
群馬県多野郡上野村での運用を終えて長野県側に戻り小海町に入り141号線(佐久奥州街道)を南下して南佐久郡南牧村野辺山に行く事に、目的は野辺山宇宙電波観測所のパラボラ・アンテナを見に行く事に有った。
私は子供の時から星に興味が有り夏に成ると家の中での食事は暑いので天気が良い夕方には実家の庭先に「いっきゃく」と呼ばれる横1,8m縦3、6m 高さ50cmの確りした作りの木製の台(フラットのベッドの様な夕涼み台)を置き家族で食事したり風呂上りの夕涼みをしたり、今思うと質素な食事では有ったが風情としては随分優雅な事をしていた様に思う。
当時はテレビの無い時代でその様な中で家族間のコミニケーションがあった様に思う。今思うと戦後で経済的には大変な時代で有ったが実家が農家で有った為、質素では有ったが食べる事に事欠かなかった事と精神的には恵まれていた。その様な演出をする「いっきゃく」なる物は近所の農家には何処にも有った様に思う。昼間は日陰での昼寝のベットに成ったり遊びの卓球台にも早変わりした。
私は夏休みの夜など、其の上で大の字に寝て星空を眺めるのが大好きで何時間も見ていて寝てしまい母親に「風邪をひくよ」と起こされた経験が何度も有った。其の頃は当然、望遠鏡が欲しくて欲しくて堪らなかったが高値の花で親に買って欲しい等と言えない経済状況は子供なりに十分理解していたが、大人に成ったら大きい望遠鏡を買う事が一番の夢で有った。
この頃から手が届かない遠くに対する憧れや、「冒険ダン吉」だったと思うが漫画でハムの世界をオボロゲながら知り、行った事の無い外国と話が出来る無線の世界を知った様に思う。兎に角、貧乏な家に生まれた割には夢は持って居た様に思う。其れと長兄のJA5CHQの影響も絶大で有った。とにかく兄は欲しいと思ったら何でも手に入れる天才的な手腕を持っており中学生か高校1年生くらいの時に当時高価なカメラや空気銃や剣道の防具や自分で和船等を作ったりして同級生が遣らない事を楽しんでいた。
兄は優秀で有ったので親父は可也期待をしていた様子で特別扱いも有ったが上記の才能も(欲しい物を手に入れる才能)人一倍有った様に思える。私は先進性の有る物や、遊び等に関して兄の御蔭で随分と恩恵を被った。アマチュア無線も其の一つで兄が居なければ学生時代での開局も夢と成って居ただろうしアマチュア無線の世界に入る事も無かったかも知れない。此れは「好奇心の塊」の兄の御蔭と感謝している。私は現在アマチュア無線に夢中だが子供の時の夢を実現して月に1度くらいは条件の良い日に手に入れた反射望遠鏡を庭先に出し天体を覗いている。
例によって随分脱線したが天文とアマチュア無線と関係の深い野辺山の45mのパラボラ・アンテナを見ずに素通りする事は出来なかった。広大な敷地に宇宙からの微弱な電波を捉える大型パラボラアンテナや小型のパラボラアンテナの集合体である電波望遠鏡など目の当りにして興味が尽きなかった。従ってこの村からの運用する時間が無く訪れる事だけで終わった。最初の2枚の写真は野辺山駅周辺のメルヘンチックな風景と土産物店