関東大震災では火の手に追われ追い詰められて
隅田川に落ちて亡くなった方が1万人もいた。
また、火の粉は隅田川を飛び越え対岸も火の海にした。
その教訓から団地を縦に並べ巨大な防火壁とし、
人命を守るという構想で作られた団地です。
いつもは裏側を通るけど表側の墨堤通りを行きます、
隅田川神社の鳥居が道端に、団地の向こうに東白髭公園が
その向こうに隅田川神社があります。
団地は隅田川神社と鳥居の間に造られました。
団地と団地の間には頑丈な防火扉が設置されていて
万一の時にはこれが団地と一体になって対岸を火の手から守る。
下の通路にも大きな扉があってこれも閉まって密閉状態に。
汐入公園から見た一列になって続く白鬚防災団地、
全長約1.1km、約2400戸、7000人もの人々が住んでいます。
ベランダにもシャッターが付いていて、いざというときは降りてくる、
そして各所には放水銃も設置されていて火災にも備えます。
屋上に見えるオレンジ色は
各所に設置された放水銃のための水タンクです。
表側、道路沿いには憩いの場所も、梅若公園には
幕末から明治初期にかけて活躍した榎本武揚の銅像が。
明治に入り、その晩年を向島の別荘で過ごしたことから、
この地に銅像が作られています。
梅若公園
「梅若塚」があったところで
木母寺があったところでもあります。
木母寺はこの団地が作られるにあたって
今の東白髭公園に移されました。
梅若塚
「たずね来て問はばこたえよ都鳥すみだ河原の露ときえぬと」の
辞世で名高い梅若塚は中世からは能「隅田川」 の文学的旧跡です。
こんな絵が描かれた碑も立っていました。
梅若塚跡
江戸時代には梅若山王権現の霊地として崇拝されました、
梅若塚は今の新しい木母寺の境内にあります。
団地内には商店街?も、
とはいうもののシャッター通りが目立つこのごろ、
「まいばすけっと」は今東京で急発展しているみたいですね。
私の職場の近くにもあるのでよく利用しているけど
若い人たちはあまり来てない、年配者が多いようです。
なので私にも行きやすいお店ですが。
いつもの反対側から回り込んできた東白髭公園、
入ってすぐ少年野球場が。
団地の下の野球場を一塁側から。
三塁側から、
みんな立派な球団旗を掲げています、
ここから王貞治選手みたいな立派な選手が育つのかな。
隅田川神社の一の鳥居も撮っておかなくちゃと
あまり通らない道路側を走ってみました。
呆れるくらい長く連なる団地、
実際にここが役立つことがないように祈りましょう。
PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 6月26日 東白髭防災団地