当尾、浄瑠璃寺。
初めて浄瑠璃寺という名前を耳にしたとき、
奈良仏教文化とは異質の歴史の浅い寺を想像した。
浄瑠璃という言葉から三味線に乗せた語り物を連想するとともに
竹本義太夫や近松門在衛門といった作者の名前を思い出し、
さらには男女の悲恋など世俗的な出来事に繋がる印象を受けたからだ。
だが、調べてみると浄瑠璃とはサンスクリットを語源とした
ひとつの浄土を表す言葉であることを知った。
東方浄瑠璃浄土がそれだ。
浄土というと西方極楽浄土のことばかりと思っていたが、
仏教の世界には浄土はいくつもあって
浄瑠璃寺はそのひとつ薬師如来が導く浄瑠璃浄土を具現しているという。
この寺の見どころは阿弥陀堂に鎮座する九体の阿弥陀仏。(現在は二体が修理中)
そのありがたいお姿を拝し、浄土より此岸に戻ったところ...
「撮ってください」とばかりのしつらえを前に
世俗に戻って「映え」撮りに及んだ次第。
さらに続く。
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