先住民族関連ニュース

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春風亭昇太、徹子を前にマニアック過ぎる城トーク

2016-09-17 | アイヌ民族関連
スポーツ報知 2016年9月16日14時17分

 「笑点」司会者に抜てきされた落語家の春風亭昇太(56)が16日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜、正午)に出演。マニアック過ぎる城トークを展開した。
 昇太は日本全国での落語会の合間を縫って、城を巡るのが趣味。きっかけは自身が静岡県静岡市清水区二の丸町生まれだったこと。「二の丸」と城を連想させる地名ながら、城の形跡がなかったことから興味を持ち、調べたところ「江尻城」があったことが分かったという。趣味が高じて11年に「城あるきのススメ」という著書を出版している。
 昇太によると日本には3000もの城があったそう。紹介されたアイヌの城「チャシ」の写真は一見野原で「まったく普通(の景色)」と話す徹子に対し、昇太は「あのくぼんでるところが堀の跡なんですよ」。昇太は堀の掘り方で今川家、徳川家、武田家などがわかるといい「はー」「へーっ」と徹子は感心しきりだった。
 昇太はほかにも「昭和の家電」「自宅に客用のカウンター」「グループサウンズのバンド活動」といった“独身貴族”ならではの多趣味な一面を披露。「せっかく生んでもらったんで楽しいことをたくさんしたい。日本は豊かな国。せっかくこういう国に今いるんだから、楽しいことをたくさんしようと思って。“当たるを幸い”にいろんなことをしています」と昇太。“独身仲間”の徹子も「そうそう」と相づちを打っていた。
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20160916-OHT1T50134.html

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タトゥー入浴、悩む施設 増える訪日客、分かれる対応

2016-09-17 | 先住民族関連
NIKKEI STYLE 9月16日(金)7時0分配信
 首都圏の温浴施設や旅館でタトゥー(入れ墨)をしている人の入浴を認めるかで対応が分かれている。ファッションのほか文化的な理由で、タトゥーをしている外国人観光客の来館が増えているためだ。シールで隠すなどの対応で認める施設も登場している。ただ、他の利用者への影響を懸念し、慎重な施設が大半だ。増え続ける外国人と既存の顧客への配慮との間で各施設は頭を悩ませている。
 温泉道場(埼玉県ときがわ町)が運営する温浴施設「おふろcafe utatane」(さいたま市)はタトゥーをシールで隠せば入浴できるようにした。縦13センチメートル、横18センチメートル程度のシールを200円で販売しており、タトゥーの大きさはこのシールで隠せることを条件としている。徐々に利用者に浸透。7月には15件の利用があった。
 「湯につかるお風呂文化を外国人にも楽しんでほしい」との思いから始めた取り組みで、利用状況を見極めたうえで県内の他施設に広げることも視野にいれている。
 星野リゾートも神奈川県箱根町などで展開する温泉旅館「界」でシールを使って、入浴できるようにしている。昨年10月から試験運用し、今後も外国人の増加が見込まれるため4月から本格運用を始めた。
 1施設当たり月に1、2件程度の利用があり、外国人客のタトゥーに気づいたスタッフがシールを渡すなどしている。
 「入れ墨がある方もご利用いただけます」。タトゥーを認めることをホームページ上でうたっているのは日帰り温泉「大和の湯」(千葉県成田市)。成田空港に近いことから、外国人旅行者も多い。インターネットなどを通じて情報を知った外国人客からの電話の問い合わせも多いという。同施設は「タトゥーを入れる理由は、宗教、文化、ファッションなど様々。入れ墨そのものが問題視される時代ではない」と指摘する。
 神奈川県のある温浴施設では、タトゥーがある利用者が1人の場合に限り入浴を認めている。「団体だと周囲に威圧感を与える」との判断からだ。
 ただ、タトゥーについて反社会的な印象を抱く人は少なくないのも実情で、原則として入浴を認めない施設がなお大勢だ。観光庁が2015年にホテルや旅館を対象に実施した調査では、入れ墨がある場合に断っている施設は56%にのぼり、断っていないとの回答の31%を上回っている。
 横浜市などで温浴施設を運営する万葉倶楽部(神奈川県小田原市)は「他の利用者に不快感を与える可能性がある」とタトゥーの大きさや利用者の国籍に関わらず入浴を断っている。外国人の利用者は増加しているが、現状では制限を緩和する予定はないという。

■観光庁、対応策など例示/利用者との摩擦回避探る
 2020年の東京五輪・パラリンピックを控え今後も訪日外国人が増え続ける見通しで、タトゥーがある観光客の入浴について国も対応に乗り出した。観光庁は3月、シールで覆う方法や入浴する時間帯を分けるなどの対応を例示した文書を公表。業界団体や各都道府県の観光協会を通じて各施設に周知している。
 文書では「宗教、文化、ファッションなどの様々な理由で入れ墨をしている場合がある」としたうえで施設と利用者の摩擦回避の必要性を強調している。ニュージーランドの先住民族であるマオリ族など、伝統文化や宗教を理由に入れ墨を入れているケースもあるためだ。
 ただ、同庁は「一律の基準を設けることは難しく、最終的には各施設が決めるべきこと」とのスタンスだ。業界団体も「個別の施設の判断」(東京都公衆浴場業生活衛生同業組合)との姿勢が目立つ。
 現状では外国人のタトゥーについて、対応の必要性は感じつつ既存の利用者の反発を懸念し身動きが取れない施設は多い。温浴施設向けのコンサルティングを手掛けるアクトパス(東京・中央)の望月義尚社長は「難しい問題だがマーケットが縮小しないように、業界全体や行政も含めた議論が必要だ」と話す。
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO06273760Z10C16A8L83000/

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シマフクロウ展開始 千歳在住写真家、嶋田忠さん

2016-09-16 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2016年 9/15)

シマフクロウの近刊写真集を手にする嶋田さん=ネイチャーフォトギャラリー
 千歳在住の動物写真家、嶋田忠さん(67)がライフワークとして撮影してきたシマフクロウの作品展示を「ネイチャーフォトギャラリー」=蘭越=で始めた。今月完成した写真集「カムイの夜 シマフクロウ」(銀河出版)出版に併せ、大判プリント20点を年内公開する。2019年には東京都写真美術館で個展を催すことも決まり、準備を進めている。
 闇夜の中、大木の枝に止まり、宙を羽ばたき、水辺で獲物を捕るシマフクロウ。体高約70センチ、広げた翼は両端の長さ1メートル80センチになる。本道にもすみ、種としては世界最大級の威容が写る。カメラを持った嶋田さんが畏敬の念をもって対峙(たいじ)してきた瞬間の姿。印象的な写真群の特集展示は7日から始まった。
 すでに写真家として活躍していた嶋田さんが1979年に撮影の新天地を求めて千歳へ移住し、道内で初めて出合った。ある日、巨木がそびえる深い森に分け入ったとき、まるで畳が一枚飛んできたような錯覚を覚えたという。見開かれた鳥の両目から視線を感じ「澄み切ったまなざしにじっと見られたようだった。アイヌの人たちに『カムイ』(神)となぜ言われてきたのか理解できた」と振り返る。
 シマフクロウを題材に嶋田さんはこれまでに「カムイの夜」(1988年、平凡社)、「闇のカムイ」(1997年、同)を出版している。
 どちらも撮影までの準備に時間をかけた。秋、森に入って被写体となる個体を探し出し、一挙一動を注意深く観察することから始めた。「どの枝のどの場所に止まるかが1羽ごと正確に決まっている」。行動パターンを理解した頃、木立の葉が落ち、冬が来てカメラを構え始めたという。
 漆黒の闇をまとうシマフクロウの一夜―。圧倒的な存在感の表現を目指して「より美しく、よりかっこよく、よりすさまじく撮る。そのくらいの思いを込めて素晴らしい生き物を見ていた」。
 過去の2冊で当時のフィルム一丸レフカメラに使ったポジフィルムから選び直し、デジタルの8色印刷技術でリマスター。高精細画質のページをとじた新生「カムイの夜」に再編集した。1冊1万5000円(税別)で注文生産に応じる出版方式を採用している。
 東京都写真美術館では2年後の夏に集大成の作品展を開催する。七つのコーナーを設ける計画。シマフクロウと共に「カワセミ、ヤマセミ、アカショウビンも加えて、これから撮影を再開する映像の作品も交えてみたい」との構想だ。ギャラリーは入場無料。月、火曜定休。問い合わせは「ザ・バードウォッチング・カフェ」 電話0123(29)3410。
http://www.tomamin.co.jp/20160942612

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プールや温泉の「イレズミ・タトゥーお断り」は正しいのか?【『イレズミと日本人』インタビュー 前編】

2016-09-16 | アイヌ民族関連
ダ・ヴィンチニュース 2016.9.15

 2016年8月、東京八王子市にあるレジャー施設「東京サマーランド」のブログが炎上した。プールがメインのこの施設では、2008年からイレズミやタトゥーがある客の入場を禁止しているが、
「イレズミを身体に入れる自由があるようにイレズミの方の入園をお断りする自由もあるのです」
「イレズミ等のある方はサマーランドを利用することはできないので来ても時間やお金の無駄になるという話です。(略)案内はしているので見てないとか聞いてないというのは言い訳にはなりません」
「イレズミのあるお父さんやお母さんと一緒に来たちびっ子は本当に気の毒です。
楽しみにしていたプールで遊べず帰る姿を見るのはこっちも本当につらいです。お子様のためにもイレズミの方はサマーランドの利用をあきらめてください」
といったように「8年も前から告知しているのだから、刺青やタトゥーがあったら来ても入れない」と、強い口調で訴えていた(ブログは現在削除)。
 これに対して「ツッコミどころ満載」「説明が若干上から目線気味」という声がTwitterなどであがった。しかし同時に「区別は必要」「正論」「よくぞ言った!」などの意見もあった。
 いまやタトゥーは珍しいものではない。レディ・ガガやジャスティン・ビーバー、ジョニー・デップなどのセレブをはじめ、日本でも芸能人から一般の人までが、さまざまな絵や文字を身体に刻んでいる。
 しかしその一方で、イレズミやタトゥーを見る目は依然厳しい。サマーランドだけではなくプールや温泉などでは「イレズミ・タトゥーお断り」がほとんどだし、私の友人カメラマンは両腕にタトゥーを入れていたことから、成田空港で麻薬探知犬に何度もぐるぐるされていた。イレズミやタトゥー=アウトローのイメージが、日本ではまだ根強いようだ。しかし『イレズミと日本人(平凡社新書)』(平凡社)著者で都留文科大学教授の山本芳美さんによると、イレズミは人類にとって、もっとも古い身体装飾なのだそうだ。
「イレズミの起源をよく聞かれますが、それは定かではありません。しかし人類は割礼や纏足、首の伸長など『身体加工』と呼ばれるさまざまな行為をしてきました。イレズミもそのひとつで、人類が出現して以来、人間は身体を加工し続けてきたんです。イレズミと思しき線が入っている土偶や埴輪はいくつも出土していますし、3世紀の文献『魏志倭人伝』にも『男子は大小となく皆面(かお)に黥(いれずみ)し身(からだ)に文(いれずみ)する』とあります。沖縄の宮古では女性が針突(はじち)と呼ばれるイレズミを、手からひじにかけて入れる習慣がありました。これは女性であることや結婚の証としてのもので、通過儀礼の意味合いも持っていました。アイヌの女性も同様に、顔や手にイレズミを入れていました」
文明開化がイレズミを隠した
 山本さんによると7世紀中ごろを境に、日本人は「顔や身体を感じさせない美」を重視するようになり、以降17世紀に入る頃まで文献や絵画資料から、日本本土でイレズミに触れるものは見つからなくなってしまった。しかし江戸時代になると鳶や火消し、飛脚など、ふんどし姿になることが多い職業の身体装飾として再びおこなわれるようになった。そして享保時代には、刑罰の意味で額や腕などにイレズミを入れる「黥刑(げいけい)」も生まれた。また当時からイレズミを見せて恐喝する者が現れたため、一般の人たちにイレズミアレルギーも広まったそうだ。
 それが一転、明治に入ると彫師や愛好家の取り締まりが強まり、明治5年からは彫師をすることと彫師の客になることが、法的に規制されるようになった。以降は沖縄やアイヌの女性もイレズミをすると逮捕されたので、イレズミ=違法なものという考えは、この頃に生まれたものだと推測できる。
 そして同時に「イレズミは隠してこそ、精神的にも美しさのうえでも深みを持つ」という考えも生まれていったそうだ。まさに明治以降のイレズミは「秘すれば花」。だから「サマーランドの一件は、その美学に反したふるまいが原因になったのではないか」と、山本さんは分析する。
「私は研究を始めたばかりの頃に、神田周辺で鳶をしている『江戸消防彩粋会』の方々にお話を伺いました。彼らはイレズミがある先代への憧れや、祭りの時に映えるだろうという理由から入れていましたが、多くの人が周囲に『苦労するから』と、入れることを止められたそうです。そこで人前では見せないようにして、温泉やプールは遠慮するなど気を使っていました。このようにイレズミを隠すことは江戸の『粋』でもあり、見せて歩くことは『やぼ』でもあったんです。しかし90年代に入った頃からタトゥーが流行して、『悪いことじゃないから隠さなくていいんじゃない?』という感覚の人が増えました。彼らは言ってみれば、先達が守り続けてきたふるまい方を心得ていない。だからブログで指摘されたのではないかと思います」
 関東弁護士連合会が2014年に6月に全国の男女1000名に実施したアンケートによると、イレズミを入れている人は1.6%で、「入れたいと全く思わない」と答えた人は85.7%だった。またイレズミと聞いて連想するものは55.7%がアウトローで、47.5%が犯罪だったそうだ (複数回答)。しかし山本さんは、イレズミ=ヤクザのイメージはそう古いものではないと語った。では一体、いつごろからそのイメージが定着したのだろうか? 後編でその詳細を紹介する。
【後編】は16日配信
取材・文=今井順梨
http://ddnavi.com/news/321748/a/


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沖縄ヘリパッド移設反対の議員らが会見(全文2完)基地は高江でなくてもいい

2016-09-16 | ウチナー・沖縄
THE PAGE 9月15日(木)13時34分配信
 沖縄県東村への米軍ヘリパッド(離着陸帯)移設工事に反対する沖縄選出の参院議員らが14日午後6時から、東京の外国特派員協会で会見を行った。出席したのは、元宜野湾市長の伊波洋一参院議員(無所属)、糸数慶子参院議員(沖縄社会大衆党)、上村英明教授(恵泉女学園大学)の3氏。
 ヘリパッド移設計画は、同県東村、国頭村にある米軍北部訓練場の一部返還の条件として日米が合意したもので、東村の高江周辺で工事が進められている。13日には、陸上自衛隊のヘリコプター「CH47」を使って工事用の重機の搬入が始まった。
 伊波氏と糸数氏は参院で会派「沖縄の風」を結成している。
糸数慶子議員による声明
糸数:皆さま本日はお忙しい中、私たちのこの会見にお越しいただきまして、ありがとうございました。今ご紹介がありましたけれども、私は今度、伊波洋一さんと参議院の会派、沖縄の風を結成して、その代表として今、国政の中で頑張っております、糸数慶子と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
 今年7月に行われました参議院選挙でお隣、伊波洋一議員が現職の沖縄担当大臣を圧倒的、10万票以上の差で破りまして、米軍基地建設推進派のこの候補者に圧倒的な票差で勝利をいたしました。伊波洋一議員の当選を受けて、先ほども申し上げました会派、沖縄の風を設立し、国会に沖縄県民の思いを届けていきたいと思っております。
 さて、日本政府は現在、沖縄県国頭郡東村の高江に米軍のヘリパッドを建設中です。このヘリパッド建設は米軍北部訓練場の部分返還の条件として米軍から要望されているものですが、確かにこの北部訓練場の部分返還が実現をすれば沖縄の米軍基地は17%程度減少いたします。しかしながら沖縄県内の基地返還のために、またしても沖縄県内に新たな米軍の施設を造るということは矛盾しています。そしてその施設が沖縄県民がまさに島ぐるみで反対をいたしました、オスプレイのヘリパッドであるということ、またこのヘリパッドは周辺の住宅からわずか400メートル程度しか離れておらず、すでに地域住民の生活を脅かしていることからも、決して容認できるものではないということを訴えたくて本日この場に、皆さまに対してアピールをしたいということになりました。
 米軍の北部訓練場のこのヘリパッド建設は、日本政府が米軍のために建設をしているものでありまして、実はこれは2007年以来、9年にわたって地域住民の座り込みの反対運動が展開をされてまいりました。しかし今年7月の22日、先ほども申し上げましたが、参議院議員選挙で当選をした、伊波洋一議員のこの勝利を収めた直後を狙って、日本政府は座り込みの拠点であるテントを強制撤去をするという暴挙に出ました。さらには沖縄県外から数百名の機動隊を動員して、非暴力、無抵抗の市民を暴力的に排除しています。
 そういう状況の中ですでにけが人が何人も出ておりまして、特に87歳になる女性が手を、指を5針を縫うというような大けがをして、そういう被害にも遭っているのが現状です。また新聞記者の取材妨害も行われて、報道の自由の侵害が行われています。またあしたから日本政府はヘリパッド建設のために陸上自衛隊のヘリを投入し、大型重機を搬入し始めました。きのうから搬入を始めました。米軍基地建設に自衛隊機が出動したことはかつてありません。非常に不快であり、県民の反発というのはとっても大きなものがあります。
 ここで沖縄の歴史を詳しく説明する時間がないので残念ですが、沖縄は実は日本政府によって1879年に武力で侵略され植民地のように扱われて、今日まで来ている土地であります。一時は米軍へ譲渡すらされました。この沖縄県民は日本政府によって自らの土地と静かな生活環境を奪われ続けています。皆さんどうぞ高江に来て、日米両政府が行っているこの現状をぜひ見ていただきたいと思います。
 米軍は第二次世界大戦が終わって、現在71年たった、このような状況においても沖縄の土地を占領し続け、空や海を縦横無尽に動き回り、のさばり続けています。日本の航空法も米軍の安全基準も、(※判別できず)米軍基地には適用されておりません。また、日本は法治国家であるといいますが、それは明らかな欺瞞(ぎまん)であることも知ってください。日本の面積のわずか0.6%の面積しかない小さな沖縄に、米軍専用施設の74%を押し付けて、そのような状態を続けていること自体が日本政府の沖縄に対する差別であり、憲法の定める法の下の平等の精神に反しています。このような事実を残念ながら日本のメディアはなかなかきちんと伝えていません。だからこそ私たちは海外メディアの皆さまに、こうして直接訴えにまいりました。皆さまの報道に期待をしております。
伊波洋一議員による声明
伊波:皆さん、こんばんは。私は同じ会派の沖縄の風の伊波洋一です。今日は私のほうが今、ヘリパッドが造られようとしているこの地域の自然について、主にお話をしたいと思います。先ほど、糸数慶子参議員からもありましたように、今、政府は県外から機動隊数百名、そしてまたきのうは自衛隊機を、2機のヘリコプターも動員をしてこのヘリパッド建設を強行していますが、沖縄の県民はこれに対して、また同様に、多くの反対運動をしております。毎朝、数百名の人たちが来て、それに抗議をしているということで、まさに県民ぐるみの反対運動になっているということを、まず報告しておきたいと思います。
 実は今日、今、先ほどまで参議院の外交防衛委員会がございまして、私はその中で、私たち沖縄の風として、このオスプレイやヘリパッド建設に抗議をし、強行的な政府の対応に対して抗議をしてまいりました。その中でお話をしたのは、やはりこの場所がしっかりと日本政府に対して認識されていないっていうことも含めてお話をしております。
 皆さんのお手元にこのカラーの地図がございますけども、これはあした告示されます、やんばる国立公園の地図です。今、そのお話をしているところはこの地区なんですけども、これは北部訓練場っていうところにありまして、この北部訓練場はこのやんばる国立公園と接しています。政府としては、奄美を含めた沖縄の世界自然遺産として、これからぜひ登録をしようというような、大変貴重なエリアがこの国立公園地区ですけども、実は北部訓練場のほうがより人も入れなくなって、より自然が保たれているという、よりもっと貴重な自然が保たれているところです。
 わが国政府は米軍基地に関して地位協定などを持ち出して、日本の政府が手の及ばないところになるという形で、そういうふうに宣伝をしておりますが、実際は日米の間、あるいは米国としてこのような貴重な自然を守る仕組みはきちんと確立されています。
 皆さんに、お手元に資料提供しております、この環境原則に対する共同発表や、JEGSという仕組みが日米間で合意されております。実はこれは米国連邦議会が米国防総省に対して海外においても環境を守るように義務づけたものでありまして、米国の規範としてしっかりと厳格に運用されております。わが国においては1996年から施行されておりまして、2000年にこの環境原則の共同発表が行われたわけです。
 このJEGSの中においては、アメリカの環境基準か日本の基準か、より厳しい基準を使うことによって在日米軍基地の環境が保たれると、こういうふうに誇らしく宣言しています。そしてJEGSの第13章は自然資源及び絶滅危惧種についての章になっていまして、そこの中でノグチゲラとヤンバルクイナがきちんと明記されております。
 それで実は2007年に防衛省はこの工事に着手をしているわけでありますけども、この中で自主アセスというのを行いました。そして自主アセスの中で、実はこの今まさに、きのう、自衛隊ヘリコプターを導入して資材を運び込んでいる地区、この地区には29ものノグチゲラの営巣、巣が確認されております。
 そしてJEGSの13章3の中に「陸地および水域を有する軍施設は、生息がわかっている絶滅危惧種及び日本政府による保護種とその生息地を保護し向上させるための合理的な措置をとる」と明記しております。それが自然資源管理計画なんですね。今日、防衛大臣と外務大臣も参加の中での質疑をしましたけども、両大臣ともそのことについて承知をしてないというようなことでありました。つまり私たちの政府は、自らの国土について日米で合意をしている環境原則、あるいはJEGS等の取り組みを放棄していると、こう言わざるを得ません。これから造られるG.H、N1というところもまさにノグチゲラの生息地でありますけども、これまでにN4という場所も、もう完成をいたして提供されています。
 沖縄に2012年にオスプレイが配備をされて以来、そしてオスプレイが高江地区で演習を繰り返し始めて以来、ノグチゲラが5羽、近くの小学校や住宅地区でその窓ガラス等に当たる、バードストライクという、そういうことで5例の死亡例がすでにもう確認されております。私たちは日本政府に対してはこの建設を中止することと併せて、米国政府に対してはJEGSをしっかり運用して、高江のような、北部訓練場のような素晴らしい自然の中で米軍が勝手な運用をしないように強く求めてまいりたいと思います。
 以上を申し上げて、またあとで質疑に答えたいと思います。
上村:(英語 00:26:08~00:31:28)
沖縄の独立に関する動きについて
司会:(英語)。では皆さんが質問を考えている間に、私のほうから質問をしたいと思います。声明文の中に、そして皆さんのお話の中に、最後の上村さんのお話の中に琉球という言葉がありました。そして沖縄が侵略された、今、事件がないといったお話があったと思いますが、これは米軍基地の問題と今度はそれと関連付けて沖縄の独立の話もされているということですか、そこがつながってるということでしょうか。沖縄の独立に関する動きが現地でもたくさんあるというふうに聞いたことがありますし、実際それに向けて取り組む委員会とかもあると聞きましたが、その点に関して少しご説明いただけたら幸いです。
糸数:実は沖縄が本土復帰した大きな理由というのは、1974年の5月15日、日本復帰しておりますが、それは戦争が終わってずっとアメリカ軍が駐留することによって、沖縄の県民の人権がずっと蹂躙(じゅうりん)されてきた、ないがしろにされてきた。それが大きなポイントだと思っております。例えば女性でしたら米軍にレイプをされるということも数限りなくありましたし、そういうところから考えていくと、沖縄の人たちの命というのが、まったくこう侵害されて、1人の人間の人権を、人権として守れない現状に対する県民の怒りが爆発をして日本復帰ということを勝ち取りました。
 本土に復帰すれば憲法9条の下に平和に暮らせる、人権が守られると私たちは思っておりましたが、ところが71年たった現在でも沖縄の県民の命を、あるいは人権を、そして自己決定権をちゃんと守れるかと思うとまったく逆で、ますます抑圧をされていくというその状況の中から、もう県民はこれ以上、まったくもう県民の思いというのが届かない。自己決定権すらないのであれば、独立をしてほうがいいのではないかという動きがあることも事実です。でもこれはある意味、沖縄全体がそういう状況になっているわけではなく、そういう動きがあるということは、これだけ日本政府が県民の思いを47都道府県の中で抑圧してるっていう、それが基地に端的に表われているという。
 県民の89%が新しい基地は要らない、辺野古に新しい基地は要らない、高いにヘリパッドが要らないと言っても、それを聞き入れない政府に対する1つの意思表示、それが独立をしたいというその思いに、沖縄の人たちの、知事を先頭にして頑張っている状況が受け入れられてないという形が実は琉球、独立してもいいんじゃないかという思いにつながってると思います。
伊波:私のほうからも少しお話しさせてください。私は7月10日の参議院選挙で、オール沖縄の立場で当選をさせていただいたんですけれども、オール沖縄っていうことも含めてお話をしたいと思いますが、沖縄における自己決定権を求める動きというものは、3つあると思います。1つは先住民族の権利を、国連等での確立された権利を実現することによって、沖縄の立場をしっかりとするものにしたいという流れですね。これが一番最初の動きでしたけども。
 そして、あと1つは、やはり沖縄への基地の押し付けという動きがあって、それに対してやはり島ぐるみ会議という大きな取り組みが行われ、各地で市町村ごとで組織がつくられて今、辺野古・高江を闘っている流れにもなっている大きな流れです。私も、選挙においてはその方々の応援をいっぱい受けてるわけですね。
 あと1つは、琉球民族独立総合研究学会という、琉球独立をやはり研究して執行しようという流れがあって、これもまた300名からの会員を獲得し、そして多くの県民の共感を得てると。この3つがあると思います。この3つが今、融合し合って沖縄全体の中で自己決定権を求める動きになっている。
 島ぐるみ会議というものは、島ぐるみという言葉が1950年代に。ちょっと長かったかな。いいですか。1950年代に米国が沖縄の土地を、基地を全部米国のものにしようとしたときに、県民が反対をした県民運動、住民運動としての島ぐるみ闘争っていうのがあって、その言葉が今日、日本政府が沖縄への基地の押し付けをしている象徴であります辺野古、そして高江のこういうような基地建設に対して、県民ぐるみでの反対運動が起こってるということなんですね。そういう意味で、併せてまた、道州制の中で琉球州というものをやはり実現しようという動きがそれに重なってまして、独立とまでは言わないけれども自己決定権は実現をしていきたいという思いがしっかりあるということで、私はそういうふうに理解をしております。
上村:英語
司会:Thank you.(英語)
【連載】沖縄ヘリパッド移設反対の議員らが会見 全文2へ続く
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160915-00000004-wordleaf-pol


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いざ江差追分 16日から全国大会 アイヌ民族、初の舞踊披露

2016-09-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞09/14 10:30

江差追分全国大会のアトラクションで披露されるアイヌ古式舞踊(アイヌ民族博物館提供)
 【江差】 江差追分 の歌い手日本一を決める第54回 江差追分全国大会 (16~18日、町文化会館)のアトラクションで国の重要無形民俗文化財「アイヌ古式舞踊」が初めて披露される。江差追分踊りの着物にはアイヌ文様の刺しゅうがあり、アイヌ民族と江差追分の縁は深い。町は「江差追分とアイヌ文化のつながりを知ってほしい」と話している。
 アイヌ古式舞踊は、2020年 東京五輪 の開会式での披露を 全国知事会 が7月29日に提言した。一方、江差町と江差追分会は、東京五輪開会式での江差追分の披露を道に要望してきた。
 さらに、江差追分会はアイヌ文化との関わりについて歌い手や町民に知ってもらおうと、 アイヌ民族博物館 (胆振管内白老町)に全国大会での披露を打診していた。
 アイヌ古式舞踊は祝宴のほか、祖先や神に敬意と感謝を示す儀式にも取り入れられてきた。
 アトラクションには博物館の職員数人が出演し、伝統楽器ムックリの演奏や、輪になって踊るイヨマンテリムセ(クマの霊送りの踊り)、ウポポ(座り歌)などを披露する。
 博物館の野本正博館長は「アイヌ文化は明治時代ごろまでの 北前船 交易を通じて本州にも伝わってきており江差は玄関口。アイヌ民族とつながりの深い地域だった」と話す。アトラクションは18日午後6時20分から行われる。(後藤真)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/donan/1-0316048.html

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伝統的な暮らしから科学をひも解く 先住民のアニメ、世界で高評価/台湾

2016-09-16 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾 2016/09/14 17:05

清華大学提供
(台北 14日 中央社)清華大学(新竹市)の傅麗玉教授を中心としたグループが製作した通俗科学のアニメーションが、世界で高評価を得ている。台湾の金鐘奨をはじめ、カナダや韓国の賞でノミネートを果たしており、傅教授は科学の美しさを感じてほしいとしている。
アニメは130分で、台湾原住民(先住民)の伝統的な暮らしの知恵と科学の知識を結びつけたもの。たいまつから火起こしのメカニズムや物質が燃焼を助ける性質などを解説するほか、地殻変動や構造力学、光の屈折にも言及。科学を楽しく学べる工夫がなされている。
主人公はタイヤル族の少女。科学の世界に残る性別に対する固定観念を打破したいという願いも込められた。ドイツやデンマーク、アフリカからも関心が寄せられているという。傅教授は今後の目標について、「アカデミー賞のレッドカーペットを歩けるように引き続き努力したい」と笑った。
(許秩維/編集:齊藤啓介)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201609140010.aspx

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ペルー大統領、中国の南米大陸横断鉄道計画に懸念を表明

2016-09-16 | 先住民族関連
ロイター 9月14日(水)14時23分配信

9月13日、ペルーのクチンスキ大統領(写真左)は、ブラジルからアジアへの製品出荷コストを大幅に削減できるとして中国が提案している南米大陸横断鉄道は、建設費があまりに高額なうえ、環境に害を与える可能性があると懸念を示した。写真右は習近平国家主席。北京・人民大会堂で撮影(2016年 ロイター/Etienne Oliveau)
[リマ 13日 ロイター] - ペルーのクチンスキ大統領(77)は、ブラジルからアジアへの製品出荷コストを大幅に削減できるとして中国が提案している南米大陸横断鉄道は、建設費があまりに高額なうえ、環境に害を与える可能性があると懸念を示した。
公式訪問中の中国・北京で、ペルーのテレビRPPのインタビューに応じた。
ペルーと中国は昨年、 ペルーの太平洋沿岸とブラジルの大西洋沿岸を結ぶ全長5300キロの南米大陸横断鉄道の実現可能性について検討を進めることで合意。
環境活動家らは、アマゾン川とアンデス山脈を横切るこのプロジェクトは、熱帯雨林を破壊し、先住民族らを危険にさらす恐れがあると述べた。
7月に就任したばかりのクチンスキ大統領は、製錬所や港、鉄道への投資誘致や、食品市場へのアクセス拡大を目的に、主要貿易相手国である中国を5日間訪問。
大統領によると、中国の鉄道会社がペルーの中部海岸地域での通勤列車建設に興味を示したほか、中国アルミ<601600.SS>がペルーでの精錬工場建設に興味を示したという。
http://jp.reuters.com/article/peru-china-train-idJPKCN11K0E9

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気になる社会人にインタビュー!第76回:猟師に聞いてみた10のコト!

2016-09-16 | アイヌ民族関連
マイナビニュース-[2016/09/13]

みなさんは猟師というと、どんな仕事を思い浮かべますか? 実は猟師は、獲物を捕獲するだけでなく、農作物を荒らす害獣を駆除するという大きな役割を持っています。一般的に猟師は、狩猟者のための団体「猟友会」に所属する場合がほとんどです。
そこで今回は、北海道にある「猟友会 白石厚別部会」に所属し、専業で猟師を行いながら、アイヌの精神文化を広める「マタギキャンプinアイヌモシリ」という活動も行っている、門別徳司(もんべつあつし)さんに猟師のお仕事についてお話を伺いました!
■ハンターに同行し、狩猟の経験を踏まえてから免許を取得
Q1. 普段お仕事について教えてください。
「私は北海道で猟師をしています。農業などに被害を及ぼすエゾシカなどの有害駆除を行なうとともに、鹿角や毛皮等でアクセサリーなどの工芸品を作り、販売やワークショップを行っています。また山菜の時期は、山菜を採集し、販売もしています。銃猟の場合は、日の出から日の入りまでの時間の長さが、夏と冬ではまったく違うため、毎日同じ時間に同じ仕事をするということはありません。猟やワナの見回りなど、獲物が獲れなければ、一日中、山にいることもあります」
Q2. 現在のお仕事に就くまで、どのような勉強や経験を積まれてきたのでしょうか。
「猟師になるには、狩猟免許が必要になります。銃所持時の専門知識を勉強し、試験を受けます。私の場合は、銃を所持する10年以上前からハンターに同行しながら山の中をいろいろ見て、狩猟を学んできました。銃を所持できるようになってからは、一人で山へ行き、獲って、解体処理するようになりました」
■害獣駆除を頼まれるときに、地域を守っているんだと、誇りを感じる
Q3. お仕事の中で、魅力ややりがいを感じるのはどんなときですか?
「狩猟によって、自分で肉を調達できるのは魅力的なことだと思っています。それから、農家の方から、『鹿が来て、畑を荒らして困っている』と駆除を頼まれたりすると、頼りにされているなとやりがいを感じます。有害駆除で農家さんや森を守ることで、地域のためになれることがうれしいですね。あと、山の中を駆け巡り、獲物を獲ったりすると『ワイルドだろう!』なんて気持ちになれますね(笑)」
Q4. お仕事に取り組む中で、大切にしていることがあれば教えてください。
「やはり獲物の命をいただいているので雑に扱わないことと、獲物に対して敬う心を忘れないようにしています。そのため、狩猟で得た獲物はできるだけ無駄にしないようにしています。ほかには、土地の地形を理解し、流れ弾にしないようにすることも重要です。先輩達の体験を聞いたりするのも役立ちますよ。先輩とは経験値が違いますから、いつも話を聞いて、日々勉強しています」
Q5. お仕事の中で、一番の思い出や達成感のあったエピソードはなんですか?
「銃所持2年目で、一人でクマを獲った時です。その時は、達成感が半分、怖さが半分だったことをよく覚えています。クマは日本最大で、かつ最強の動物ですからね。ちゃんと弾が当たっていなければ、立ち上がって襲いかかってくることもあるので、とてもビビリましたね(笑)」
Q6. 逆に、今となっては笑える失敗談や、今後につながる教訓となったできごとがあれば教えてください。
「銃で撃った鹿を追いかけて行ったら、スズメバチに何か所も刺されたことです。夏の山は、ハチの巣だらけですからね。それと、車が山道にはまって動けなくなることもしょっちゅうです。その時のために、スコップ、ワイヤー、牽引できる道具などを、車にいつも積んでおくことにしています」
Q7. 猟師に向いている人や、猟師になる際に必要な知識について教えてください。
「猟師に向いているのは、焦らないで行動できる人、何でも一人でやりこなせる人かなと思います。山で何かあったら一人で何とかしなければならないし、だから山や自然に関する知識は知っておくべきです。獲物がいたからと焦っていてはダメ! 場所や状況についても考えることができる人が向いていますね」
■猟師だけで生活できる人が増えるような土台をつくっていきたい
Q8. 今後はこんなことをやりたいといった、将来の夢はありますか?
「猟師の仕事を通じて、山の恵みをいただきながら生活できるようにしたいですね。そして、そのようなスタイルの土台作りをこれからの若者のためにできればなと思っています」
Q9. 高校時代はどのように過ごしていましたか? また、高校生のうちにできることはありますか?
「普通の高校生でしたが、やはり山に行くのが好きでした。そのころから、とにかく野生的になりたいと思ってましたね(笑)。猟師の仕事はやる気と経験が重要になりますので、高校生のころから気持ちを山へ向かわせることが大事なのかもしれません。また、山は危険が多くあるので、瞬時に状況判断できるような力をつけていけるとよさそうです」
Q10. 猟師を目指している、または興味が湧いた高校生へ向けて、一言メッセージをお願いします。
「猟師は、狩猟に興味がある人にとっては、すごく魅力的な仕事だと思います。地域や森を守っているというのも、すごくやりがいを感じます。命との向き合い方を考えていける、そんな若い人達にやってもらいたい。狩猟は、やって、感じて、成長していくものだと思うのですが、この日本で狩猟で生きていくのは本当に大変なことです。でも、先人の知恵を生かし、新しいスタイルができていけば変わっていけるはずなので、ともに頑張っていきましょう! 自然と向き合い生きていけば、いい未来も見えると思っています」
狩猟免許を取得した後も、獲物を仕留めるには経験や勘が必要となってきますし、ずっと勉強し続ける必要があるのですね。害獣から人々を守るためにも、猟師は非常に重宝される職業です。自然の中での仕事や、狩りを行う仕事に興味が湧いた人は、ぜひ猟師の仕事について興味を広げてみてくださいね。
【取材協力】
猟友会白石厚別部会
http://hokkaido-hunting.jp
マタギキャンプ inアイヌモシリ
http://matagicamp.blog.fc2.com
本記事は「マイナビ進学U17」から提供を受けております。
著作権は提供各社に帰属します。
http://news.mynavi.jp/news/2016/09/13/350/

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幻想的なアートの夜 白老・TOBIU CAMP

2016-09-14 | アイヌ民族関連
苫小牧民報(2016年 9/13)

幻想的な雰囲気の中で作品を鑑賞する来場者
 白老町の飛生アートコミュニティで10、11の両日、夏の終わりを告げる音楽と芸術のイベント「TOBIU CAMP2016」が開かれ、多くの人が著名なアーティストによる音楽演奏やトークライブなどを楽しんだ。会場は18日まで展示作品が鑑賞できる飛生芸術祭(入場無料)を開催中。地元住民の来場を呼び掛けている。
 飛生キャンプは10日正午過ぎに開幕。会場には宿泊用のテントなどを持参した参加者が続々と集まり、グラウンドや体育館などで行われた企画を楽しんだ。旧校舎の展示室ではアートコミュニティ代表の国松希根太さんの作品を紹介。スタッフなどが手作りした飛生の森にもさまざまな芸術作品が並び、来場者も興味津々の様子で鑑賞していた。
 日没前後には大きなキャンプファイアを囲んで踊りが行われたほか、照明に照らされたアート作品が昼間とは違った表情を見せるなど会場全体が幻想的な雰囲気に包まれた。
 体育館では白老町のアイヌ地名などを題材にした影絵の物語「カムイミンタラ」を上演。白老と登別の境界に実際に存在するアイヌ伝承の洞穴アフンルパロなども登場した。
 室蘭市の三浦和子さん(57)は友人と3人で鑑賞。「とても面白かった。実際に現地にも足を運んでみたい」と話していた。
http://www.tomamin.co.jp/20160942516

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台湾の先住民族を描く 座間で上映会

2016-09-14 | 先住民族関連
ニフティニュース-2016年09月14日 05時00分

民族衣装姿で作品を解説するアロさん=ハーモニーホール座間
台湾の先住民族アミ族を描いた映画「太陽の子」の上映会が13日、座間市緑ケ丘のハーモニーホール座間で開かれた。主演したアミ族の歌手アロ・カリティン・パチラルさんも駆けつけ、民族衣装で劇中歌を披露した。
 アミ族は台湾東部を中心に約20万人が居住する同国最大の先住民族。作品はアミ族の人々が放棄された棚田を再生し、先祖伝来の「海稲米」を復活させた実話をもとに、民族の誇りを取り戻す様子を描いた。上映会はジャーナリストの野嶋剛さんらが企画した。
 上映会ではアロさんと野嶋さんがトークショー形式で作品を解説。アロさんは「子ども時代はアミ族であることが恥ずかしかった」と振り返り、「大学生の時、自分はいったい誰なのかと疑問に思うようになり、アミ族であることを取り戻そうと歌手になった」と述べた。
 熊本地震の被災地支援へ、入場料と募金は全額寄付される。
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12152-199073/

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クアラルンプール・バードパークの魅力♡ 【マレーシアおすすめ観光スポット】

2016-09-14 | 先住民族関連
tripuuu-2016/9/13

マレーシアの首都クアラルンプール、街中の喧騒とは裏腹に、立ち並ぶ高層ビルやマンションの間に意外と緑が多いことに驚かされます。
その中でもとりわけ緑が広く広がるエリア、それが中心部のクアラルンプール駅やKLセントラル駅にほど近い、レイクガーデンです。ジャングルの中にいるようにさえ感じるまさに都会のオアシスです。
クアラルンプールの中心地から車で約10分、広大な敷地の公園内には、国立博物館やマスジッド・ネガラ(国立モスク)、プラネタリウム・ネガラ(国立プラネタリウム)、バタフライパーク、バード・パーク、ハイビスカス・ガーデン、オーキッドガーデン、警察博物館…と盛りだくさん。1日では回りきれないくらい。
観光客だけではなく、週末の散策やピクニックを楽しむローカルの家族連れもたくさん。
園内のキッズプレイグラウンドはいつも子どもたちで溢れています。さて今回はレイクガーデン中でも特に人気の高い、バード・パークについてご紹介したいと思います!
見どころ1: その広さ
こちらKLバード・パーク、面積は約20.9エーカー、放し飼いのスタイルとしては東南アジアどころではなく、なんと世界最大級の広さを誇ります。
マレーシアに生息するものから外来種まで約200種類、約3000羽以上の鳥が飼育されています。
園内に入ってまず思ったのは、やたらクジャクがいっぱいいるなーということ。
羽を広げているクジャクを間近で見る機会はそうそうないので一緒に写真を撮りたいと思うものの…威嚇されているような気がしてなかなか勇気が出ない(笑)。
園内には軽食や飲み物が買える売店や写真撮影コーナー、出口付近にはお土産ショップもありバード・パークオリジナルグッズなどが購入できます。
見どころ2: 放し飼いの鳥
園内は4つのゾーンに分かれていて、ゾーン1~3では、上に逃げ出し防止のネットはついているものの鳥が放し飼いにされ自由に道を闊歩したり空を飛んだりしています。
野生のジャングルをごく自然に近い状態で再現することによって、都会に近いながらも鳥たちのありのままの生態を見ることができる、非常にユニークなバード・パークであると言えるでしょう。
売店の周辺にいる鳥は特に人馴れしていて、近づいて行っても全然逃げません。テーブルの上を鳥が占拠していることもしばしば。食べ物のにおいに近づいてきたりするので、取られないように注意です。
見どころ3: ホーンビル(Hornbill)
ゾーン3はサラワク州の州鳥、首狩り族として知られる先住民族イバン族からは「神様の使い」として信じられているホーンビル(サイ鳥)・パーク。
野生ではジャングルの奥深くに生息し、なかなか姿を見るのが難しい鳥だそう。
特徴はくちばしの上にある、サイの角の様な突起。ちなみにマレーシア特有の鳥なのかと思いきや、インドのナガランドでナガ族によって毎年行われているホーンビル・フェスティバルが世界的に有名なようです。いずれにせよ神聖な鳥なんですね。
見どころ4: 子連れもOK
この広大な敷地を子供を連れて歩くのはちょっと大変?と思いきや、ジャングルを再現しただけあってうっそうと茂る木々に日差しが遮られ、案外涼しく散策できます。
また、園内では至る所で鳥の餌を買うことができ、自由に餌やりができるので、きっとお子様も大喜び間違いなし。
ただ記念撮影コーナーのフクロウの爪は非常に鋭く、大人でも爪が食い込んで痛いくらいなので子供には向かないかと…。
見どころ5:  バードショー
園内のステージで1日2回(12:30~&15:30~)、約30分間行われているバードショーはなかなかのクオリティ。ステージは英語で行われます。
私は平日に行ったためか観客も少なく寂れた感じの会場だったのでそれほど期待してはいなかったのですが、可愛らしくてよく訓練された賢い鳥たちのパフォーマンスには大人も子供も大興奮、時間があっという間でした。
いかがでしたか?
鳥にはあまり興味がないのだけど…というあなたも(私もそうでした)、こちらKLバード・パーク、放し飼いの珍しい鳥たちと一緒に過ごすユニークな時間は、きっとKL滞在のいい記念になることと思います!
ちなみにレイクガーデンの入り口からバード・パークまでは結構な距離があるため、タクシーを使うのがいいかと思います。帰りも問題なく拾えます。
時間に余裕があれば、レイクガーデン内の他の施設にも足を運んでみてください。まさに都会のオアシス、マイナスイオンをいっぱい浴びて日ごろの疲れを吹き飛ばしちゃいましょう!
KLバード・パーク
住所 Kuala Lumpur Bird Park (Taman Burung)
920 Jalan Cenderawasih, Taman Tasik Perdana 50480 Kuala Lumpur MALAYSIA
電話番号 03 – 2272 1010
営業時間
ホームページ http://www.klbirdpark.com/
http://www.tripuuu.com/?p=12205


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アイヌ民族の遺骨=三股智子 /北海道

2016-09-13 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年9月11日 地方版
 この夏、アイヌの遺骨にまつわる二つの慰霊儀式を取材した。北海道大から浦河町杵臼の遺族らに返還された12体の再埋葬と、北大納骨堂で開かれた毎年恒例のイチャルパ(慰霊祭)。19世紀後半以降に研究名目でコタン(集落)の墓地などから持ち去られた遺骨は、北大だけで約1000体にのぼる。
 遺骨返還に際し、北大は「和解内容に無い」として謝罪しなかった。イチャルパでは、山口佳三学長がこれまでの遺骨の扱いなどがアイヌ民族の尊厳への配慮に欠いたとして「反省」を口にしたが、当事者意識に欠けているように思えた。
 確かに、不適切な遺骨収集があった当時の研究者は大学に残っていない。しかし、アイヌの人々の訴えを受けて納骨堂ができるまで不適切な保管を続け、現在も返還が進まないことを、大学はどのように受け止めているのか。報道陣の問いかけにもほとんど答えない対応は残念だった。
 国内外の博物館や研究機関で、続々とアイヌの遺骨が見つかっている。国が整備する慰霊施設への集約を前に、全容解明と当事者の真摯(しんし)な対応に期待したい。
http://mainichi.jp/articles/20160911/ddl/k01/070/183000c

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人類学者の加藤九祚氏が死去 国立民族学博物館名誉教授

2016-09-13 | アイヌ民族関連
共同通信 2016/9/12 18:52

NPO法人ユーラシアンクラブ(東京)に入った連絡によると、シルクロード研究などに尽力した人類学者で国立民族学博物館名誉教授(北・中央アジア民族史)の加藤九祚(かとう・きゅうぞう)氏が、仏教遺跡の発掘調査のため滞在していたウズベキスタン南部テルメズの病院で現地時間11日午後、死去した。94歳。死因は不明。韓国慶尚北道生まれ。葬儀・告別式は未定。
数日前に現地で倒れ、テルメズの病院で入院中だった。
1944年に出征。満州で敗戦を迎え、シベリアに抑留された。75年に民博教授。ウズベキスタンの仏教遺跡で発掘調査を続けていた。
http://this.kiji.is/147997197037502465?c=110564226228225532


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文化人類学者の加藤九祚さん死去 ウズベキスタンで

2016-09-13 | アイヌ民族関連
NHK9月12日 16時56分

シベリアや中央アジアのシルクロードを中心に歴史や民族の調査を続けてきた文化人類学者の加藤九祚さんが、発掘のため訪れていたウズベキスタンで日本時間の12日未明、亡くなりました。94歳でした。
加藤さんは大正11年に朝鮮半島で生まれ、上智大学の予科に在学中に徴兵されて、終戦後、ソ連軍の捕虜になり、昭和25年までシベリアに抑留されます。
帰国後に上智大学を卒業すると、シベリア抑留中に学んだロシア語を使ってシベリアの歴史や民族の研究を始めました。
昭和50年には国立民族学博物館の教授になり、翌年、アイヌ民族の研究者として知られるニコライ・ネフスキーの生涯を書いた「天の蛇」で大佛次郎賞を受賞しました。
また、中央アジアのシルクロードの研究も手がけ、地域の情勢が安定しないことから発掘調査が進んでいなかったウズベキスタンの仏教遺跡などの調査にあたったほか、一般向けの著作も数多く出版しました。
平成11年に南方熊楠賞に選ばれ、平成23年には瑞宝小綬章を受章しています。
加藤さんは立正大学がウズベキスタンのテルメズで行っている発掘調査に同行していましたが、大学によりますと調査中に倒れて現地の病院に入院し、日本時間の12日未明、亡くなったということです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160912/k10010682321000.html

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