初期の作品は、洋画でないの?と思わせる描画で、色彩もこれが岩絵具による表現か?と驚きました。
近年の作品はオーソドックスな日本画で、歳をとると原点回帰になるのか?鑑賞しやすくなった、と感じるのでした。
見応えありましたねぇ。
近年の作品はオーソドックスな日本画で、歳をとると原点回帰になるのか?鑑賞しやすくなった、と感じるのでした。
見応えありましたねぇ。
独学、どこの美術団体にも所属しない、独自の美を追求した孤独と酒を最良の友とした水墨画家。
渇筆(渇いた筆などで麻紙に刷り込むように墨を定着させる)によるボリューム感のある背景に対し、藤田嗣治を想起させる繊細な人物画。それがポチャ系でマンガの様にユーモラス。
灰色の無い白黒2値デジタルの色彩。
この人評価するには時代が早過ぎたのかなぁ、と思いました。
渇筆(渇いた筆などで麻紙に刷り込むように墨を定着させる)によるボリューム感のある背景に対し、藤田嗣治を想起させる繊細な人物画。それがポチャ系でマンガの様にユーモラス。
灰色の無い白黒2値デジタルの色彩。
この人評価するには時代が早過ぎたのかなぁ、と思いました。
イスラエル博物館所は、印象派コレクションで有名だそうです。
日本では聞きなれない博物館です。そこからの出展となれば、本邦初公開と言える印象派の作品がズラリと勢ぞろい。あの巨匠はこんな物を描いていたのか、と再発見の鑑賞となりました。
しかし、私にとって一番うれしかったことは、「レッサー・ユリィ」と言う画家を初めて知ったことです。
印象派の父、エドワード・マネの様に黒を多用した色彩とサッと描き上げた筆致。違いは、塗り方がベタっとしていて、ウェット感を感じるところ。
お姉ちゃん達も多数立ち止まってジッと見ていました。
そう、お姉ちゃんが沢山いました。
印象派の展示会といえば、オッサン・オバサンに大人気、なのですが、前回のゴッホ展と言い、若者が多数見受けられるようになりました。何故?コロナのせい?
緊急事態宣言解除となり、街は賑やかさが戻りつつあるようで、美術館も混みだしました。コロナ禍のころはゆっくり鑑賞できたのになー。
あー、ない物ねだり。これで外〇人が来日しなければ平和なのになー、人間とは欲深い者だなー、と思いました(笑)
日本では聞きなれない博物館です。そこからの出展となれば、本邦初公開と言える印象派の作品がズラリと勢ぞろい。あの巨匠はこんな物を描いていたのか、と再発見の鑑賞となりました。
しかし、私にとって一番うれしかったことは、「レッサー・ユリィ」と言う画家を初めて知ったことです。
印象派の父、エドワード・マネの様に黒を多用した色彩とサッと描き上げた筆致。違いは、塗り方がベタっとしていて、ウェット感を感じるところ。
お姉ちゃん達も多数立ち止まってジッと見ていました。
そう、お姉ちゃんが沢山いました。
印象派の展示会といえば、オッサン・オバサンに大人気、なのですが、前回のゴッホ展と言い、若者が多数見受けられるようになりました。何故?コロナのせい?
緊急事態宣言解除となり、街は賑やかさが戻りつつあるようで、美術館も混みだしました。コロナ禍のころはゆっくり鑑賞できたのになー。
あー、ない物ねだり。これで外〇人が来日しなければ平和なのになー、人間とは欲深い者だなー、と思いました(笑)
和田誠展 in 東京オペラシティ アートギャラリー
イラストレーターの他に映画監督、エッセイスト、作曲家、アニメーション作家、舞台演出家と様々な活躍をされました。
氏の全活動を総括して見せてくれます。知らなかった部分もたくさんあり、へぇ~と感心する事しきり。
映画「麻雀放浪記」は初監督と言えないほどの熟練の演出力、渋い俳優の起用だったなぁ、と言う印象です。
今年は、安西水丸、馬場のぼる、とホンワカ系の展示会が続きました。コロナ禍のギスギスした気分が和らげました。
イラストレーターの他に映画監督、エッセイスト、作曲家、アニメーション作家、舞台演出家と様々な活躍をされました。
氏の全活動を総括して見せてくれます。知らなかった部分もたくさんあり、へぇ~と感心する事しきり。
映画「麻雀放浪記」は初監督と言えないほどの熟練の演出力、渋い俳優の起用だったなぁ、と言う印象です。
今年は、安西水丸、馬場のぼる、とホンワカ系の展示会が続きました。コロナ禍のギスギスした気分が和らげました。