先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

北海道沖「M9切迫」予測 大津波アイヌにも伝承

2017-12-24 | アイヌ民族関連
東京新聞 2017年12月23日
 北海道沖の千島海溝沿いを震源とするマグニチュード(M)9級の超巨大地震が迫りつつあるという。こんな衝撃的な予測を公表した政府の地震調査委員会は、発生は「三百四十~三百八十年」周期とし、前回から四百年がすぎていると警告する。実際、沿岸地域には過去に何度も大地震に見舞われた痕跡が残る。実はアイヌ民族にも大津波の伝承が残っている。巨大災害の教訓をどう生かすべきか。 (佐藤大、白名正和)
【こちらは記事の前文です】
記事全文をご覧になりたい方は、東京新聞朝刊をご利用ください。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2017122302000159.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ遺骨 海外調査費500万円 早期返還に予算計上

2017-12-24 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2017年12月23日 07時44分
 政府は22日に閣議決定された2018年度予算案に海外のアイヌ遺骨の所在を調査し、日本への返還手続きを進める調査費500万円を盛り込んだ。海外でのアイヌ遺骨の調査事業は初めて。既に返還の意向を表明しているオーストラリアに対し、早期に返還手続きを進める考えだ。
 アイヌの遺骨は19世紀ごろに人類学の研究資料として海外に数多く持ち出されたとされる。昨年8月、北海道内で盗掘された遺骨をドイツの学術団体が保管していたことが分かり、今年7月に138年ぶりに返還された。このほか、オーストラリアやロシアで確認されているほか、米英やチェコなどの研究機関にも保管されているとみられる。
 国内の大学などに保管されている遺骨については、文部科学省が引き続き調査を進めており、新年度の調査費として1300万円を計上した。
 アイヌ団体は遺骨返還と先祖供養の儀式による慰霊を強く望んでおり、内閣官房アイヌ総合政策室は「海外に残る遺骨をできるだけ速やかに返還できるよう働きかけたい」としている。【田所柳子】
https://mainichi.jp/articles/20171223/k00/00e/040/188000c

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平和、北海道北広島市にIR提案 自然・芸術・スポーツを融合

2017-12-24 | アイヌ民族関連
SankeiBiz 2017.12.23 05:00
 平和(東京都台東区東上野)は13日、北海道北広島市に対して統合型リゾート(IR)開発を提案した。
 同社は遊技機メーカーである一方、「もっと楽しめる未来をつくろう」を合言葉に、全国に140カ所のゴルフ場を保有・運営するPGMホールディングスを子会社化するなど、社会の発展に貢献する総合レジャー企業を目指して事業を展開している。
 その活動の一環としてIR進出の検討を重ねてきた結果、四季を通じて国内外の観光客を魅了し、多様な文化や豊かな自然を誇る北海道で、PGMホールディングスが保有する「札幌北広島ゴルフ倶楽部」(約280万平方メートル)を活用した開発が最適であると判断した。
 IRのコンセプトは「世界初の四季を通じた自然・芸術・スポーツが融合した統合型リゾート」。なお、敷地内には約5000人の収容が可能な国際会議場を含む国内最大級のMICE施設や2000室規模の五つ星宿泊施設に温泉、広大な土地と豊かな自然環境を生かしたアジア最大の屋外劇場・ランドアートミュージアム、多様な種目に対応するウインタースポーツ施設、北海道特有のアイヌ文化や食文化を生かしたレクリエーション施設の整備と、メジャーな国際大会を誘致できる国内最上級のゴルフ場への改修を掲げる。
 今後は、IR実施法案の作成・審議状況を見ながら、同時に開かれた形で関連事業者が参画できるコンソーシアムを形成すべく、北海道内において関心のあるすべての事業者をはじめ、国内外の関連事業者や国外の大手IRオペレーターとも協議を進め、実現に努めていくとしている。(ニュース提供・LOGOS×娯楽産業)
https://www.sankeibiz.jp/business/news/171223/bsc1712230500001-n1.htm

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日帰り客100万人割る 前年度比は微減-白老町

2017-12-24 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2017/12/22
 白老町がまとめた2017年度上半期(4~9月)の観光入り込み客数は104万2910人で、前年度同期比2万3101人、2.2%減少した。うち、宿泊客は5907人増の4万8674人だったものの、日帰り客は2万9008人、2.8%減の99万4236人にとどまった。
 地区の内訳は、虎杖浜温泉地区が1万2208人減の48万9889人、白老地区が1万893人減の55万3021人。
 このうち虎杖浜温泉地区の入り込みでは、ホテル・旅館の宿泊が温泉宿泊施設の再開により6134人増の4万5899人、虎杖浜三大まつりの知名度向上でまつり・イベントには3560人増の1万1500人が訪れた。一方、ホテル・旅館の日帰りは1万6325人減の7万1872人、陶芸体験コース終了に伴い体験・ツーリズムが2037人減の77人、外国人観光客の旅行形態が団体から個人へ移行していることに伴う大型飲食店の来店客数が減少し、飲食店・みやげが1万2417人減の25万4748人だった。
 白老地区の主立った要素では、新店開業などにより飲食店・みやげ関係の利用が1万8318人増の23万3634人。民族共生象徴空間開設1000日前イベントとなった元気まちしらおい港まつりの来場者数が前年の2倍になるなどして、まつり・イベントが3617人増の13万717人だった。ただ、ポロト温泉の閉鎖に伴いホテル・旅館の日帰りが1万9091人減の120人、体験施設の教育旅行受け入れ減少により体験・ツーリズムが3505人減の7756人、キャンプ場利用者の減少によりスポーツ・レクリエーションが5534人減の4万4056人だった。
 外国人観光客の宿泊客数は2486人増の4620人。主な国籍は、中国が1920人で最も多く、韓国が852人、台湾545人、香港419人。アイヌ民族博物館は511人減の3万4842人で、韓国が2万788人と最多。次いでタイが3049人、シンガポール2450人、マレーシア1749人、中国1348人だった。
https://www.tomamin.co.jp/news/area2/12864/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「縄文人」は独自進化したアジアの特異集団だった!

2017-12-24 | アイヌ民族関連
読売新聞 2017年12月15日 05時20分メディア局編集部 伊藤譲治
 日本人のルーツの一つ「縄文人」は、きわめて古い時代に他のアジア人集団から分かれ、独自に進化した特異な集団だったことが、国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の斎藤 成也 なるや 教授らのグループによる縄文人の核DNA解析の結果、わかった。現代日本人(東京周辺)は、遺伝情報の約12%を縄文人から受け継いでいることも明らかになった。縄文人とは何者なのか。日本人の成り立ちをめぐる研究の現状はどうなっているのか。『核DNA解析でたどる日本人の源流』(河出書房新社)を出版した斎藤教授に聞いた。
世界最古級の土器や火焔土器…独自文化に世界が注目
 縄文人とは、約1万6000年前から約3000年前まで続いた縄文時代に、現在の北海道から沖縄本島にかけて住んでいた人たちを指す。平均身長は男性が160センチ弱、女性は150センチに満たない人が多かった。現代の日本人と比べると背は低いが、がっしりとしており、彫りの深い顔立ちが特徴だった。
 世界最古級の土器を作り、約5000年前の縄文中期には華麗な装飾をもつ火焔かえん土器を創り出すなど、類を見ない独自の文化を築いたことで世界的にも注目されている。身体的な特徴などから、東南アジアに起源をもつ人びとではないかと考えられてきた。由来を探るため、これまで縄文人のミトコンドリアのDNA解析は行われていたが、核DNAの解析は技術的に難しかったことから試みられていなかった。
 斎藤教授が縄文人の核DNA解析を思い立ったのは、総合研究大学院大学教授を兼務する自身のもとに神澤秀明さん(現・国立科学博物館人類研究部研究員)が博士課程の学生として入ってきたことがきっかけだった。「2010年にはネアンデルタール人のゲノム(全遺伝情報)解読が成功するなど、世界では次から次に古代人のDNAが出ていたので、日本でもやりたいと思っていた。神澤さんが日本人の起源をテーマにしたいということだったので、縄文人の核DNA解析に挑戦することにした」と振り返る。
福島・三貫地貝塚人骨のDNA解読に成功
 問題は、縄文人骨をどこから手に入れるか、だった。ねらいをつけたのは、自身が東大理学部人類学教室の学生だったころから知っていた東大総合研究博物館所蔵の福島県・三貫地さんがんじ貝塚の人骨だった。同貝塚は60年以上前に発掘され、100体を超える人骨が出土した約3000年前の縄文時代後期の遺跡。同博物館館長の諏訪元げん教授に依頼すると、快諾。男女2体の頭骨から奥歯(大臼歯きゅうし)1本ずつを取り出し、提供してくれた。
 解析を担当する神澤さんがドリルで歯に穴を開け、中から核DNAを抽出。コンピューターを駆使した「次世代シークエンサー」と呼ばれる解析装置を使い、核DNAの塩基32億個のうちの一部、1億1500万個の解読に成功した。東ユーラシア(東アジアと東南アジア)のさまざまな人類集団のDNAと比較したところ、驚くような結果が出た。中国・北京周辺の中国人や中国南部の先住民・ダイ族、ベトナム人などがお互い遺伝的に近い関係にあったのに対し、三貫地貝塚の縄文人はこれらの集団から大きくかけ離れていた。
 「縄文人は東南アジアの人たちに近いと思われていたので、驚きでした。核DNAの解析結果が意味するのは、縄文人が東ユーラシアの人びとの中で、遺伝的に大きく異なる集団だということです」と斎藤教授は解説する。
アジア集団の中で最初に分岐した縄文人
 20万年前にアフリカで誕生した現生人類(ホモ・サピエンス)は、7万~8万年前に故郷・アフリカを離れ、世界各地へと広がっていった。旧約聖書に登場するモーセの「出エジプト」になぞらえ、「出アフリカ」と呼ばれる他大陸への進出と拡散で、西に向かったのがヨーロッパ人の祖先、東に向かったのがアジア人やオーストラリア先住民・アボリジニらの祖先となった。
 縄文人は、東に向かった人類集団の中でどういう位置づけにあるのか。「最初に分かれたのは、現在、オーストラリアに住むアボリジニとパプアニューギニアの人たちの祖先です。その次が、縄文人の祖先だと考えられます。しかし、縄文人の祖先がどこで生まれ、どうやって日本列島にたどり着いたのか、まったくわかりません。縄文人の祖先探しが、振り出しに戻ってしまいました」
 アフリカを出た人類集団が日本列島に到達するには内陸ルートと海沿いルートが考えられるが、縄文人の祖先はどのルートを通った可能性があるのだろうか。「海沿いのルートを考えています。大陸を海伝いに東へ進めば、必ずどこかにたどり着く。陸地に怖い獣がいれば、筏いかだで海へ逃げればいい。海には魚がいるし、食料にも困らない。一つの集団の規模は、現在の採集狩猟民の例などを参考にすると、100人とか150人ぐらいではなかったかと思います」と斎藤教授は推測する。
分岐した時期は2万~4万年前の間
 では、縄文人の祖先が分岐したのはいつごろか。「オーストラリアやパプアニューギニアに移動した集団が分岐したのが約5万年といわれるので、5万年より古くはないでしょう。2万~4万年前の間ではないかと考えられます。日本列島に人類が現れるのが約3万8000年前の後期旧石器時代ですから、4万年前あたりの可能性は十分にある」と指摘。「旧石器時代人と縄文時代人のつながりは明確にあると思う。後期旧石器時代はもともと人口が少ないですから、日本列島にいた少数の後期旧石器時代人が列島内で進化し、縄文人になった可能性も考えられます」と語る。
 また、縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。ヤマト人が縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。「その後、核DNAを解析した北海道・礼文島の船泊ふなどまり遺跡の縄文人骨(後期)でも同じような値が出ているので、東日本の縄文人に関してはそんなにずれることはないと思う」。アイヌと沖縄の人たちの遺伝情報の割合についてはヤマト人ほどくわしく調べていないとしたうえで、「アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか」と推測する。
 以前から、アイヌと沖縄の人たちとの遺伝的な類似性が指摘されていたが、なぜ北のアイヌと南の沖縄の人たちに縄文人のDNAが、より濃く受け継がれているのだろうか。
 日本人の成り立ちに関する有力な仮説として、東大教授や国際日本文化研究センター教授を歴任した自然人類学者・埴原はにはら和郎かずろう(1927~2004)が1980年代に提唱した「二重構造モデル」がある。弥生時代に大陸からやってきた渡来人が日本列島に移住し、縄文人と混血したが、列島の両端に住むアイヌと沖縄の人たちは渡来人との混血が少なかったために縄文人の遺伝的要素を強く残した、という学説だ。斎藤教授は「今回のDNA解析で、この『二重構造モデル』がほぼ裏付けられたと言っていい」という。
遺伝的に近かった出雲人と東北人
 日本人のDNAをめぐって、もう一つ、意外性のある分析結果がある。
 数年前、島根県の出雲地方出身者でつくる「東京いずもふるさと会」から国立遺伝学研究所にDNAの調査依頼があり、斎藤教授の研究室が担当した。21人から血液を採取してDNAを抽出、データ解析した。その結果、関東地方の人たちのほうが出雲地方の人たちよりも大陸の人びとに遺伝的に近く、出雲地方の人たちは東北地方の人たちと似ていることがわかった。
 「衝撃的な結果でした。出雲の人たちと東北の人たちが、遺伝的に少し似ていたのです。すぐに、東北弁とよく似た出雲方言が事件解明のカギを握る松本清張の小説『砂の器』を思い出しました。DNAでも、出雲と東北の類似がある可能性が出てきた。昔から中央軸(九州北部から山陽、近畿、東海、関東を結ぶ地域)に人が集まり、それに沿って人が動いている。日本列島人の中にも周辺と中央があるのは否定できない」と指摘。出雲も東北地方も同じ周辺部であり、斎藤教授は「うちなる二重構造」と呼んで、注目している。その後、新たに45人の出雲地方人のDNAを調べたが、ほぼ同じ結果が得られたという。
日本列島への渡来の波、2回ではなく3回?
 斎藤教授は、この「うちなる二重構造」をふまえた日本列島への「三段階渡来モデル」を提唱している。日本列島への渡来の波は、これまで考えられてきた2回ではなく3回あった、というシナリオだ。
 第1段階(第1波)が後期旧石器時代から縄文時代の中期まで、第2段階(第2波)が縄文時代の後晩期、第3段階(第3波)は前半が弥生時代、後半が古墳時代以降というものだ。「第1波は縄文人の祖先か、縄文人。第2波の渡来民は『海の民』だった可能性があり、日本語の祖語をもたらした人たちではないか。第3波は弥生時代以降と考えているが、7世紀後半に白村江の戦いで百済が滅亡し、大勢の人たちが日本に移ってきた。そうした人たちが第3波かもしれない」と語る。
 このモデルが新しいのは、「二重構造モデル」では弥生時代以降に一つと考えていた新しい渡来人の波を、第2波と第3波の二つに分けたことだという。この二つの渡来の波があったために「うちなる二重構造」が存在している、と斎藤教授は説く。
弥生・古墳人も解析、沖縄では旧石器人骨19体出土
 日本人の成り立ちをめぐり、現在、さまざまなDNA解析が行われ、新たな研究成果も出始めている。「神澤さんや篠田謙一さんら国立科学博物館のグループは、東日本の縄文人骨や弥生人骨、北九州の弥生人骨、関東地方の古墳時代人骨など、数多くの古代人のゲノムを調べています。北里大学医学部准教授の太田博樹さんらの研究グループは愛知県・伊川津いかわづ貝塚の縄文人骨のDNAを解析していますし、東大理学部教授の植田信太郎さんの研究グループは、弥生時代の山口県・土井ヶ浜遺跡から出土した人骨から核ゲノムDNAの抽出に成功しています」
 古代人と現代人はDNAでつながっているため、現代人を調べることも重要になってくる。「いま『島プロジェクト』を考えています。島のほうが、より古いものが残っているのではないかと昔から言われている。五島列島や奄美大島、佐渡島、八丈島などに住む人たちを調べたい。東北では、宮城県の人たちを東北大学メディカル・メガバンクが調べているので、共同研究をする予定です。日本以外では、中国・上海の中国人研究者に依頼して、多様性のある中国の漢民族の中で、どこの人たちが日本列島人に近いのかを調べようとしています」と語る。
 縄文時代以前の化石人骨も続々と見つかっている。日本本土で発見された後期旧石器時代人骨は静岡県の浜北人だけだが、近年、沖縄・石垣島の白保竿根田原しらほさおねたばる洞穴遺跡から約2万7000年前の人骨が19体も出土し、学際的な研究が進められている。
 分子(ゲノム)人類学の進展と技術革新で、謎に満ちた縄文人の由来や日本人の起源が解き明かされる日が、近い将来、きっと訪れるだろう。
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする