折にふれて

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あふれ出る涙

2020-04-22 | 折にふれて

 

「置き去り」にできなかった冬の写真を今頃マヌケにも掲載。

 

福井県敦賀港 2019年12月21日  Sony α7R3  FE2.8 16-35 GM (16㎜ ,f/22,1/80sec,ISO100) 

 

小春日和の一日。

晴れ渡った空を眺めながら、つい口ずさみたくなる曲があって、

そのひとつがジャクソン・ブラウンの「Here come those tears again」だ。

愛する女性との別れのシーンを歌ったもので、

主人公の心情を歌詞から想像するなら、

悲しさが半分、そして苦しさも半分といったところだろうか。

いかにもジャクソン・ブラウンといった

青臭さや女々しさを気恥ずかしく感じたりもするのだが、

一方で、そのもどかしい表現に感心もしてしまうのである。

 

ところで、冬晴れの日にこの曲を思い出すのはいったいどういうことだろう。

 

初めてこの曲を聴いたのは学生時代。

その頃は、心のもつれを描いた歌詞だとも知らず、

いきなり伸びやかに流れ出すジャクソン・ブラウンの声に

ただウェストコーストの明るい空を重ねていただけのように思う。

ずいぶんと後になって、そんなノー天気な気分で聴く曲ではないと知ったのだが

快晴の空とこの曲の結びつきはこの年までついにほどけなかったという次第だ。

 

 
 Here Come Those Tears Again  Jackson Browne

 

また、涙があふれ出てくる

君のことを忘れようとしていたのに

君がいない夜の寂しさも乗り切れると思ったのに

すべてを乗り越えて強い自分にならなければと思ったのに

ホールに響く君の足音を聞いたとたん

また、あの涙があふれ出てくるんだ

 

今までがそうだったように

僕たちはまたここに立っている

たとえ君が出てゆくことを当然だと思えたとしても...ね。

だって、君はいつも決して戻らないような顔をして出ていくけど

結局は、今日みたいにまた戻って来るじゃないか

 

だけど今度ばかりは

ドアを開けて君を迎え入れることができそうにもないんだ

...ほら、涙があふれ出てくる

また、あの涙があふれ出てくるんだ。

 

君は僕に訴えるだろう

どんなに自由が必要だったかを...

今まで自分は努力してきたってことを...

そして、君は僕の前に立って説得しようとするだろうよ

「もうオトナになったから大丈夫...」ってね

 

また、涙があふれ出てくる

すると君は僕に言うだろう

元通りなら泣かなくて済むってね

...ほら、また涙が出てくる

そう、またあの涙があふれ出てくるんだ

 

もっと強くなって、元気な気持ちで

泣かずに君の顔を見ることができるようになったら

その時は、君を友達の一人と思えるかもしれない

でも今は、心を開いて君を受け入れることができそうにもないんだ

あの涙があふれ出てくる

そう、またあの涙があふれ出てくるんだ

さあ 行ってくれよ

僕は部屋に戻って明かりを消すよ

そして、君の姿が見えなくなるまで

暗闇の中に佇むだろう

 

邦題は「あふれ出る涙」だが、ただの涙ではない。

those tears とあるから、あの涙、過去に流した涙である。

歌詞のほとんどが現在形、もしくは進行形で書かれていて、

「あの涙」の事情にジャクソン・ブラウンは触れていない。

この曲が収録されたアルバム「プリテンダー」が完成する直前に

ジャクソン・ブラウンの妻フィリスが自死している。

そのことが彼の心によぎっていたのかもしれないが

はっきりしたことはわからない。

いずれにしても、過去の悲しい出来事をthoseという言葉に込め、

その解釈をリスナーに委ねたのだろうと想像している。

現に私自身もHere come those tears again というフレーズを聞くたびに

悲しかったことや苦しかったことを

「あの涙」として懐かしく思い出したりする。

痛みを伴った過去の出来事も

痛みが癒えて懐かしい思い出に変わることがある。

それが地味ながらこの曲に魅力を感じる由縁だと思うのだ。

そして、さらに思う。

昨今の禍もいつか「those」と言える日々となることを信じたい、とも。

 

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