はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

夜明けの断思

2009-10-24 09:33:09 | はがき随筆
 早起きの身にとって夜明けが遅くなるのは何よりつらい。
 4時前に起き、新聞に目を通し5時過ぎ、車で4㌔離れた海水浴場に行ってみた。
 志布志の海も埋め立てられて渚はそこしかない。残念なことである。車を降りると風が冷たい。東の空に眉月が光り、星が一つ、寄り添うように光っている。海はいさり火もなく闇。秋の寂しさをしみじみ感じる。砂を踏むと、かすかに波の音が聞こえる。
 ひとりになって8ヵ月。再び冬を迎える思いは切ないが、必死に頑張って、夜明けを待ちたい。
 志布志市 小村豊一郎(83) 2009/10/22 毎日新聞鹿児島版掲載

半分ずつの幸せ

2009-10-24 09:32:58 | はがき随筆
 冷蔵庫の中をかき回していると1本、冷凍とうもろこしが出て来た。暑い7月の午後「タヌキに食われた」と畑から帰って来た家人が言う。「いいよ。食べさせて」。私も十分に食べた後だし、タヌキにやられることは2人して重々承知していた。
 それ鉄砲だ、やれわな掛けろと物騒なことを言わないで済む幸せ。世に食べ物があふれ、がつがつしなくてもいい幸せ。虫と半分、動物と半分。そんな気持ちを持てるのも幸せ。
 お互い、同じ大地のほんの隅っこで生きている。
 もうすぐお月見。名残の夏のこの1本、お月様に。
  鹿屋市 戸高昭子(65) 2009/10/21 毎日新聞鹿児島版掲載
  

金御岳

2009-10-20 07:21:57 | はがき随筆
 「タカバシラ」を初めて見たのは一昨年、偶然通りがかった都城の金御岳(かねみだけ)。それ以来、この時期になると心躍る。今年も早朝に自宅を出発して、現地に着くとすでに大勢の人。立派な望遠鏡が並び車のナンバーも遠くは鳥取、福岡、大分……。金御岳は日本でも有数のサシバ観測点であることがうかがえる。
 そのうちタカバシラが確認できると、誰からともなく歓声があがり、一斉にその方向に人が動く。今日、ここで出会った者同士なのにすごい一体感。この日、4500羽のタカバシラがカウントされた。いつの日か生の鳴き声を……。
  垂水市 竹之内政子(59) 2009/10/20 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はbirdさん





はがき随筆特集版-4

2009-10-20 06:37:49 | はがき随筆
「思い込み !!」

 すがすがしい秋風の吹く昼下がり。クス並木の散歩道を初老夫婦が若々しいペアルックで乳母車を押してやって来た。
 ニコニコ顔、慈愛に満ちたまなざしであやす、ほほ笑ましい光景は、きっと最愛のお孫さんを乗せているに違いない。ふと、このほほえましい光景を息子の結婚を願う我が身に重ねた。
 足早に用を済ませ帰宅途中、再び出会う。期せずして目が合い、会釈をかわす。そっと乳母車をのぞくと「アッ……」。
 何と中には、耳の長いかわいい子犬が2匹。クルリとした目で見上げているではないか。
  鹿児島市 鵜家育男(64) 2009/10/19 毎日新聞鹿児島版掲載



はがき随筆特集版-3

2009-10-20 06:33:28 | はがき随筆
「春の嵐」

 古いアルバムを整理していたらセピア色に変色した集合写真が出てきた。陸軍少年飛行兵学校に入校したときの写真だ。
 校庭にシンボルとして置かれた戦闘機を背景に集まっている。あこがれの少年飛行兵に合格し、夢にまでみた制服を身につけた軍国少年たちである。彼らはここで、飛行兵として心身の極限まで鍛えぬかれて卒業した。厳しい戦局に覚悟をきめて次の基地へそれぞれ転属した。校庭の桜に春の嵐が荒れる夕べだった。3ケ月後、机を並べた戦友の戦死を聞いた15歳だった。いま生き永らえている自分が後ろめたい気がする。
 鹿児島市 福元啓刀(79) 2009/10/19 毎日新聞鹿児島版掲載


はがき随筆特集版-2

2009-10-20 06:29:59 | はがき随筆
「希望はあるか」

 10日付の「くらしナビ、ライフスタイル」に作家、篠田節子さんのエッセーがあった。介護でがけっぷちの妻たち、娘たちについて書かれていた。私も、まったく同じ思いでいたので大共感。何度も読んだ。
 夫が脳出血で倒れ、半身マヒとなり自宅介護、約3年。12歳という難しい年齢となった一人娘との3人家族。夫の介護が終わったら、もはや私の体はどうしようもないポンコツ。そのまま介護を受ける身になるか、私の方が先にポックリ逝くかもしれない。娘はどうなる、という不安、恐怖心がいつもある。希望はない。
  鹿児島市 荻原裕子(57) 2009/10/19 毎日新聞鹿児島版掲載


はがき随筆特集版-1

2009-10-20 06:24:23 | はがき随筆
「サイクリング」

 仲間5人と林芙美子の石碑までサイクリングした。看護師さん、銀行員……と気の合う友人同士。加治木より桜島の歌碑まで片道25㌔くらいかな。錦江湾にそびえる雄大な桜島。エメラルドグリーンに輝く海は美しい。フェリーに自転車ごと乗り込むと潮の香りに包まれた。目的地へ着くと立派な歌碑が建立されていた。「花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき」。一又字一文字が丁寧に深く刻まれていた。私の心にも記念として深く刻んだ。勇気ある若い女性のサイクリング語り部。異国情緒あふれる光景は青春の遠い思い出の一幕でした。
 加治木町 堀美代子(64) 2009/10/19 毎日新聞鹿児島版掲載


無名の画伯

2009-10-18 22:26:34 | かごんま便り
 洋画家・五島健三(けんそ、1886~1946)は富山の人。東京美術学校(現・東京芸大美術学部)で黒田清輝や岡田三郎助に学び1913年、鹿児島師範の美術教師となった。七高造士館でも教えた後に再び上京。戦災を避けて郷里に疎開し、そのまま59歳で病没した。実弟に、近代建築の傑作とされる東京中央郵便局旧庁舎などを設計した建築家・吉田鉄郎がいる。

 第1回文展(日展の前身)に富山からただ一人入選。その後も文展・帝展に入選を重ねたが、地元でもほとんど無名の存在らしい。そんな彼をふとしたきっかけで手にした「縁(えにし) 五島健三の青春」(いそべ桜蔭書屋刊)で知った。

 編者の郷土史家、大村歌子さん(67)=富山市在住=は元々、巌谷小波の下で活躍した童話作家・大井冷光(れいこう、1885~1921)の生涯を調べていた。大井の日記にしばしば登場する親友、五島の存在に興味を待ったのが発端だそうだ。自分も食うや食わずの中、画業を志し家出同然に上京した五島をなけなしの金で支える大井。そこまでさせた五島とはどんな人だったのか。足跡を追ううち、彼が周囲の人々と結んだ熱い友情に打たれ、作品や書簡などゆかりの物を掘り起こす中で多くの出会いも生まれた。五島を巡るこうした縁の数々が書名の由来だ。

 生涯の半分を鹿児島で過ごした五島。1912年出版の画集「郊外写生の実際」には、民家の建ち並ぶ柳町周辺や海岸通り、農村地帯だった伊敷、山深い紫原など当時の鹿児島市内のスケッチがちりばめられている。南国美術展(南日本美術展の前身)の初代幹事を務めた記録もある。それでも鹿児島時代をうかがい知る手がかりは決して多くない。「どこかに彼の絵やエピソードがまだまだ埋もれているのでは」と大村さん。何らかの情報をお持ちの方は大村さん(076・478・0702)にご一報を。

鹿児島支局長 平山千里 2009/10/12毎日新聞掲載

携帯電話

2009-10-18 21:58:56 | はがき随筆
 「おじいちゃんは研究熱心だから長生きするよ」と孫。この夏携帯電話を買いかえた。相手に電話する時、メールする時、写真のとり方……。若い人は簡単だろうが、年寄りは何回聞いても覚えたと思ってもそのあと忘れる。そこで何か一生懸命書いている。カタログを見ながら私にわかるようにいっぱい書いている。「ゆかちゃん。また忘れたよ」。大人であれば面倒がって怒るところだが辛抱強く何回も教えてくれる。やさしい孫の態度に感服。外語大1年生。アルバイトしながら頑張っている。未熟児で生まれた孫。幸あれと成長を楽しみにしている。
 薩摩川内市 新開譲(83) 2009/10/18 毎日新聞鹿児島版掲載
 写真はyKさん

散る桜 残る桜

2009-10-17 21:43:06 | アカショウビンのつぶやき






 今日は、30年以上地元で活動を続けている演劇グループ「劇団かんな」の公演を観に行った。

 鹿屋は日本一規模の大きな特攻基地があった地。しかし薩摩半島の知覧特攻基地ほど全国的には知られていない。このたび、劇団かんなを主宰するY氏が、時間をかけて資料を掘り起こし感銘深い作品に仕上げておられた。

 「散る桜 残る桜 残る桜も散る桜…」

 疑い迷いつつも、ただお国のためにと若い命を捧げたあまたの特攻隊員。しかし中には出撃しながら、いろいろな理由で生きて戻ってきた隊員もあったという。「一億火の玉だ」のスローガンを掲げていた当時のこと、その後、彼らが、どのような運命をたどったかは想像に難くない。

 特攻慰霊祭に参加した元上官と、特攻の真実を知ろうと訪ねてきた大学生グループ、さらに悲劇の特攻隊員の弟がひょんなことから、ともに焼酎を酌み交わしつつ、次第に真実が明かされていく。生きて戻ってきた隊員に過酷な出撃命令を下した元上官。良心の呵責に責められつつ、生きねばならぬ人生だったのだ。

 戦後64年、日本は憲法九条に守られ、平和を享受してきた。しかし地球上のあちこちで、いまも悲惨な戦争が繰り返され、おびただしい難民、貧困…とどまるところを知らぬ復讐の連鎖。

 地に平和よあれ! と、ただ祈るのみ。
 
 

リンゴ

2009-10-17 11:07:22 | はがき随筆
 時あたかも秋。あこがれていた長野にぶらり旅。シラカバ林には白秋の詩の世界に誘われ、千曲川では藤村の思いに浸る。
 枝もたわわに実ったリンゴ。畑一面が真っ赤に染まるリンゴ畑は圧巻だ。収穫されて山積みされたリンゴを一つ、5歳の女児が、見も知らない私に差し出した。その気持ちの優しさが、リンゴ畑に一陣のさわやかな風を起こした。丸かじりしたリンゴのえも言われぬうまさに魅了され、田舎の父母に送った。あれから40年。つい先日のように母は「あのリンゴのおいしさは、冥土への土産話に持って行くよ」と絶賛。
 出水市 道田道範(60) 2009/10/17 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はmitaさん

慟哭

2009-10-17 10:49:37 | 女の気持ち/男の気持ち
 「私の病気のことを絶対、題材にしないで」と、来年古希を迎えるはずだった妻に釘を刺されていた。そのご法度が無効となる時を、初秋の日曜日に迎えた。
 7年前、福岡市の病院で左乳房の下のしこりを「悪性リンパ腫」と診断された。初めて聞く病名だが、白血病と同類の血液病であると理解した。すぐに入院となり4ヵ月夜、治って元気に退院し、これで安心と楽観していたが、その後約2年おきに再発して入退院を繰り返した。
 入院期間は約1年。その間、妻は愚痴一つこぼさず前向きに病と対座し、元気なうちに友人たちと海外旅行を楽しんでいた。今年の7月からは北九州市の病院に移り、通院していた。
 異変が起きたのは、友人の初盆参りの帰りにスーパーで買い物をした4日後。肺炎で重体となり、それから個室で息を引き取るまでの18日間、妻に付き添った。
 亡くなる3日前の夜中、弱音を吐いたことのない妻が酸素マスクの下で「もう、頑張れない」と言った。私は妻の額に額を押しつけ、「頑張らないでいいよ」と言って慟哭した。
 「泣かないで。長生きしてね。お浄土で会えるから」
 「あとから行くからね。僕でよかった?」
 「うん」とうなずいた。
 最後まで立派過ぎる妻に、額を重ねて泣き続けた。
 金婚式まであと2年余。妻であり親友であった女性がたくさんの思い出と私を
残して旅立っだ。
  福岡県水巻町 松尾 高林・76歳 2009/10/15 毎日新聞「の気持ち」欄掲載

里の秋

2009-10-17 10:22:36 | はがき随筆
55年住みついたこの里。
雲一つない中秋の名月は素晴らしかった。九州山脈に連なる四方の山々の稜線のシルエットがくっきり見えてきれい。
 高台から一望の稲田も黄金色に染まり、近々農繁期だ。散歩する涼風がホッペをくすぐる。庭先の柿の実が色づいている。お隣からクリをもらう。今年はクリも豊作とのこと。お陰でおいしいクリようかんを頂いた。
 この2、3日寒さを感ずる。昨秋から我が家の一員となったメス猫、メタボのハナちゃんもコタツにもぐりたいようだ。ひと雨ごとに秋も深まり、この里も降霜も近いだろう。
  伊佐市 宮園続(78) 2009/10/16 毎日新聞鹿児島版掲載 

旬産旬消

2009-10-17 09:54:36 | はがき随筆
 家庭菜園が趣味となり10年、失敗や成功の菜園日記を見ながら種まきをする。
 白菜は時期が遅れてまかずに終わったことがある。昨年は上出来でサラダにしても甘くておいしかった。今年は雨が少なくてプランターに育苗して移植、今は葉を広げている。
 キャベツ、ブロッコリーを冒険して早く種まきした。無農薬を旨として害虫は手で取る。ところが昨年まで見なかったが、見えにくい虫だろうかしんがやられてしまい収穫は望めない。早まきが原因かもしれない。
 家庭菜園は旬産旬消。冒険にはそれなりの手だてが必要か。
出水市 年神貞子(73)  2009/10/15 毎日新聞鹿児島版掲載

柿落葉

2009-10-14 18:47:03 | はがき随筆
 毎朝、庭には柿落葉がいっぱいだ。ときには熟した柿も落ちている。庭に柿の木が3本もあるので、汗と蚊に悩まされながら、これを掃くのが朝の一仕事だ。掃きながら、子どものころ少年団で、近くの神社の掃除が日曜日の朝あったことを思い出した。当時は早起き会といって竹ぼうきを持って神社に駆けつけての掃除だった。そこには松葉がいっぱいだった。それをみんな並んで掃除した。先輩から鍛えられた掃除の仕方は、今でも忘れず役立っている。あすの朝もまた、赤や黄色の落葉で庭は埋めつくされているだろう。また汗と蚊に悩むのか。
  出水市高尾野町下水流 畠中大喜(72) 2009/10/14 毎日新聞鹿児島版掲載