共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

艶やかに

2014年03月21日 16時37分52秒 | 日記
この時期、偕楽園内に『梅むすめ』が登場します。彼女達はここで観光客と記念撮影をしたり、水戸のPR活動をしたりします。好文亭から出てきたところに、ちょうど梅むすめさん達が勢揃いしていました。

たちまち辺りには人だかりができ、めいめい一緒に写真に収まっていました。ただ、私は自分の写真はどうでもいいので、代わりに彼女達に横並びになってもらいました。梅の大木をバックにした彼女達の艶やかさが伝わるでしょうか。今日から3連休でお天気も良さそうですから、梅まつりの終盤戦に向けて、ますます活躍されることでしょう。

自分の実家近くで、かつては何度も来ていたところだったのですが、はからずも久しぶりに名勝を堪能した一日となりました。
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通人の集い屋

2014年03月21日 14時33分15秒 | 日記
偕楽園のほぼ中央、千波湖(せんばこ)を眼下に臨む見晴台に《好文亭(こうぶんてい)》という建物があります。

ここは徳川斉昭公が偕楽園内に作った藩主の別邸のようなもので、かつてはここに様々な文化人を招き入れて茶を立てたり歌を詠んだりした、いわばサロンとでも言うべき施設です。邸内にはそれぞれに、藩主や奥方、お付きのお女中や客人用といった目的別に、様々な襖絵に彩られた大小いくつもの部屋が並んでいます。

それぞれの部屋の中に説明書きがあるので皆それぞれに読んでいたのですが、如何せん江戸時代のサイズの建物のため梁や欄間の高さがかなり低く、見ていた間にも多くの人が油断して頭をあちこちにぶつけていました(^^;。
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梅まつり

2014年03月21日 13時12分38秒 | 日記
偕楽園では今月末まで《梅まつり》が開催されています。

園内には早咲きのものからゆっくりと咲くものまで様々な品種の梅の木が絶妙なバランスで植えられていて、この庭を創設した徳川斉昭公の造園センスを垣間見ることができます。

折からの風にはらはらと花びらを散らせる様は何とも趣深く、訪れた人々が歓声をあげては盛んにシャッターを切っていました。
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日本三名園の内

2014年03月21日 12時50分30秒 | 日記
常磐神社に参詣してから、いよいよ隣接する《偕楽園》に足を運びました。ここは第九代水戸藩主徳川斉昭公が造営した庭園で、金沢の兼六園、岡山の後楽園と合わせて日本三名園の称号を得ています。

園内には大小三千本を超える梅の木が植えられています。これは、花を愛でることは勿論ですが、梅の実が非常の際の食糧にもできるという斉昭公の考えもあったようです。

麗らかな陽気に誘われてか、園に通じる出入口は御覧のような盛況ぶりです。団体旅行の観光バスも多数乗りつけているので、ちょっと入るのが怖いような気もします…((゜Д゜ll))
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もはや何だか…( ̄□ ̄|||)

2014年03月21日 12時29分23秒 | 日記
境内の社務所の前に、こんな幟が立てられていました。何でも、光圀公を主人公とした大河ドラマの実現を目指すものだそうです。

しかし…この絵を見てびっくりΣ(゜ロ゜ノ)ノ!隆々とした腕の筋肉は、もはや戦国〇双か何かのキャラのようです。実際の光圀公がこうだったわけではないでしょうが、こうなるともはや何だか分からないものになっております…( ̄_ ̄|||)。
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折角なので

2014年03月21日 12時21分44秒 | 日記
墓参を済ませて、さてどうしようか…と思案したのですが、折角水戸まできたのですから、ちょっとだけ観光していくことにしました。

お寺の近くのバス停からバスに乗って、そのまま水戸駅を通り過ぎ、先ずは大工町という区域のもう少し先にある常磐神社(ときわじんじゃ)という御社に詣でました。ここは水戸藩第二代藩主・徳川光圀公と第九代藩主・徳川斉昭(なりあき)公が御祭神です。

因みに、御二方にはそれぞれに神様としての名前が贈られています。グルメとして知られる光圀公は《高譲味道根命(たかゆずるうましみちねのみこと)》、幕末期に攘夷派として気をはいておられた斉昭公は《押健男国之御盾命(おしたけおくにのみたてのみこと)》と号します。う~ん、その通り!というかスゴいというか…。

御二方とも学芸に秀でておられたことから、地元では天神様に次ぐ学問の神様として崇敬を集めていて、受験シーズンになると多くの受験生が合格祈願に訪れることで知られています。
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トトロ的光景、再び

2014年03月21日 09時46分53秒 | 日記
今日はお彼岸のお中日です。昨日とは打って変わって陽光燦々たる春らしい陽気の中、教室も休みなので思い切って墓参りに出かけました。

厚木を夜も明けやらぬうちに出発して、電車を乗り継ぐこと4時間近くかけて、ようやく茨城県水戸市の外れにある菩提寺に到着しました。

水戸駅からここに行くは、1時間に1本しか走っていない系統のバスを捕まえなければならないので、それを逃すと大変イタい目に会います。ただ、逆にいうとそれだけ市街地から離れているだけにお寺の辺りはいたって静かなもので、落ち着いた雰囲気の中でゆっくりと墓参ができるのがうれしいところです。

さすがにお墓の写真を載せるのも憚られますので、前回お盆の時と同じく、お寺の隣にある酒門神社(さかどじんじゃ)を載せてみました。
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あれから19年…

2014年03月20日 12時34分56秒 | 日記
今日3月20日は、あの地下鉄サリン事件のあった日です。今から19年前の1995年3月20日午前8時頃、丸の内線、日比谷線、千代田線といった各地下鉄の大手町駅やその近隣の電車内に猛毒のサリンが撒かれ、乗客・駅員13名が死亡するという、前代未聞の化学テロ事件でした。

毎年この日は事件の起きた午前8時に合わせて、大手町駅構内に設けられた献花台に献花と黙祷が捧げられます。今日もその様子がニュースで流されました。

実は、私はあの日の朝早くに厚木を電車で出発して、当時千葉県柏市にある国立がんセンターのホスピスケア棟に入院していた母を見舞いに向かっていました。代々木上原駅で千代田線に乗り換えてそのまま柏駅に到着し、そこからバスで30分ほどかかる病棟に着いて、泊りがけで母に付き添っていた妹と看病を交代しました。

いわゆる延命治療を施さない終末医療の病棟ですから、詰めたからといって別段何をするわけでもありません。たまたま音声を絞って点けっぱなしにしていたテレビを観るでもなく、母の背中をさすったり、取り留めない話をしたりしていました。

そうしたら、ふとテレビの画面に目をやった母が…

母:「お前、今日千代田線でここまで来たって言ってたよね?」

私:「うん。時間かかるけど、それが一番面倒くさくないからね。」

母:「いや、今テレビに大手町で人が倒れてるのが映ってるけど、知らないの?」

『へ?』と思いつつテレビの画面に目をやると、確かに大手町駅の地上出口の辺りに累々と人々が横たわり、ヘルメットを被った救急隊やレスキュー隊が盛んに駆け回っている様子をヘリコプターから映している上空からの映像が流れていました。急いで絞っていた音声のボリュームを上げてみたら、その当時は『地下鉄構内で何らかの爆発があった』ということが繰り返し報じられていたのを覚えています。

そして、母と私の脳裏に過ぎったのは、さっき送り出した妹のことでした。

当時は今と違って携帯電話というものがそんなに激しく普及していたわけではないので、不測の事態の中から気軽に個人を呼び出す術などありませんでした。だから、結局私たちはただひたすら妹の無事を祈りながら、妹から病院宛てに電話がかかってくることを待つのみ…。

結局その後何時間かしてようやく妹から電話が入りましたが、駅前の公衆電話に長蛇の列ができてしまっていて、自分の順番が回ってくるまでに物凄い時間がかかってしまったのだそうです。とりあえず身内の無事を確認して安堵しました。

しかし、これは後で調べてみて分かったことなのですが、どうやら私が乗っていた電車が大手町を出発した後に着いた電車が、この事件の当該車両だったようなのです。ということは、もし私があの日、あの時私の乗った1本後の千代田線に乗っていたら、もしかしたらあの累々と横たわる人々の中に私もいたかも知れなかったのです!

あの事件で亡くなられた13名の方々には申し訳ありませんが、今でもそれを思うと戦慄が走ります。こういう事件に遭遇して亡くなってしまった運命、出会わずに済んでしまった運命というものは、かくも紙一重なところに存在するものなのかと…。

それから程なくして、母は彼岸に旅立ちました。今でも阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件のニュースが流れると、母が旅立ってからもうそんなに経ってしまったのか…ということが同時に想起されます。そして、あれからもう19年もの歳月が流れたというのに未だに裁判すら開かれていない旧オウム信者がいることに、言いようのない理不尽さをも覚えます。

明日はお彼岸のお中日、せめてこの事件を含め様々な理由で旅立たれた多くの御霊に、心からの哀悼を捧げたいと思います。

合掌。


13人が犠牲に・・・オウム地下鉄サリン事件から19年(14/03/20)
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久しぶりに

2014年03月19日 19時55分40秒 | 日記
今日は朝から昼にかけて全く気温が上がらず…というか、むしろ冷え込んでくるような曇り空が広がっていました。もう彼岸に入っているのですが、『暑さ寒さも彼岸まで』という空気ではありません。

そんな中、海老名に取り寄せをお願いしていたものを取りに行きました。そして、ついでにランチも済ませてしまうことにして、久しぶりに海老名駅にある《鮪市場》に向かいました。ここに来たら、何はなくともまぐろカツ丼です。

個人的に火の通った青魚も好きで、実家にいた頃にもマグロやカツオを生姜醤油で甘辛く煮たものを常備菜にしていました。また、それをほぐしてマグロフレークにしてご飯にかけたりお弁当に入れたりもしていて、今でも気が向くと作ったりします。ただ、さすがに一人分の揚げ物をする気にはなれないので、たまに頂くこういうものは堪りません。

昨日辺りからちょっと風邪気味なのですが、それを払拭すべく、勿論純粋に食事としても美味しく頂戴しました。
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旧貨発見!Part2

2014年03月18日 21時36分39秒 | 日記
今日、関東地方で遅めの春一番が吹きました。南風に乗って気温も上昇し、本格的な春到来を肌身に感じるようになってきました。

もっとも、その風のおかげでエラい目にもあいました。電車に乗ろうと小田急線のホームで電車を待っていたら、『町田付近で架線に障害物が引っ掛かったのを除去していて、電車が遅れます』というアナウンスが入ったのです。

その後、やっと来た電車に乗り込んで秦野駅に着いて、急いでバスに乗り換えて二宮町に向かっていたら、あと少しだというのに県道がやたらと渋滞していてバスが進まないのです。そうしたら、私の降りる予定のバス停の近くで、風に煽られて軽トラの荷台から落ちて散乱してしまった積み荷を一所懸命に片付けているオジサンが…。そんな数々の事象に行くてを阻まれながら、何とか二宮町に到着した時には、もうそれだけでクタクタになってしまったのでした…。

その一方で『おっ!』ということもありました。PASMOのチャージを忘れて、珍しく現金でバスの運賃を払ったのですが、その前に千円札を両替した時に機械から出てきた500円玉が『?』という感じがしたのです。『もしや…偽金か?まさかのウォンじゃあるまいな…』と思いつつよく見たら、何と長野冬季五輪の時の記念硬貨だったのです。

御覧のように、表にはスノーボードの選手がトリックを決めているところが刻印されています。そういえば、オリンピック競技としてのスノーボードやモーグルといったアクロバティックなスポーツがあるということをちゃんと認識したのは、多分この長野大会だったような気がします。

先日、ソチ・パラリンピックも無事閉幕しましたが、このタイミングでこのコインが出てきたというのも、何だか御縁を感じてしまいます。
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旧貨裏側

2014年03月18日 21時34分13秒 | 日記
こちらは裏側です。長野冬季五輪のロゴと『1998 NAGANO』の文字、そして県鳥である雷鳥が刻印されています。

それにしても、長野大会って平成9年だったんですね。何だかものすごく昔のことのように感じます。そして、その前から出続けていて、7回目!出場のソチで個人銀メダルと団体銅メダルを獲得した葛西紀明選手って…やっぱりレジェンドです!!
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日の丸と君が代

2014年03月17日 19時58分55秒 | 日記
3月も半ばに入り、吹く風に春の予感が漂い始める頃になると、そろそろ公立小・中学校の卒業式が近づいてきます。今年は冷え込んでいたところから急に暖かくなってきましたので、もしかしたら卒業式に桜が咲いてしまうのではないか…という懸念もチラホラ聞こえて参ります。

ただ、毎年この時期になると新聞やテレビのニュースを賑わすのが、いわゆる『日の丸・君が代問題』と呼ばれる現象です。私の生徒さんの中にも学校の教員をされている方がいらっしゃるのですが、毎年この時期になると職員室内が何やらきな臭くなるのだそうで、気苦労が絶えないようです。

いろいろな考え方があって、それぞれの『思想の自由』が保障されている主権在民国家である以上、他人様の考えにとやかく口を挟むべきではないのでしょう。ただし、敢えて個人的意見を述べさせて頂けるならば、これを『問題』と槍玉に挙げることそのものが愚行中の愚行だと思っております。

《日の丸》や《君が代》に反対している人達の言い分として

●過去の戦争を想起させる
●天皇を賛美している
●印象が地味で時代にそぐわない

といったことを挙げておられると思います。

確かにかつて戦争を繰り広げてきた過去は存在しますし、そのことについて思いを致さなければならないことに異論はありません。ただ、それにこの国旗・国家を直結して、敢然と否定していいかどうかということは別の話です。

それに、《君が代》の『君』が天皇を指しているからいけないという方もおいでですが、もともとこの歌詞は古今和歌集巻七の巻頭に置かれた

《我が君は 千代に八千代に 細石の 巖となりて 苔の生すまで》
(我が君の世が千年も八千年も、細かな石が寄り集まって大きな石となり、苔生すまで続きますように)

という《賀歌(よろこびの歌)》によります。確かにここが出発点と考えれば、なるほど『君=天皇』という図式が成立するように見えます。しかし、それが何か問題あるのでしょうか。

日本国憲法第1章第1条において『天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く』と規定されています。ということは、『君=天皇』であるならば、それは須らく『君=日本国』といってもいいはずです。つまり言い換えれば『日本の国が千年も八千年も…』ということになり、そのつもりで歌っていれば何の問題もなくなるのです。

《日の丸》にしても、成立したのは律令制が整備された奈良時代ともいわれています。そうだとすると、この旗は実に1300年以上の歴史を含有していることになります。この21世紀に、そんなに歴史のある国旗を掲げている国が、他に何処にあるのでしょうか。

『地味』とか『時代遅れ』という意見ですが、こういうことを言う人達は恐らく『グローバルスタンダート』みたいな薄っぺらい21世紀造語に飛びついた人達なのでしょう。しかし、そもそも国旗や国歌というものは、時代の変遷に伴ってあれこれ作り換えるようなものではありません。そんなことをしたら、国旗・国歌の持つ威厳や意義なんてものは、あっという間に吹き飛んでしまいます。

それでもなお『過去の戦争を想起させる』と反対するのであれば、彼らはドイツにも猛抗議しなければなりません。なぜなら現在のドイツ国歌は、かつてナチス統治下で使われていたものと、歌詞こそ違え同じメロディが使われているからです。

現在のドイツ国歌のメロディは、かの『交響曲の父』と呼ばれる古典派の巨匠ヨーゼフ・ハイドンが作曲した《皇帝賛歌》が使われています。かつては1番から3番まで歌詞がありましたが、ナチス時代には1番のみ、戦後は分裂した西ドイツで3番のみを歌っていました。その後、東西ドイツが統一された時、そのまま統一ドイツ国歌として採用されました。

このことについて、時に旧東ドイツ国民からしてみたら、かつてナチス・ドイツ崩壊及び東西ドイツ分裂以降忘れていた歌が再び国歌として目の前に現れたわけで、その心中たるやさぞかし複雑なものがあろうかと察せられます。しかしだからといって、少なくともドイツ国内で、日本で毎年繰り広げられているような乱痴気騒ぎが起きているというような話は聞いたことがありません。それは須らく、このハイドンの旋律が負ってきた数々の歴史を清濁合わせ飲むことを『覚悟』したからに他なりません。ですから日本も、この国旗・国歌の背負ってきた歴史を正面から見据える覚悟と矜持を持てば、それでいいはずなのです。

もっとも、一部の左派の輩が難癖をつけながら学校教育の場でいくら《日の丸》と《君が代》とを否定し続けていても、先のオリンピックや6月からのサッカーワールドカップでは会場に日本国旗としての《日の丸》が掲げられ、選手たちは胸に手を当てて日本国歌としての《君が代》を歌い上げるわけです。ですから、彼らがどんなに頭ごなしにギャーピー否定してかかったからと言って、そういう現象を駆逐しきれていないあたりで、既に彼らが真の意味で賛同を得ていないこと、惹いてはこの問題自体がお話にもならないことは明々白々です。

そして、それでもあーだのこーだの言うのであれば、千年以上の長きに渡って使い続けられてきたこのシンプル極まりない国旗と、極めて優雅で日本的な旋律の国歌に取って代われる歌を作ってから文句を言って頂きましょう。

最後に、雅楽演奏による《君が代》をどうぞ。これを聴けば、単純にこの曲が如何に素晴らしい芸術作品であるかがお分かり頂けます。


雅楽「君が代」
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『お・も・て・な・し』の裏側

2014年03月16日 17時18分18秒 | 日記
昨日帰宅してお財布の中身をチェックしたら「う…ちょ、ちょっと明日が不安(-_-;)」と気づいたので、明けて今日お金を下ろしに、厚木一番街の脇道を入ったところにある三菱東京UFJ銀行の無人ATMに入りました。昨年末からUFJ銀行では、日中なら土日でも手数料を取られなくなったので、こういう時には有り難いです。

ところが…いくつか並んでいるATMの中のひとつを選んでカードを入れようとしたら、機械の横のところに財布が置きっぱなしになっていたのです。恐らく私の前に使った方が、そのまま忘れていってしまったものと思われました。ATMコーナーに入った段階から私しかいなかったので誰かに聞くこともできず、中身を確認してみたら国民健康保険証や診察券やクレジットカードが多数入っていて、なおかつ諭吉さんも5名ほど整列していました。

『どうしよう…』

とりあえず自分の用事を済ませてから、見つけてしまったこの財布の扱いを思案しました。ここに置いておけば、もしかしたら本人が血相変えて取りに戻ってくるかも…とも思ったのですが、失礼して保険証を拝見したら昭和11年のお生まれ…もしかしたら、もしかしたら痴呆が入っておられる方か…と疑っても不自然ではないようなお年の方ではありましたので、何とかしなければということになりました。

たまたまATMを出たところで警察官が数名で何やらしていたので、ちょうどよかったと思って

「すみません。このお財布、そこのATMのところにあった忘れ物なんですけど、現金やカードが入っていてほったらかしにしておくのも心配なので預かって頂けませんか?」

とお願いしました。そうしたら

「すいませんけど、我々は今別件で出動中で書類を持っていないので、駅前の交番まで持っていって下さい。」

と断られてしまいました。

『えぇ~?、何だよ~その縦割りな感じ』とも思ったのですが、こう言ったからにはテコでも受け取らないだろうな…ということで、仕方なく目的としていた方向とは正反対にある交番までお財布を届けに行くことにしました。

交番に着いて、お財布を拾得した件を簡単に説明して失礼しようとしたら、

「すみません。調書を作成しますので、お時間いいですか?」

えぇ~?…と思ったのですが、まあ必要なことだろうからと思って聴取に応じることにしました。

ところがこの時に担当した方が、早く済ませたいこちらの思惑とは裏腹にかなり詳細にあれこれと聞いてくるので、申し訳ないのですが段々とお話するのが面倒くさくなってきてしまったのです。それでも一通り話が済んだ…と思ったら

「えっと、持ち主さんが無事に見つかった時には『御礼』を貰う権利が発生するんですけど、お名前とお電話番号を頂いてもいいですか?」

もういい加減飽き飽きしていたのと、この『お名前(住所、電話番号)を頂く』という日本語が大っ嫌いなのとですっかりイヤになってしまった私は

「もういいです。別に御礼とか頂きたくて届けたわけでもありませんから、先ずはその持ち主の方に確実にお財布を戻して差し上げて下さい」

とだけ伝えて、さっさと交番を後に…する前に写真だけ撮って、急いで信号を渡ってしまいました。

2020年のオリンピック開催都市決定の際、IOC総会の会場で滝川クリステル女史が流暢なフランス語で語った日本の『お・も・て・な・し』の具体例として、日本では無くした財布が、中身の現金も含めてほぼ必ず戻ってくる…という事例を挙げて治安の良さをアピールして、東京にオリンピックを招致することに貢献していましたが、その裏側にはこういう微に入り細を穿つような警察機構の仕組みも大きく貢献しているのでしょう。

勿論それ自体は素晴らしいことなのですが、できれば警察の方も、もう少し柔軟かつ簡略に受け付けてくれると有り難いのにな…と思ってしまった出来事ではありました。
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勇気が必要…

2014年03月15日 18時36分50秒 | 日記
昨日の不穏な天候から一転、今日は麗らかな日和となりました。そんな中でも午前中は引きこもっていたのですが、さすがにこの陽気に誘われて、外の空気を吸いに出かけてみることにしました。

厚木の駅から程なくのところにある厚木一番街という通りに差し掛かったら、歩行者天国状態の道の真ん中に、こんな椅子とテーブルが間隔を空けて何セットか置かれていました。テーブルに何やら書いた紙がぶら下がっていて、『街かどくつろぎスペース試験実施中 どうぞお座り下さい』といったようなことが書いてありました。写真には写っていませんが、テーブルセットの近くには揃いのジャンパーを着た何人かが、手にペンとボードを持って身構えていました。どうやら案内に誘われて座った人に、何らかのアンケートをしようという体だったようです。

この厚木一番街は、日中は平日でも一定の区間以外が車両乗り入れ禁止区域になるため、明るいうちは年中歩行者天国のような状態です。だからここに座ってくつろいでいたからといって、突然車にクラクションを鳴らされて邪険にされるといった心配はありません。そういった意味では、気持ちのいい屋外休憩スペースになり得るかも知れません。

ただ…これも写真を御覧になると分かると思いますが決して間口の広くない通りなので、歩行者のために道の真ん中を避けようとすると、ほぼ必ずどこかの店の出入り口の真正面にデン!と据えてあるような感じになってしまうのです。このテーブルの向こう側に見えているのは《餃子の○将》と○クドナルドの出入り口ですし、この反対側には薬局とパチンコ屋の出入り口ですし…。ですから、仮にここに座っていると、もれなくそれぞれの店を出入りする客と目が合い続けることになるので、勇気をもって座っていないと何だか気恥ずかしくなるような気がするのです。

それに、ここは通りの両側に高い建物がある関係上、お昼を過ぎると結構日当たりが悪くなるので、本当の意味で『快適に』座っていられる時間が実はそう長くはありません。ましてや、ここからほんの数メートル進んだところが駅前のロータリーという交通量の多いところですから、お世辞にも空気が綺麗とは言い難いのです。

そんなところにこういう一式を用意されて「さあどうぞ、お座り下さい」と言われても「はい、そうですか」と座る気には、なかなかなれません。第一、個人的な考えですが、日本の気候というものは、およそこういうオープンカフェ的なものが一番やりにくいのではないかと思うのです。雨の時期が長いし、夏はうだるような暑さに見舞われるし、冬は空っ風が吹き荒んでひたすら寒いし…。

離れたところからしばらく見ていましたが、案の定(といっては失礼ですが)誰も足を止めなければ座りもせず、ただ調査員たちが暇そうにしているばかりでした。さてこの取り組み、上手くいきますかどうか…。
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今日の《cafe32゜F》

2014年03月14日 18時34分06秒 | 日記
昨日関東地方を襲った『春の嵐』は凄まじいものでした。いわゆる爆弾低気圧と呼ばれるものだったようです。これに大陸の寒気が触れて降ったのが先月半ばの大雪でしたから、もし昨日のあの時間帯に上空の気温等の条件が満たされていれば、またしても大雪に見舞われたかも知れなかったわけです。そう考えると、雨で済んだことを喜ばなければいけないのかも知れません。

今日も、何だか昨日の悪天候の余韻を引きずるかのような不安定なお天気になってしまいましたが、それにもメゲずに《cafe32゜F》にお邪魔してランチをすることにしました。

今日はキーマカレーのセットです。玉ねぎの甘味の効いた優しい味…と思っていると、後からしっかり辛さが追いかけてきます。暑い夏に頂くのもいいのですが、こういう寒い日に頂くと内側から暖まって、またいいものです。

夜から雪が降るという予報がなかなか撤回されないのですが、それでも21時まで頑張ってレッスンしてきます。
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