はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

使命

2009-02-15 22:11:13 | はがき随筆
 いてつく朝、白い意を吐きながらワイパーにみぞれ雨。ほの暗い街の静寂の中、気を引き締める。一人暮らしのAさん。最近とみに足腰が弱り、この寒さに大丈夫かと不安がよぎる。在宅の介護に就いて6年目。さまざまな人間ドラマがある。歳(よわい)の重さを感じながら、予備軍の私もほんの手助けをするにすぎ
ず戸惑うことばかり。「ご飯おいしかったヨ」。よかった。無事だった。時として油断ならない命の現場でもある。明るくなった周囲が活気づく。老母に思いを重ね、踏ん張っている。日々学ぶことがこれからの自身の心の糧となりますように……。
   出水市 伊尻清子(59) 2009/2/15 毎日新聞鹿児島版掲載

老いらくの恋

2009-02-14 08:18:34 | はがき随筆
 50代後半になって恋をするとは思わなかった。対象が20代の娘さんとは驚きである。孫も授かったのに常軌を逸していると非難されもしよう。妻は「そういうお年ごろね」と平静を装っている。結婚前は多少やんちゃもしたが、30年間ずっと妻一筋の私である。そっと心の奥底をのぞいてみた。どうやら「老い」のツラさにさいなまれた揚げ句、彼女のはじける「若さ」に焦がれたフシもある。まだ「不惑」さえクリアできない私だが、社会のルールを順守しつつ、自分の素直な心にふたをせず、苦しみながら楽しみながら、この恋とつきあっていこう。
   霧島市 久野茂樹(59) 2009/2/14 毎日新聞鹿児島版掲載


川へのあこがれ

2009-02-13 18:43:23 | はがき随筆
<吾が胸の燃ゆる思いに添いくるる川と源いづこに流る>
 川内川の次に、どうしても球磨川を訪ねたかった。昨年末、熊本県の水上村奥地の球磨川源流を目指した。眼下に渓谷の澄んだ流れを見ながら、山また山のくねる道をたどる。
 車を降り、ミズナラなどの落ち葉を踏み、けもの道のような小道をあえいで登った。やっと、水源の標識点に到着。一瞬、時が止まる。チロロとわく水。水音だけの、深くなれる世界に浸る。誕生した水は、下流でどんな物語を聞かせるのだろう。
 春になれば、球磨川の支流、川辺川が私を待っている。

   出水市大野原町 小村忍(65) 2009/2/13 毎日新聞鹿児島版掲載

縁なき人の

2009-02-12 09:05:48 | はがき随筆
 長い竹のはしで私は骨をつぼに入れた。89歳で老衰で亡くなったおばあさんの骨だ。おばあさんと私は縁もゆかりもない。葬式の写真が初対面であった。
 おばあさんとは、友人の妻の母である。14年前に福岡から娘の住む鹿児島へ越してきた。葬式は参列者も少なく、血縁者も3人だけというこぢんまりしたものだった。私と仲間が夫人に頼まれ、火葬場まで同行したのには、そういう事情があった。
 それにしても、おばあさんにも親友や交流の深かった人などいたろうに。よりによって私に骨を拾われるとは、人生最後のハプニングだったに違いない。
   伊佐市 山室恒人(62) 009/2912 毎日新聞鹿児島版掲載


父の紅梅

2009-02-11 09:13:14 | はがき随筆
先日「紅梅が咲いた。きれいだよ」と母から電話があった。
 去年の冬、父が一人で二日市に出かけ紅梅を買ってきたと母から聞き、驚いたことを思い出した。既に白梅はあるが何やら寂しい、彩りがほしいということらしい。寒い中、90歳の身で、気力があるなと感心したものだった。その後しばらくして入院、5ヵ月夜に他界した。
 満州・萌戸島から引き揚げ、妻と共に歩んだ六十余年。曲がったことが嫌いな、家族思いの誠実な国鉄マンだった。
 父は彼(か)の世から、紅白の梅をめでる母を見て、ほほ笑んでいることだろう。

   姶良町 東郷義弘(68) 2009/2/11 毎日新聞鹿児島版掲載
   写真はH.ozakiさん


雪の記憶

2009-02-10 07:41:35 | はがき随筆
 昭和46年2月4日、内之浦も大雪だった。早朝、急に川内へ行くことになった。バスは不通で、鹿屋の青果市場へ行くTさんの車に乗せてもらった。
 鹿屋からはバスやフェリーを乗り継いで、昼過ぎに西鹿児島駅に着いた。売店でTさんからもらった10㌔のポンカンを布袋に移す時、数個があふれた。「おばさん、よかったらもらってよ。おれ今日、いい日でね」
 夕方、川内駅へ着いた。駅前で妻への口紅を買う。その日めざした産院の個室に着くと、妻と生まれたばかりの娘がベッドに並んでいた。窓の向こうは、まだ雪が真っ白だった。
   出水市 中島征士(63) 2009/2/10 毎日新聞鹿児島版掲載
   写真はドナさん

マッサージ

2009-02-08 17:34:07 | はがき随筆
 昼過ぎ、テレビの「朱蒙(チュモン)」を見ながら座敷犬ハナの肩をもむ。天女のようなハン・ヘジンに見とれていると、ハナがいびきを止めた。促されて指圧再開。
 その後、福祉施設の母を見舞う。95歳に近い母は鼻からの管で命をつないでいる。やせ細った手足や背中をさすると「気持ちがいい……ありがとう」と礼を言う。その声がうれしい。
 夜は妻をマッサージ。右手が不自由な妻の左肩や腕が、使いすぎて硬くこっている。もむこと30分。軽くなった腕を回して
 「上手!」と私を褒めた。
 マッサージは、心と心を結ぶメッセージになっている。
出水市 清田文雄(69) 2009/2/8 毎日新聞鹿児島版掲載

愛の免許証

2009-02-07 16:46:47 | はがき随筆
 「ボクの車の免許証は、いつ切れるの」
 脳出血で半身マヒになった夫がきいてきた。
 「え、忘れてたから、あとで見とくね」と答えた私に、
 「あい、の免許証は?」とまた、聞いてきた。
 「何の免許証?」
 「母さんとボクの、愛の免許証だよ。いつ切れるのかな」
 「いつまでも切れないから、安心して」
 とっさに答えた。そして、夫はうまいこと言うなあ、と。その日、一日中、うれしかった。
 愛の免許証は、大切に胸にしまってある。

   鹿児島市 萩原裕子(56) 2009/2/7 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はmayumiさん


輝く瞳を見たよ

2009-02-06 20:26:08 | はがき随筆
 小学校に出向いて、読み聞かせの活動をしています。朝の時間を20分程いただいて紙芝居やお話をするのです。
 子供の目が一斉に向けられるという洗礼から始まります。彼らの瞳の輝きは、でも一体なぜだろうと考えてしまいます。
 つまりは、夢と希望だと思います。夢は、自分づくりの中で生まれ、空中を飛び、再び自分の中へ着地しようとします。
 しかし映像などの世界一般はこれに棹(さお)さしてもくれますが、自己を溶かしてもしまいます。
 子供は、物語の仮想性をを材料にして、夢と自分をつくりたいのではないかと思います。
   出水市 松尾繁(73) 2009/2/6 毎日新聞鹿児島版掲載

自前床屋

2009-02-05 17:39:36 | はがき随筆
 毎年、冬が近づくと散髪するのをやめる。今回は、10月下旬から4ヶ月近く散髪していないことになる。普段から理髪店にはあまり行かない。理由は、待つ時間が嫌だからである。家でやると、気分が向いた時にやればいいわけで、少しむずがゆいのと見た目が1週間くらい良くないのを我慢すればすむ。
 以前は奥さんの手刈りだったが、今は電気バリカンで大まかに自分でやっておいて、見苦しいところだけ仕上げてもらう。
 立春が来て、雨水が過ぎ、啓蟄(けいちつ)が来ると、そろそろバリカンの出番である。今のバリカンは2代目である。
   出水市 御領 満(61) 2009/2/5 毎日新聞鹿児島版掲載

恵み

2009-02-04 17:00:16 | はがき随筆
 昨年暮れの風邪が自律神経を混乱させて、治まる気配がない。
 つらいと、つらいだろう人々のことがしきりに思われる。
 夫の死で自分を責める人、親友の死で寝こんだ人、孫2人の嘔吐下痢、恋人と別れた若者、仕事を失った人々、イスラエル・パレスチナ問題……など。
 てんこ盛りにして祈っていると、吐き気を伴ういやな症状が、神からの恵みに思えてくる。「お前が幸せなときも、苦しみにあえぐ人々の痛みを忘れないように」というイエスからのメッセージが聞こえるからだ。
 喜びに満たされてうなずいた。皆に幸せあれ!
   鹿屋市 伊地知咲子(72)2009/2/4 毎日新聞鹿児島版掲載

新老人

2009-02-04 07:56:09 | アカショウビンのつぶやき
 日野原重明先生のお話を聞いた。
鹿児島市にある、日本キリスト教団・加治屋町教会の創立130年記念伝道集会に招かれた先生は、講壇に用意された椅子には、お座りにならず、にこやかな表情、張りのある声で、1時間にわたる講演を立ったまま終えられた。
おん歳97歳。前日は沖縄講演をすませて、東京にお帰りになり翌日は羽田から鹿児島へ…。その超ハードスケジュールは若い者でも真似できそうもない…。

「新老人の会」の普及につとめ、その哲学を実践して生き生きと生きておられるが、その哲学とは

1)いつまでも愛し愛される人間であること 
2)創意を持ち続けること。何か新しいことを常に考え、実行すること
3)苦難に耐えること。耐えることによって他人の苦しみに共感できる

とある。新老人の会の「シニア会員」とは、75歳以上。74歳までは、なんと「ジュニア会員」と呼ばれている、嬉しいではないか…。更に65歳未満をサポート会員と称する。

老いも若きも共に手を携え、過度に成長した不健全な文明に歯止めをかけ、与えられた自然を愛しその恩恵を感謝する、より良い生き方を次の世代に伝えて行こう、と結ばれた。


金ピカ?

2009-02-04 07:48:18 | かごんま便り
 当初、無投票かと思われた西之表市長選に告示直前、新人が名乗りを上げた。「通称の『金ピカ先生』で届け出るそうです。市選管も受理する方向です」。担当のF記者から報告を聞いて一瞬、絶句した。

 選挙に立候補する場合は本名(戸籍名)で届け出るのが基本だが、選管に申請して、本名の代わりに広く通用していると認められれば、通称で届け出ができる。共産党委員長・議長を歴任した不破哲三氏がペンネームなのは有名だし、参院議員だったコロンビア・トップ氏(故人)や参議から大阪府知事に転じた横山ノック氏(同)も芸名で政治活動を続けた。

今回のケースは少々悩ましかった。まず姓がどこまでで名がどこからなのか。最終的には「金ピカ」を姓と見なすという常識的?な線で陣営の了解を得た。次に困ったのが末尾の「先生」。普通は敬称・尊称として用いられる語だ。すると「~先生」氏の表記は明らかに変だ。だが「~先生」が丸ごと人名なら「氏」抜きは呼び捨てになる。議論の末、多少の違和感には目をつぶり通常の「氏」表記で落ち着いた。

 金ピカ氏は元々、大手予備校の名物講師。大学受験ラジオ講座も担当していた。当時は本名で活動し「金ピカ先生」はあくまでニックネーム。風ぼうから「やっちゃん先生」とも呼ばれ、やくざ映画にも出演していた。

 彼はその後、活動のすべてを現在の通称に統一し、商標登録までしているという。だからこそ市選管も使用を認めたのだが、果たして地元で「広く知られた通称」だったのかどうか。単なる冷やかしと受け止めた向きもあるとすれば、選挙戦略としてはどうだろうか。

 本名よりはるかに知られた「そのまんま東」の芸名を封印した東国原英夫・宮崎県知事。タレント業の延長ではなく、本気で政治に取り組む決意の表れならば、これこそ慧眼(けいがん)であろう。

鹿児島支局長 平山千里

2009/2/2 毎日新聞掲載

花のように……

2009-02-03 17:54:00 | はがき随筆
 ダイニングに飾ったシクラメンが急にしおれた。根腐れを恐れた水の控えめが原因だった。
 「花には人間のようなかけひきがないからいい ただ咲いて ただ散ってゆくからいい……」という文を見つけた。
 花は水や肥料を与えたり、病虫害の処置、除草などの人間の愛にこたえ、手抜きや放置にもそれなりに正しくこたえる。
 損か得かの人間の物差しが、偽装や振り込め詐欺などの悪事を横行させる。花のように「ただ」になれない人間だろうが、うそか真か、正か邪かの物差しによって生きようとする素直さを保持したいものだ。
   薩摩川内市 下市良幸(79) 2009/2/3 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はムラシゲさん

都井岬

2009-02-02 16:26:39 | はがき随筆
 私の好きな岬である。高く丸く突き出し、真っ青な太平洋がはるかに広がり、白い灯台が映える眺望が強く優しく安堵をくれる。28年の自営を廃業、上京が数日に迫り、失意を胸に秘めて来た日。丘に御崎馬が遊ぶ、12月の暖かい日だった。心に「何か」を与えてくれた場所の記憶が残った。しばらく会えない離郷への思いが……。人は遠く離れても、心の中に勇気、安息した場所を残しているが、時として忘れている。失意の時はその場所が生きる勇気をくれる。夕暮れの中、妻が「必ずこの御崎の景色を元気で、再び帰り見たいネ」。強い勇気をくれた。
   鹿屋市 小幡晋一郎(76) 2009/2/2 毎日新聞鹿児島版掲載