一見、日本の洋画家とは違う作風に思えます。モロ欧米人が描いた様な。
ブラマンク、ユトリロの影響とベルナール・ビュフェのような太い黒枠線。
彼の家族の運命を考えるに、気分が重いですねぇ。これだけの画力がありながら。
奥さんと娘(6歳)とともに2回目の渡仏(1927年)。
持病の結核が悪化して自殺未遂。精神病院に入院。
同じく娘も結核となる。
奥さんは娘さんの看護をしていたので、誰に看取られることなく死亡。
娘は1か月後に死去。
二人の遺骨を抱え帰国した奥さんの心境はいかがなものであったのでしょうか。
その後、奥さんも洋画家として大成するのですが、それは後のお話ですから。
ブラマンク、ユトリロの影響とベルナール・ビュフェのような太い黒枠線。
彼の家族の運命を考えるに、気分が重いですねぇ。これだけの画力がありながら。
奥さんと娘(6歳)とともに2回目の渡仏(1927年)。
持病の結核が悪化して自殺未遂。精神病院に入院。
同じく娘も結核となる。
奥さんは娘さんの看護をしていたので、誰に看取られることなく死亡。
娘は1か月後に死去。
二人の遺骨を抱え帰国した奥さんの心境はいかがなものであったのでしょうか。
その後、奥さんも洋画家として大成するのですが、それは後のお話ですから。
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