真では緑色のもの)で突き抜けるのが私は大好きで、これまで何度も通過してきたルートでも飽きずに魅了されます。
そんな美しきカプタイ湖ですが、実はかつてここにあったチャクマ王宮や、有名な僧侶の生まれた村、それに多くの人々の家を沈めて造られた人工湖なのです。
1962年(バングラデシュがまだパキスタンだった頃)、カプタイ湖は先住民族の同意を得ないまま、半強制的に造られました。主に街で利用するための電気を発電するカプタイダムのために。水没した土地は、チッタゴン丘陵地帯の耕作地約4割にもあたり、最も肥沃な土地であったと言われます。それと同時に、居場所を失った先住民族十万人ほどが隣国インドへ移り難民となりました。
ダム建設を機に、その労働力としてマジョリティであるベンガル人がこの土地へ入り込み始めました。様々な問題が積み重なって、1972年についにこの場所でマジョリティ(政府)とマイノリティ(先住民族側のグループ)の紛争が始まり、80年代には政府の入殖政策が行われ、バングラデシュの他の地域から貧困土地なし農民がここへ大量に連れてこられました。政府は入植者に、先住民が慣習で使っていた土地を与え、食料の配給をして住まわせることをしました。紛争状態が約20年も続いた末、1997年ピース アコード(和平協定)を結ぶに至りましたが、協定は守られないことが多く......、これは「チッタゴン丘陵問題」と名付けられ、未だその緊張感が続いています。
カプタイ湖ができる頃まで、この地における先住民族とベンガル人比率は9:1でしたが、今では4:6にひっくり返っています。
ただ美しいだけでなく、そのような悲しみも秘めたカプタイ湖ですが、私や、土地を侵された現地の人たちでさえこの湖を憎みきれず、時に癒されたり、水を渡ることを楽しんだり、カメラを向けたり、今では生活のための魚を獲ることもしています。感情は複雑ですが、カプタイは、そんな不思議な存在としてここにあります。
待ち合わせ場所まであと一歩はボードで
カプタイロードを一時間ちょっと走り、待ち合わせ場所のチンムロンというマルマ民族の村へ向かったのですが、CNGを降りてあともう一歩!というところで、ボートに乗って向こう岸まで渡らなくてはなりません。
ほんの少しの距離なのに......とは思いますが、カプタイ湖を渡るため、また季節(雨期)によって大きな水溜まりが出現するのも常習的で、ボートの乗り継ぎがあることは現地の人にとっては当たり前のことなのです。
ここまで来るのもやっと......だというのに、実はここからがピクニック本番です(笑)。
チンムロン村で待ち合わせした12人(この日が初対面の方も)で、山の頂点を目指してピクニックを開始しました。私たちの共通点は、パハール(山)を愛するパハリであること! 目標は、ゴールでおいしいごはんを食べること!
左の遠景の写真の中で、オレンジのスカートが私です。緑のTシャツの男の子は、暑さを凌ぐため(+おもしろキャラ担当だそうで)登山中に葉っぱで作った自然帽子をかぶり、背中にピクニックランチを料理するためのパティラ(鍋)を背負っています。
5回休憩
登山道という登山道はなく、山奥に暮らす人々が通った跡のような小道を、一列で黙々と進みます。木陰でちょっと吹いた冷たい風に喜んだり、その他 山小屋で、お茶屋さんで、古いお寺で......とあいだに休憩を入れながらゴールを目指します。
私の記事(リンクhttps://www.abroaders.jp/client/article-detail/1693)で何度か名前を挙げてきた、チッタゴン丘陵地帯のトレードマークとも言える「ジュム ゴール」。
「焼畑の家」という意味で、山間にちょこっと見かけます。私はこれを見付けると、いつもほんわか幸せな気持ちになるのですが、この日はなんと、そんなジュムゴールに座って休み、またそのジュムゴールから一目でたくさんのジュムゴールを見られたのです(いくつか家屋も混ざっています)。私にとってそれらは、夜空の星を眺める時のようにときめくものです!!
そして、(日本語記事だからと思って安心して書くのですが)ここで持参した地酒も嗜みながら......エナジー補給!やはりお酒がタブーのイスラム教の国ではこれは大々的に書けないのですが(とはいえ、チッタゴン丘陵地帯や国境沿いの少数民族が暮らす地域ではタブーではありません)、私はここの少数民族とお酒は切り離せないものだと思っています。
道中で出会う人々や景色に癒されながら
道中会う人々との会話も楽しく過ごすうちに、頂上へ着きました。
ピクニックランチ
頂上のゴールでひと休みした後、涼しい水辺を探しました。そこでお待ちかねの昼食の準備に入ります。
メンバーそれぞれがそこら辺から、火を起こすための枝や、お皿にするためのバナナの葉を集めてきたり、村から背負ってきたジャガイモを茹でる者、乾燥魚を炙る者、玉ねぎ・青唐辛子を刻む者、川で米を洗う者、音楽係として歌う者、4時間程かけて昇ってきた汗をさっそく流す者、しばらく水遊びする者に分かれ......みんな思い思いに楽しみながら、昼食というゴールを目指します。
今まで、この地域でのピクニックを何度か経験してきた私も、ゴール地点でご飯を作ることは初めてで、みんなの慣れた手つきに感動しました。街から持参せずとも自然の中で調達できる知恵、自然の恵みをよく知っていること、バナナの葉をお皿にする時一度炙ると葉が裂けなくなることなど(笑)、色々勉強になりました。
内容はシンプルなジャガイモだけのカレーでしたが、本っっっ当においしかった! お酒のおつまみに、シュッキー(乾燥魚)と玉ねぎ・青唐辛子を和えたものも♡
■この日のお料理工程ムービーはコチラ(リンク)
https://www.youtube.com/watch?v=LGbPWG9514U&feature=youtu.be
ちなみに、これまでのピクニックでは周辺の民家を訪ねてご馳走になる、という計画が多く、日本人の感覚では「え! それって迷惑じゃないの?」と思われてしまいそうですが、「ジュンモはみんな親戚なのか?」と思うくらい家々が垣根なく開かれていて、地元の若者がこうして巡って来ることも歓迎する姿勢があります。それは、彼らがこうした地元探索をただただしているわけでもなく、地元に返上する活動に結びつけることが多いので、そうした堅い信頼関係の証なのだとも思います。
この場所に「ありがとう」を込めて
私たちがこの日も生き生きと楽しく、この場所でおいしくご飯をいただけたのは、この山の恵みのおかげ。そんな感謝の気持ちを込めて、彼らは彼らが食べる前、ピクニックをする場所へ、いつもこうしてご飯をお供えします。
この習慣を見て、私は昔祖母の家で見た記憶を思い出しました。夕ご飯前になると、おばあちゃんが仏様にきちんとごはんとおかずを盛ったお盆を供えていたことを......。
思い出とリンクしたのも含め、ここではこんな若い男の子たちでもそれを忘れずにするところが、私がこの場所や人々を好きな理由なのだなぁと改めて思いました。
ご飯を食べ終えたら、あたりはあっという間に暗くなり始めました。明かりのまったくない山道を急げ急げと進み、帰り道は近道コースで下り、最後は川を下ってボートで街まで帰りましたとさ。めでたしめでたし!
Ambassadorのプロフィール
Natsumizo
1985年、宮城県女川町生まれ、青森県育ち。日本大学藝術学部映画学科在学時に、ドキュメンタリー制作のためバングラデシュを訪れる。卒業後、Documentary Japanに務める。2014年、学生時代作品への心残りや日本よりも居心地の良さを感じていたバングラデシュに暮らし始めることにし、作品テーマや自分の役目(仕事)を再び探すことに...その中で出会ったこの国の少数民族に魅力とシンパシーを感じて、彼らと共に生活していきたいと思う。ドキュメンタリー作品『One Village Rangapani』(国際平和映像祭2015 地球の歩き方賞および青年海外協力隊50周年賞受賞 http://youtu.be/BlxiN2zYmjE)、カメラ教室、クラウドファンディングや写真集『A window of Jumma』の制作などを行ってきたが、この地で映像作品制作を続け、この先は映画上映会(配給)や映画祭などの企画にも挑戦していきたいという夢を抱いている
http://www.huffingtonpost.jp/abroaders/bangladesh-picnic_a_23306011/

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宇井眞紀子さん、アイヌ民族を撮る 新宿できょうまで /東京

2017-12-20 | アイヌ民族関連
毎日新聞2017年12月20日 地方版
 アイヌ民族の姿を撮り続けるフォトグラファー、宇井眞紀子さん(57)の写真展「アイヌ、現代の肖像」が新宿区新宿1のアイデムフォトギャラリー「シリウス」で20日まで開かれている。
 宇井さんは、女性報道写真家の草分けとして知られる笹本恒子さん(103)の名を冠して創設された「笹本恒子写真賞」(日本写真家協会主催)の第1回受賞者。
(全文303文字)
https://mainichi.jp/articles/20171220/ddl/k13/040/006000c

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