風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

火事は人災、地震・雷・山嵐(やまじ)は天災 304号

2008年06月23日 08時23分30秒 | ワーキングホリデー飯田
援農の為に、中央道高速バスで高森バス停に到着する。通常は女将が送迎担当であるが、本日は主人直々の出迎えの異変である。最近購入した新車の軽トラックの運転台での会話で原因がわかったのである。

草木も眠る丑三時に、近所の豪農の邸宅が全焼したのである。女性軍は炊き出しの不眠不休の奉仕活動をしている。

原因はセントラル給湯器である薪ストーブの火の不始末である。五代に渉る資産の蓄積が2時間で灰塵と化した。果樹園の金儲けに片寄り過ぎた経営が、家事を疎かにし乱雑な環境が火事を招いたのである。金儲けより火の用心。

「地震 雷、火事、親父」は怖いものの羅列として語り継がれた。

地震は新潟地震・阪神淡路大地震、最近の中国四川大地震、岩手宮城内陸地震の経験で、災害の恐怖と破壊力に、そして自然のパワーの巨大さに、その防御に人間が無力であることを再認識させられる。

落雷は18世紀のアメリカ合衆国の政治家・物理学者のベンジャミン・フランクリンが、「雷雲に含まれる電気的な流体を取り除くことによって、落雷を避ける」避雷針を発明し、建築物を落雷から保護する仕組みを完成した。以来落雷の被害は激減した。

最近の親父は人畜無害なのである。むしろ女房が恐怖の対象になった。第一次産業が衰退して一億総サラリーマン化し、給料が銀行振り込みとなり、財布の紐は女房に握られ管理され、男女雇用機会均等法で稼ぎが旦那を凌ぐ状況では、親父の威厳や尊厳は消滅し、家族のエンタテイナーにならざるを得ない悲しい現実がある。

本来は「山嵐(やまじ)」であるが「親父(おやじ)」に変化し、台風の脅威を警告していた。今となっては希少価値の亭主関白を旦那に持つ女房の作だろう。

投宿先の果樹専業農家は、主人が大黒柱となり生業に励む家父長制の残像がある。早朝に起床して、朝飯前の一仕事の消毒作業。日焼けの黒い顔。昼休みには地域活動で飛び回る。晩酌して家族団欒、そして程なく高鼾。怖い親父が存在する。古き善き時代の日本がある。

日本再生のキーワードは田舎の農業・漁業・林業の振興と怖い親父の復活の様である。自然相手の生活は経済的には厳しく苦しいが、その生活が自然なのだろう。

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