はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

クリスマスカード

2006-01-21 10:57:55 | はがき随筆
1月21日
 彼女の便りは、いつも人の名前でつづられている。
 「だれそれはクラスメートで、その妹はだれで、妹の友人はだれで……」という風に綿々と続く。
 クリスマスカードも例外ではない。86人の名前が読み取れる。
 寂しい彼女は、ありったけの人を思い出して、楽しいひとときを過ごしたことであろう。
 彼女プラス86人、合計87通の返事をいただいたことにならないだろうか?
 私の心も喜びに満たされた。
   鹿屋市打馬 伊地知咲子(69) 

都会の犬

2006-01-20 12:39:17 | はがき随筆
1月20日
 久しぶりに鹿児島へ出て買い物を楽しんだ。その帰り道、駅への地下連絡通路でのこと。目の前を1匹の大型犬が飼い主と歩いていた。
 「ひぇーっ。都会の犬は、こんな所を散歩するんだ」と、びっくりしてし後をついて歩いた。
 途中、においをかぐこともなく、飼い主を従え、さっそうと歩いていく。うちの犬とは大違い。エスカレーターにも手慣れたものだ。
 まるで御付きのような飼い主と、好奇心いっぱいの私を従え、行進は続いた。
   出水市明神町 清水 昌子(53)
  (画像をクリックするとイラストが見られます)

志布志市の誕生

2006-01-19 13:48:03 | はがき随筆
1月19日
 06年1月1日、新生志布志市のスタートの日である。松山町、志布志町、有明町の3町が合併して人口約3万6千人の志布志市の誕生である。合併によるメリットは何なのか、あるいはデメリットは何か。いろいろ論じられるところである。
 しかし、大切なことは旧3町の町民が諸々の枠組みや、しがらみを越えて、新生志布志市のまちづくりに力を合わせて取り組むことだと思う。
 市長、市議選が間もなく実施される。合併による市民の融和と若者や女性が抱いている夢や希望が反映される行政を特に願いたいものである。
   志布志市志布志町内之倉 一木 法明(70)

歌は心の支え

2006-01-18 23:41:37 | はがき随筆
1月18日
 若いころ、宴席で作曲家・古賀政男の歌を好んで選曲していた。すると「若いのにどうして古い歌を」と、よく尋ねられた。
 亡父が口ずさんでいた歌が、なぜか耳から離れない。父は後にこれらの歌を歌わなくなった。理由は当時、生きる勇気をもらった歌がなぜか、苦しいころを思い出すことが多くなったと話していたのを覚えている。父にとつては、時代の背景を色濃くにじませる辛い歌になったのであろう。
 だが、父の自転車の荷台に乗り聞いた、あの歌は今も心から消えることはなく、父をしのぶ歌となっている。
   鹿児島市武 鵜家 育男(60)

2005研修会その2

2006-01-17 20:31:53 | 毎日ペンクラブ鹿児島
1月17日 
 講師は鹿児島市在住の小説家、相星雅子先生です。
「エッセイの楽しみ」と題してエッセイを書く時のポイントを教えて頂きました。

先生は会員の文集を読みながら悪い点を指摘し、
△体言止めを多用しない
△余白は多くても少なくてもいけない
△タイトルはシンプルに…
などとアドバイスしてくださり皆さん熱心に聴き入っていました。
(写真をクリックすると大きくなります)

毎日ペンクラブ鹿児島の2005年度研修会

2006-01-17 20:16:29 | 毎日ペンクラブ鹿児島
1月17日
ちょっと古いニュースで申し訳ありませんが

 鹿児島県版「はがき随筆」のファンで作る同好会が「毎日ペンクラブ鹿児島」です。
 2001年に33人でスタートしました。現在会員は64名です。年に2回鹿児島市に集まり、5月に総会と年度賞の授賞式、11月には研修会を開催します。
昨年は11月20日に研修会を開催し会員の親睦と良き学びのときとなりました。
 まず支局長の挨拶です。10月1日に赴任したばかりの竹本啓自支局長は会員の皆さんと初顔合わせでした。
     (写真をクリックすると大きくなります)

水菜

2006-01-17 12:18:33 | はがき随筆
1月17日
 家庭菜園に初めて夫の植えた水菜が食べごろになった。サラダ、鍋物と、ここ数年すっかりなじみの野菜だ。シャキシャキとした水菜は子供のころ、祖母が好んで植えていた野菜だった。鯨肉と煮て食べさせてくれたけど、それが「ハリハリ鍋」といわれる物だと大人になってから知った。明治生まれの鹿児島の田舎町から出た事もなかったろう祖母が、あのころなぜ毎年、水菜を植えていたのか。最愛の1人息子を亡くし、祖父と相次いで後を追うように逝ってしまって聞けなかったけど、今ごろ、あの世で親子3人仲良く水菜入り鍋をつついているだろうか。
   鹿屋市海道町 大宮司 京子(51)

石蕗

2006-01-16 22:27:51 | はがき随筆
1月16日
 「八重のツワブキって知ってる?」。同級生のKさんに聞かれ「自生している花しか知らない」と答えた。
 八重は花粉が落ちないし、黄菊みたいできれいと言う。
 後日、会う約束をし、彼女からツワブキ1株をもらう。初めて目にする花だった。と、言うよりも菊だと思って見ていたのだろうか。あちこちに咲いているらしいが。
 リハビリ室で「これ何の花か分かる?」。私が聞いた限りでは皆さん、菊との答え。早速、地植えしたものの、今年のこの寒さに、うまく根付くかどうか。春に新芽の出る事を願う。
   鹿屋市新川町 三隅 可那女(61)

ふるさと

2006-01-15 16:35:18 | はがき随筆
1月15日
 神戸は私にとっては懐かしいふるさとである。目を閉じれば、戦時下の世相が断片的に走馬灯の如く脳裏を巡る。六甲の連山、那賀川の清流、生一本で知られた灘五郷の清酒倉庫等々、数え上げれば枚挙にいとまがない。先の大戦と大地震によって壊滅的な被害を被ったが、復興振りも目覚ましく戦前をはるかにしのぐ。屈指の国際観光都市として見事によみがえった。そのふるさとを過日訪問した。建造物の変ぼうぶりには、目を見張ったが、山並みや清い川の流れは、昔日のイメージを留めていてくれた。その事が何よりも嬉しく、私の心は十分満足した。
   霧島市隼人町松永 有尾 茂美(76)

夢実現

2006-01-14 11:02:50 | はがき随筆
1月14日
 論文、川柳に入賞し東京の表彰式に呼ばれ、師に会おう。雲をつかむような壮大な計画を立てる。以来15年間、投稿するも実力を思い知らされる結果続きだった。東京の剣道の師も73歳となった。完全に夢をあきらめた矢先、関東学院大の公募のエッセイコンテスト入賞の一報が入った。主催者によると、優秀作品に準ずる賞を新聞社が増設し、私が入賞した。大学と粋な新聞社が架けた、私の夢を乗せて旅客機が飛び立つ。羽田空港で抱き合って、27年ぶりの涙の再会。金沢八景のキャンパスでの「毎日新聞社賞」の表彰式も、一生の思い出になりそう。
   出水市緑町 道田 道範(56)

五十肩

2006-01-14 00:00:00 | はがき随筆
1月13日
左の肩から肘にかけてだるく重い。痛みが波状的に走る。我慢しきれず整形外科で診てもらった。
 「加齢のせいですね。俗に言う五十肩ですよ。しばらく通ってもらって電気治療とリハビリをしましょう。痛み止めも出しておきます」。こともなげに言われる。喜寿も近いのに五十肩? と思いながらも、骨格はまだ50代だとほくそ笑む。
 しかし、意地の悪い痛みが、どうにも止まらない。
 優しい女神が現れて、「痛いの痛いの飛んで行け」と、この痛みを雲の果てまで飛ばしてもらいたいものだ。
   鹿児島市伊敷 福元 啓刀(76)

茜の赤丸

2006-01-13 22:52:41 | かごんま便り
 島津斉彬公が日本の総船印として江戸幕府に提案して誕生したとされる「日の丸」。
 当時の日の丸はどんな色をしていたのでしょう?
 現在、見慣れている白地に染め抜いた赤い丸は化学薬品で染めた色。当時は鮮やかな赤ではなく、やや黄みが混じった色だった。今の赤色とは明らかに違っている。
 こう断言出来るのも実際に見たことがあるからだ。7年前に福岡県の筑豊地方で勤務していた時、飯塚市役所に関係する施設の倉庫に保管してあるのを見せてみらった。
 薩摩藩の「日の丸」を染めたのが飯塚市の隣町、筑穂町にあった筑前茜屋で、明治時代に途絶えている。地元では薩摩藩には納得できるような染料と染色技術がなかった。そこで、姻戚関係にある筑前藩主の所領にあった茜屋に染めさせ幕府に献上した、と伝わっている。
 私が見た「日の丸」は、飯塚市の女性染色家が当時の技法を研究し、試行錯誤で茜色を出し、染め上げたものだった。赤丸は真っ赤ではない。その色に魅せられ、この染色家に会いに行った。
 日の丸の復元を手掛けたのは1979年6月ごろ。茜染めの手法は絶たれている。「農業全書」などの古い文書を読みあさり、材料になる多年草のアカネを探すことが大変だったと言う。
 山梨県や長崎県・五島列島などでもアカネを探し歩き、博物館で昔の衣類を見ては色を研究。さらには日の出の太陽の色を観察する。椿の灰汁での媒染も、わずかな調合の具合で違う色になる。
 海岸近くに自生するアカネは潮風に当たっているせいか良い色にはならないことも突き止めた。「茜色は決して同じ色にはならない。自然のなすがまま。染めるのではなく、染まってくれるのです」と話してくれた。
 化学薬品ではなく、自生している草を材料にして染めるのだから、昔の人も、同じような苦労、努力をして染め上げたに違いない。
 「日の丸」と聞くと、拒否反応をする人も多いだろうが、その問題は別にして、私が見た茜色は素朴で落ち着きがあり、青空と海に映えそうな色だった。鹿児島の桜島を背景にして、この茜色の旗を見てみたい。日課にしている海辺の散歩中にそう思った。
   鹿児島支局長 竹本 啓自 毎日新聞鹿児島版 2006.1.9掲載

日記は知っている

2006-01-12 22:13:38 | はがき随筆
1月12日
 2002年から使っている5年日記も4段目まで埋まり、新年からは最後の段。種まきの時期や植え付けなど参考になり、果物の収穫時も目安になる。日記は今やわが家の生活の指針である。この4年間には、いろいろなことがあった。ただ今、102歳の母の様子や入退院を繰り返す義姉にかかわる日々……。最もうれしかったのは2003年に4番目の孫が誕生したこと。悲しみは大阪の義兄が一昨年5月に亡くなったこと。1市6町の合併委員として考え、学び、多くの人たちに出会えたことにも感謝。今年も元気で日記がつづれますように。
   霧島市溝辺町崎森 秋峯いくよ(65)

散歩で得た事

2006-01-11 22:04:36 | はがき随筆
1月11日
 妻に先立たれた時、茫然自失の状態から自分を鼓舞する目的で始めた散歩。昨年は3000㌔を目標に歩き始めて11月末目標を達成した。小鳥の声に心癒されたころ、長靴に傘のころ、木犀の香るころ、そして夜明けの遅い今、闇に向かって家を出る。2㌔ほど歩くと東の空が白み始める。健康を実感し、1日頑張ろうと心に誓いながら歩く。今思うと、歩きながら考えた事が、気持ちの整理になったり、次の意欲につながったと思う。三回忌を迎える今、人生を楽しもうと思えるのは歩く事から得た自信かもしれない。
   志布志市有明町野井倉 若宮 庸成(66)