明治末期までは今の荒川の水は隅田川へ流れ込み
今の荒川はまだありませんでした、
洪水など災害が多発したため荒川放水路が掘削され、
現隅田川の入り口に設置されたのが赤水門です。
東京を洪水から守るため東京湾まで22kmの
放水路掘削事業が明治の後半から行われ、
分岐点での流量調整のための"赤水門"が作られました。
旧岩淵水門(赤水門)は、今は水門としての役目を終えていますが、
子供たちの学習の場や、人々の憩いの場として保存されており、
平成21年には荒川放水路とともに近代化産業遺産に認定されています。
赤水門と青水門の位置関係です、
赤水門の右側は島となっているけど建設時は地続きでした。
この水門を渡ったところにある島が「荒川赤水門緑地」、
小さなスペースですが、ここから眺める荒川上流の景色は
川縁から見るものとはまた違った趣があります。
赤水門から見た青水門、約300m下流にあります。
青水門から見た上流、左に赤水門
右には荒川を挟んで川口市のタワーマンションが。
いつも農業公園から見ているタワマンですね。
赤水門から見た荒川上流、
正面は東京と埼玉を結ぶ新荒川大橋。
左の赤いポールは船着き場、
遊覧船も留まるけど大災害で陸上の交通が止まると
水上の緊急運搬手段としての船着き場に変わります。
その向こうに水位観測所も見られますね。
荒川水位の観測を始めた昭和2年からの洪水の水位の記録を示す標識。
一番上は昭和22年(1947年)のカスリーン台風時で8.60m、
次が昭和16年(1941年)の8.27m、
3番目が昭和33年(1958年)狩野川台風時の7.48mの水位が表されています。
「月を射る」。荒川リバーアートコンテスト特賞=青野 正。
作者の言葉「"月を射る"では、古代の人々が憧れたであろう
天・月・川面に映った世界、果てのない世界観を、想像してみました。
満月のときの明るい夜空に、水の上に、何か見えるとよいのですが。」
草刈の碑。全日本草刈選手権大会を記念して作られた碑。
「農民魂は草刈りにありと全日本草刈選手権大会が昭和13年8月より
開かれ鎌を競う選手四万余名、熱戦各二時間に亘り両岸に
観衆溢れ旗指物なびいて一世の壮観であった。」と書かれています。
荒川放水路完成記念碑。
この碑は荒川放水路の完成を記念して建てられたもので。
工事関係者一同が工事の犠牲者を弔うために資金を出し合ったものです。
日本の近代化とともに、荒川を抑え込み
首都圏の防水をつかさどってきた「岩淵水門」でした。
たびたび洪水を起こした荒ぶる川、荒川は先人たちの
努力と犠牲によって東京湾まで幅500m長さ22kmにわたって
放水路が掘削され東京の水害はなくなりました。
この放水路と水門のことをよく知って
改めて多くの先人たちに感謝したいと思います。
data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 7月22日 岩淵水門