旧日光街道は将軍家日光墓参の道筋、
それと並行するように古い奥州街道が残っています。
炎天寺の隣に位置する八幡神社は
源頼義・義家父子の軍勢が行軍した時の跡が残ります。
前九年の役出征のためにこの辺りを通りかかった源頼義・義家父子の軍勢が
賊に遭遇して苦戦した際、八幡神に戦勝を祈願して勝利を得ることができた。
旧暦6月の出来事だったことから村名を「六月村」、
源氏の旗(幡)が勝ったことから山号を「幡勝山」、
炎天続きだったことから寺名を「炎天寺」とした。
そして、八幡神を祀るために炎天寺の隣りに六月八幡神社を創建した、
そういう経緯もあって寺と神社を分ける塀は途中で切れており、
事実上境内が一体化している。
古びた拝殿は時代を感じさせます、
結構な狛犬もあったけど枚数の関係で今回はスルー。
この奥に本殿があるけどさっぱりした佇まいでした。
このように炎天寺との境はありません敷石の道が続いている、
作られたときの経緯からしても一体だったものですね。
「旗掛の松」
奥州への途中この辺りで賊の襲撃に遭い苦戦した、
義家遥かに西望し神助を祈り旗幟を建て士気を鼓舞し
軍を整え勇戦遂に之を壊滅す。
古い伝えによると小高い丘に義家軍源氏の
白幡(旗)を建てかけたる松の大木ありという、
「旗掛の松」と伝承され木は植え継がれて今日に至る。
帰り、旧奥州街道を帰ります。
頼朝が平泉討伐の際大軍を率いて往来したと。
区内唯一の由緒ある古道とも刻まれています。
その碑がある旧家の門前、
大きな屋敷ですね、庄屋さんかなにかだったのでしょうね。
懐かしい"モノ"に再会しました。
20年前ホームページを立ち上げてすぐ板橋区のヘンなヤツと
出合いました、お互い街歩きをメインにやっていて
街中でヘンなものを見つけては載せていました。
そのころこの看板を見つけ「どうだ、参ったか」。
テキもさるもの、次々にヘンなものを載せていたけど
今どうしているのだろう、私より年上だったけど。
通る道々にサルスベリが咲いていました、
まだ梅雨空だったけどもうサルスベリが咲くころなんですね。
蒸し暑い中を走って家に帰ったらテレビが梅雨明けと!。
お~、やっと梅雨が明けたか、
暑くはなるけど青空が見られるな。
次回からは梅雨空に別れを告げられそう、
待ちに待ったすっきりした青空をお届けできそうです。
data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 7月16日 旧奥州街道を帰る