東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

日本橋の近くをひと回り

2017-08-27 | 散歩
  雨季が開けた? トーキョーこの日は暑かった、
  遠くまで歩く気がしないので近くをひと回り。
  前に載せたところもあるけど
  改めてもう一回見てみましょう。


  

     日本橋の銀座側隣は「西川ふとん店」。

     西川は創業から440年を超す歴史の店、寝具・ベッド・インテリアの専門店。
     ベッド・タオル・リラックスウェア・クッション、そして驚くことに蚊帳なども扱っている.。




          

          ちょっと歩いて「COREDO日本橋」。
          衣・食・住・遊の生活シーン全般に渡っての個性豊かな店舗が揃っている。

          ここはかつて「白木屋百貨店」があった所、
          白木屋百貨店といえば世に言う「白木屋の大火」が有名。
          昭和7年12月16日、4階のクリスマスツリーから出火した火はあっという間に燃え広がり
          5階以上の客は屋上へ避難、軍の飛行機から救助ロープなどが投下されたという。

          下の階の客や店員たちは売り場の反物や女性店員の帯などを使ってで脱出を始めたが
          当時の女性はほとんどが和服、下着をつけていなかった。
          下には見守るたくさんの野次馬、炎と風で裾がめくれ上がる、
          片手で裾を押さえたりしたため自身を支えきれなくなるものが続出。
          500人以上が重軽傷を負い、14人が死亡するという大惨事となった。

          この大惨事以降女性の洋服化が急速に進み、当然下着着用となり、
          女性の服装を近代化させたエポックメーキング的な大事件であった。
          (これはセンセーショナルに報道されたが異論もたくさんある)




  

     COREDO日本橋の脇に「名水白木屋の井戸」の碑。

     家康の入府後埋め立てられたこの地は当然ながら飲み水には苦労した、
     海水混じりの水しか出てこない。
     白木屋創業者の二代目が私財を投げうって掘った井戸からは良水が湧き出て
     近隣の町人、武家の用水として長い間使われた。




  

     「名水 白木屋の井戸の碑」の隣に、「漱石、名作の舞台」の碑。

     青春小説「三四郎」、名作「こころ」には ここの路地の寄席や料理屋が描かれている。
     (石碑碑文より)




  

     日本橋へ戻って日本橋川沿いに外堀通りに向かいます。

     「榮太樓總本鋪」。
     榮太樓を代表する江戸甘味「あんみつ」を始め「金鍔」
     「梅ぼ志飴」「甘名納糖」「玉だれ」、そして季節の生菓子、、、
     二刀流の私には堪えられませんわ。^^;




          

          江戸城大手門から永代橋に伸びる永代通り、
          呉服橋交差点の近く新呉服橋ビルの前に「竹久夢二 港屋ゆかりの地」 記念碑。

          竹久夢二は人気絶頂だった1914(大正3)年、この辺りに湊屋絵草紙店を開店、
          自作の絵をあしらった絵葉書や手拭いなどを販売した 。
          記念碑には、夢二が作詞した「宵待草」の歌詞が刻まれている。




  

     ちょうどその真裏に当たる場所に「日本橋西河岸地蔵堂・延命地蔵」。

     当時まだ無名であった花柳章太郎が日本橋の花街を舞台とした日本芸者物語のお千代役を熱望、
     西河岸地蔵堂に祈願した結果起用され、出世作となった。
     また、谷崎潤一郎が幼少時代にばあやに連れてこられたとの話もあるようだ。
     谷崎は日本橋人形町で生まれている。




          

          外堀通りに出て「一石橋」。
          本など読んでいると「いっこくばし」とルビを振ったのも見られるが正しくは「いちこくはし」である。

          江戸城外堀から続く日本橋川に架けられた橋。
          この橋の両側に奇しくも後藤を名乗る屋敷が二つ、
          後藤(五斗)と後藤(五斗)、合わせて一石というわけで「一石橋」と。♪




          

          今は橋は無くなったが足元に「一石橋迷子しらせ石」。

          江戸も後半に入るとこの辺りは盛り場となり迷子も多くなった、
          当時は迷子が出ると町内が責任を持って保護する決まり。
          日本橋から一石橋辺りの町名主たちが奉行所に申請して造られた「迷子知らせ石」。
          正面に、「満(ま)よひ子の志(し)るべ」
          左側面に「たづぬる方」、右側面に「志(し)らす類(る)方」と彫られている。

          子どもが迷子になったら左側へ、迷子を見つけたら右側へその旨の紙片を貼り付けて知らせた。




  

     会社への途を歩いています、一石橋の隣 「常盤橋」。

     江戸時代に枡形の城門である常盤橋門があった。
     明治になってから、石造りアーチ橋の常盤橋が造営されたものの、手狭であることから
     後に現在の常盤橋が造営されて、旧橋は「常磐橋」と呼ばれるようになった。
     「常盤橋」と「常磐橋」、違いが分かりますか?。
     「盤」と「磐」とが違いますね。

     その「常磐橋」は修復工事中、これって何年かかるんだろ?ず~っとこんな感じ。
     左手奥が常盤橋門跡の石垣、私は工事前に何回か行ったけど
     そこそこ荒れていた、きれいさっぱりと甦った姿が早く見たいね。

     ここから会社までは5,6分、この向かいにある日銀も撮りたかったけど
     ここも工事中、とにかく東京は工事中がやたら多い。
     発展、修復、、、どこかを目指して行っても写真が撮れないことも多い、
     江戸から続く東京、古いものを残しながら
     今も発展を続けているのです。


                                              8月22日 日本橋散歩
          

コメント (2)
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