共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

パフェとサンデー、何が違う…?

2014年03月13日 14時00分06秒 | 日記
一昨日に春一番が吹いてからというもの、関東地方は大変温かな陽気に恵まれました。と言っても、今日は朝から雨が降っていますが、それでも先週の今頃と比べても、気温差は歴然としています。

そんなお天気に影響された…わけではありませんが、今日は何となくベタなものが食べたくなって、何年か振りにデニーズなんてところに入ってみました。そしてオーダーしたのが、この《DEVIL'Sブラウニーサンデー》という、何やらおどろおどろしい名前のデザートです。いわゆるチョコレートサンデーですが、アイスクリームよりも『かさ増し』の丸いクッキーのようなポリポリしたものの分量が多くて、一瞬何を食べているのか分からなくなるようなものでした。

ところで、たまに気になるのですが『サンデー』と『パフェ』とは何が違うのか…?

パフェはフランス語のパルフェ(Parfait)という氷菓の名前から派生した和製語だそうで、一応の定義としてはフルーツ、アイスクリーム、シロップ、クレーム・ド・シャンティ(緩く泡立てた生クリーム)等を、細長いグラスに入れて飾り付けたものということになるそうです。その成り立ちからしてみるに、パフェはどちらかというとフランス料理のコースの後のデザートのようなものということになります。「パフェは夜に頂くデザート」というのには、こうした謂れがあるようです。

サンデーはアメリカ発祥で、アイスクリームにチョコレートソースやクレーム・ド・シャンティをかけて、フルーツやナッツをトッピングしたものを、丸いガラスボウルに入れたものということになるそうです。なので、どちらかというと3時のおやつ的な気軽なもので、それ故に「サンデーは昼のデザート」と呼ばれます。

因みにサンデーの綴りはSundayではなくSundaeと書きます。これは1890年頃にアメリカ・ウィスコンシン州のアイスクリームショップでチョコレートソースをかけたアイスクリームを日曜日に限って販売して評判を得たので、当初はSundayという商品名で売られていたようです。しかし、この名前が「安息日たる『主の日』を意味するものである!」というクリスチャン団体からの猛抗議を受けて、綴りの末尾を変えてSundaeにした…ということです。ですので、見た目の綴りは違えども、発音は全く同じという珍現象が発生することになったのだとか。まあ涙ぐましいと言うか、商魂逞しいと言うか…。

ただ、こと日本においては、実はそんなに明確な区別はないようです。このデザートもサンデーと名乗りながらパフェを入れるべき細長い器に入っていますし…。

まあでも、それはそれとして、とりあえずこのチョコレートサンデーは美味しく堪能しました。さて、では出勤するとしましょうε=(ノ‥)ノ。
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何がしたいのか…

2014年03月12日 17時55分20秒 | 日記
昨日も書きましたが、昨日3月11日は東日本大震災から丸3年経った日でした。

日本国内だけでなく世界各地で犠牲者を追悼する式典が行われ、それぞれに哀悼の意を表しました。厚木の街でも14:46を前に市の公報塔から黙祷を呼びかける放送があり、道行く人達も立ち止まって黙祷を捧げていました。

ニュースでも流されましたが、国立劇場でも天皇・皇后両陛下が御臨席あそばされて震災犠牲者への慰霊祭が執り行われ、14:46の時報と共に黙祷が捧げられていました。

ところが、その裏でとんでもない行動を起こしていた輩がいました。『反戦反天皇制労働者ネットワーク』と名乗る一団が、《3・11天皇出席の震災追悼式典全国一斉黙祷反対集会》なるものを開き、デモ行進まで行っていたというのです。

実体としては動画を見てみると分かりますが、要するにこういったことにかこつけて、原発反対やら天皇制反対やら《君が代》反対やらといった自論を振りかざして悪目立ちしている愚連隊です。動画は昨年のものですが、今年もネットを通じてこの集会への参加が呼びかけられていました。

思うのですが、こんな政治的メッセージを声高に喚き散らすことにうつつを抜かしていないで、ただ静かに心から犠牲者への哀悼の意を表せないものでしょうか。

日本は基本的に『信条の自由』が保証されている国ですから、的外れなデモ行進だろうが決起集会だろうが、それを行うことそのものにとやかく言う権利はこちらにはありません。しかし、一日本国民として、あの恐怖を共有したもの同士、なぜ素直に冥福を祈れないのでしょうか。悲しい人達です。

恐らくこの人達の中には、お身内や親しい方を震災で亡くしたり、自身や家族が帰宅困難者になったりした人は誰もいないのでしょう。もし、いたとしたら…人としてあまりにも残念過ぎます。


2012/3/11 デモ1/3 原発推進・天皇出席の震災追悼式典-全国一斉黙祷反対
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あれから丸3年

2014年03月11日 17時40分32秒 | 日記
今日は3月11日、今から3年前に、東北地方の太平洋側を中心に発生した東日本大震災が起きた日です。

写真は3年前とちょうど同じ時間くらいの今日の厚木一番街の様子です。御覧のように何の変哲もない風景ですが、これと同じくらい何の変哲もない時間の中で、あの未曾有の災害が発生しました。

あの日は金曜日、私はあざみ野の教室にいて、レッスンの準備をしていました。他の講師も出勤してきていた中で「…あれ?」と思った次の瞬間、教室の入っているビルが、建物ごと地面から遊離したのではないかと思うくらいに大きく横に揺れ動きました。各レッスン室の中のピアノもガタガタと音をたてて揺れ動いていたのですが、取り合えず出口を確保すべく全ての部屋の扉と出入口のガラスのドアを開けて、その当時天井から提げられていた照明が大きく揺れるのを、側にあったテーブルに上って落ちないように必死に掴んでいました。

それからどのくらいの時間が経ったのか分かりませんが、揺れながらも『これだけ大きな横揺れならば、これは直下型の地震ではない』という確信のようなものがあったので、とりあえずそのことを安心材料として、揺れが収まるまでこの場から動かないようにと声を掛け合いました。

やがて揺れが収まって辺りを見回したところ、幸いなことにピアノや本棚が倒れたり、時計や照明が落ちたりといった被害はありませんでした。ただレッスン室内が暗くなっていたので、程なく停電が起こったことは分かりました。それでも直後は自分達のいるビルだけが停電になったものと思い、1階にある分電盤のところに行ってみると、他のテナントの人達も既に集まっていました。

しかし、それからしばらくして誰かが「あ!街中が停電してる!!」と言ったので周りを見ると、通りの信号機が点いていないのに気づき、向かいの店も真っ暗になっていたのを確認して、大変なことが起こってしまったという実感が湧き始めていました。

次に気づいたのは、ありとあらゆる情報が入ってこないことでした。テレビはつかない、ラジオもつかない、電池を入れても繋がらない、電話も通じない、携帯も繋がらない、メールもやりとりできない、ワンセグも観られない…とにかくあざみ野界隈は、あらゆる情報から隔絶された『陸の孤島』になってしまったのです。

それから数時間後、一駅隣のたまプラーザは電気が点いているらしいという話を頼りに全員でたまプラーザに移動したら、駅周辺と東急百貨店を含めた一角だけが、奇跡のように明るく浮かび上がっていました。教室の本店もちょうどその一角の中にあったので、とりあえず出勤した講師同士でお互いの無事を喜び合ってから、何はさておき今日は絶対に帰れなくなるから…ということで、全員で手分けして当座の食糧を調達しました。

それから全員で新しくオープンした第2センターに移動して、そこの廊下に取り付けてあったテレビモニターで、私達が知らない間に世の中で起きていた衝撃的な出来事の数々を初めて認識することになったのでした。

結局その日は帰宅難民になったのですが、何しろ電気は点くし、テレビは観られるし、靴は脱いで上がれるし、トイレは使えるし、食糧はあるしといった感じでしたので、あの日ホテルのロビーや公共施設の廊下で雑魚寝以下で過ごしていた方々には申し訳ないくらい快適な状況で過ごすことができました。あの時ほど会社に感謝したことはありません。

あれから丸3年経って、自分が暮らしている街に関しては平穏を取り戻したように見えます。しかし被災地、特に私の生まれ故郷である福島県は、未だにどこから手を付けていいのかも分からないような状況下にあります。

思うのですが、こんなに対応が遅れていて『先進国』といえるのでしょうか。

これから復興しなければならない問題が山積している状況ですから、必要としているところには申し訳ありませんが、一度海外へのODAや国連負担金を数年間免責してもらって、その分を復興に充ててはいけないのでしょうか。他所の国にいい顔をするのも外交上大事なことなのかも知れませんが、事情を話せば分かってもらえると思うのです。

とにかく政府には、一日でも早く自国民の安寧を図ってもらいたいと、切に願わずにはいられません。
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どんな姿に…?

2014年03月10日 20時20分37秒 | 日記
以前にも改札内に新設されたトイレのことを載せましたが、昨年春から全面耐震強化工事に入っていた小田急線本厚木駅東口の完成形が、少しずつではありますが垣間見えてきました。

こちらは改札口を出てバスセンターに向かう通路です。以前ここの床には固いタイルが一面に敷き詰められていましたが、新しい通路にはタイルに代わってウッドパネルが敷き詰められていました。照明も電球色のような優しい色合いのものになり、床から反射してくる光も目に優しい印象になりました。

以前、この通路の両側にはDOUTORやコンビニやHOKUOパンといったお店が並んでいて、ちょっとした買い物や食事をするのに重宝していました。新しい通路スペースにそういったお店が軒を連ねるのかどうか、今のところ東口の案内板にも何のインフォメーションも書いていないのですが、どうもこの養生幕の向こうにドアっぽいものがチラリと見えるので、何らかのテナントが入るようなかたちにはなるようです。

春に向けて徐々に姿を現し始めた新しい本厚木駅東口に、期待が膨らんできました。
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《sakusaku》Forever!!!

2014年03月09日 17時15分24秒 | 日記
今日は知人と海老名のショッピングモール《ビナウォーク》に来ました。今日はここで、tvk(テレビ神奈川)で月曜日から金曜日の朝に放送されている音楽情報バラエティ《sakusaku》の、番組ブルーレイ発売記念公開イベントがありました。

今回は特に、番組そのものは続くものの2001年から今まで13年間続いた現在の体制がこの3月で終了し、レギュラー出演者の殆どが4月以降いなくなってしまうということもあって、それなりの広さのある野外イベントスペースには、ざっと見回した印象だけでも、恐らく2、000人は下らないであろう番組視聴者が集まりました。

14時から始まるイベントに私は10時頃に行ったのですが、もうその頃には200人ほどの人が野外ステージ前にビニールシートを敷いて座っている状態でした。本番を待つ間に、視聴者有志が各出演者に手渡す寄せ書き色紙を広げて来場者に書き込みを呼び掛けたり、ブルーレイ販売元が用意した横断幕に書き込みを呼び掛けたりといった出演者へのサプライズが着々と準備されていました。

この横断幕はイベントの最中に出演者にサプライズで披露され、その場で出演者にプレゼントされました。写真はその横断幕を持って撮影に応えている様子を撮ったものです。

10年以上にわたって日常的に続いてきたものが終わりを迎えるということは、やはり寂しいものです。それは、今日ここに集まったファン全員が同じ思いでいたと思います。それでも4月からは、2012年からMCを務めているトミタ栞ちゃんが残って新たな《sakusaku》をスタートさせるということなので、そちらに大いに期待したいと思います。
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あみゅー…( ̄_ ̄|||)

2014年03月08日 17時45分45秒 | 日記
寒風が吹き荒ぶ快晴の空の下、買い物がてら厚木の街まで出てみました。

バスセンター近くに、この4月にオープン予定の《アミューあつぎ》という施設の工事現場があります。工事といっても、実はこの建物自体は昔РДЯ℃〇だったもので、随分前にそのРДЯ℃〇が閉店・撤退してからは、長く巨大な空き箱として異彩を放つ存在でした。それがこの春から商業施設やギャラリー等を備えた、厚木市が運営する総合施設に生まれ変わることになったものです。

何でも、地下1階から4階までは商業施設、その上に市民の交流スペース、そして最上階には、РДЯ℃〇閉店と共に厚木から姿を消した映画館が入るのだそうです。因みにこの《アミューあつぎ》という施設名も、一般公募で決まりました。

勿論、こんな巨大な建物をただ置いておくよりはいいのでしょうが、オープンしたてはいいとして、さてどれほどの使用率になるのか…。市が運営する施設なのですから、当然一般の商業施設よりも使い勝手のよいものにならないといけないはずですが、例えばギャラリーを借りるにはどれくらいの値段で借りられるのか…。いろいろと不明な点も多いものではありますが、何はさておき4月26日にオープンしますので、その時に全容が明らかになるのでしょう。

さてこの施設が、ショッピングモール《ビナウォーク》やTOHO CINEMASといった大型商業施設やシネコンを完備し、様々なイベントや商業活動で大きく集客をリードされっぱなしの隣の海老名市から人を呼べる起死回生の切り札となりうるのか、その真価が間もなく問われることになります。

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今日の《cafe32゜F》

2014年03月07日 19時46分17秒 | 日記
陽射しがあまり期待できず、どちらかと言うとドンヨリした雲が空を流れる中、今日も今日とてお邪魔しました。

14時過ぎに伺ったら店内はほぼ満席状態で、御主人がキッチンで孤軍奮闘されている真っ最中でした。いつも座っているカウンター席にも先客がいたので、奥の方に空いた席に座ったら、ちょうどホットケーキを焼く銅板の目の前でした。

一瞬どうしようか迷ったのですが、さすがに2週続けてホットケーキというのも芸がないので、今日は違うものをオーダー…ということで、久しぶりにアボカド・ベーコン・チーズのトーストサンドをお願いしました。

オーダーが入ってから厚切りベーコンをフライパンで焼くと、キッチン越しに香ばしいベーコンの香りが伝わってきます。完成して私のもとへ運ばれてくる時に、先にオーダーの提供されたテーブルのお客が、思わず香りを鼻で追ってしまったほどです(* ̄∇ ̄*)。チーズが効いているので、見た目以上に食べ応えがあるサンドイッチです。

本当はもう少しゆっくりしていきたかったのですが、店内が大盛況になってきたのと雪がちらついてきたのとで、今日は早めに失礼しました。
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三分咲き

2014年03月06日 21時21分24秒 | 日記
昨日の夜中にブログを更新してから更に夜中にかけて楽譜作成に勤しんで、何とか一応の完成を見た頃には夜明け方になっていました。『いかんいかん!!』と慌てて床に着いたと同時に爆睡し、目覚めたら昼前だったという、典型的なダメ人間パターンを踏んで出勤しました。こういう時に自由業って有り難いです…。

先日、海老名駅のコンコースに河津桜が生けてあったものを載せましたが、たまプラーザ東急のエントランスホールにも、御覧のように大きな甕に河津桜が生けられていました。隣に立っている女性と比べて頂くとその大きさが分かって頂けるかと思いますが、3mくらいはあろうかという見事なものです。

河津桜独特の桃色がかった花もチラホラと咲いていました。とは言ってもまだ三分咲き程度なので、まだ蕾の方が多い状態です。温かい室内に生けてありますから、もしかしたらこの週末頃に見頃を迎えているかも知れません。
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悩み中…

2014年03月05日 22時51分17秒 | 日記
朝から雨の降り続く生憎の天気となりました。気圧が低いせいもあってか、気分も鬱々としてきます。

幸い今日は教室がないので、デスクワークに勤しむことにしました。5月の連休明けの発表会に向けてのネタ作りです。

本来、発表会というものは文字通り日頃の成果を発表する場なので、使っているテキストの中から選んで舞台にかけることが殆どです。ただ、中にはそれとは別に『発表会にかける用』の曲を用意する場合もあって、今回は一人だけそうなることになりました。

ところが、これはこれで大変なのです。というのも、例えばやりたい曲があって、その楽譜を用意したはいいものの、実際にはその子にとって若干技術的にキツい場合があるのです。そうなると既製品には頼れませんから、考えながら手書きすることになります。

今回の場合は原調では高過ぎるので、ある程度まで全体の調性を下げるのと、動きが細か過ぎるところの音を間引いて弾きやすくすることが必要な作業です。しかし、言うのは簡単ですが、元の曲の風合いを損ねないようにしながら音数を整理するという作業はなかなか難しいものです。

書いては楽器で弾いて全体の感じを確かめ、納得いかなければ始めからやり直し…そんな作業を続けて、写真の手書き譜で4枚目です。楽譜作成ソフトでも使えばもう少し効率的に出来るのだろうとも思うのですが、ローテクな私はにはこの方が性にあっています。

さて、もう少し頑張ります。
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少しずつ…

2014年03月04日 17時24分52秒 | 日記
昨年3月末をもって、本厚木駅東口改札に繋がる高架下通路と、東口と中央口を結んでいた駅ビルの『ミロード中央館』とが耐震強化工事に入りました。それに伴って東口通路にあった商店街が一斉に閉店し、改札外にあったトイレも閉鎖されました。

この高架下は普段からあまり外光が入らないので、広くて明るい中央口に比べてドンヨリとした雰囲気に包まれていたのですが、工事が始まって全ての店舗が無くなり、更に工事用の鉄壁に覆われてからは、ドンヨリ感が一層増して見えました。人とすれ違うのにも気を使うくらい狭くなった通路を歩いていると、工事用壁の向こうからけたたましいドリルの音が漏れ聞こえてきて、会話をするのもおぼつかないような状態でした。

こんな状況が延々続くのか…とも思えて、実はバスセンターからのアクセスとしては中央口よりも近い改札口なのにもかかわらず、歩いているだけでも鬱々としてくるので、あまり使う気にもなれませんでした。

それでもさすがにここ最近、少しずつではありますが完成に向けての様子が垣間見えてきました。

その一環として、かつて改札外にあった暗くて狭くて使い勝手の悪いトイレに代わって、昨日から東口改札内に新設されたトイレが使えるようになりました。

LED照明に代わった新しい改札内のトイレは、以前のものに比べて天井高も高くなり、通路スペースにもゆとりができて広く感じます。男性用に限って言えば、かつては和式が一つしかなかった個室も洋式が二つに増え、うち一つにはおむつの交換台も設置されました。

そして何より驚いたのが、ウォシュレットが完備されたことです(m゜◇゜m)!!これまでにも相模大野の駅ナカトイレが改装されて、全部の個室にウォシュレットが付きました。それを皮切りに、徐々にその傾向が広まりつつあったのですが、それがいよいよ本厚木駅にも現れました。嬉しいことです。

来月中には通路の耐震強化工事も終了予定で、新たな東口通路が開通することになります。それがどんな姿になるのか、段々楽しみになってきました。
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謎が解けた…ε~(゜。゜;)

2014年03月03日 17時00分01秒 | 日記
今日は全国的に3月3日桃の節句でございます。女の子の健やかな成長を願って雛人形を飾ってお祝いします。小田原の教室近くの商業施設にも、御覧のような立派な七段飾りが設えられて、訪れる人の目を楽しませていました。

ところで、この写真のお雛様もそうなのですが、最近の雛人形の一部の持ち物が、私が認識しているものと若干違っているのです。

例えば、三人官女で中央に座っている人形の持ち物が、私の認識では盃を載せた三宝を捧げ持っていたのですが、この官女は大嶋台を持っています。また橘と桜の間にいる仕丁(もしくは衛士)の持ち物も、私の認識では台傘・沓台・長傘なのですが、この仕丁は熊手・ちり取り・竹箒を持っているのです。

この一揃いだけではなく、展示会に並んでいる七段飾りは大概私の認識と違う後者の物を持っているので、最近までは『私の認識が違っているのかしら?』とか『時代と共にいろいろと変わっていったのかなぁ』とか思っていました。

ところが、そうではなかったのです。

実はこの写真の一揃いのかたちは、いわゆる『京風』のものだそうで、私が認識していた一揃いは『関東風』だということが、ある方との会話の中で判明したのです。なので、確かに流行りもあるかも知れませんが、雛人形の本場の一つである埼玉県岩槻に行くと、今でも私の認識している『関東風』の一揃いもちゃんと存在しているそうなのです。

ただ、その会話の主曰く、この飾り方には若干の違和感を感じるのだそうです。というのも、純然たる『京風』は内裏雛の配置が左右逆で、向かって右側に男雛、左側に女雛を飾るのが習慣なので、どうせやるならそこまで『京風』に徹してほしい…と思うそうです。

確かに古来からの習慣に則れば、この一揃いの場合は『京風』に飾るのが本来です。男雛を右側に飾るのは、京都御所の正殿・紫宸殿で『天子』たる天皇が日の出の方角である東側に坐すことに由来します。『関東風』の並べ方になったのは東京遷都後、大正天皇の即位礼の時に、西洋の王室に倣って女性の右手を取るよう左右を入れ換えて並んだことによるものです。

だから、関西の方々からすると何ともチグハグに見えるのだとか。それは、この一揃いの持ち物に違和感を感じる関東人の私も少なからず感じているところなのですが、平成の御代にあってはそこまで厳密に考えることも良しとされない空気感があるので、まあ『痛み分け』ということで…。

それにしても、長年モヤモヤしていた雛人形についての疑問が解明されてスッキリしました。これからは安心してこういう一揃いを見ていられます(大袈裟…)。
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春はそこまで…

2014年03月02日 18時22分44秒 | 日記
今日は御無沙汰している知人と会うために海老名に出かけました。昨日の天気予報によれば、場合によってはあわや又しても雪が降るのかと危惧されましたが、さすがに神奈川県は雪になる程の寒さにはならなかったようです。

それでも、先日の春めいた暖かさを体感してしまった身には、最高気温の前日比-8℃という現実は、やはり厳しいものがありました。動いているうちはまだいいのですが、信号待ち等で立ち止まっていると、足元からジワリジワリと寒さが忍び寄ってきます。

知人とランチがてら積もる話に花を咲かせて、そのまま横浜に出るという彼を相鉄線の改札口で見送ってから、私も小田急線で本厚木へ行くことにしました。そうしたら、改札を入ったところのコンコースに、御覧の桜の生け花が展示してありました。現在、神奈川県松田町で《まつだ桜まつり》が開催されているのですが、そのPR用として飾られているものです。

小田急線新松田駅から見える小高い山の中腹にある《松田ハーブガーデン》には早咲きで知られる河津桜が植えられていて、毎年この時期になると鮮やかなピンク色の花を咲かせます。尾根に沿ってズラリと並んで咲き誇る姿は圧巻の一言に尽きます。

この雨が上がってお天気がよくなったら、満開(かどうかは保証の限りではありませんが…)の桜を観に行ってみてもいいかな…と思いました。
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ちゃんと教えていかないと

2014年03月01日 17時25分50秒 | 日記
今日、コンビニで買い物をしていたら、若いお母さんと4~5歳くらいの女の子が、レジのところで大きな声で話をしていました。


母:(既に買い物を終えたらしく)○○ちゃん、行くよ~。

娘:(お菓子を手に)ママ、これも~。

母:ダメよ、お買い物おしまい。

娘:ヤダ~、買って~。

母:ダ~メ、もうお財布しまっちゃったから。

娘:(母が手に持っているスマホを指差して)だってそれで『ピッ!』てしたら、お買い物しなくてもいいんでしょ?

母:えっ?…ダメよ、戻してきて。

娘:ヤダ~『ピッ!』ってしてー!!

母:ダメッ!(お菓子を取り上げて売り場に戻して)行くよ。

娘:※○☓△☆☎〒¶§∞~!!!(この世のものとも思えない金切り声での号泣)

母:…(娘の手を強引に引っ張って退店)


まあ、よく店のレジ前で繰り広げられる、親と子の間に渦巻く物欲と懐具合を巡っての攻防戦といったところですが、娘の言った「携帯電話をレジの受光部に『ピッ!』としたら、お金を出さなくても何でもモノが買える」という感覚に、ちょっと引っかかるものがありました。

私の世代と違って今の子供達は、様々な『ヴァーチャル』なものに囲まれています。おサイフケータイにしても、交通系ICカードにしても、今の10代以下にしてみれば生まれて物心がついた時には既に携帯電話の機能として存在していたものであり、それが様々な場面で使えることについて何らの疑問も抱かずに生活しています。

もちろん、それを自分の責任と裁量の及ぶ範疇で使いこなしている大人たちは、自分の懐から身銭を切って使っていることを知っています。しかし、大人が携帯電話をシャラシャラいわせている姿を、ただ低い目線から見上げて見ている小さい子にしてみれば、『携帯電話さえあれば、それをお店のレジや自動改札機や自動販売機に当てて何でもできる』と単純に思い込んでしまっても無理もありません。先程の親子のやりとりも、そういった見解の相違から引き起こされたものと考えれば合点がいきます。

何はさておき、これから大人がおサイフケータイという『ヴァーチャル』を子供の前で使う時には、使った分だけお財布からお金がなくなっていくんだよ…という『リアル』を一緒に教えこんで、子供達にあらぬ勘違いをさせないように育てていく必要があるのではないでしょうか。

もっとも、昨日ビットコインなるウェブ上の仮想通貨の取引サイトを運営していたマウント・ゴックスという会社が事実上破綻して、有り金を注ぎ込んでいた利用者が自身の損失額をテレビカメラの前で恥ずかしげもなくペラペラ喋っていましたが、あんな何の実体も保証もない『ヴァーチャル』なものに入れあげて『儲かった~♪』などと喜んでいた大人がゴロゴロ出てきたところをみると、大人の意識と知識の再教育から必要なのかも知れません。道のりはなかなか遠いですね…。

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