はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

2回目の挑戦

2006-12-20 11:12:10 | はがき随筆
 2回目の挑戦。1回目は大失策。準備不足であった。今回は要領も得ているのでそう多くの失策もないだろう。念には念をと思う。挑戦すること心が躍る。入賞を期しているものの、そうやすやすとバッチリという訳にもいかぬ。ベテラン揃いの挑戦者ばかりであろう。この2年間の創作の集大成での挑戦である。自分自身が試されるチャンス期である。今、頑張り通して創作と推敲に一心である。たくさんの創作に佳き作品も生まれよう。努力と精進あるのみと思う。今回の挑戦「南日本文学賞(詩部門)」である。
   出水市 岩田昭治(67) 2006/12/20 掲載

晩秋の空に想う

2006-12-19 11:25:45 | はがき随筆
 果てしない空想と青春の心意気で武装し、幸せと言う夢に幻惑され、長途の旅に一歩を踏み出した。だが行く手は誠に険しく、七坂八坂に阻まれ、我が空想はついに瓦解し現実へ引き戻された。途方にくれ戸惑いながら宿命との戦いが長く続いた。だが苦しみながら一坂越えた時は無上の喜びがあった。お陰で周りの人情や命の尊さも知った。時は流れ気力も落ち、涙もろくなった。妻は病床に伏し、我れ独り晩秋の空を仰いで過去を偲ぶ。奇しくもクリスマスが誕生日で80歳になる。今も平坦な道ではないが、子供や孫たちの支えとなって生きたい。
   霧島市国分 楠元勇一(79) 2006/12/19 掲載

一、二、三、四…

2006-12-19 00:07:04 | かごんま便り
 綺麗なクリスマスイルミネーションが飾られた街を歩けば、いつの間にか歳末商戦も加わっていた。元来がものぐさな性格で、公私とも積み残している事はたくさんある。
 それも期限が年内であることを考えると恐ろしくなり、つい現実逃避してしまう。逃亡中のドライブで立ち寄った霧島市牧園町の山中にある神社にさえ、早くも門松が飾られていた。何だか神様から「もうすぐ新年だぞ。やることはやれ。逃げるな」と告げられたようだ。すると「いち、に、さん、し……」と、数字を数えている自分に気づいた。
 数を数えると気分が落ち着く。十数年前に禅寺のお坊さんから教わった。「人間出来る事は限られています。少しずつ。一、二、三、四……と数えると平常心になりますよ」
 試してみると、なるほど効果があった。私の性分に合っているような気がした。以来、どれから片付けるかなどを考える前に数を数えている。
 江戸時代後期の子供好きの僧、良寛は数字を盛り込んだ歌を残している。持ち物は頭巾、鼻紙、手ぬぐい、扇、手鞠だったという。
 その歌…
 袖裏の毬子値千金 
 謂言(おもえら)く好手にして等匹なしと 
 可中の意旨を若(も)し相問わば 
 一二三四五六七
 意味は「袖の中の手鞠は高い値打ちがある。私は毬つきの名人である。その極意を尋ねられたらこう答えよう。ひい、ふう、みい、よ、い、むう、な」。
 数を数えながら毬をつく。無心について極意を会得するしかないのであろう。最初から上手な人はいない。あわてず、少しずつ。私がお坊さんから教わった「数を数えて平常心になる」に何かつながるものだと解釈している。
 目を閉じて深呼吸しながら数を数え、落ち着いたところで仕事に取り掛かる。数は10までがいいようた。数えすぎると眠くなる。
 一、二、三、四、五……。さあ、今年も皆さんと一緒に年の瀬を乗り切ります。
  ◇   ◇   ◇   ◇    ◇
 ほとんどルールを守って「はがき随筆」に投稿していただいています。しかし、中には字数などを守らず書きっ放しで、自分の作品は月1回は必ず掲載されると勘違いされている人もいらっしゃいます。投稿者が増え、その分、以前より掲載のサイクルが異なっています。皆さんの欄です。よろしくお願いします。
   毎日新聞 鹿児島支局長 竹本啓自 2006/12/18 掲載

ああ勘違い

2006-12-18 20:02:41 | はがき随筆
 納車の日、妻をプールへ送って行った。待っている間、車を離れ考え事をしながら戻り、ドアを開けようとしたら施錠されている。中を見ると、何と隣の他車。一瞬、凍りついた。小生の服装は黒のジャンパーに黒の帽子。いかにも不審者風。人生にはいろんな勘違いをし、赤面することがあるが、車上荒らしを連想させる危険なケース。持ち主と会っていたら通報されても仕方のない状況で、冷や汗が流れた。しばらくは、パトカーを見れば胸が高鳴り、留置場で目覚める夢を見ては非現実に安堵する日が続いた。十分注意して、皆さんと共に良き年を迎えたい。
   指宿市 新留栄太郎(64) 2006/12/18 掲載

徒然(とぜん)ね秋

2006-12-17 19:31:17 | はがき随筆
 運動会はおろか、登山、魚釣り、旅行にも行かなかった。今年の秋はなんという無様な秋だったろう。案の定、エッセーのネタが見つからない。かと言って新内閣や核実験を書く柄でもない。あせればあせるほど深みにはまり込む。始末に困る枯れ葉も繋いで部屋に下げれば飾りになるし、イブモンタンが歌えば名曲になると考えたが、凡人の私にはそのような器用な事は出来るはずもない。なんとかしなければと友人に電話を掛けまくったが、ヒントさえつかめない。諦めてペンを取って愚痴っていたら文らしくなった。私のものぐるおしけれとはこんなものか。
   鹿児島市 高野幸祐(73) 2006/12/17 掲載

写真はnobminさんよりお借りしました。

重荷を下ろす

2006-12-16 09:11:37 | はがき随筆
 父の遺言はただ一つ。「俺の墓は山石を拾って来て建てよ」ということだった。心筋梗塞で急死した父の一周忌に墓を建てることになったが石探しは出来なくて、石屋さんに注文して普通の墓石を建てた。しかし、没後50年近くなる今も父の遺言が頭をかすめる。睨んでいるような気がする。このことを知人に話したら植木屋にいろいろな自然石があると教えられた。そこで早速、出掛けたら黒い無縫塔のような石があった。それを買って我が家の墓地の片隅に据えた。心が軽くなり、仏間の父の遺影が微笑しているように見える。
   肝付町 竹之井敏(81)2006/12/16 掲載

初冬の夕暮れ

2006-12-15 15:00:38 | はがき随筆
八代海を渡り来る風が頬を引き締める。川面に遊ぶ鴨は動かない。栴檀は実だけを残して、やがて飛来する渡り鳥の嬉々としてついばむ様子が目に浮かぶ。「銀杏は衣を脱ぎ捨て、風邪を引かないの」「芽吹きの春に備えて汗が出るよ」。木々の揺れ動く様は、楽しい会話を想像させる。田の真ん中に、ぽつねんと取り残された掛け干しの支柱が百舌の格好の止まり木だ。弾丸のように獲物にまっしぐら。「おっと行き過ぎたよ」。小枝に挿す速贄は神様への供物か。大地の息づく音が北風に乗った初冬の夕暮れ。
   出水市 道田道範(57) 2006/12/15 掲載

写真はBird Watchingさんよりお借りしました。

運動会

2006-12-14 09:33:52 | はがき随筆
 年1回のお達者会の運動会。担当の2人で、皆さんからひろい上げた希望種目を検討し、プログラムをきめ、ささやかな商品をそろえる。カイロ、カルシウム入りせんべい、くつ下、指運動ボールなど。当日、係はその場で大会宣言、宣誓、体操、運動上の注意(ころばないこと)のち紅白に別れ、応援団も仮装して大活躍。競技が始まると「この力いずこに」と思うハッスル。パンとり、障害物では一層、目は輝き、走力アップ。私の粗めにあんだ網の下をするするとくぐり、小さめな輪をぬける。笑いころげた一時。おつかれさまでした。
   鹿児島市 東郷久子(72) 2006/12/14 掲載

写真は本文と関係ありません。

皿ば! さらぱ!

2006-12-13 08:57:09 | はがき随筆
 今は亡き父の逸話である。ある日、父は釣ってきた魚を刺身にして知人宅に持って行って「晩酌のおかずにしやんせ。皿はいつか取りに来いでえ」。数日後、遠方に単車で出掛けた帰りに、知人宅付近を通過しようとすると、知人の奥さんが「皿ば!皿ば!」と叫んだ。奥さんは皿を持って行ってと言うのであるが、皿のことはすっかり忘れていた父は「さようなら」と言っていると思い「さらば! さらば!」と手を振って通り過ぎたという。私は時々、思い出し笑いをする。他界でもいつもの調子で周囲を笑わせているのだろうか。
   鹿児島市 川畑清一郎(59) 2006/12/13 掲載

私は亀

2006-12-12 18:08:42 | はがき随筆
 今年の4月から、専業主婦の生活を大いに楽しんでいる。夫が仕事に行っている間は、本を読んだり、手紙を書いたり、気が向けば庭の手入れをしたりして、1人家の中で過ごして来た。まるで亀が甲羅の中に頭や、手足を入れてじっとし、時々そっと外を窺っては、そろりそろり歩き出すのと、そっくりだなと、自分の姿を客観的に眺め、くすりと笑ってしまう。
 私にとって、この亀の様な生活がなんとも心地よいので、来年もしばらくは続けようかなと、思っている。そろりそろりと、前に進んで行けば、それでいい。
   志布志市 西田光子(48) 2006/12/12 掲載

写真はちゃり☆さんにお借りしました。

アドヴェント コンサート

2006-12-10 18:24:52 | アカショウビンのつぶやき














 救い主イエス様の御降誕を御祝いする、アドヴェントコンサート。
信愛幼稚園の2階ホールは開演5分前既に満席、慌てて園児用のミニ椅子を並べ、あとからあとから来て下さるお客様をお迎えした。
 4月からプランを練り、祈りつつ準備して迎えた、12月9日土曜日、練習不足のゴスペル3曲に不安を抱えたままの私は、準備に走り回りながら、頭の中は歌詞と曲がぐるぐる…。
 団員たった13名の「鹿屋プレイズシンガーズ」のダイソレタ? 計画に、《弦楽アンサンブル》《フルート》《ハンドベル》《鹿屋市民合唱団》《鹿屋女子高合唱団》《宮崎・鹿児島メサイア合唱団》《鹿児島市のゴスペルグループ》の9つのグループが友情出演してくださり、器楽演奏、コーラス、ゴスペルと多彩なステージのコンサートとなった。
 そして「ハレルヤコーラス」は総勢80人の大合唱。
 4年前、メサイアを歌いたい! の思いでスタートした「鹿屋プレイズシンガーズ」だったが、男性の参加が得られず、夢は儚く消え、PART ONE と2曲練習しただけで諦めた私達、今ようやく夢を実現させた。
 練習がスタートした頃、難しくてとっても歌えない…と諦めていた「FOR UNTO US A CHILD IS BORN」も、息が切れそうになりながらも、何とか歌えて嬉しかった。
 
  そして何より嬉しかったのは、参加してくださった皆さんと御子の御降誕を共に喜び合い、
  「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」のクリスマスメッセージをお伝えできたこと。
 常に祈り支えてくださり、当日も陰で応援してくださった多くの方々に心から感謝しました。
 「来年も是非聞かせてね」の言葉に励まされ、力をいただいた素晴らしい一日でした。
  まだ興奮さめやらぬ アカショウビンです。

すり替え

2006-12-10 15:04:11 | はがき随筆
 最近のいじめによる自殺者へのメディアの過熱報道は目に余る。結果として再発を煽ったような気がする。
 かつて弱い者いじめで笑いをとってきたタレントやそれを許したテレビ局が、今度は一転していじめの犯人探しに躍起になっているのは腹立たしい。
 政府も、いじめの原因究明を不適格教員排除と子どもの学力向上に巧妙にすり替えて、「ゆとり教育」を転換しようとしているのは空恐ろしい。
 子どもに「たくましく生きる力」をつけるために「体験学習」させたり「豊かな感性を育てる教育」は、いったい何だったと言うのだろうか。
   鹿屋市 上村 泉(65) 2006/12/10 掲載

方向音痴

2006-12-09 21:10:51 | はがき随筆
 伊勢えび祭りを開催している内之浦へ、妻と車で出掛けた。途中、鹿屋のバラ園に立ち寄りたかったので、案内標識を頼りに走行したが、どこでどう道を間違えたのか、全く方向を見失ってしまった。あっち行きこっち行きしてやっとの思いで辿り着いたが、内之浦までの道順に不安を抱いたので、パラの観賞をやむなく断念、かなりの時間のロスをしたが、何とか明るい中に到着出来てほっと一息。カーナビがあったらなーとつくづく思った次第。その夜は伊勢えび料理を心ゆくまで堪能し、疲れた心身を温泉で癒すことが出来たのが何よりも嬉しかった。
   霧島市 有尾茂美(77) 2006/12/9 掲載

1941年12月8日

2006-12-08 15:51:02 | アカショウビンのつぶやき
 今朝は郵便受けから朝刊を出すなり、隅から隅まで探した。あの忌まわしい「大東亜戦争」に関する記事があるものだろうかと……やっぱりなかった。もうニュースにもならない過去のことなのかなあ。
 
 1941年12月8日未明、無謀な真珠湾攻撃から始まった、この戦争は地球規模の争いにまで広がり、幾多の人命を奪い、原子爆弾の被害まで被る、悲惨なスタートとなったのに。人々はこの日を忘れ去ったのだろうか。
 あの日、私は国民学校2年生だった。兄は通信兵、義兄は医務兵として参戦し、共に「お国の為に」若い命を散らしてしまった。
 
 1943年秋のある日、私は近くの公園に写生に行っていた。「お兄さんが戦死したので、すぐお家に帰りなさい」と、小使いさんがしらせに来てくれた。「どうして兄ちゃんが戦死するの、毎日仏様を拝んで無事を願ってるのに、そんなはずはない」と、うち消しながら家に帰ったが、仏壇の前で泣き崩れる母の姿を見て、兄の死を認めざるを得なかった。
 
 マスコミは忘れても、悲しみを背負った人々は決して忘れない。
 地球上の争いは収まるどころか、日に日に拡大し、民族間の争いだけでなく、大国のエゴも見え隠れする。

今こそ平和を声高に叫ぼう!
ひとりひとりの心の中に許し合い、愛し合う思いを育てていこう。
地球上のすべての人々が、隣人となるために!
 (アカショウビンのつぶやき)

ここに咲く

2006-12-08 08:09:55 | はがき随筆
 川を通る度に思い出す。9月、川に行って、そこで見た彼岸花の命の輝きを。 川沿いに大きな流木が、どっしりと横たわっていた。こんな大木が、あの洪水で流されてきたんだな。じっと見ると、流木の枝と枝の間から、すくっと1本、真っ赤な彼岸花が。球根はむき出しになってはいるが、それでも鮮やかに咲いている。球根を挟んだまま流された大木。流れ着いた場所で、たくましく花を咲かせた彼岸花。
 与えられた環境で、精いっぱい生きるその美しさと強さを心に刻み、また来年も花を咲かせてねと語りかけた。
   出水市 山岡淳子(48) 2006/12/8 掲載

写真はJun♂さんからお借りしました。