吉原の桜
2019-04-01 | 風景
東京はお天気が悪くなってきた、
降りはしないけどお日さまは全く顔を出さない。
でも桜は待ってくれないどんどん咲き進む、
とりあえずすぐ近くの吉原の桜でも見てみようかな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/4a/7c0a49f57159fc3512c32a8185876d09.jpg)
空が空だけに全くお手上げ、花びらは空に溶け込んでいる
でも晴れるまで3日も4日も待ってるわけにはいかないしなぁ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/37/861d382b51882f39aa7c354b59321d06.jpg)
これでお天気がよかったら私も天女たちみたいに浮かれられるんだけど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/ec/8c00c6e9dc4d0c10cf960528cde0d528.jpg)
カメラも広角を付けているだけ、望遠は持ってきてない。
せめて望遠があればなぁ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/d3/4f3e0a78832d91b3be02d750fa634eaa.jpg)
散り急ぐ桜、なにをそんなに急ぐのか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/76/0fc44c4673be991a8a30e22bea25c0ca.jpg)
ちょっとだけ空が明るくなったので期待したけど一瞬の青空で終わってしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/79/bfe2a41eed511e695878493086ce715a.jpg)
この辺りは大きな池があって弁天池とも花園池とも呼ばれていた、
いまは手のひらサイズになってここ弁天堂に残る。
遊女たちの悲哀を見てきた池、鯉が無心に遊んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/fb/993eda442335f1982a19b85f5872ccd5.jpg)
道を挟んで「花園公園」
広大な花園池を埋め立てた跡の児童公園、ここの桜は大島桜かな真っ白い花が咲いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/69/b0b567ae045a3465321290dc14e88897.jpg)
公園に隣接して「台東病院」。
台東病院は旧東京都立吉原病院。
吉原病院は警視庁病院を母体とする性病専門の病院であった。
1911年、娼妓の治療をなすため、警視庁が吉原遊廓ほか5カ所に
警視庁病院として設立。
戦後は性病予防法第16条に基づく性病病院として残るが、
1951年以降に入院患者が激減したため一般病院となる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/3e/9c115866450341ba8e924266ab367a74.jpg)
2,3軒おいて「吉原神社」と「逢初桜(あいぞめざくら)」。
逢初とは恋焦がれている人に初めて会うという意味。
遊客の出逢いを叶える桜として新吉原入口の玄徳稲荷社脇に植えられ、
同じく稲荷社脇にあった「駒止松」、
さらに新吉原入口の「見返り柳」と合わせて「廓(くるわ)の
三雅木(さんがぼく)」として知られていた。
現在の逢初桜は平成24年に植樹された枝垂れ桜です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/77/f01588c69521f683031d4cdea5a32476.jpg)
きれいな枝垂れ桜、そこら辺から花魁が出てきそうな・・・。
ここはもう吉原・仲之町通の端っこになります、
ちょっと行くと現代の吉原、"その手"の店が並んでいて
怖そうな呼び込みのヒトたちが。
下手にカメラは向けられませんね。
一夜にして桜の名所になる、吉原遊郭
中央の仲之町通りは一夜にして満開の桜が千本並んだといわれています。
千本は多過ぎるにしてもかなりの桜が並んだようです、
ソメイヨシノが作られたのは明治になってから、ヤマザクラか何かでしょう。
もちろん植木屋さんが運んできて植えたのでしょうが、
吉原も話題作りに大変だったようです。
data: EOS70D/EF17-40mm 1:4 L USM。 撮影 3月28日 吉原弁天~吉原神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/16/1c10021bf7049b756e2757dc924faabe.png)
新しい年号が「令和」と決まりました。
いいじゃないですか、書いても声に出してもさまになっている、
私は「令」も「和」もそれぞれ好きだし
悪筆の私にもそう苦労しないで書けそう。
これから幾十年も使う年号、大切に使いたいですね。
そしてこの年号が続く限り日本が平和であり続けることを祈ります。
降りはしないけどお日さまは全く顔を出さない。
でも桜は待ってくれないどんどん咲き進む、
とりあえずすぐ近くの吉原の桜でも見てみようかな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/4a/7c0a49f57159fc3512c32a8185876d09.jpg)
空が空だけに全くお手上げ、花びらは空に溶け込んでいる
でも晴れるまで3日も4日も待ってるわけにはいかないしなぁ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/37/861d382b51882f39aa7c354b59321d06.jpg)
これでお天気がよかったら私も天女たちみたいに浮かれられるんだけど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/ec/8c00c6e9dc4d0c10cf960528cde0d528.jpg)
カメラも広角を付けているだけ、望遠は持ってきてない。
せめて望遠があればなぁ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/d3/4f3e0a78832d91b3be02d750fa634eaa.jpg)
散り急ぐ桜、なにをそんなに急ぐのか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/76/0fc44c4673be991a8a30e22bea25c0ca.jpg)
ちょっとだけ空が明るくなったので期待したけど一瞬の青空で終わってしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/79/bfe2a41eed511e695878493086ce715a.jpg)
この辺りは大きな池があって弁天池とも花園池とも呼ばれていた、
いまは手のひらサイズになってここ弁天堂に残る。
遊女たちの悲哀を見てきた池、鯉が無心に遊んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/fb/993eda442335f1982a19b85f5872ccd5.jpg)
道を挟んで「花園公園」
広大な花園池を埋め立てた跡の児童公園、ここの桜は大島桜かな真っ白い花が咲いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/69/b0b567ae045a3465321290dc14e88897.jpg)
公園に隣接して「台東病院」。
台東病院は旧東京都立吉原病院。
吉原病院は警視庁病院を母体とする性病専門の病院であった。
1911年、娼妓の治療をなすため、警視庁が吉原遊廓ほか5カ所に
警視庁病院として設立。
戦後は性病予防法第16条に基づく性病病院として残るが、
1951年以降に入院患者が激減したため一般病院となる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/3e/9c115866450341ba8e924266ab367a74.jpg)
2,3軒おいて「吉原神社」と「逢初桜(あいぞめざくら)」。
逢初とは恋焦がれている人に初めて会うという意味。
遊客の出逢いを叶える桜として新吉原入口の玄徳稲荷社脇に植えられ、
同じく稲荷社脇にあった「駒止松」、
さらに新吉原入口の「見返り柳」と合わせて「廓(くるわ)の
三雅木(さんがぼく)」として知られていた。
現在の逢初桜は平成24年に植樹された枝垂れ桜です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/77/f01588c69521f683031d4cdea5a32476.jpg)
きれいな枝垂れ桜、そこら辺から花魁が出てきそうな・・・。
ここはもう吉原・仲之町通の端っこになります、
ちょっと行くと現代の吉原、"その手"の店が並んでいて
怖そうな呼び込みのヒトたちが。
下手にカメラは向けられませんね。
一夜にして桜の名所になる、吉原遊郭
中央の仲之町通りは一夜にして満開の桜が千本並んだといわれています。
千本は多過ぎるにしてもかなりの桜が並んだようです、
ソメイヨシノが作られたのは明治になってから、ヤマザクラか何かでしょう。
もちろん植木屋さんが運んできて植えたのでしょうが、
吉原も話題作りに大変だったようです。
data: EOS70D/EF17-40mm 1:4 L USM。 撮影 3月28日 吉原弁天~吉原神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/16/1c10021bf7049b756e2757dc924faabe.png)
新しい年号が「令和」と決まりました。
いいじゃないですか、書いても声に出してもさまになっている、
私は「令」も「和」もそれぞれ好きだし
悪筆の私にもそう苦労しないで書けそう。
これから幾十年も使う年号、大切に使いたいですね。
そしてこの年号が続く限り日本が平和であり続けることを祈ります。