東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

西新井大師への道、大師道

2021-08-28 | 散歩

  毎月21日は西新井大師のご縁日、
  ン十年というもの縁日にはお詣りをしていない。
  殊勝な気持ちではなく野次馬として行ってみよう、
  東京での生活の起点となったみたいなところです。

 

   そんなわけで、東京へ来た当時の道を思い出して・・・。
   もう当時のことは半分忘れているんだけど
   50年以上前の記憶を掘り起こして歩いてみました。
   ここは日清紡(日清染布)の工場跡地を再開発したところ、
   大きな工場だったのでいろいろな商業施設ができました。
   1998年、都市再生機構が工場跡地を取得、再開発がスタート。

 

 

   PASSAGGIO (パサージオ)は延床面積25,131㎡、
   地下3階、地上4階で41店舗が入居しています。
   右の道路は古くからあったけど再開発を機に
   整備された「さくら参道」、西新井駅と
   西新井大師を結びます。

 

 

   駅のすぐ前だけど昔は路線バスが通るくらいで人通りの少ない道でした。

   いまは再開発され碁盤の目のようにきれいになった地区を貫く
   「ぼうせき通り」とか「せんぷ通り」とかが通っています。

 

 

   アリオ西新井は約110の専門店「アリオモール」と、
   TOHOシネマズ西新井、イトーヨーカドーから構成される
   足立区のショッピングセンターです。
   これから先は商業地からビジネスタウンにと高層住宅に変わります、
   西新井警察署もこのエリアに引っ越ししました。

 

 

   進んでいくと都道100号線、新しく架け替えられた西新井橋と埼玉県境を結ぶ道。
   昭和35年ごろから工事が始まった、
   「100号線ができる」と街は期待でいっぱいだったような気が。
   大師道は100号線を超えて続きます、
   西新井大師山門をイメージした入口は山門型。高さは8mの高さがあり
   「西新井大師道」の墨文字がくっきり、さらに進みます。

 

 

   今度は環七と交差します、右は春に梅を見に行く大谷田公園をかすめて亀有方面へと。
   東京へ来たころはここよりちょっと左で長い間に渡って環七の工事は止まっていた、
   何年か後に開通した環七は東京の大動脈となりました。

 

 

   環七を超えて参道へ入ります、
   ここも環七ができてからの参道です。
   当然ながら新しいお店が並んでいました。

 

 

   すぐに別の参道と交差しますが昔の参道、
   環七が出来る前はどこに繋がっていたんだろう。
   若いころにはよく通ったんだけど映画館などもあって賑わっていました。

 

 

   昔からの参道、古い店が並ぶけどこのご時世
   閑古鳥が鳴いているとはこのことですね、
   縁日にもかかわらず閑散としている、
   コロナ前はとても自転車なんかでは通れないほど混んでいた。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影  8月21日  西新井大師へ

          

 

   あちこち飛び回っていたら古い写真を見っけ(足立区HP)

   左:昭和32年日清紡績(日清染布)、千住のおばけ煙突から煙が出ている。

   中:昭和35から36年都道100号線、雪の日。都道100号線工事始まる。

   右:昭和41年、西新井大師は不慮の火災に遭い諸堂を焼失したが、(放火とも)
     昭和45年、再建された西新井大師落成式が行われた。

 

コメント (4)
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